睡夢の刻

 ((キチキチキチ……))

 枕元で耳障りな聲がする。いや、聲ではなく、音だ。
 闇を渡り、影に潜んで近づいてきたモノが、顎を噛み合わせて立てる音。

 ((キキ…キチキチキチ…))

 獲物を見つけた、そう仲間に報せるように…

 「………」

 熱の醸す眠りの中に沈みかけていた子供は、重い瞼をうっすらと開いて、己にしか聞こえないその音の方に視線を移す。

 漆黒の瞳が映すのは、人に似た小さな黒い身体に、蟲の頭を持つ妖(アヤカシ)。子供の目が、その姿を捉えているとは気付いていないのか、見つめられても隠れるでもなく、キチキチと顎を鳴らし続けている。

(ああ、また、だ…)

 子供はそれが、自分を食べにきた妖だと知っていた。物心ついた時から、ずっと、子供が床に伏す時には必ず、そういったモノが近づいて来るのだった。
 放っておけば、この小さな妖に呼ばれて、もっと大きくて強い妖魔がやってくるであろうことも判っていたが、それを恐ろしいとは思わなかった。

 シュルシュル、と、子供の枕元に置かれた清水を満たした鉢から這い出てくる気配がある。
 妖と違い、その気配は、はきとした形を取ってはいなかったが、それが蛇であることを子供は知っていた。
 形を持たぬ水の蛇は、その気配に気付くこともない妖に音も無く近づいて、見えぬ牙で、蟲の頭を瞬時に噛み砕く。
 
 「けほ…!」

 消滅する妖がまき散らした瘴気を吸い込んで、子供は顔を顰め咳き込んだ。
 熱が少し上がったような気がする。
 
 (また、心配をかけてしまうな…)

 母は、子供を産んですぐに亡くなった。母を失った病弱な一人息子を案じ続ける父親の嘆きを思って、子供は眉を曇らせる。
 けれど、そんな思考が浮かんだのも僅かの間。
 やがて、意識を保つことに疲れて、子供は再び夢に沈んだ。

 形持たぬ蛇も、子供が眠りに落ちると同時に、その姿を霧散させる。
 霧となったその水の気を、風がそっと運んで、子供の熱を僅かに冷ました。

 「だい…じょ、ぶ…」

 眠りの中、子供の唇が小さく震え、吐息のような言葉を漏らす。

 「すぐ…に…」

 途切れた言葉の続きを聞く者は、そこには居なかった。