「……まったく。
一体、誰に似たのかしら」
治療院から引き取ってきた我が子の寝顔に、『朱の舞姫』とあだ名される当代朱雀の継承者はは、と大きく息を吐いた。
公的には未婚とされる、南方守護者。
先だっての地上降臨から戻った後も数年、御前試合への参加を控えていた彼女が、久しぶりの参戦の際に幼子を抱いて登城した姿はちょっとした騒動を齎した。
天帝や、親しくしていた四神・四瑞には予め、子ができて動けぬ事は報せておいたものの、その子が朱雀神の寵を受けた事までは報せてはおらず。
拝謁の際、朱雀神から授かった羽と鈴を身に着け、舌足らずに、それでも次代として精一杯挨拶する姿は、謁見の間に驚きを巻き起こしていた。
一応、いずれ朱雀の翼を担うもの、という自覚はあれど、まだまだ幼くやんちゃな次代は、一箇所に大人しくしている、という事はなく。
当代が、先に御前試合の演舞を終えた旧知に挨拶をしている間に天上宮各所を駆け回っていて。
木登りをして、見事に落ちた、との報せに慌てて治療院に飛び込んだのは、つい先ほどのことだった。
幸いにして怪我は軽く、当人も大きなショックなどは受けていなかったようで、そこは安心したものの。
「……朱雀の翼たらんとの志はよし、なのだけれど。
今からこんな調子で、大丈夫なのかしらねぇ?」
呟いて、眠る幼子の赤い髪を撫でる。
朱雀神の寵を受けた子は、既に心の一部も重ねているのか、空へと焦がれている。木登りの理由も、空に近づきたかったから、と言っていた。
「……」
千年前の大過において、翼に傷を受けた朱雀神。
妖魔の強き呪詛を込めた一撃は朱の翼を深く傷つけ、それは未だ、癒える兆しもない。
絶望を力と転じた呪は、飛べぬ嘆きによって強まり、更に嘆きを強める。
その嘆きを少しでも癒したい、と。
理屈ではなく、感覚で。ただ、感じた想いのままにあるのだろう、というのは、何となくだが感じていた。
「そんなところは、確実に、あいつ似ではあるけれど」
風に沿い、木の想いを読む事でそれらと共にあり、力を借り受けていた術師。
いずれは天へ帰る身なのだと突き放そうとしたのに、穏やかに包み込んできた、風。
守護者の任あれば、共に添う事はできず。
そうでなくとも、生きる時の流れに隔たりがあるから。
互いの在るべき地は変えずに生きる在り方を、選びもしたのだけれど。
「…………」
長い睫が伏せられ、翳りが落ちる。
知らず子を抱える腕に力がこもり、その僅かな変化を感じたのか、小さな声が上がった。
「……んぅ……」
「……ああ……起きたの?」
「……うん」
呼びかけに返るのは、どこか惚けた声。くしくし、と目元を擦る仕種は、本当に眠たそうで。
そんな仕種もまた、父譲りとは、知らぬのだろうな、と思いつつ、舞姫はそう、と赤い髪を撫でる。
「……ねぇ、カスパル」
「ん……なぁに?」
「お祭りが終わったら。
……父様のところへ、行こう」
その言葉は自然と口をついていた。
正直、どうしようか悩んではいた。
挨拶がてら、旧知にどうしたものかと相談したりしつつも、結論は出せずにいたのだけれど。
天と地、ふたつの血を引く子であるのだから、ふたつともを知っておくべきだろう、と。
そんな思いはずっと抱えていたし、何より。
「……うん、行く。あいたい」
未だ父の顔を知らぬ子が、彼との対面を望んでいるのも感じていたから。
そして、自分も逢いたい、と願う気持ちがあるから。
邪気なく笑う子が素直に想いを口にすると、余計な意地はどこかへ消えていた。
「それじゃ、お祭りが終わったら、帝にお願いして、お出かけしよう。
……だから、もう、今日みたいな事をしてはダメよ?」
無邪気な笑みに釣られるように笑いつつ、釘刺しをひとつ。
それに、はぁい、と頷いた直後に、子は大あくびをして目元を擦った。
「……お部屋に戻ろうか。
明日は、母様の演舞なのだから、寝坊してはダメよ?」
呼びかけながら歩き出すものの、子は半ば眠りの内にあるのか、返るのはうん、という生返事。それに微か、笑みつつ、朱の舞姫はゆっくりと宿舎へ向けて歩き出す。
ふわりと舞う、軽やかな夜風が護るよに、親子の周囲をくるりと巡って、過ぎた。