水の歌花の舞

 その地に、冬は訪れぬ。
 周囲の山々が白く染まる時にも、火の気を孕んで揺れる朱の花と古びた墓石の周囲は、雪に閉ざされることも、霜に枯れることもなく、常に柔らかな緑と草花に覆われている。
 まるで冬将軍が、その領域に踏み込むのを遠慮しているかのように…

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 鳳凰と、当代応龍には格別に挨拶を、という、ローズマリーの言葉は、男にも予想のついたことだった。だから、それに関しては、即座に同意したのだが…続く言葉には、正直困惑した。

 「先代の朱雀…朱の舞姫殿か…」

 縁あることは確かに聞いた。しかし、顔合わせた機会もそう多くは無いはずの舞姫をそれほど強く慕っていようとは…不覚にも思ってはいなかったのだ。

 それでも、常ならば、その健気さを微笑ましく思い、望みを叶えようと思う所なのだが、この度ばかりはそうはいかないのだと、男は既に、舞姫の息子たる朱雀の護り手から打ち明けられて知っている。

 「残念だが、それは難しかろう。舞姫殿は、今や、一人息子であるカスパル殿ですら会うことが叶わぬ程、遠き地においでだ。そこに貴女を連れて行くことは私にも出来ない」

 嘘ではないけれど、真実の全てでもない言葉。

 「いずれ…機会が巡れば、私からお伝えすることだけは出来るかもしれない。それを待つのではいけないか?」

 優しく諭すような男の声音が、告げられぬ真実の切なさを想い、僅かに翳っていることを孔雀の姫も感じとったか、不思議そうに瞬きはしても、更にその理由を問い返される事は無かった。
 代わりに、と、申し出られたのは、我が侭と言うには、あまりに優しい願い。

 「地上の花に、直接歌を込めることは難しいだろう」

 舞姫の魂も、今は地上に咲く花の内、そこに天上の歌姫の歌を響かせる事は、地上の理を乱す事になる。

 「だが…どうしても舞姫に歌を届けたいと思うなら…」

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 ……ひらり、ふわり

 朱の花に護られた墓所の上、雲一つない蒼空から、真白な雪が舞い降りる。
 常ならそのまま地に着く前に溶けて消える風花は、何故か朱の花の火気の届くすぐ外で、ふわりふわりと空に留まり、純白の花の姿を象っていく。
 
 ———ぴしゃん

 大輪の花となった雪の集まりは、次の瞬間、するりと溶けて、水滴となり地に落ちる。水は地面には吸い込まれず、小さな小さな煌めく水鏡となって、朱の花の影を映した。

 ぱしゃ…!

 水鏡の表が揺れて、頭をもたげるのは、小さな黒い蛇。その尾には純白の花を一輪巻き付かせて、漆黒の瞳が静かに朱の花を見上げる。
 
 『…あの日、謝ることはない、と貴女は言った』

 蛇の口から、低い男の声が紡がれる。転生を以てしか、地に直接降りることのない玄武神の、心だけを伝えるために。

 『全ては、在るがまま、望むままに生きた証…それ故に、悔いる必要も無いのだと…だが、私は、惜しまずにはいられない。朱の舞姫…貴女にも、そして彼にも、我が妻に逢って欲しかった』

 きっと、二人ながらに友として、心から喜んでくれたもの、と、そう思うから。

 『せめて…妻からの贈り物を受け取ってくれ』

 それだけ言って、黒蛇は、尾に巻いた花を、水鏡に根を浸すようにして捧げ置き、墓石の方にもそっと頭を下げてから、するりと水の中に姿を消した。

 それと、同時、遠く微かに響くは、柔らかな歌声…

 高き蒼天、かつて舞姫が舞った天の園より、優しき歌姫の声を水面のさざめきに変えて伝える水鏡…歌声に誘われるように、さわさわと風が渡り、純白の花がふわり揺れると、火の粉のような煌めきが朱の花を彩るように舞い上がった。
 

 その地には、冬は訪れぬ。
 冬司る神の心が、その地を友に譲った故に。

 ただ時折、微かな優しい歌声が、さざなみの如く響く時、地には届かぬ風花だけが、ひらり、ふわりと、風に舞う……