『朱の舞姫』と呼ばれし朱雀の継承者。
戦場にて、そして、演舞の場にて華麗に舞うその髪には常に、色鮮やかな花が飾られていた。
その事始を紐解けば、舞姫の朱雀継承の時にまで遡る。
守護者の任を引き継いだ後の最初の演舞の折、東方守護者たる蒼龍の元へ挨拶に赴いた際に贈られた花。
翌日、武舞台に立った舞姫の髪にはその花が揺れていた。
「戦場に、華やかさを添えるもまた一興。
……そう思いましたので」
その頃には未だ、どこかに娘らしさを残した舞姫の言葉は何を思わせたか。
ともあれ、それを事始として以降、戦場や武舞台に立つ朱の舞姫の髪は常に鮮やかな花で飾られる事となっていた。
「蒼龍の君のお世話になるのも、此度が仕舞いとなりますかしら」
天帝の間での一方的な継承宣言の後、蒼龍の元を訪れた舞姫は、こう言って笑った。
「……とはいえ、次代は次代で、お世話をかけそうですが。
あれは、似なくてもいいものに、良く似ておりますの。
ほんの瑣末な出来事でうっかり死線を彷徨ったりしかねませんし、何より酷い意地はりの格好付けですので。
これは、白虎の君にもお願いしておりますが……やらかした、と感じましたら、遠慮なく叱ってやってくださいまし」
さらりと下された酷い評価に、返る言葉は如何なるものか。
焔の子、などとも呼ばれた次代は、天上宮でも色々とやらかしているから、余り、違和感などはないかもしれないが。
後を頼むとでも言いたげな言葉は、何かしら、思わせるものもあるやも知れず。
「それで……蒼龍の君。
最後に、また、花をいただきたいのですけれど。
此度は、根付きで、蕾のものをお願いできますかしら」
ゆるりと首を傾げて願うのは、やはり、これまでとは違うもの。
それらに対する疑問などは、全て「女の秘密ですわ」の一言と艶やかな笑みで受け流して。
天上宮を辞した後──朱の舞姫が四神や四瑞の元に姿を見せる事は、二度と、なかった。
「……じゃあ。
わかっているわね?」
南方守護者の継承は滞りなく行われ。それから数日後、親子は非公式に地上を訪れていた。
「……ええ」
確かめるような言葉に、当代はひとつ、頷く。視線は、すぐ側の古びた墓へと向けられていた。
人里離れた地に、隠れるように築かれた墓。
そこに眠るのは天地結ぶ子である当代の父と、知る者は既に限られている。
「あたしは、あたしの思うがままに生きた。
……あんたも、縛られる必要はないわ。
南方守護者として、朱雀のいとし子として。
思うがままに、飛びなさい。もっとも……」
同じように墓を見やりつつ舞姫は静かに言葉を綴り、途中で一度、言葉を切った。
「……無茶しいは、程ほどになさいね?
可愛らしい歌姫たちを嘆かせるようなことはするんじゃないわよ?
今のあんたには、背負うものがある……勿論、それを忘れる事はないだろうけれど」
「わかってるって……嘆きは翳りを生み、翳りは朱雀神の癒しを妨げるもの。
……ちゃんと、心してる」
「そう、ね。
あんたは、朱雀神のいとし子。
……成すべき事は、見失わない、か」
はきと告げる当代の言葉に、舞姫は目を細めた。
明確にそれと告げることはしなかったものの、一人息子は本当に良く、父親に似ている、と。
それは、舞姫自身が最も強く感じていることだった。
天地の双方の血を引く、朱雀神のいとし子。
気質や力は自分譲りであり、また、眠れる朱雀神にも良く似ているが。
舞姫の目には、我が子の姿は唯一心預けた者に生き写しと見えていた。恐らく、この点においては約一名からも同意を得られるだろう、とも思っている。
『似ている』が故の不安などもなくはない、が。
『置き去りにされる痛み』を知るが故に、無茶はすまい、とも思っているから。
継承の後、舞姫が選んだのは、子を見守ることではなく──己が想いのままに在ること。
いとしき術師の眠る地の護りの力となり、消滅に至るまでを過ごすことだった。
蒼龍に望んだ花は、その依り代であり、己がここにいる、との目印。
古びた墓石の横に植えられたそれに、真紅の瞳が向いて。
風が、さわ、と舞姫の髪を揺らした。
「……それじゃあ、ね。
一応、帝には伝えておいて。
あと……叶うならば、玄武の君にも。
他の方々には、伏せておいてちょうだい……口煩いのが多いから」
「言わなくても、バレる所にはバレると思うけど、ねぇ」
「その時は、あんたが適当に怒られておきなさい」
「……これだ。
まったく、厄介事だけ押し付けてくれて」
はあ、と大げさにため息をつきつつ、それでも、当代はそれ以上の文句は口にしない。
母の想いは──全てではないものの、わかっているから。
天地の隔たりを越えて、想い通わせるということは、言うほど容易いものではない、と、感じていたから。
だから──。
「あなたは、あなたの思うままに……母上」
それだけ告げて、笑う。
この言葉に、舞姫はええ、と頷いて。
──次の瞬間、艶やかに舞うのは朱の焔の気。
それは墓のある一帯に広まり、やがて、鎮まってゆく。
朱色の光を伴うその乱舞が鎮まった後には舞姫の姿はなく。
墓の傍らに植えられた紅の花、その花弁が静かに開いていた。
「……ほんっとに。
好き勝手やってくれるよ、なぁ……」
場に満ちた静寂を打ち破るのは、ぼやくような呟き、ひとつ。墓と花、二つを見つめる瞳は僅かに翳っていたものの、リィン、と微かに鈴の音が響けばそれは薄れて。
「……俺は、俺の思うままに。
誓いと、願いを果たすために、飛びます」
ひとつ息を吐いた後、紡ぐのは誓いの宣。
「そうして、いつか。
俺と、朱雀神の願いが叶ったら、その時に。
……また、ここに来ます……父上、母上」
それまでは、訪れる事はしない、と。
そんな決意を込めた呟きの後、朱雀のいとし子は夜空を仰ぐ。
幼い日、母に連れられて来た時に見た星空。
対極たる玄武の手に抱えられ、それを見た時の事をふと、思い出しつつ。
「……飛んで、行くか。
あの時よりは近くに行けるし、な」
小さく呟いた後、開くのは朱の翼。
夜空へ向かうその背を見送る紅一輪のすぐ側に。
零れた羽が一片、ふわりと舞い落ちた。