後夜

承前
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 『ぼくと、朱雀さまと。
  二人分、ありがと』

 声が届いたのは、片腕に子供を抱いたまま地に降りて、高まった水気を鎮めようと、地を貫いた七星剣の柄に手を伸ばした時の事。

 二人分、という言葉に、はたと瞬き腕の中の子の顔を見つめる。先刻までの怯えを消して、笑み浮かべるその様子に、漆黒の瞳が眩し気に細められた。
 リィン…
 子供の言葉に沿うように鈴が鳴る。
 
 かつては、届かなかった言葉、差し伸べることの出来なかった腕…過ぎし時に残した慚愧の念が齎す冷たい痛みを腕の中の小さな温もりと、優しい鈴の音が和らげるようで…

「礼を言うのは…私の方だ…」

 そのまま眠りに落ちた朱雀の愛し子の赤い髪を、ぽふ、と撫で、男の漏らした呟きは、柔らかな響きを帯びていた。

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 — 時は巡り、100年の大祭の演舞の後 —

「———子供は元気が一番、と、言われて、私も頷きはしたが…あれは、元気という問題でも無かったな」

 これだから、男は…と、言いたげに溜め息ついた朱の舞姫に、彼女の夫と顔見合わせて苦笑交わしたのも、想い出の内。
 眠っていた幼子は、その様子は知らぬだろうと、今は隠れもない朱雀の守護者となった若者に話し聞かせる。

「其方は父君に、良く似ている」

 その火の性も武に秀でた身のこなしも、彼の舞姫譲りと、知る人は疑いもしないだろうが、男の目からは、それを凌駕して、かつての地上の友の姿が、当代の朱雀の護り手に重なって見えるのだ。

「何をも縛らず、何に縛られる事もなく…地にありながら、天を翔けることの叶う心の持ち主だった。誰もが、その心に惹かれずにはおられぬような…な」

 その男の早過ぎる死を止めるが叶わなかった事は、かつて朱雀を救えなかった後悔と同様に、今も玄武神の胸に刺さる棘ではあるけれど…目の前の若者の姿が、その痛みを和らげるのもかつてと同じ。

「叶うなら、今一度、酒酌み交わしたいと思っていたが、願いというのは、思いがけぬところで叶うものだ」

 朱雀の心を預かり、父の魂を受け継いだ焔の子に、楽し気な笑み見せて、漆黒の男は酒杯を傾ける。

 二度とは逢えぬと思った友の魂に、再び巡り会えるなら…天地に優しき気の満ちる時、遠く思えるその時も、願えば叶うと…
 その胸の内を感じたか、リィン…と、鈴の音が、笑うように鳴り響いた。