翼と剣

……それは、伝承となる前の、とある、初春の夢の一幕。

*******

 蒼穹高く、炎孕む緋の翼が風を切り、一直線に飛来する。

 『水陣護法…』

 咄嗟に、水の陣を宙に描き、盾と為すが、相克となるその陣を目にしても、些かも炎の翼の怯む気配は無く、むしろ、嬉々としてその盾を突き破らんと、突っ込んでくる。

 「…っ!」

 容易には破られる筈の無い神気の盾が、一点に集められた力にたわみ、薄く引き伸ばされていく。

 「七星招来!」

 遂に、水陣の中央が炎の爪に切り裂かれて霧となり、躍り込むように眼前に迫る焔の翼…それを受け止めるには他に術無し、と、男が右の手に召還した七星剣と、焔の剣が激しい火花を散らして打ち合わされる。

 「やっと喚んだな」

 力押しをする気は無いとばかりに、さっと身を翻して中空に羽ばたき、剣を構え直した朱雀の、秀麗な面に、艶めいた笑みが浮かぶのを、同じく剣を構えた漆黒の男は半眼で見返した。

 「…無茶がすぎるぞ」

 「はは!だが、皆喜んでいるだろう?」

 言いざま、再び焔の翼が翻る。今度は真っ直ぐ正面からではなく、漆黒の男の頭上を一度越え、身体ごと素早く反転して剣を掬い上げる動き。
 上から下へ、更に右から左へと、変幻自在に飛来する焔を、漆黒の男は、軸足動かすこともなく、半歩身体を開き、七星剣を上段から振り下ろして、その重みと膂力を以て弾き返さんとする。

 その一撃、一撃に、周囲の観客からは大きなどよめきと、歓声があがった。

 「…確かに、な」

 漆黒の男は、気の抜けぬ剣戟の合間に、ごく小さく呟いた。
 天での演舞の際には、今まで七星剣を用いた事はない。
 普段は顔を合わせる事も無い南天の守護神は、四神四瑞打ち揃う祭儀の折に触れ、その事には不服を言っていた。

 曰く「全力を出さぬ演舞などつまらない」

 玄武神にしてみれば、神剣は己の一部、己自身が戦うのであれば、武器として使わずとも全力でないと言われる筋合いではない、と、思っていたのだが。
 こうして七星剣を揮う男の姿こそが、天の民を楽しませ、その心を浮き立たせるのだとしたら、確かにこれまで「全力を」出し切ってはいなかったのだ、と、改めて知る思い…とまでは、決して口にはしないのだが。
 
 「破っ!」

 常に無い、愉し気な色を漆黒に浮かべて、焔の翼の閃きに応じる姿は、何より雄弁であったろう。

 「やれやれ、放っておくと、日が暮れるまで遊んでいそうだね」

 新年の祝賀祭で、滅多に揃わぬ南北の守護神の模擬戦を、と言い出したのは朱雀の方。その目論見が当たって、十二分に楽しんでいるのはともかくとして、最初は渋々といった体だった玄武までが、同じ顔になっているのだからどうしようもない。

 「適当なところで、花を放り込んでみようか?」

 そうすれば止まるかもしれないからね、と、笑う蒼龍の言葉に、苦笑しつつ頷いたのは、応龍だったか、白虎だったか。

 その言が実行されたかどうかは、定かでは無い。
 ただ、この時より後、玄武神自らが舞う演舞には、七星剣が必ず携えられるようになったのは、確かな事だった。