10 咎人、罪を重ね


 明けて、翌日。
 自ら祈りを唱えつつ刑に臨んだ神父に対する霊視判定は、共に人狼である、
という結果に終わった。どうやら、狂人は最後まで己が姿勢を貫く、と決めた
らしい。
「……結局、最後まで判定を割らんのか、お前たちは」
 自身の真を主張しあうペーターとヤコブの様子に、ニコラスは思わずこんな
呟きをもらしていた。それから、竪琴を手にしてその弦に指を滑らせる。旋律
が静かに流れ、緑柱石がそれに呼応するように静かに震え始めた。そして、緑
の石は黒い光を自らの内から放つ。
「この結果、予測していなかったとは言わぬ。だが……」
 その光に、ニコラスはため息まじりの呟きをもらしつつゆっくりと顔を上げ
てアルビンを見た。
「緑柱石より放たれしは、黒光……アルビンは人狼だった」
 静かな言葉が静寂を呼び込む。その静寂の中、全員の視線を一身に集める形
となったアルビンは取り乱す事もなく、落ち着いた様子で一つ息を吐いた。
「む……そうか……やはり人狼だったか。
 魂魄が色を変える、か……理屈はわからぬが拙者も何時の間にか人狼になっ
ていたという事か」
 ため息と共に出て来た言葉は、それまでの彼とは全く違う、一緒独特とも言
える雰囲気をまとっていた。それと共に表情や周囲を取り巻く気配までもがそ
の様相を一変させる。
「ア……アル、さん?」
 あまりの変わりようにパメラが困惑したような声を上げた。他の者たちもそ
の態度の変化に少なからぬ戸惑いを感じているらしい。そんな困惑と戸惑いの
中、アルビンはゆっくりと自分の事を話し始めた。
 自分は異国から訪れた『忍』と呼ばれる者である事。人狼についての調査を
主体とした密命を受け、そのために人狼の力を自らに宿した事。昨夜はオット
ーとの勝負を望み、そのために護衛されていると承知の上でニコラスを襲撃し
た事などを一通り語ると、アルビンは深く息を吐いた。
「時にニコラス殿、お主……何者だ? 初日から違和感があった……気配が希
薄というか、気の質がおかしいというか……こう普通と違う印象が拭えなかっ
たのだが」
 この問いに、ニコラスは微かな笑みを浮かべて、言った。
「俺か? ただの、旅人……石と共に音を紡ぐ、珠楽師だ。立ち止まる事と変
化する事を許されぬ、ただの風来坊に過ぎぬ」
 静かなこの返答に、アルビンはそうか、と呟く。
「ふうむ……まあいずれも拙者には関わりのないこと、か。
 さて、本来なれば明朝の処刑を待つべきだが……昨夜の戦いの傷が深く、そ
れまで持ちそうにない。
 忍びの者、死してなお影も残さず。
 その屍、拾う者無し。
 決着は自らの手でつけようぞ!」
 こう叫ぶや否や、アルビンは宿の入り口へと一気に跳躍し、扉を開けて外へ
と身を躍らせた。
「アルビンっ!?」
 とっさにその後を追ったニコラスが外へと駆け出した直後に、爆発音が響き
渡った。宿の前の広場には既にアルビンの姿はなく、ただ、いつもの花の香り
とは全く正反対の臭い──硝煙と、その臭いだけが残されていた。
「……終わった……な」
 誰に向けて言うでなくニコラスは小さくこう呟き、それに答えるように、水
盤の中の緑柱石がぴしり、と音を立てて二つに、割れた。

 その夜、ニコラスはいつもの場所──白薔薇の空き地で竪琴を爪弾いていた。
真紅の瞳は、どことなく愁いを帯びている。傍らで身体を丸めるアトルも、ど
こか物憂げな様子だった。
『……にゃっ』
 不意に、伏せられていたアトルの耳がぴくり、と動いた。同時に、ニコラス
は近づく気配を感じ取ってそちらへ向けて声をかける。
「散歩か、パメラ?」
 突然の呼びかけに、気配の主──パメラは一瞬、戸惑ったようだった。花の
陰から姿を見せたパメラは、開口一番どうしてわかったの? と問いかけてく
る。
「パメラは、魂魄の清らかさで他の皆と異なる。この点はディーターも同じだ
が、足音から女性の歩き方というのはわかったのでな」
 静かに答えると、パメラはそうかぁ、と呟きつつゆっくりと腰を下ろし、伏
せているアトルを撫でた。その表情には、微かな愁いの陰りがある。
 脅威を無事に退けた安堵と、そのために多くの者を死に至らしめた悔恨。
 その二つの思いがせめぎ合い、表情を陰らせているようだった。
「……どうした?」
「うん……急に、静かになっちゃったなって……」
 問いを投げると、パメラは小さなため息と共にこう返してきた。
「寂しいか?」
「寂しい……うん、そうかもね。みんないなくなっちゃった、って感じで……」
「……」
「昔から知ってる人、お世話になった人、幼なじみ……身近な人たちが、一度
にいなくなっちゃって……昔から静かな村だったけど、輪をかけて静かになっ
ちゃった感じね。ニコさんも、ずっとここにいる訳じゃないでしょ?」
「ああ。俺は、定住を許される立場ではないのでな」
 静かに答えると、パメラはやっぱりか、と呟いて目を伏せた。
「……パメラ」
 不意に竪琴を爪弾く手を止めて、ニコラスはパメラに呼びかける。
「え、なに?」
「実は、一つ頼みがあるのだが」
「頼み? 私に、できる事?」
 顔を上げたパメラは訝るように問い、それに、ニコラスはああ、と頷いた。
「パメラにしか、頼めぬ事だ」
「え……一体、何ですか?」
「この村で、罪を犯す事を、許してほしい」
 静かな言葉はさすがに困惑を招いたらしく、パメラはえ? と言って眉を寄
せた。
「罪……って?」
「輪廻の法則……魂魄の巡りを歪めるという、大罪。『奇跡を起こす』という、
罪を」
「それって……」
「今回の件で死した者を、再び目覚めさせる。全ての咎は、俺が受ける故、案
ずる事はない」
 穏やかな微笑と共に告げると、パメラは呆気に取られた面持ちでじっとニコ
ラスを見つめた。

 死した者の骸は土に還り、その魂魄は休息を経て再び生命を得る。
 それが、輪廻の法則だ。
 本来、この法則には何者も関与する事はできない、とされていた。世界その
ものの法則にも関わる事なのだから、それも当然だが。
 だが、一部の力ある者は、その法則にすら関与し得る、とも言われている。
 勿論、それは大きな罪であり、行った者は相応の責を負わされる。
 その事は、重々承知していたが、しかし。

「消えぬ罪を新たに増やす事になろうとも、俺は」

 消えてしまった温もりを、目覚めさせたい。
 再びそれをかき抱く事を、自身に赦す事はできなくとも。

『……好きにしやれ』

 静かな決意に対し、アトルは小さな声でこう呟くのみだった。

 翌日、生き残った者たちは墓地へと集まっていた。
「一体、何をやるつもりなんだよ、ニコラスは?」
 判定に使っていた水盤を地面に置き、その周囲に宝石を並べていくニコラス
の姿に、ディーターが怪訝そうに呟く。
「わからないけど……とにかく、見てましょう」
 その呟きに答えつつ、パメラはどこか不安げな視線をニコラスに投げかける。
オットーやペーターもやはり怪訝そうな表情をしている中、ヤコブだけは怪訝、
というよりは不思議そうな視線をニコラスへと向けていた。
 それらの視線にも構わず、ニコラスは水盤と宝石の配置を終え、水盤の中に
蛋白玉と紅玉を一つずつ沈めた。
「さて……」
 それらが終わるとニコラスは顔上げて居並ぶ面々を見回す。その表情には、
苦笑めいたものが見て取れた。
「しばしの間、不気味なものを見せる事となる。すまぬな」
 苦笑の面持ちのままこう言うとニコラスは帽子とマントを脱ぎ、更にその下
に着ていたシャツまで脱ぎ捨てた。突然の事にパメラがきゃっ、と声を上げる
が、恥じらいはすぐさま、驚愕に取って代わる。
「えー、なにあれ?」
 ペーターが大きな目を更に大きく見開き、とぼけた声を上げる。
「はて……刺青……にしては、不可解な」
 オットーが低く呟きつつ、僅かに首を傾げた。
「あれって……もしかして、竜ってヤツ?」
 その形が意味するものに、最初に気づいたのはディーターだったらしい。
 諸肌脱いだニコラスの上半身──一見すると細身の外見に似ず、しっかりと
引き締まった身体には黒い影のようなものが見受けられた。ちょうど背中から
右肩に向けて圧し掛かるような形で広がるそれは、おとぎ話などで語られる竜
のそれを思わせた。
『黒き影は竜魂。咎人の証』
 戸惑う一同の前にアトルが舞い降り、静かにこう言った。今までの舌足らず
な物言いとは一転、その口調は大人びた──というか、古めかしいものを感じ
させる。
「咎人の……証?」
 その言葉に、パメラが遠慮がちに問いかける。
『眠れる竜魂を解き放つ、という罪を犯し、にこはそれに喰われた。が、生き
る意思を持つが故にわらわと契約を交わし、完全な消滅を免れたのじゃ。
 以来、あれは己が罪と竜魂の咎、その双方を贖う定めを負い、ただ、生き続
けておる』
「……つまり、彼は人ではない、と?」
 他の者が呆然としている中、唯一あまり驚いた様子の見られないヤコブがア
トルに問う。アトルは真紅の瞳をそちらに向け、首を横に振った。
『器は人。魂も然り。しかし、生命は竜魂に侵食され、人ならざる存在と言え
る』
「人であって、人ではない……?」
『ある意味、お主とは近しい存在やもしれぬな?』
 小さく呟くヤコブにアトルはさらりとこんな事を言い、この言葉にヤコブは
くすり、と笑って見せた。妙にそこだけでわかっている様子に他の者は困惑を
深めるが、当事者たちはそれ以上は何も言わずにニコラスを見る。それとほぼ
同時に、竪琴の旋律が流れ始めた。旋律は再びその奏者への注目を集め、そし
て、奏者の身に起きた変化は、見た者を驚かせる。ニコラスの背後に白い塊の
ような物が現れ、それがざっ! という音と共に大きく開いたのだ。
「あれは……翼?」
 ヤコブが小さく呟く通り、それは翼だった。
 純白の羽毛で構築された翼は微かな光を放ち、金色の髪との間に色彩のコン
トラストを織り成している。一見すると天使さながら、しかし、右肩に圧し掛
かる黒い竜の影が見たままの印象を受け入れる事を妨げている。だが、それが
聖魔いずれに属する存在であるにせよ、その神秘性と美しさは否定すべくもな
い、と言えた。
 様々な思惑を込めた視線をその身に集めつつ、ニコラスは静かに旋律を紡い
でいく。
 静かで、穏やかな旋律。
 それに呼応するかのように、地面から白い光の粒子がキラキラと立ち昇り始
めた。光の粒子は天へと昇り、それから、ゆっくりと地上へ降って来る。
「……穢れなき、清らなる魂魄を持ちし者の助力を得て、導きの旋律に光輝を
託す。
 全ての穢れは我へと集え。我は穢れを喰らいて気脈を正す。
 穢れに侵されし魂魄に、暖かき清めを。
 冷たき死の眠りの縛、我を縛り、眠れる者の戒めを解け……。
 いずれ来る夜明け、穢れは我が竜魂の内へと回帰せん……」
 旋律と共に静かな言葉が紡がれていく。それと呼応するかのように、水盤の
中の二つの石がキラキラと光を放ち、周囲に並べられた十三個の宝石もまた、
わずかに遅れて光を放った。
 天から降る光の粒子と、宝石が放つ光。
 乱舞する光に照らされ、白い翼はよりその美しさを際立たせるかのようだっ
た。
 そんな、幻想的とも言える光景の中、その神秘性を際立たせていた竪琴の音
が、止まった。
「全ての咎は、咎人たる我に……いざ、目覚めの刻へと導かれん……」
 静かな、静かな宣が響く。
 直後に、乱舞していた全ての光が、弾けた。
 白を背景に様々な光が乱れ飛び、やがて、それらはその色ごとに一点に集約
しつつ地上へ舞い降りる。その舞い降りた光の中から現れた者の姿に、光の乱
舞に呆然としていた者たちが驚愕の声を上げた。
「えーっ!?」
「これは……また」
「どうなってんだ?」
「みんなが……生き返った?」
 呆然と、パメラが呟く通りだった。
 襲撃によって生命を落とした者、処刑を受けた者。
 墓地に眠っていたはずの者たちが座り込み、困惑した様子で周囲を見回して
いる。
「……すまぬな、アトル。これでまた、休息は先送りになってしまった」
 傍らにやって来たアトルに向け、ニコラスは苦笑しつつこんな事を言った。
アトルはふう、と大げさにため息をついて見せる。
『好きにしやれ、と言ったであろ? それに……』
「……それに?」
『一概に、そうとも言えぬやも知れぬ』
 呟くように言いつつ、アトルはニコラスから目を逸らす。その視線を辿った
ニコラスはその先に、きょとん、とした茶色の大きな瞳がある事に気づいた。
知らず、安堵の笑みが浮かび──直後に、身体の力が抜けてその場に倒れ伏し
た。
『にこ!』
 アトルの声が、衝撃で舞い上がった白い羽と共に空へと広がる。
 明け方の空に、真白の羽が美しく映えていた。



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