09 剣閃、月下に舞う


 予想の範囲内では、あった。
 早期にその潔白を立証され、まとめ役であるパメラを的確な助言で支えてい
たモーリッツ老。守護者であるオットーがニコラスの護衛に入っている率が高
い現状において、人狼が襲撃先として選択できる者はほぼ限られてしまう。
 即ちまとめ役であり、最も清い魂魄を持つ者とされる『魂の絆の共有者』で
あるパメラと、先日自らがその相方である、と明かしたディーターと、そして
モーリッツ老の三人だ。
 残る人狼が誰であったとしても、未だに判定を受けていないヴァルターやア
ルビンを襲撃する事は自身の隠れ場所を狭める結果となり、人狼であると主張
しているオットーを襲撃すれば、主張と状況に矛盾が生じる。このため、明ら
かに人である、と全員が断ずる事のできる三人の内の誰かを襲撃せざるを得な
いのだ。
 パメラもディーターも自分が襲撃される可能性を強く見ていたらしく、モー
リッツ老の死には少なからぬショックを受けているようだった。
 そんな陰鬱な雰囲気の中、四度目の処刑が行なわれた。
 幼なじみを処刑する、という状況は、パメラにとっていつになく辛いものが
あったようだが、それでも、彼女は気丈な様子を崩す事無く四人の能力者にそ
れぞれの結果を同時に発表するように、と指示を出していた。
 宿に戻ったニコラスは水盤に手を入れ、沈めた青金石を握り締めた。悠長に
竪琴を奏でている時間が取れないため、直接石に力を送ってその反応を見る事
としたのだ。
 緊張した時間が張り詰め、そして。
「時間です……結果を!」
 パメラの号令がそれを打ち破った。ニコラスは水盤から手を引き上げ、開い
た手の中の青金石に白い光を認める。
「青金石より、白光……ヴァルターは、人間だ!」
「村長は、人狼でした!」
「ヨアヒム兄ちゃんは人狼だったよー!」
「ヨアヒムは、人狼でした」
 四つの声が交差し、そして。
「……ヨアヒム、人狼確定かよ!」
 直後に生じた奇妙な空白を、ディーターの声が打ち破った。

「なんと言えばいいのか……このような事も、あるのだな」
 その日の夕暮れ、ニコラスは一人、こんな呟きをもらしていた。
 霊視によるヨアヒムの人狼確定。それは転じて、神父が偽の能力者である、
という事を立証するものとなった。
 それともう一つ、この一件で全く思いも寄らなかった可能性が浮上していた。
 霊視の能力者として名乗りを上げた二人は、当初からその一方は狂人──人
でありつつ人狼に与する者、と見なされていた。
 人狼に与する、とは言え狂人と人狼はお互いの存在を感知しあう事はできず、
双方の連携は常に取れるとは限らない。そして、今回の霊視結果はその連携が
崩れたが故の結果と言えた。
 即ち、二人のどちらが真の能力者であるにせよ、偽の方は人狼ではない、と
言える。そしてアトルが感じている人狼の気配は三つ。ヨアヒムと神父が内二
人として、残る一人は。
「……アルビン以外、考えられぬ、という事になるのだがな」
 騒動が始まった当初、まとまらない村の者を引っ張っていた行商人アルビン。
彼以外にはいない、という事になる。仮に神父を狂人て仮定し、霊視の能力者
二人のいずれかが狼である、という可能性を辿ったとしても、同じ結論に行き
着くのだ。
「……ふう」
 知らず、ため息が出る。
 当のアルビンは色々考えたい、と言って宿を離れており、翌日の処刑がほぼ
確定となった神父は教会に閉じこもっている。ディーターの話では、礼拝堂で
祈りを捧げ続けているらしい。放っておいたら一晩中祈っていそうな勢いだっ
た、という言葉を思い出し、ニコラスは思わず苦笑していた。
「神職としての勤めを持って、己が最期の言となすか、神父……ふ、神の存在
を信じぬ俺には、中々手痛いものがあるな……」
 こんな呟きを漏らしつつ、妙にがらん、とした宿の一階を見回す。
 訪れた当初の賑わいは全くなく。
 ただ、静寂が重い。
 静寂を好ましく思っていた彼にとっても、そこに立ちこめる静寂は息苦しく
感じた。
「……おかしなものだな」
 そんな自分に呆れたように呟きつつ、ニコラスは腰のポーチの中から宝石を
一つ取り出して、水盤の中に沈める。澄んだ緑の緑柱石は、恐らくこれが最後
となる珠楽奏の判定に用いるための物。つまり、アルビンの魂魄の色彩を見極
めるための石だ。
「……」
 水盤の中の緑の石をしばし見つめると、ニコラスは立ち上がって竪琴を手に
取った。
『にこ?』
「……久しぶりに、竪琴を聴いてもらうか……カタリナに」
 怪訝そうに見上げるアトルに、ニコラスはこう言って微笑んで見せる。アト
ルはなう、と声を上げてニコラスの肩に飛び乗った。
 宿を出て、花の中を墓地へと向かう。
 日一日とその数を増やす墓の周囲はいつの間にか植えられる花で埋め尽くさ
れ、ほんのりと紅い薄紅色の薔薇が静かに風にそよいでいる。その花弁と、並
んだ墓碑をぐるりと見回すと、ニコラスは墓の一つの前に腰を下ろした。肩の
上のアトルがぴょん、と飛び降りて墓碑の横にちょこん、と座ると、ニコラス
は竪琴を構えてその弦の上に指を走らせた。
 静かな旋律が、弦から紡ぎ出されて行く。旋律は風に乗り、村の中へ静かに
響き渡って行った。
 だが、やはり静寂が重い。
 咎人となってから、長く、長く生き続けてきた。
 もはや数える事すら無為と感じるその時間の中、静寂を苦しいと感じた事な
ど一度もなかったはずなのに。
 ここに来てから──否、手を伸ばし、そして離してしまったあの時から。
 静寂は、彼に対する態度を変えてしまったような気がする。
(……違うな)
 ふと浮かんだ考えを、ニコラスはすぐに否定する。静寂が態度を変えたので
はなく、彼自身が変わったのだと。
(変わらねば良かったものを……どこまでも愚かだな、俺は)
 そんな、自嘲的な結論に至ったちょうどその時。
「……?」
 それまで、静かに旋律と芳香を運んでいた風が、その動きを止めた。
『……』
 旋律に合わせて尾を振っていたアトルがその動きを止める。ニコラスも手を
止めて、周囲を見回した。
 既に日は落ちて久しく、周囲は蒼い闇に沈んでいる。月は出ているようだが、
雲がかかっているのか光は乏しい。更に、いつの間にか立ち込めていた霧が視
界を遮っていた。
『……にこ……』
 アトルが顔を上げて何か言いかけるのとほぼ同時に、
「お下がりください!」
 鋭い声が霧の中から響いてきた。ニコラスはそれに逆らわず、素早くその場
を飛び退く。それに僅かに遅れて、それまでニコラスがいた辺りに何かが連続
して突き刺さった。どうやら、細長い刃物の類らしい。予想を大きく超えた物
の襲来に絶句していると、先ほどの声の主──オットーが駆け寄ってきた。
『おとちゃ!』
「ですから、ご自重ください、と申し上げたのですよ!」
 やって来るなりこんな事を言うオットーに、ニコラスはすまぬ、と苦笑する
しかなかった。オットーはまったく、と言いつつ鋭い視線を周囲に投げかける。
「私を狙ってくるかと思っておりましたが……どうやら、あちらは明日の判定
結果を出されたくないようですね」
「どうやら、そのようだな……上、来るぞ!」
 呟くような言葉に短く答えた直後に、ニコラスは頭上に気配を感じる。オッ
トーも気配に気づいたらしく、手にした小型の弓を上に向け、つがえていた矢
を放った。銀色に輝く矢は標的をかすめたらしく、霧の中に微かな紅が散る。
手傷を負ったらしい襲撃者は強引に体勢を整え、離れた場所に着地したようだ
った。
 ぴん……と空気が張り詰めるのが感じられる。
 襲撃者は、まだ、引いてはいない。
 微かに感じる気配がその事実を伝え、それが緊張を否応なしに高めた。
 オットーが、ゆっくりと弓に矢をつがえる。
 ニコラスはゆっくり、ゆっくりと霧の中を見回し、それから小声でオットー
に呼びかけた。
「……オットー」
「はい」
「近接戦に対応する武器は?」
「生憎、用意しておりません」
 追い払うのが私の任務ですので、という言葉に、ニコラスは確かにな、と呟
いた。
「必要になったなら、手持ちを渡す、とだけ言っておくぞ」
「……その前に、諦めていただければよいのですが」
「そうだな……どうやら、無理なようだが!」
 叫ぶように言いつつ、ニコラスは横方向へと飛び退く。緑のマントが白い霧
の中にふわり、と翻った。オットーはニコラスが飛び退くより早く身体を反転
させており、前方が開くのと同時に接近していた影へ向けてつがえた矢を放っ
ていた。
「ぐっ!」
 真紅の飛沫と共に、低いうめき声がもれる。銀の矢は確実に相手に食い込ん
だはずだが、しかし、襲撃者はその勢いを維持したままオットーに接近し、そ
の手の弓を弾き飛ばした。
『おとちゃ!』
 アトルが声を上げる。ニコラスは無言で腰につけていた短剣を引き抜いてい
た。黒い刃を持つそれは、光源乏しい中で微かな光を放つ。
「受け取れ!」
 叫びつつ放り投げられた短剣は、大きく弧を描いてオットーの元へと飛んだ。
襲撃者とオットー、双方共にその軌道を追う。だが、先ほどの銀の矢は襲撃者
には痛手であったらしく、黒い短剣は何者に阻まれる事もなく、オットーの手
に納まった。
 直後に、キィンっ!という澄んだ音が夜気を断ち切る。黒い短剣が、金属を
弾いた音だ。
 二度、三度、続けて同じ音が響く。
 打ち合う二人の技量はほぼ拮抗しているらしく、剣閃が走る度、澄んだ音が
響いた。
 オットーが相当な鍛練と、そして経験を積んでいるのは感じていた。その彼
と、ほぼ対等に渡り合っている、という点で襲撃側も相当な手練である事は容
易に察せられた。恐らくは、専門的な戦闘訓練を積んでいるのだろう。
『……にこ』
「ああ。明らかに、他の者とは異なる」
 呼びかけるアトルにこう言って頷いた時、状況に変化が生じた。オットーが
何かに足を取られたのか、わずかに体勢を崩したのだ。襲撃者はその機を逃さ
ずに連撃を叩き込もうとするが、しかし、それはオットーの策だったらしい。
 よろけたように見せかけて相手の攻撃を誘い、逆に懐に飛び込み、必殺を期
した一撃を放つ。
 一手誤れば自らも深手を負うこの策は、功を奏した。
 白い霧の中に、真紅の飛沫が舞う。
 黒い短剣は、襲撃者の腹部を確実に捕らえていた。しかし、人の身であれば
文字通り必殺となったであろう一撃を持ってしてもその動きを完全に止めるに
は至らず、襲撃者はふらつきながらも大きく後ろに飛びずさり、姿を消した。
「……引いた、な」
 襲撃者の気配が完全に消えた事を確かめると、ニコラスはゆっくりと立ち上
がった。
「そのようでございますね」
 こちらもそれと確かめたのか、オットーが低く呟きつつこちらに歩み寄って
くる。
「お返しいたします。しかし、これは……石の短剣でございますか? 珍しい
物をお持ちですね」
 短剣を返しつつの言葉に、ニコラスは苦笑めいた表情を浮かべた。
「黒曜石を削りだした物……自決用だ。他の物では、真の意味で俺を殺せぬ故」
 自嘲を帯びた言葉にオットーは眉を寄せるが、ニコラスはそれ以上は何も言
わずに短剣を受け取り、空を見上げた。いつの間にか雲と霧は晴れ、月が煌々
と彼らを照らしている。
「もうすぐ、終わるな、全てが」
 独り言めいた呟きに、オットーはそうでございますね、と相づちを打つ。
「……勿論、そこから始めねばならぬ事も多々あるが……さて、では、戻ると
するか」
 空から地上へ視線を移しつつこう言うと、オットーはええ、と言いつつ頷い
た。



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