08 黒光、瞬きて


 明けて、翌日。夜明けと共に三度目の処刑が行なわれ、そして、三度目の同
じ結果が出た。
「トーマスは人間でした。一体何時になれば、人狼を見つけられるのでしょう
か……」
「トーマスおじちゃんは人間だったよ……」
 霊視の結果を告げる二人の声にも、そろそろ疲労の陰りがある。彼らに限ら
ず、生き残っている者は皆、心身に強い疲労を感じつつあった。それでも、昨
夜はオットーの判断が功を奏したと見え、再び犠牲者はいないという報せがも
たらされた事は、ささやかな救いとなっていた。
「犠牲がない、と聞くと、だいぶ気が楽になな……オットーの判断に、感謝す
る」
 穏やかな笑みと共にこう言うと、ニコラスは黒い水盤に向き直った。水盤の
中には、水晶が一つ沈められている。ニコラスは一つ息を吐き、それからゆっ
くりと竪琴を奏で始めた。
 旋律に呼応するように水晶が震えるのは同じだが、その震え方は昨日までと
比べると激しいようにも見えた。その様子に居合わせた者たちが不安を感じ始
めた時、水晶がぴたり、と動きを止め、そして。
「……これは……!」
 水晶からにじみ出るように放たれた黒い光に、ニコラスは表情を険しくする。
真紅の瞳に冷たい光が宿り、視線が水盤から、ヨアヒムへと向けられた。
「……黒光……穢れに侵されし魂魄っ……ヨアヒムは、人にして人ならざるも
の。人狼だ……」
 静かな宣言が、室内に沈黙と緊張を張り詰める。
「……まったく、皆さん、惑わされては困りますよ。天啓において、ヨアヒム
君は人間と出ているのですから。
 それにしても、オットー君の策には恐れ入りますね。二日続けて誰も襲わず、
自らの信を勝ち得ようとは」
 その沈黙を神父が打ち破る。細められた目の奥には、微かな苛立ちのような
ものが見て取れた。
「僕が狼だってー!? パメラちゃんを襲ったのが僕だなんてはまり過ぎじゃな
いか! そうか、旅人さんが偽、神父さん真、と、同時にオト狼だね!」
 それに続くように、ヨアヒムも大声を上げる。その様子に、オットーはおや
おや、と言って肩をすくめた。
「随分なおっしゃりようですね、ヨアヒム様? 昨夜は、あなた様のリクエス
トにお応えしてパメラ様をお護りしていたというのに。それとも、飛び込んで
きた鼻っ面に銀の矢を撃ち込んで差し上げたのを、根に持っておいでですか?」
 微笑みながらのこの言葉に、ヨアヒムは僅かに怯むような素振りを見せた。
満面の笑顔で、しかし、目だけは笑っていない、という状況では怯むのも無理
からぬ事だろうが。
「……疑うは易き事、論拠を求む、と言わせてもらおう」
 ゆっくりと立ち上がりつつ、ニコラスは神父とヨアヒムに向けて静かにこう
告げる。
「その言葉、そのままお返ししますよ、ニコラス君」
 それに神父が即座にこう返してきた。この言葉に、ニコラスはふっと冷たく
笑んで見せる。
「無論、そのつもりだ。俺とて、状況証拠だけで信を勝ち取れるなどとは思っ
ておらぬ故」
 どこまでも静かな宣に神父の表情を苛立ちが過ぎり、対照的な二人の能力者
を、こちらも対照的な霊視の力の持ち主たちはそれぞれが思案顔で見比べてい
た。

 状況が動いている事が、はっきりと感じられる。
 単なる口論と紙一重のような議論の末、処刑の対象となったのはヨアヒムだ
った。昨日と同様、神父はこの流れに激しく抗っていた。自分視点の狼である
オットーは放置し、ニコラス視点の狼であるヨアヒムだけを処刑するのは、理
不尽であると。
 その主張、それ自体はニコラスにも理解できる。自分の視点で罪無き者が断
ぜられるのだから、それに抗うのは当然の事だろう。彼自身、昨日はオットー
を処刑する、という流れに対して抗ったのだから、その感情を否定するつもり
はなかった。
 水盤の中に、翌日の判定に用いる青金石を沈めた所で、ニコラスはふらりと
外に出る。明日判定の対象となるのは村長ヴァルター。ここ数日、多忙を理由
に姿を見せていない彼への疑念を払拭すべき、という判断から、その決定は下
されていた。
「……」
 ぼんやりと物思いに耽りつつ、花の中を散策する。
 ヨアヒムと、そして神父が人にして人ならざるもの、人狼である事は、珠楽
奏の結果も含めて確信できる。それはそれで構わないのだが、この村に潜んで
いる人狼が彼らだけとは思い難かった。
 何かが引っかかる。何か見落としているような気がする。
「……アトル」
『なぅ?』
「穢れを帯びし魂魄、幾つその波動を感じている?」
 静かな問いに、アトルの真紅の瞳が険しい光を帯びた。
『みっつー』
 やや間を置いて、アトルは小さな声で問いに答えた。ニコラスはそうか、と
呟いて、ふと足を止める。
「……ここは?」
 考え事をしている内に、いつもとは違う道に入り込んでいたらしい。気がつ
くと周囲には見慣れた白い薔薇ではなく、月下に冴え冴えと映える蒼い薔薇が
花弁を開いていた。
『あおいの。やこちゃがもってたのにゃ』
 小首を傾げつつ、アトルがこう言った時、
「おや……珍しいお客様ですね」
 静かな声が呼びかけてきた。ニコラスは反射的にそちらに対して身構える。
その反応をどう受け止めたのか、声の主──ヤコブは楽しげな様子でくすり、
と笑った。
「そんなに、驚かなくてもいいじゃありませんか。大げさだなぁ」
「驚くな、という方にも無理があるように思うのだがな。こんな時刻まで、花
の世話か?」
 静かな問いに、ヤコブはええ、と頷いた。
「月の光の下では、この子たちもより美しく見えますしね」
「……下らぬ事を聞くが、お前、いつ寝ているのだ?」
 ふと浮かんだ疑問を投げかけると、ヤコブは一瞬きょとん、とした表情を覗
かせた。
「ちゃんと、夜に寝ていますよ? 嫌だなぁ、ぼくが夜な夜な徘徊していると
でも、思っていたんですか?」
「そういう訳ではないが……すまぬ、下らぬ事を聞いた」
 きょとん、とした後ヤコブは笑いながら問いに答え、その返答にニコラスは
小さくため息をついた後、短く言って頭を下げる。
「いえいえ……でも、そういうあなたも大分夜更かしがお好きなようですが、
ちゃんと休んでいるのですか?」
 一しきり笑った後、ヤコブは笑いながらこんな問いを投げかけてきた。
「必要な分の休息は取っているが、それが?」
「いえ、それならいいんですよ。ただ……」
「ただ……なんだ?」
 勿体ぶった言い回しに警戒を強めつつ、ニコラスは言葉の先を促した。
「今日一日の出来事で、ぼくの中ではあなたとオットーの二人が正しい力の持
ち主である、と確信できましたから。ですから、自愛してほしい、と思ってい
るだけですよ……村のために、ね」
 言いつつ、ヤコブはにこり、と微笑む。一見すると素朴な微笑。だが、何か
が引っかかる。何故か、その言葉を真っ直ぐに受け止める事ができない。
 言葉では、はっきりと表す事のできない違和感。
 それが、どうしても拭い取れないのだ。
「……気遣い、痛み入る。だが、そう易々とは壊れぬ故、その心配は無用だ」
 静かな口調でこう言うと、ニコラスはゆっくりと踵を返して元来た道を戻る。
ヤコブは薄い笑みを浮かべてその背を見送っていたが、緑色の影が花の向こう
に消えると、持っていた桶の中身を周囲の薔薇に与える作業を始めた。
「ニコラス様」
 蒼い薔薇の咲き乱れる空間を抜けると、静かな声が呼びかけてきた。
『にゃ、おとちゃ』
 声の主にすぐさま気づいたアトルが声を上げ、ニコラスも声の方を振り返る。
例によって気配を全く感じさせる事無く近づいてきたオットーは、やれやれ、
という感じでため息をついた。
「散歩もよろしいのですが、多少は自重して下さいますよう、お願い申し上げ
ます。あなたが狙われる可能性は、決して低くはないのですから」
 小言めいた言葉に、ニコラスは苦笑しつつすまぬ、と頭を下げる。
「……しかし、静かだな」
 顔を上げたニコラスは、月を見上げつつふとこんな呟きをもらしていた。
「確かに。いわゆる賑やかしが減っておりますからね。これでは、無事に騒動
が片付いても、過疎に一層の拍車がかかるのは避けられそうにありません」
 ため息混じりにこう言った後、オットーはそれはそれで静かでよろしゅうご
ざいますが、と付け加え、その一言にニコラスはそうかも知れぬな、とまた苦
笑する。
「静かな暮らし……か。俺には、縁遠い物だな、それは」
 一抹の自嘲を込めつつ、こんな呟きをもらしたその時。
『……にゃっ!?』
 突然、アトルが全身の毛を逆立てつつ声を上げた。只ならぬ様子に、ニコラ
スもオットーも表情を引き締める。
「どうした、アトル!?」
 低く問いを投げかけるのと前後するように、そう遠くない所から絶叫が風に
乗って響いてきた。
「今の声は……」
「まさか、モーリッツ様が!?」
 ニコラスが疑問を口にするより先に、オットーがそれに答えを出す。二人は
軽く視線を交わした後、どちらからともなく走り出していた。



← BACK 目次へ NEXT →