07 真紅より、白光


 夜明けと共に、二度目の処刑が行われる。
 レジーナはどことなく達観したような様子で、粛々と刑を受けていた。無用
の抵抗をしない事、それによって自身の潔白を体現せんとするかのように。
 彼女がその態度によって示したものは死後、霊視の力を持つ二人によって裏
付けられた。即ち、レジーナは人間である、という判定によって。
 二回続けて人間を処刑する決断を下した事でパメラの精神的な疲労は更に強
くなったようだが、もたらされた別の報せは、彼女が完全に塞ぎ込む事を阻ん
でいた。
「被害、なかったの!?」
 その報せ──昨夜は誰も襲われなかった、という報に、パメラは久しぶりの
明るい表情を覗かせていた。
「……どうやら、護り手は健在であるようだな……何よりだ。誰かはわからぬ
が、最大限の感謝を」
 その報せに、ニコラスもこんな呟きをもらす。襲撃死者は出来うる限り見た
くはない──それは、彼の偽らざる本心だった。
 しかしそんな和やかな雰囲気は長くは続かず、神父のもたらした判定結果が
再び緊張を張り詰めた。
「天啓が下されました……オットー君は、人狼です」
 静かな宣言がざわめきをもたらす。ニコラスはすっと目を細めつつ、水盤に
向き直って旋律を紡ぎだし始めた。静かな旋律に呼応するように、沈められた
柘榴石が震え始める。一拍間を置いて、真紅の石は白い煌めきを放ち始めた。
「……白光……穢れなき魂魄の証……オットーは、人間だ」
 静かに顔を上げつつ、きっぱりと言いきる。相反する宣言がざわめきを大き
くする中、何故か当のオットーだけは冷静な表情を崩してはいなかった。
「なるほど……では、色々と考えねばならぬようですね。少々、お時間をいた
だきたく存じます」
 ニコラスと神父の顔を順に見ながらこう言うと、オットーは丁寧な礼をして
見せた。異なる判定を下され、それでもいつもと変わらぬ冷静さと余裕を保っ
ているオットーの態度に、全員が毒気を抜かれたような表情を見せる。
「……まあ、いずれにしましても」
 奇妙な沈黙を経て、神父が咳払いと共に声を上げた。
「私は、本日の処刑はオットー君以外は考えられません。彼が人狼である、と
いうのは、偽りのない天からの啓示なのですから」
「……では、俺はそれと反対の立場を取らせてもらう事になるな」
 神父の宣言に、ニコラスは椅子から立ち上がりつつ、こちらも静かに宣言し
た。
「それが、村の皆の総意として提示されるのであれば、個人の感情のみを主張
はせぬ。だが、その魂魄に穢れ無きと明言できる者を、自ら望んで死に至らし
める必然は俺にはない。
 これは、俺の個人的な感情だが、同時に珠楽師として譲れぬ点でもある」
 それぞれの意思を示す二人の能力者を、集まった者たちは困惑した面持ちで
見比べた。ニコラスはテーブルの上に置いた竪琴を抱え上げると、それ以上は
何も言わずに宿の外へと向かう。僅かに遅れて、アトルがぱたぱたとそれに続
いた。
「さて、それでは私も一度職務に戻らせていただきたきます。では、後ほど」
 ニコラスとアトルの姿が外の光の中に消えると、オットーもまた、こう言っ
て宿を出て行った。全く余裕を失わぬその態度で、少なからぬ困惑を残して。

 そしてその困惑は、それをもたらした当の本人によって、更にその度合いを
深める事となる。

「あれから、色々と考えさせていただきました。これまでの事、そして、これ
からの事を。考えうるあらゆる可能性を考慮し、そしてその上で、これを最善
と判断し、宣言させていただきます。
 私は、狩人としての技術を身に着けております」
 時間を置いて再び宿に姿を現したオットーは笑顔でこう宣言し、その言葉に
ある者は戸惑い、ある者は驚き、と実に多用な反応を示していた。
 それもまた、無理からぬ事だろう、とは思うものの。
「……予想を超えた、怒涛の展開、というヤツだな、これは」
 驚いた、という点ではニコラスも他の皆と変わりはなかった。いつも以上に
ざわついた会議が終わり、その日の決定が下された所でニコラスは宿を離れて
いつもの場所に落ち着いたのだが、腰を下ろすなりこんな呟きがもれていた。
『なう。でも、あとるは、なんとなくわかるの〜』
 その肩からぴょん、と飛び降りたアトルがこんな事を言う。
「わかる? 何故?」
『にゃ〜……おとちゃ、気配がちがうの。かくすの、じょーず。ふつーのひと
と、ちがうのー』
 ふと疑問を感じて問うと、アトルは軽く首を傾げてからこんな事を言ってき
た。思い当たる節がなくもないその意見にニコラスはなるほど、と呟き、
「……言われてみれば、その通りというヤツだな……ここまで近づかれねば、
気配を察する事もできぬのだから」
 ふと感じた気配へ向けてこう呼びかけていた。呼びかけに応じるように気配
の主──オットーがゆっくりと姿を見せる。
「簡単に気取られてしまっては、能力を生かす事はできませんので」
 現れたオットーはにこり、と微笑みながらこう言った。表情や物腰はいつも
と特に変わりない。だが、瞳に宿る光は鋭く、厳しいものがあった。
「確かに、そうだな……念のために聞いておくが、俺を守護するつもりはある
まい?」
 ゆっくりと弦に指を走らせつつ問うと、オットーはさて、と言って肩をすく
めた。
「それは、お話しできかねます。既に、どう動くかは定めておりますが、でき
得る限り最善手を選べるよう、考慮はいたします」
 それから、オットーは静かな口調でこう答える。
 二人の能力者から異なる判定を出された事で、一時は神父の主張する通りオ
ットーを処刑し、霊視の結果から情報を引き出そう、という流れが出来かけて
いた。
 しかし、その流れはオットーが狩人である、と宣言した事と、それを否定す
る名乗りを上げる者が出なかった事で一時押し止められ、一日様子を見る、と
いう選択がなされていた。もっとも、神父は最後までこの流れに抗っていたが。
「なに、オットーであれば判断を誤る事はない、と信じている。我が魂魄の行
方は、既に天運に任せている故、恐れはない」
 ここでニコラスは言葉を切り、小さくため息をついた。
「とはいえ、叶うなら次の珠楽奏には何としても臨みたい、という気持ちはあ
るがな」
 低く呟くそれは、ニコラスの偽らざる心情だった。
 心に定めた決意のために、という思いもある。だが、それを差し引いても明
日の珠楽奏を行いたい、という思いは強かった。
 次の判定対象となったヨアヒムにはかなり早い段階から疑念を抱いていた事、
そしてそれがアトルとの共通認識である事から、彼の魂魄の色彩だけは何とし
ても見極めたい、と思っていたのだ。
「……いずれにしろ、今は明日、再び会える事を祈るのみ、だな」
 静かに言いつつ、ニコラスは月を見上げる。オットーはそうでございますね、
と応じて同じように月を見上げた。
「それでは、私はこれにて失礼いたします。村の中を一通り見回った後、自ら
の定めた持ち場に着くといたしましょう。
 ニコラス様、いつもでも出歩かず、お早めに宿にお戻りくださいませ」
 しばし月を見つめた後、オットーはこう言って優雅に一礼した。ニコラスは
月から目を逸らして、ああ、と頷く。オットーがでは、と言って花と花の間に
消えると、ニコラスはまた、月を見やった。
『……にこ?』
 どことなく虚ろにも見える真紅の瞳を訝ったのか、アトルが不思議そうに呼
びかけてくる。
「……静かだな」
 それに、ニコラスは小さな呟きで返し、ゆっくりと目を閉じた。

 慣れきっていたはずの静寂が、今は何故か、重い。



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