05 力ある者、その責


 それはいつも、頼まれもしないのにやって来て。
 大抵は、人の都合も聞かずに一日中付きまとっていた。
 何なんだ、と文句を言えば、何でもいいでしょ、と言い返され、放っておけ、
と突き放せば、危なっかしくてダメ、と言い返してきた。自分が天性のドジで
ある事は、完全に棚に上げて。
 そんな幼馴染はある日、深刻な面持ちでこんな事を言ってきた。
『ね……これからずっと、私のためだけに竪琴弾いてって言ったら……そうし
てくれる?』
 言われた言葉の意味は、すぐには理解できなかった。彼の家系を知り、その
竪琴の旋律は多くの者のためにある、と知っているはずの彼女から、こんな問
いを投げかけられるとは思わなかったのだ。
 戸惑っていると幼馴染は問いを取り下げてしまい、その夜、母から幼馴染に
縁談が持ち込まれている事を聞かされた。
 問いの意味に気がついたのは、その時。それと共に、自分の想いにも気づい
た。
 即ち、幼馴染は既にそれ以上の存在となっていた事に。
 失いたくない、と感じた。だから、自分から手を伸ばした。
『俺の演奏の全てをシャロだけの物にはできない。でも、シャロのためだけに
弾く曲を、創る事はできる。そしてそれを、シャロにだけ聴かせる時間を持つ
事も』
 遠回しに告げた言葉を機に二つの想いは重なり、それは、ささやかな祝福を
得て結ばれる事を許された。
 しかし、結ばれる直前。偶然手を放してしまった僅かな時間に、手にした温
もりは奪われてしまった。
 今度も、そう。
 温もりを愛しいと感じた直後に手を放し、それを失ってしまった。
 自分の心の領域に踏み込ませなければ、あるいは死なせずに済んだのかも知
れない。距離を詰める事を許さなければ、あの夜、カタリナが自分を頼って出
歩く事はなかったとも言えるのだから。
 最早繰言、とわかっていても、ニコラスはそう考えてしまう自分を止められ
なかった。
 失った者と良く似た雰囲気に甘えた自分の責任。
 こう考えて自分を追い詰めるのが、一番気が楽だから。
 ……無論、それが何の解決にもならない事は、承知の上で。

 コンコン、という音が聞こえる。その音が浅い眠りを破り、目を開けたニコ
ラスは一瞬、自分がどこにいるのか把握できずに眉を寄せた。
 目に映るのは、茜色に染まった木の天井。
 その色彩の源は夕焼けの光で、天井は宿のそれ、と認識した所でまた、コン
コン、という音が聞こえた。どうやら、扉をノックする音らしい。
「ニコラスさーん、まだ寝てるのー?」
 身体を起こしてベッドに腰掛ける姿勢を取った直後に、扉の向こうから声が
聞こえた。やや甲高い少年の声──ペーターだ。
「……ペーターか? 今、起きた所だ……」
「そう。ちょっといいかなー?」
「ああ……」
 乱れた金髪を適当に直しつつ答えると、扉が勢い良く開いて小柄な少年が部
屋に飛び込んできた。
「身体、だいじょーぶー? いきなり倒れるから、びっくりしたよー」
「倒れた……のか、俺は? 良く、覚えておらぬのだが……」
「覚えてないの? カタリナ姉ちゃんの埋葬が済んだとたん、ばたーって倒れ
たんだよ、ニコラスさん。それで、ディーターとアルビンさんの二人でここま
で運び込んだのです」
「そう、か……皆に、迷惑をかけたな」
 ペーターの説明に、ニコラスはため息混じりにこう呟いた。
「ニコラスさんにはニコラスさんのじじょーもあるんだから、それはいいんだ
けど。ぼくが重たい思いした訳じゃないし。とと、それより、お願いがあるん
だけどー」
「……願い? 俺にか?」
 思わぬ言葉に戸惑いながら問うと、ペーターはうん、と頷いた。
「カタリナ姉ちゃん判定した結果って、出てるんだよね? もう必要ないかも
だけど、それをちゃんとニコラスさんの口から言って欲しいんだよねー。やっ
ぱり、それが力を持った者の、務めだと思うんだー」
「力を持った者の、務め……」
 オウム返しに呟くと、ペーターはうん、と頷いた。
 力ある者として、当然果たすべき、責。
 この少年はそれを理解し、受け入れているのだと、改めて感じる事ができた。
「……そう、だな。自らの務めは、果たさなくてはならぬな」
 小さく小さくこう呟くと、ニコラスはゆっくりと立ち上がった。椅子の背に
かけられていた緑のマントをふわりと羽織り、テーブルの上の帽子を手に取る。
「うん、みんなが集まったら、お願いするねー。じゃ、ぼくは神父さんにも同
じ話をしてくるよー」
 こう言うと、ペーターはぱたぱたと部屋から飛び出して行った。その元気の
良さに目を細めつつ、ニコラスは帽子を被って自分も部屋を出る。
「おや、お目覚めだね。大丈夫かい?」
 一階に降りると、宿の女将であるレジーナが声をかけてきた。
「ああ……騒がせてしまったようだ、すまぬ」
 振り返りつつこう言って頭を下げると、レジーナは気にしなさんな、と言っ
て笑った。
「まあ、二人がかりで担ぎ込んで来た時はさすがに驚いたけどねぇ。ま、何事
もなくて、良かったよ」
「……驚かすつもりは、なかったのだがな」
 言いつつ、ニコラスは水盤の乗ったテーブルに近づいた。黒い水盤の中には
二つに割れた橄欖石が沈んでいる。そして橄欖石は弱々しいものの、確かに白
い光を放っていた。その光はカタリナの魂魄に穢れがなかった事、転じて、彼
女が人であった事を静かに物語っていた。
「……一つ、聞いてもいいかねぇ?」
 いつの間にか隣にやって来ていたレジーナが、突然こんな事を言った。ニコ
ラスはああ、と答えてそちらを見る。
「あんた……リナに、惚れてたんだね?」
「なっ……」
 直球の問いかけにニコラスは絶句する。その反応に、レジーナはおやまぁ、
と楽しげな声を上げた。
「案の定、かい。まあ、リナがやられたって聞いてからの取り乱しっぷりから、
そうだろうとは思ってたけどねぇ」
「女将、あのな、俺は……」
「ムキにおなりでないよ。ふふ、カワイイとこもあるんじゃないか」
 楽しそうにこう言うと、レジーナは突然ため息をついた。
「こうやって話せば話すほど、わからないね。あんたとジム、一体どっちが本
当の事を言ってるのか。やっぱり、付き合いの長さもあってジムは疑い難いん
だけど、昼間のあんたを見ちまうとね……あんたが実は狼で、あれが芝居だ、
ってのは、ちょっと考えられないよ」
 ため息に続いた言葉に、ニコラスもまた、小さなため息をもらす。
「……俺を信用し難いのも、詮無き事と思う。見知った者とも見知らぬ者、ど
ちらに信を置き易いかは自明の理だ。それでも……」
 ここでニコラスは一度言葉を切り、レジーナはなんだい? とその続きを促
した。
「それでも、俺は自らの務めを果たす。ただ闇雲に自らの正統性を説くだけで
は、信は得られぬ故……行動で、示す以外にないと思っている」
 静かに告げると、レジーナは確かにね、と頷き、
「ま、頑張っとくれよ!」
 直後にばんっと思いっきりニコラスの背を叩いてきた。衝撃に思わずよろめ
きつつ、ニコラスはああ、と頷いてそれに答えていた。

『……なぅ……』
 その頃、アトルはディーターの膝の上でへこんでいた。
 カタリナの死は、ニコラスのみならずアトルにも強い衝撃を与えており、ニ
コラスが倒れてからずっとアトルはディーターにくっついて落ち込んでいた。
幸い、猫好きのディーターはへこんだアトルを邪険に扱う事はせず、膝の上に
乗せて頭を撫でてくれている。もしかしたら彼自身がアトルを撫でる事で落ち
着きたい、と思っているのかも知れないが、いずれにしろ、赤毛の若者の膝の
上はアトルにとっては居心地のよい場所となっていた。
「あれ、あとるだ。なんでディーターと一緒にいるの?」
 不意に、若い男の声がこんな問いを投げかけてきた。アトルは薄く目を開け
て、声の主を見る。一体いつの間にやって来たのか、茶色の髪の青年がディー
ターの隣に立って、こちらをのぞきこんでいた。
「ん、ヨアヒムか。いや、ニコラス倒れちゃったから。安静にさせるのに、オ
レが預かってるって感じで」
「え、旅人さん倒れちゃったんだ? なんで?」
 軽い口調で言いつつ、青年──ヨアヒムはディーターの隣に腰を下ろす。
「なんでって……カタリナが襲われたのが、ショックだったんじゃないのか?」
「えー、じゃ、旅人さんカタリナが好きだったの!? 最初来た時、『色恋沙汰
は、遠慮したい主義』とかって言ってたのにー!」
『……』
 妙に大げさに驚くヨアヒムを、アトルは上目遣いにじっと見つめた。
 何がどう、という訳ではない。
 だが、何故かこの青年には引っかかるものを覚える。
 自らを能力者である、と主張する神父ジムゾン同様、アトルは彼を最も警戒
すべき者、と見なしていた。
 勿論、表面上はそんな素振りなど全く示しはしないが。
「でもさー、ショックだったにしても、倒れちゃうなんて旅人さんは大げさだ
なぁ」
「そういうもんじゃないのか? お前だって、パメラに何かあったら、そのく
らいショック受けるんじゃないのか?」
 ヨアヒムの軽い言葉にディーターがこんな問いで返す。問われたヨアヒムは
何故か視線を虚空に泳がせた。
「ま、まあねぇ。パメラちゃんに何かあったら、ぼくはそれだけで生きてく目
的を見失いそう……でも、みんなのリーダーパメラちゃんには、優秀な護衛が
ついていると信じているからっ!」
 一拍間を置いて、ヨアヒムはぐっ、と拳を握り締めつつこう力説する。
 護衛──狩人や守護と呼ばれる存在。どこの村にも一人はいる、と言われて
いる彼らは、『人狼』の襲撃を退ける術を身に着けている、と言われていた。
もっとも、襲撃の現場に居合わせなければその技が発揮される事もないため、
力の真偽自体は定かではない、と言われてもいるのだが。
「……ま、そうだといいけどな。さて、あとる、そろそろニコラス起きたかも
知れないし、戻るか?」
 ヨアヒムの力説をさらりと受け流すと、ディーターはアトルを抱え上げつつ
立ち上がった。アトルがなぁう、とそれに答えると、ディーターはよしっ、と
言いつつ白い子猫を赤い髪の上に乗せる。
「じゃ、また後でな。ヨア、あんまり遅くなるなよー。お前、集会とかあると
いっつも遅刻してるんだから」
 ディーターの言葉に、ヨアヒムはややむくれたようにわかってるよー、と答
えた。
 一見すると、屈託など全くない、明るい態度。
 だが、アトルには何故か、その奥に隠された陰りがあるような気がしてなら
なかった。



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