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   ACT−2:古より、生まれしもの 01

「……せいっ!」
 閃光一閃、銀の剣が気合と共に大気を薙ぐ。剣は飛びかかって来た黒い獣を
捉え、大気諸共に両断した。容赦ない一撃に、鋭すぎる牙と爪を供えた獣は、
ギャッ! という絶叫を残して消滅した。
「……はっ!」
 鋭い気合と共に刃が閃く。細身の刀が霧を伴いながら優雅に舞い、鮮やかと
言う以外にない、見事な孤を描いて黒い獣を同じ色の塵へと変えた。
「よしっと……片付いたな」
「そのようだ」
 敵の全滅を確認すると、ソードは軽い口調でシュラに呼びかける。シュラは
刀を鞘に収めつつ、それに答えた。
「……大丈夫、ですか?」
 離れた所に隠れていたミィが顔を出して問うのに、ソードは笑ってうん、と
頷いた。ミィはほっと安堵の息をつく。
 山間の小さな村を出て半月。一行は大陸南部に位置する天地双女神の聖地・
クレディアを目指して道なき道を進んでいた。シュラがついてくる、と言った
時、さすがにソードは戸惑ったが、
「目的地の場所もわからん状態で、どうするつもりだ」
 この一言に全ての反論は封じられた。正直、こう言われてしまうと反論の余
地は一切ない。
「それにしても……ここんとこ、妙なモンにばっかり襲われるよなぁ……」
 背負った鞘に剣を収めつつ、ソードはここ数日ずっと抱えていた疑問を口に
した。
 山を降り、今いるこの森に入ってからというもの、明らかに自然のものでは
ない、奇妙な生き物に襲われているのだ。少なくとも、ソードの頭の中に残る
知識には、先ほどの獣に関するものはない。それはシュラも同様らしく、剣匠
は難しい面持ちで確かに、と頷いた。
「この森に現れるのは、明らかに人為的な要素を備えたものばかり……とはい
え」
 静かに言いつつ、シュラは懐に手を入れて扇子を取り出し頭上へ放り投げた。
ばしっ! という音と共に木々の枝ががさがさと揺れ、
「ふみゃあんっ!」
 という声と共に人らしきものが落ちてきた。シュラは悠然と扇子を受け止め、
一つため息をつく。
「こんなものが平然と歩いている事から鑑みれば、何ら不思議はないがな」
「って言うか、何で打ち落とすんだよ……」
 呆れたような呟きに、違う意味での呆れを込めて突っ込みつつ、ソードは頭
を変えて唸っているものを見た。一見すると、普通の子供のように見えなくも
ないのだが。
「……髪が緑で、目が金色でって時点で、人、超えてるよなぁ……耳、でかい
し」
「それ以前に、角と翼がある時点で尋常ではあるまい」
 ソードのとぼけた分析に、シュラが呆れたように突っ込みを入れる。
 シュラの扇子に打ち落とされる形で落ちてきたのは、五歳になるかならない
かというくらいの小さな子供だった。髪は鮮やかな若葉色、大きな瞳は見事な
金色をして、大き目の耳は横に張り出すように伸びている。
 そして、何よりも特異なのは頭の角、腰の翼だろう。良くは見えないが、ど
うやら尻尾もあるらしい。これで人間、と称するのは、苦しいものがあると言
えるだろう。
「この子……竜人……」
 とぼけたやり取りをするソードとシュラの傍らで、落ちてきた子供を見つめ
ていたミィがぽつりとこう呟いた。
「……え?」
「まさか……千年以上前に滅びた古代種だと?」
 ミィの呟きにソードはとぼけた声を上げ、シュラは多少、声を上ずらせた。
そして、三人は一斉にみゅ〜、みゅ〜、と唸る子供を見る。
「古代種……竜人。最も無垢なる種族であり、あまねく事象に干渉しうる存在
……確かに、このチビさんのなりはそれなんだよなあ……」
 子供の傍らに膝を突きつつ、ソードはごく何気なくこう呟いた。
「何故、それがわかる?」
「え? いや……なんでか、知ってるんだよね」
 表情を険しくしつつ問うシュラに、ソードは例によってあっけらかん、と答
えていた。
「……つくづく……」
「器用な記憶喪失だよねえ、オレってば♪」
 ため息混じりの呟きを最後まで言わせず、ソードはにっこり笑ってオチをつ
けた。それから、まだ唸っている子供に向き直る。
「なあ、チビさん」
「チビじゃないよぉ、リュンは、リュンだよぉ」
 ソードの呼びかけに、子供は間延びした口調でこう返してきた。
「そっか、じゃあ、リュン」
 子供っぽい反論に苦笑しつつ、ソードは改めて呼びかける。
「ふにぃ?」
「こんなとこで、何してたんだ?」
「ふにゃ?」
「だからぁ、この木の上で、リュンは何をしてたんだ?」
「ふにゅ?」
「……」
 ソード、轟沈。
「……貴様を軽く超えているな、これは」
 全く噛み合わない会話の継続に挫折するソードに、シュラがさらりと追い討
ちをかける。ソードは大きなお世話だ、と言いつつそちらを睨み、
「……っ!?」
 直後に感じた第三者の気配に表情を引き締めた。
「……ソードさん?」
 突然の変化にミィが困惑しつつ呼びかける。ソードは答えずにゆっくりと立
ち上がり、シュラも扇子を懐にしまって身構える。二人の周囲に鋭い気配が立
ち上った、その直後に彼らが見つめる茂みががさり、と揺れた。
「リュン! どこにいるの、返事しなさい!」
 続けて女の声が茂みの向こうから聞こえてくる。ソードとシュラは厳しい面
持ちのままで視線を交わすが、
「は〜い」
 直後にリュンがやたらと元気のいい返事をして場の雰囲気を崩壊させたため、
同時に脱力する結果となった。ソードはかりかりと頬を掻き、シュラは露骨に
呆れ果てた、と言わんばかりに額に手をやる。ミィは直前までの張り詰めたそ
れとは打って変わった場の雰囲気に戸惑い、きょとん、と瞬いた。
 その間にも茂みは揺れ続け、やがて、一際大きな揺れと共に緑が左右に押し
広げられた。
「リュン! ダメでしょ、勝手に外に出ちゃ!」
 直後に、先ほどの声の主が姿を見せる。年の頃は二十代半ば、丈の長い白衣
と水晶の眼鏡が目を引く、まだ若い女だ。女は立ち尽くす三人には目もくれず、
座り込んだままのリュンを抱え上げる。
「ほんとにもう、心配ばっかりかけて……ほら、こういう時は? なんて言う
の?」
「ごめんなさあい♪」
 どう聞いても反省しているようには聞こえないのだが、ともあれ、リュンは
にこーと笑いながらこう言った。無邪気な笑顔に毒気を抜かれたのか、女はや
や大げさなため息をつく。
「ほんっとに、もう、あなたって子は……あら?」
 ここに至り、女はようやくソードたちに気づいたようだった。きょとん、と
した表情で立ち尽くす三人の顔を見回した女は、何故かソードを見てはっと息
を飲む。
「……クロード!?」
「え?」
 何とも表現しがたい間が生まれた。ソードはきょとん、としたまま、呆然と
こちらを見つめるヘーゼルブラウンの瞳を見つめ返す。やがて、女は小さくた
め息をついて目を伏せた。
「まさか、よね……どう考えたって、生きてる訳ないし……大体、クロードが
こんなとぼけた顔、するはずないもんね……」
「あのね……それって、なんかものすごっ、大きなお世話なんだけど?」
 自己完結した呟きに、ソードは憮然とした面持ちでこう言うが、
「言われて文句が言える立場とも思えんぞ、貴様は」
 そこにシュラが笑えない突っ込みを入れた。
「あのね……」
「反論できまい?」
 きぱりと言い切られ、ソードはうー、と唸るしかできなくなる。そんなソー
ドを完全に無視して、シュラは女に向き直った。
「それはそれとして……先ほどから周囲を取り巻く獣どもに何をさせるつもり
なのか、説明してもらえるとありがたいのだがな」
「あ、それはオレも聞きたかった」
 ごく何気ない口調で投げかけられたシュラの問いと、早々と復活したソード
の一言に、女は微かに怯んだようだった。
「ど、どういう事ですか?」
 状況から完全に置き去りにされているミィの問いかけに、ソードはひょい、
と肩をすくめる。
「いるんだよねぇ、色々と。大体、二十匹くらいかな? この森に入ってから
ちょくちょく戦ってる連中が、こっち伺ってんの」
「こちらの出方次第では襲ってくるつもりのようだが……悪いが、この程度で
は相手にならん」
 片や飄々と軽く、片や冷静さの中にも一抹の余裕を込めて言い切る二人の言
葉に、ミィは驚いたような表情で周囲を見回した。女はと言えば、むっとした
ような表情で形の良い眉を寄せている。
「言ってくれるわねぇ……プロトタイプとはいえ、戦闘レベルはみんな高いの
よ、このコたち?」
「ならば、試してみるか?」
 憮然とした言葉に、シュラは刀を見せ付けつつこう問いかける。それに、女
はひょい、と肩をすくめて首を横に振った。
「遠慮しとくわ、無駄になりそうだし……どう考えてみても、戦闘力に差があ
りすぎるもの」
「賢明な判断だな」
「引き際を見極めるのが上手くなるのよ、研究者なんかやってるとね」
 ため息混じりに言いつつ、女は軽く指を鳴らした。それを合図に、周囲の気
配が散っていくのをソードは感じ取る。
「さて、と。取りあえずは、どうしたものかしらね?」
「んー、ここで、はい、さよーなら、って言うのはラクだけど、色々と辛いん
だよね〜」
 軽く問いに答えつつ、ソードはミィを振り返った。
「あ……あの、何か?」
「そろそろ、限界だろ、ミィ? この半月、ずーっと野宿だったからなぁ」
 にこっと笑いつつこう言うと、ミィははっと息を飲んだ。
「そ、そんな、ことっ……」
 慌てた様子で否定しようとした矢先に、その足元がふらついた。倒れかける
小柄な身体を、ソードはそっと抱き止める。
「とまあ、こんな状況なんで、もし休める場所があるなら、休ませてほしいん
だけど?」
 軽い問いに、女はふう、と短く息を吐いた。
「ま、そんな様子見せられちゃ選択の余地はないわよね。いいわ、ついて来て。
ええっと……」
「オレは、ソード。名無しのソードだ。このコはミィ。で、そっちが」
 言葉を途切れさせた女の様子に、まだ名乗っていなかった事を思い出したソ
ードは自分とミィの名前を告げ、シュラの方を見る。
「シュラという」
 その視線を受け、シュラは短く自分の名を告げた。
「ふぅん……あたしは、レイファ・シュナイツ。この子はリュン。それじゃ、
行きましょうか」
 シュラの短い名乗りにレイファは一瞬、意外そうな表情を覗かせるが、特に
何か言う事もなくすたすたと歩き出した。木々の間を抜けて進むと、深緑の帳
に隠れるように佇む建物が目に入る。
「随分とまぁ、妙な所に住んでるんだな?」
「仕方ないでしょ、目立つとこじゃ危ないんだから」
 ソードの呟きに答えつつ、レイファは建物の中に入って行く。それに続いて
中に入ると、レイファと同じ白衣を着た学者風の若者が数人、こちらに駆け寄
ってくる所だった。
「レイファ主任! リュン、いましたか!?」
「ええ、大丈夫よ、ほら」
 やって来るなり先頭の若者が投げかけた問いに平然と答えつつ、レイファは
腕の中のリュンを見せる。当のリュンはすやすやと寝息を立てつつ、ぐっすり
と眠っていた。
「良かったあ〜」
「焦ったからな〜」
 無邪気な様子に若者たちは安堵の息をつき、それから、所在無く立ち尽くす
ソードたちに気づいて遅まきながら表情を強張らせた。
「しゅ、主任? そのひと、たち、は?」
「え? えーと……何て説明すればいいのかしらね?」
 困惑した問いへの返事に窮したらしいレイファの問いに、ソードはうーん、
と言いつつ頬を掻いた。
「……見たまんま……って言うのは、ちょっと厳しいよなぁ……」
「その『見たまんま』に、全然統制が取れてないのよ、あんたたちって」
 とぼけた呟きに、レイファは容赦なくざっくりと切り込んでくる。
「まぁ、カッコに関しては、一人だけ浮いてるし」
「……大きなお世話だ」
 その切り込みを軽くかわすと、シュラが憮然とした面持ちでこんな事を言っ
た。とはいえ、確かにシュラのいでたちは周囲から浮き易いのだ。
 シュラが身に着けている物は、明らかにソードたちとは異なっている。着物
に袴というそのいでたちは、五年前に滅んだ譲葉という王国独自の物なのだ。
とはいえ、足回りだけはどういう訳か譲葉式ではなく、譲葉の周辺国で軍靴と
して用いられていた物なのだが。
「まあ、少なくとも冒険者の類ではないでしょうね。でも、傭兵って雰囲気で
もないし……ま、その辺りはいいわ、後でのんびり聞くから。取りあえず、適
当な部屋でお茶出しといて、あたし、この子休ませてから行くから」
 てきぱきとした物言いで場を強引にまとめると、レイファはリュンを抱え直
してすたすたと奥へ行ってしまう。後には、何とも間の悪い空気だけが取り残
された。
「あーと、取りあえず、さ。お茶はいいから、どっかで座らせてもらえないか
な? 限界近い女の子が、一人いるんだよね」
 その空気を押しのけてソードが提案し、若者たちはえ? と怪訝そうな声を
上げた。それから、彼らはソードにつかまっているミィの様子に気づく。ここ
まではどうにか歩いて来れたが、今は立っているのがやっと、というその姿に
若者たちは顔を見合わせ、それから、最初にレイファに呼びかけてきた眼鏡の
若者がわかりました、と頷いた。
「まあ、主任のお客さんですし、大丈夫でしょう。ついて来てください」
「悪いね、いきなり押しかけて来て……えーと」
「あ、ぼくはセインといいます」
 首を傾げて言葉を切ると、若者は微笑みながら自分の名を告げた。
「セイン、か。オレは、ソードっての。さて、んーじゃ」
 軽い口調で自分の名前をセインに告げると、ソードは突然ミィを抱き上げた。
「ソ、ソードさんっ!?」
 突然の事に驚いたらしく、ミィは上ずった声を上げる。どちらかと言うと蒼
白だった顔が、淡い朱に染まった。
「もう少しだって言うし、ラクしていいよ」
 戸惑うミィに、ソードは軽くこう言って歩き出す。
「あ、あの、でもっ……」
「いいからいいから、気にしない、気にしないっと♪」
「あ……はい」
 どこまでも軽い物言いに、ミィは結局反論を諦める。小さなため息と共に伏
せられた眼には、何故か陰りらしきものが浮かんでいた。

「はいはい、お待たせしちゃってごめんなさいね」
 一室に通され待つ事しばし、レイファが軽い言葉と共に姿を見せた。部屋に
入ってきたレイファはふう、と息を吐いてから、椅子の一つに腰を下ろす。
「ま、結構いい感じの休憩になったから。気にしてないよ」
「そう? そう言ってもらえると、助かるわ。それにしても……」
 言いつつ、レイファは眼鏡をかけ直して三人の様子をしげしげと見た。
「見れば見るほど……一緒にいる所以がさっぱりねぇ、あなたたちって」
 それから、ため息と共にこんな言葉を吐き出す。この一言に、ソードはあは
は、と乾いた声で笑った。
「そこで笑うか、貴様は」
 そんなソードの様子に、シュラが呆れたような声上げる。
「って、ここは笑うっきゃないと思うんだけど、オレとしては」
「そういう問題か」
 冷たい一言と共に、すぱあんっ!と小気味良い音が響く。シュラがソードの
頭に扇子の一撃を加えたのだ。二人の漫才に、さすがにレイファは呆れたよう
な表情を覗かせる。
「ま、いいけどね。こんなご時世じゃ、どんな取り合わせの旅人がいても、不
思議じゃないし。
 でも、なんだってこんな辺鄙な森に入ってきた訳?」
「別にこの森に用があった訳じゃなくて、たまたま通りがかっただけだけど」
 レイファの問いに、ソードは平然とこう答えた。
「……たまたま?」
「そ、たまたま」
 あっけらかん、というソードにレイファは探るような視線を投げかけ、対す
るソードは相変わらずのお気楽な表情でそれを受け止めた。
「……一体、どこに行くつもりなのよ?」
「クレディア」
 あっさりと答えると、レイファは形の良い眉を寄せた。
「聖地に? もしかして、戦火を避けるために?」
「ま、そんなとこかな?」
「……やめた方がいいわよ、ムダだから」
 大げさなため息と共に言い切られた言葉が、室内に緊張を呼び込んだ。さす
がにというか、この一言にはソードも表情を険しくする。
「どういう意味……かな?」
「どういうも何も……考えてみれば、わかるじゃない。五年前には譲葉、一月
前にはユグラルが攻め滅ぼされたのよ? 双聖王国に手を出した帝国が、聖地
って理由だけでクレディアにだけお目こぼし、なんて、あり得ないじゃない。
 まして、ユグラル侵攻の目的だったっていう聖王女は確保できなかったらし
いし……王女がクレディアに逃げ込む可能性が高い事を考えれば、今、世界で
一番危険なのは聖地よ、間違いなくね」
 ソードの問いに、レイファは冷静な分析を交えつつこう返す。厳しい言葉に
ミィが唇を噛んで目を伏せ、そんなミィにシュラが一瞬、厳しい視線を投げか
けた。
「……あのさ、そーゆー言い方、やめない? それじゃまるっきり、その聖王
女様が戦乱振りまいてるみたいじゃないか」
 そして、ソードは真面目な面持ちでこんな事を言い、注目を集めた。ミィは
はっとしたように顔を上げ、シュラは一瞬、意外そうな表情を覗かせる。
「別に、そこまでは言ってないわよ。ただ、客観的な見解を述べてるだけ」
「それはわかるよ。わかるけど、オレはそういう言い方、あんまり好きじゃな
いんだ。大体さ、国が滅ぼされて一人だけ生き残ってるって事は、一番辛いの、
その子なんじゃない?」
 レイファの反論にも、ソードは真面目なままでこう返す。この言葉にレイフ
ァは目を見張り、それから、一つ息を吐いた。
「……感情論ねぇ……でも、嫌いじゃないわよ、そういう考え方」
「そりゃどうも♪ ま、いずれにしてもさ、アテもなく歩き回るよりは、何で
もいいから目的があった方がいいしね。だから、さし当たってはクレディアを
目指そうと思うんだ」
 呆れたような、でもどこか楽しげな口調で言う言うレイファに、ソードはに
っこり笑ってこう返す。
「……お気楽ねぇ……」
「それがこいつの、唯一の取り柄だ」
 ため息混じりの呟きにソードが何か言うよりも早く、シュラがしれっとこん
な事を言った。
「……って、それ、どーゆー意味だよっ!?」
「それは、言わずもがな、というヤツだな」
 憮然とした面持ちでソードが投げかけた問いを、シュラはさらりと受け流す。
そんな二人のやり取りに、レイファは楽しげに声を上げて笑った。
「ま、なんにしても少し休んだ方がいいのは確かね。そのコ、かなりまいって
るわ」
 一しきり笑うと、レイファは一転真面目な表情で静かにこう言った。それに、
ソードはああ、と答えて頷く。その直後にドアがノックされ、眼鏡の若者──
セインが顔を出した。
「主任、空いてた部屋の掃除、終わりましたよ」
「ご苦労様、セインくん。ところで……」
 ここでレイファは言葉を切り、にっこり、と微笑んだ。
「な、なんですか?」
「んー、まさかとは思うんだけど、お掃除だけで終わり……っていう事は、な
いわよねぇ?」
 この問いかけに、セインはえ、と間の抜けた声を上げた。
「仮にも、人を泊めるための部屋を準備して、って言ったんだから、石のベッ
ドのまま、なぁんてコトは……まさか、ないわよね?」
 表情は笑顔だが、目だけはどう見ても笑っていない。そんな表情でレイファ
は更に問いを継ぎ、セインはあ、と短く声を上げて固まった。
「す、すみませんっ! 今すぐ、準備しますっ」
「水回りの準備も、忘れちゃダメよ」
「は、はいっ」
 さらりと追加された注文に上ずった声で返事をしつつ、セインはばたばたと
走っていく。その気配が遠のくと、レイファははあ……とため息をついた。
「ホント、ウチのスタッフって技術者としては有能なのに、生活能力は皆無な
のよねぇ……」
(そういう問題でもないと思うけど……)
 レイファのぼやきに、ふとこんな事を考えるソードだった。

 それから待つ事約一時間。三人はレイファの案内で、ようやく準備ができた
部屋へと向かった。
「……ふ〜ん……」
 石造りの廊下を歩きつつ、ソードは周囲を観察する。
 所々苔生した石壁が、この建物が建てられてからの歳月を静かに物語ってい
る。その壁と、そこかしこに積み上げられた資料らしき物の山や薬品の瓶との
間には、奇妙な違和感が生じていた。
(かなり、古い……遺跡みたいだな。それも多分、古代魔導期ぐらいの)
 壁に刻まれたレリーフから、ふとこんな事を考える。
 古代魔導期とは、今から千年ほど前に栄えたとされる魔法全盛期だ。今でこ
そ、魔法技術は魔導帝国が独占している状態だが、この頃は誰でも当たり前に
魔法が使えたらしい。
(っていうか、何でオレ、こんな事知ってるんだ?)
 直後にこんな疑問がふと過ぎる。この半月でつくづくと思い知ったのだが、
ソードはやたらと博識だった。理由は不明だが、通常は知り得ないような知識
が相当数、頭の中に入っているのだ。にも関わらず、自分に関する記憶はさっ
ぱりないのだが。
(やっぱオレって、ムダに器用かも)
 ソードがこんな結論に達するのと同時に、レイファが足を止めた。用意され
た部屋に着いたらしい。
「取りあえず、お一人様一部屋用意しといたから。ま、足りない物の方が圧倒
的に多いだろうけど、その辺はガマンしてね」
 足を止めたレイファは三人を見回しつつ、軽い口調でこんな事を言う。
「雨風しのげるだけでも、じゅーぶんだって! じゃ、お先〜♪」
 それにこちらも軽く答えつつ、ソードは手前の部屋にさっと入る。シュラが
一礼してからその向かいの部屋に入り、廊下にはミィとレイファが残された。
「じゃ、あなた、ここね。あ、ここってムダに壁だけは厚いから、隣、気にす
る必要はないわよ」
 所在無い様子で立ち尽くすミィに、レイファは笑いながらこう言って残った
部屋のドアを開ける。ミィはありがとうございます、と一礼して部屋に入ろう
とするが、
「……それからね」
 呟くようなレイファの言葉に足を止めた。
「え?」
「さっきは、キツイ事言って、ごめんなさいね。でも、あたしが言ったのは、
『現実』なの。それは、忘れないで」
 さらりと言われた言葉にミィは表情を強張らせる。そんなミィの様子にレイ
ファは一つ息を吐き、ぽんぽん、となだめるように肩を叩いた。
「ま、何はともあれ、も少し素直になんなさい。甘えられるのは、女のコの特
権なんだからね」
 それまでとは一転、からかうような口調でこう言われ、ミィはきょとん、と
目を見張る。レイファは茶目っ気のあるウインクをしつつ、じゃね、と言って
歩き去る。
「……」
 立ち去るレイファをミィは呆気に取られつつ見送っていたが、やがてため息
と共に部屋に入ってドアを閉めた。部屋の中には小さなテーブルと椅子が一組、
後は石造り台の上にマットと毛布を敷いただけの簡素なベッドと、水の入って
いるらしい大きな瓶があるだけだ。テーブルの上には小さなグラスが置かれ、
一輪挿しのように花が生けられている。
 部屋の様子を見て取ったミィはゆっくりとベッドに歩み寄り、崩れるように
腰を下ろして大きく息を吐いた。それから胸元に手をやって、服の上からそこ
にある物をぎゅっと握り締める。
「……姉様……私、どうすればいいの? 私は……」
 低く呟いて、唇を噛み締める。
 自分がなさねばならない事は、わかっている。そのためには、クレディアへ
行かなければならない。自分は、自分のなすべき事のために、生き延びたのだ
から。
「しっかりしなさい……迷う必要なんて、ないの。私には、なすべき事がある
……それを、果たすだけなの。迷っては、ダメ」
 自分自身に言い聞かせるように呟いてはいるものの、スミレ色の瞳の陰りは、
一向に消えなかった。

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