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   ACT−1:何もない者たちの交差 04

 森に入ってしばらく進み、開けた空間までやって来るとソードは足を止めた。
一拍間を置いて、黒装束がにじみ出るように姿を見せる。
「あ、そうだ。始める前に聞いときたいんだけど」
「……なんだ」
「あんた、名前は?」
 唐突な問いに黒装束は面食らったらしく、反応が一瞬、遅れた。
「聞いて、どうする?」
「どうもしないよ、気分の問題」
 呆れたような響きの問いにしれっと答えると、黒装束は探るような視線を投
げかけた。
「……わからんヤツだ」
「そりゃー、自分で自分、わかってないしね、オレ」
 ぼやくような呟きに、ソードは朗らかに笑って見せる。
「……しかも脳天気と来ている」
「シュラと同じパターンで、呆れないでくれるかなぁ?」
 そうすると黒装束は大げさに嘆息し、その反応にソードはさすがに憮然とし
て眉を寄せた。妙に子供っぽい反応が可笑しかったのか、黒装束は薄い笑みを
浮かべる。
「まあいい……我が名は、天狼。名無しの剣士、貴様が何者か……見極めさせ
てもらうっ!」
 名乗りの直後に黒装束――天狼が動く。
「一人で盛り上がるの、お断りっ!」
 こう返しつつ、ソードも剣を抜いた。天狼は一気に距離を詰め、黒塗りの刃
を繰り出してくる。ソードはとっさのバックジャンプで下段からの一撃をかわ
し、距離を開けた。
(機動力は、向こうが上、か!)
 などと考えている間に天狼は距離を詰め、こちらの背後を取っていた。ソー
ドは素早く身体を返し、繰り出された刃をどうにか受け止める。
「いやはやっ……さすがに、早いね!」
 感心しつつ足払いを仕掛け、天狼が態勢を崩した隙を逃さずに踏み込む。銀
の刃が一瞬だけ黒衣を捉えるが、天狼は超人的な動きで強打をすり抜け、姿を
消した。
「わは、今の距離で避けるかな〜」
 軽い口調でぼやきつつ、低く身構えて意識を澄ます。天狼は完全に姿を消し、
その気配も感じられない。どこから来るか――と考えつつ周囲を見回した時、
右手でがさりと木々が揺れた。ソードはそちらへ意識を向け、
「……って、まじっ!」
 直後に目の前に降って来た影に上擦った声を上げた。天狼の仕掛けた音のフ
ェイントに、まともに引っかかってしまったのだ。慌てて距離を取ろうとする
が一歩及ばず、黒塗りの刃が胸を貫く。
「……っ!!」
 真紅が舞い、衝撃が胸を突き抜けた。追って、痛みがそこを走る。
「……」
 天狼は静かに刃を引き抜くと、そのまま数歩後ろに下がった。合わせるよう
にソードはその場に膝を突く。だが、倒れ伏しはしない。胸からあふれ出す真
紅を右手で押さえつけつつ、再び立ち上がろうとすらしていた。
「……ってぇ……なあ……死んだら、どーするんだよっ……」
 場違いな文句と共に天狼を睨みつける、その瞳には明らかな力があった。手
にした剣はソード自身の血に濡れ、その部分が異様な輝きを放っている。
 異様――と言うより他にないだろう。天狼の一撃は的確に心臓を捉えており、
それが致命傷なのは誰の目にも明らかなのだ。しかし、ソードは生きている。
痛みは感じているが、死に到る感覚、それは全く感じていないのだ。
 その理由は――自分でもわからない。
 だが、これはこれで自分という存在の『自然』であるような、そんな奇妙な
理解ができていた。
「……やはり、そうか。その剣……狂夢王の剣、魂食いの刃……焔獄剣ティル
フィング」
 天狼はじっとその様子を見つめていたが、やがて、妙に納得した呟きをもら
しつつ自らの刃を鞘に収めてしまった。突然の事にソードは戸惑う。
「なんだよ……どーする、つもりだ?」
「我に、貴様を滅する事はできぬ。それと理解しての戦いは愚」
「……はあ?」
 天狼の言葉に、ソードは思わず間の抜けた声を上げていた。一人で納得され
ても正直困るのだが、どうやら天狼に説明するつもりはないようだった。
「『天覇の巫女』の身柄、しばし貴様に預ける」
 一方的な言葉を残して、天狼は姿を消した。気配も完全に消えてしまい、一
人、その場に残ったソードは困惑する。
「てんはの……みこ? ミィの事……か?」
 呟いた瞬間、足の力が抜けた。ソードはその場に尻餅をつき、その衝撃で真
紅が周囲に飛び散る。凄惨なその様子は、同時に、妙に美しくも見えた。
「……ってぇなぁ……動けねぇし……これから……どーする、かなぁ……」
 ぼやくように呟く声は切れ切れだが、虚空を見つめる翠珠の瞳にはまだ、力
がある。瞳に限らず、その身体には明らかな余力があると一見して見て取れた。
急所を突かれた者としては明らかに異様なその様を、傍らの剣が放つ紅い光が
ぼんやりと照らし出し、森の中に不可解な空間を織り成していた。

 それと、多少時間は前後する。
「……む」
 それまで刀を抱えて沈黙していたシュラが、低い声と共に目を開けた。
「あ、あの……どうか、しましたか?」
 ミィが不安げに問うのには答えず、シュラは意識を澄ませて気配を探る。だ
が、つい先ほどまで村を取り巻いていた者たちの気配は、今は微塵も感じられ
ない。
(引いた……という事は)
 どうやら勝負に決着がついたらしい。それと悟ると、シュラは一つため息を
ついた。
「……あの」
「決着がついたようだ。敵が、引いた」
 タイミングよく呼びかけてきたミィに、シュラは静かにこう告げる。この言
葉にミィの表情がやや明るくなり、村人たちも安堵の声を上げてざわめき始め
た。
「あの、それじゃ……」
「……拾いに行くぞ。恐らく今頃は、動けずに唸っているはずだ」
 確かめるような問いを最後まで言わせずにこう言いきると、シュラはすたす
たと森へ向けて歩きだした。さすがにこの言葉は唐突だったらしく、ミィはき
ょとん、と不思議そうに瞬く。
「あ、あの……それは、一体……」
 戸惑いを織り込んだ問いにシュラは答えず、ただ、足を止めてミィを振り返
った。ついて来い、という意図はそれで伝わったらしく、ミィは困惑した表情
のまま、小走りに後を追って来る。
「……シュラ殿?」
 二人のやり取りに不安を感じたのか、長が進み出てシュラに呼びかけてきた。
「ご心配なく、もう危険はありません。取りあえず、戻れなくなっているであ
ろうソードを、拾いに行って参ります」
 不安げな長にこう答え、戸惑っているミィを促すと、シュラは森へと入って
行く。ミィもそれに続いた。森に入ってしばらく進むと、異臭が鼻をついた。
穏やかな森には不釣合いな、血の臭いだ。ミィの表情を不安が過るのを横目に
見つつ、シュラは自分も表情を引き締める。
 異臭を辿るようにして森を進むと、やがて開けた空間に出る。そこに踏み込
むなり強くなった血の臭いとその源に、二人はそれぞれ息を飲んだ。
「……ソード……さんっ!」
 ミィが悲鳴じみた声を上げて座り込むソードに駆け寄る。
「……あ……ミィ、かあ……」
 呼びかける声と気配に、ソードはゆっくりと目を開けた。気絶していた訳で
はない。ただ、目を開けているのが億劫になっていただけだった。勿論、傍目
にはとてもそうは見えない有様なのだが。
「酷い……怪我……血が……」
 真紅に染まった胸の様子が冷静さを失わせたらしく、ミィがおろおろとした
声を上げる。
「……あ……だいじょぶ、死にそうって感じは、ないから……ただ、ものすご、
イタイだけ……」
 この状況でこんな事を言った所で、説得力など皆無なのだが。
「急所を一突きにされた者の言う事か、それが」
 案の定と言うか、お気楽な言葉にシュラが呆れたように突っ込みを入れてき
た。反論の余地のない一言にソードはあはは、と笑い、直後に感じた鋭い痛み
に傷を押さえて身体を丸めた。
「……傷を、見せてください」
 突然、ミィが静かな口調でこんな事を言った。ソードはえ? と言いつつミ
ィを見る。ミィは微かに青ざめてはいたものの、うろたえた様子は既にない。
凛としたその様子に、ソードは一瞬、戸惑いを感じていた。
「……ミィ?」
「早く……大丈夫ですから」
 静かな口調でこう言うと、ミィは目を閉じて両手を自分の胸の前にかざした。
一拍間を置いて、暖かい、白い光がその手の間に灯る。
「大丈夫ですから……気持ちを楽にして、傷を見せてください」
「あ……うん」
 突然の事に戸惑いつつ、ソードはミィに従った。痛みを堪えて身体を起こし、
傷を見せると、ミィは両手に灯した光でそこを照らし出した。
(痛みが、引いて……傷が、治ってく……?)
 その光に照らされた途端、あれほど激しかった疼きがすっと鎮まって行った。
それに伴い、傷が塞がって行くのが感じられ、ソードはきょとん、と瞬く。
「……」
 その様子を見守っていたシュラの表情が、ほんの少しだけ厳しさを帯びた。
「……どうですか?」
 痛みが消えるのと前後して光は消え、ミィが不安げに問う。改めて胸元を覗
きこんで見ると、天狼に刺された傷は跡形もなく消えているようだった。
「……だいじょぶ……みたいだ。ありがと、助かったよ」
 傷が消えているのを確かめたソードは、笑いながら問いに答えた。ミィはほ
っとしたように息をつき、シュラも一つ息を吐く。
「自力で動けるようなら、私は先に戻るぞ」
「え? あ……まぁ、いいけど」
 投げかけられた言葉に、ソードは一瞬思案してから頷いた。傷の痛みがなく
なれば、動くのに支障はない。手を借りなくても大丈夫だろう。
「一休みしてから戻って来い。村の方には、私から話をしておく。こうなった
以上、ここに長居はできんからな」
「ま、そーだよなぁ……」
 シュラの言葉にソードはやれやれ、とため息をついた。不可抗力とはいえ、
争いとは無縁であるべき村に流血沙汰を持ち込んでしまったのだ。これ以上こ
こにいて、迷惑をかけたくはない。とはいえ、問題もあるのだ。
「そうは言っても……先立つものがないんだよなぁ……」
「心配するな、鍛冶屋の親父が、お前の鎧を欲しがっているらしい。あれを手
放せば、路用は事足りるぞ」
 ぼやくように口にした当座の問題点は、直後に解決策が提示された。あっさ
りと言われてソードはやや拍子抜けするが、それはそれで助かるのも事実だっ
た。
「え? あ、そうなんだ。なら、それで何とかしてもらお」
 あっけらかん、とこう言ってのけると、シュラは微かに眉を寄せた。拘りの
全くない物言いに、逆に不安になったらしい。
「……いいのか、それで?」
「別にいいよ、あれ、重いから」
「そう言う問題か? ま、お前がそう言うなら、構いはせんがな」
 軽い言葉にシュラは呆れたようにこう言って、踵を返した。ソードは取りあ
えず、投げ出されたままの剣を拾い上げる。いつの間にか剣の放つ光は消えて
いた。いや、光だけではない。光を放っていた、ソード自身の血の跡、それそ
のものも消え失せていたのだ。勿論と言うか、ソードには刀身を拭った覚えな
どない。
『……やはり、そうか。その剣……狂夢王の剣、魂食いの刃……焔獄剣ティル
フィング』
 天狼の言葉がふと蘇る。天狼は明らかに、この剣の事を知っていた。そして、
恐らくは剣の持ち主である自分自身の事も。
(一体、何者なんだかね、オレは……ま、気にしてもはじまんないか)
 ほんの一瞬思案するものの、ソードはすぐに思案自体を放棄した。考えた所
で、答えなど出ない。それが何となくだがわかったからだ。
「さってと……村戻る前に、ちょっと水で濯いだ方がいいかな、これ?」
 剣を拾い鞘に収めると、ソードは明るい口調でミィにこう問いかける。ミィ
はやや思案した後、そうですね、と頷いた。
 その一方で。
「まったく、厄介物どもが……手間をかけさせおって」
 森を抜けた所で、シュラはこんな呟きをもらしつつ、空を見上げていた。
「……これも、貴女の導きなのか? シズナ……」
 呟く刹那、蒼氷の瞳には微かな陰りのようなものが浮かんでいた。しかし、
それはすぐに蒼の冷たさに飲み込まれてしまう。シュラはどことなく自嘲的な
笑みを浮かべつつ視線を前に向け、それから、ゆっくりと歩き出した。

「……ん?」
 薄暗い部屋の中でぼんやりとしていた青年は、人の気配を感じて顔を上げた。
「……ああ、天狼くん。お戻りですか」
 部屋の暗闇の中からにじみ出るように現れ、膝を突いた黒装束に向けて青年
は軽い口調で呼びかける。
「その様子だと、上手く行かなかったんですか?」
「……御大将の御指示通りには」
「と、言う事は」
「は……御主の御意向には」
「……そうですか。しかし、彼が生きていたとはねぇ……まぁ、普通には死ね
ない人ですけど」
 謎かけのようなやり取りの最後に、青年は呆れたような感心しているような、
なんとも表現し難い口調で嘆息し、こぼれてきた黒髪を後ろに払った。
「して、今後は?」
「今まで通りに。御大将は焦り気味のようですから、忙しいですよ。何せ、二
大聖魔騎士をどちらも失いましたからね。それに……」
「それに?」
 途切れた言葉の先を、天狼は訝るように促した。
「彼女の研究が、実を結んだようですから。近々、出向く事になるでしょうね」
「……古代種……」
 短い言葉に青年はええ、と頷く。深く澄んだ紫水晶を思わせる瞳には、微か
な陰りが伺えた。天狼はしばしその横顔を見つめ、青年がそれきり何も言わな
いと見るとすっと音もなく立ち上がった。
「では、これにて」
 短く告げられた言葉に、青年は一つ息を吐いた。
「ええ、ではお願いしますよ……ああ、そうそう」
 ここで青年は言葉を切り、一転、軽い口調で言いつつにこりと微笑んだ。
「行く前に、傷の手当てはしてくださいね? 私が、彩牙さんに叱られてしま
いますから」
 冗談めかした言葉に御意、と頷く刹那、天狼の口元には苦笑らしきものが浮
かんでいた。その姿と気配が完全に消え失せると、青年は先ほどまでぼんやり
と見つめていたものを改めてみる。
 薄暗い部屋の中で唯一光を放つそれは、どうやら巨大な水晶の塊らしい。だ
が普通の物ではないらしく、その内部には人の姿が見受けられた。
「……まったく、因果なものですよ。貴女も、そう思っているんでしょう?」
 どことなく疲れたように呟く、その視線は水晶の中の少女に向けられている。
祈りの姿勢で目を閉じるその少女は、何故かミィに良く似ていた。

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