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   ACT−2:古より、生まれしもの 02

 真夜中過ぎて、森の遺跡は寝静まる。
 深く包み込む静寂の中、眠りに逆らって彷徨う人影があった。石造りの廊下
を進んでいた人影は壁の小さな扉に目を止め、それを押し開ける。扉の向こう
は中庭になっており、開けた途端心地良い夜風がふわりと包み込んできた。
「……良い風だな」
 低く呟いて庭に出た人影を月が照らし、銀の髪がその光を弾いて煌めく。深
夜の彷徨い人は、シュラだった。
「あら、お散歩かしら?」
 庭に出るとすぐ、軽い問いが投げかけられた。声のした方を見ると、石のベ
ンチに腰を下ろしたレイファの姿がある。その膝を枕にするようにして、何や
ら丸くなっているようだった。
「どうにも、石造りの建屋というのは性に合わんのでな」
 軽い問いにこちらも軽く返しつつ、シュラはそちらに歩み寄る。
「いかにも、譲葉の人が言いそうな事ね、それ」
 シュラの答えにレイファは楽しげに笑いつつ、膝の上のものをそっと撫でる。
丸くなっているのはリュンだった。リュンは相変わらずの無邪気な様子で、す
やすやと眠っている。
「……何をしているのだ?」
「自然の気を感じさせてるのよ。こうやって外で眠らせる事で、この子は大地
の記憶を吸収するの」
「大地の、記憶……」
 小さく呟きつつシュラはリュンに視線を投げかけ、それから、視線の先をレ
イファに向けた。
「何か、聞きたそうね。この子の事? それとも……」
「ソードを見た時に、クロードと呼んでいたが」
 視線に気づいたレイファの言葉を途中で遮り、シュラは短くこう問いかけた。
この問いに、レイファはやや表情を陰らせて一つ息を吐く。
「勘違いよ、あたしの。確かにそっくりだけど……彼は、クロードじゃない」
「何故、そう言い切れる?」
「だって彼、笑うもの」
 シュラの疑問に、レイファはきっぱりとこう言いきった。
「……笑う?」
「ええ。彼は笑う……ちゃんと、感情を見せてるじゃない。あたしの知ってる
クロードは、それを一切しなかったわ。戦っている時も、休んでいる時も……
恐らく、恋人を抱いてる時にも、ね。
 正直、クロードを愛してるって打ち明けられちゃった時、あたし、メイファ
の……妹の正気、疑ったもの。あんな無表情な冷血のどこがいいの、って、聞
いたくらい」
「……冷血、か。その評価は、否定すべくもないな。焔獄の聖魔騎士クロード
・ヴェルセリスと言えば、冷血で名の知れた男だった」
 辛辣さを交えた説明に対するシュラの呟きに、レイファはでしょ? と言い
つつ息を吐いた。
「それに、彼がクロードだとしたら、メイファには辛いもの。だから、できれ
ば認めたくはない」
「……何故?」
「だって彼、あのミィってコが好きなんでしょ? ま、まだ自覚はないみたい
だけど」
 さらりと真理を突いた言葉に、シュラは苦笑しつつ確かにな、と呟いた。
「いずれにしろ、真偽を確かめる術はないがな。ヤツは器用にも、自分に関す
る記憶のみを失っている」
「……なに、それ?」
「知らん」
 疑問に対する素っ気無い返事にレイファは呆れたような表情を見せ、それか
ら、月を見上げるシュラの横顔を見つめた。穏やかな月の光と、それを弾く銀
の髪。それらは絶妙の均衡を保ちつつ、どこか冷たい美しさを織り成している。
「ね、今度はあたしが聞きたいんだけど」
「何だ」
「あなた、どうしてあの二人と一緒にいるの?」
 軽い問いに、シュラは微かに表情を引き締めた。
「聖王国譲葉の護り手、修羅一族……その家宝である白露刀・村雨に認められ、
敵には白銀の剣鬼、味方には蒼氷の剣聖として恐れ敬われたソードマスター。
それだけの人物が、子守紛いの事をするだけの意味があるのかしら?」
 問いかる口調は軽いが、シュラを見つめるレイファの瞳は厳しい。シュラは
こちらもやや厳しい瞳でそれを見返し、それから、一つ息を吐いた。
「放っておくには、いささか不安な連中だから……というのは、理由にならん
か?」
「ようは、単なるお節介ってコト?」
「そうなるな。それに……」
 ここで、シュラは意味ありげに言葉を切った。
「それに……何?」
「ヤツは、見ていて飽きん」
 間を持たせた挙げ句のオチにレイファは目を見張り、直後に弾けるように笑
い出した。
「何、それ、変な理由っ……ふふっ」
「実際、飽きんぞ。冗談のような事を、大真面目にやってくれるからな」
 やや表情を和らげて付け加えた言葉に、レイファは更に笑い転げた。
「……ふに……みゅ〜?」
 その笑いが眠りを妨げたのか、リュンが寝ぼけたような声を上げる。レイフ
ァは笑うのをやめて柔らかい緑の髪を撫でてやった。リュンはみゅ〜、と言い
つつまた眠りに沈み込む。
「さて、と。そろそろ、部屋に戻ろうかしらね……ところで、眠れないの?」
「まあ、そういう事だな」
 リュンを抱え上げながらレイファが投げかけた問いに、シュラはやや軽く肩
をすくめた。
「ふうん……なら、ちょっと付き合わない? ウチのスタッフってば、揃って
下戸ばっかりで、だ〜れもあたしの楽しみに付き合ってくれないのよ。もし付
き合ってくれるんなら、秘蔵の銘酒を出しちゃってもい〜んだけどなぁ?」
「……ほう。悪くない誘いだな、それは」
 茶目っ気を交えた誘いに、シュラは笑いながらこう答える。この返事に、レ
イファは決まりね、と言いつつにっこりと微笑んだ。

 暗い……何もない虚空に、声が響く。

 ……魔物だよ……遊んでた! ……忌み月の子……やはり……殺してしまえ
!
災いを呼ぶ……化け物! 寄らないで! ……嫌だ……嫌だ、いやだ、イヤダ、
嫌いだ、きらいだ、キライダ……消えろ……キエテナクナレ!!

『泣かないで……ね?』

 混沌とした言葉の羅列はいつも、囁くようなこの言葉を最後に途絶え、そし
て。

「……っ!!」

 目が覚める。

「あ……また、か……っとに……」
 ベッドの上に身体を起こしつつ、ソードは深くため息をついた。
「っとに……何なんだかな……」
 低く呟きつつ、部屋の隅に置かれた水瓶に向かって顔を洗う。冷たい水に触
れると、夢でささくれた気持ちが多少、安らいだ。
「夢……単なる夢にしちゃ、しつっこいよな……何回目だよ、これで?」
 顔を拭きつつ、ふとこんな呟きをもらす。
 村を出てからの半月の間、あの夢を見なかった日は数えるほどしかなかった。
とはいえ、あの夢の意味する事、そして繰り返し見る理由はまるでわからない。
わかりたくない、というべきかも知れないが。
「……ふう……」
 何となく重苦しい気分を抱えつつ、ソードは部屋を出て大きく伸びをした。
それから、ふと人の気配を感じて廊下の奥を見やり、
「……お?」
 分岐で分かれるシュラとレイファの姿にきょとん、と瞬いた。
「……へ〜……」
「……何だ?」
 こちらにやって来たシュラは、わざとらしい声を上げるソードに眉をひそめ
る。
「お泊り先で、朝帰りかあ……意外だねぇ♪」
 にやにやと笑いながらの言葉に対する、シュラの答えは簡潔だった。すぱあ
んっ!という音と共に、ソードの後頭部に痛みが走る。
「あたたたた……」
「冗談は、相手を見て言え?」
 ソードの後頭部を高速で一閃した扇子を懐にしまいつつ、シュラは淡々とこ
う言った。ソードは殴られた所を摩りつつ、えー、と不満の声を上げる。
「素直な感想を言っただけ、なのにぃ……」
「……」
 一瞬の静寂を経て。
 ……どげしいっ!
 鈍い音が響いた。
「生命は、惜しめ?」
「……さ……鞘入りの刀で力いっぱいどつきながら言うコトか、それ……」
 後頭部に残る鈍い痛みにへこみつつ、ソードは振り絞るように文句を言う。
シュラはふん、と鼻を鳴らして、自業自得だ、と言い捨てた。
「い、いじめっ子〜……っと」
 振り絞るように不平申し立てたところで、ソードは人の気配に気がついた。
ひょい、とそちらを見ると、盆を両手で持ってぽかんと立ち尽くす眼鏡の青年
が目に入る。セインだ。どうやら今の二人のどつき漫才に、思わず呆然として
しまったらしい。まあ、無理もないと言えるが。
「えっと……セイン君、だっけ? どーかしたのかい?」
 声をかけると、セインははっと我に返ったような素振りを見せ、それから取
ってつけたようにお早うございます、と一礼した。
「えっと、簡素なもので申し訳ないんですけど、朝食、お持ちしました」
 こちらにやって来たセインはこう言いつつ、手にした盆を差し出す。盆の上
にはスープとパン、あとは大雑把に切った野菜と、もぎ取ったばかりらしい果
物が丸のまま乗っていた。ソードは悪いね、と苦笑しつつ、盆を受け取る。
「あの、それで……ちょっとお聞きしたいんですけど、リュン、見ませんでし
たか?」
 盆を渡したセインは、やや言い難そうにこう問いかけてきた。
「いいや、見てないけど?」
「そうですか……っとに、どこ行っちゃったんだろ……」
 ソードの答えにセインはため息混じりにこう呟き、それから、失礼します、
と一礼して走り去った。これから、リュンを探しに行かなくてはならないのだ
ろう。
「なんか、大変そうだな」
「うむ。あの竜人の子、すぐに姿を眩ますらしいからな」
「ま、昨日もずっとオレたちにくっついて来てた訳だし……外、走り回るの、
好きなんだろ、結局は」
 それだけで済む問題とも思えないのだが、ソードはこう言って状況をまとめ
てしまう。端的なまとめに、シュラはやや苦笑して見せた。
「そうかも知れんな。ところで……」
 突然表情を引き締めたシュラの様子にソードはきょとん、と瞬き、その反応
にシュラは一つため息をついた。
「……取りあえず、飯を食ってしまえ。話は、それからだ」
「? いいけど……これって、どー見ても二人分なんだけど?」
「私は、先に済ませた」
 素っ気無くこう言うとシュラは部屋に入ってしまい、取り残された形のソー
ドはやれやれ、とため息をついた。
「何でこう……一人で深刻になるかなあ、あいつって」
 お気楽な事を呟きつつ、ソードは盆を片手で支えてミィの部屋のドアをノッ
クした。返事がないのでもう一度ノックしてみるが、やはり答えはない。仕方
がないので、ソードは入るよ、と声をかけてからドアを開け、
「……あ、ありゃ?」
 無人の室内にとぼけた声を上げた。
「……ミィ?」
 取りあえずテーブルの上に盆を置き、室内をもう一度見回すと、開け放たれ
た窓が目に付いた。窓辺に寄って外を見回すと、緑の中に佇む白と金色が目に
入る。ミィだ。
「……何、してんだ?」
 訝りつつ、取りあえずソードは自分も窓から出てそちらに近づく。ミィは胸
元で何かを握り締めるようにしつつ、梢越しの空を見つめていた。スミレ色の
瞳は、相変わらず憂いに陰っている。
(……笑わないんだよな、あのコ……)
 暗い表情に、ふとこんな思いが過ぎる。
 行動を共にするようになってから今日まで、ミィは笑みらしい笑みを見せて
はいない。いつも寂しげに遠くを見つめ、瞳を憂いに陰らせているのだ。
(……笑うと絶対、カワイイと思うんだけどなあ……)
 こんな確信があるだけに、そしてその心が抱える不安が感じられるだけに、
心を閉ざすミィの態度はもどかしくてならない。だからと言って、こちらから
何か働きかけても返って頑なさを増す結果になるのは予測がついていた。自分
の事すらわかっていない男に心を許すのは抵抗があって当然だろう、というの
は、天然なソードでも理解できている。
(……何も、してやれないのかな、オレ。物理的に護ることしか、できないの
か?)
 ふと過ぎる思いが苛立ちをかき立てる。
 理由こそはっきりとはわからないものの、ミィを護りたい、という想いが心
に強く根ざすソードにとって、今のこの距離はもどかしくてならないのだ。し
かし、現状ではその距離を詰める術はない。
「……やれやれ」
 一つため息をつく事で強引に気を取り直すと、ソードはミィに声をかけよう
とするが、
「うわぁああああああっ!!」
 それを遮るように絶叫が響き渡った。直後に、ソードは異質な気配をすぐ近
くに感じ取る。
 純粋と言ってしまえるくらいに突き抜けた、殺気を。
「……ミィっ!」
 それが標的として定めている者はすぐにわかった。故に、ソードはためらう
事無く行動を起こす。突然の絶叫に呆然としているミィに駆け寄り、抱きかか
えるようにしてその場から引き離すのと入れ替わるように、奇妙な姿をしたも
のが木々の梢から降ってきた。
「な、何だ……蜘蛛?」
 と、言うか何と言うか。突然降ってきたそれは、一見すると蜘蛛のようにも
見えた。しかし、それが普通の蜘蛛でないのは説明されるまでもなくわかる。
全長一メートルを越える、人の顔を持った蜘蛛を『普通』というのはいくらな
んでも不可能だろう。
「な……なに? 一体、何なの……?」
 異様なその姿に、ミィが震える声を上げる。
「……マトモなものじゃないのは、確かかな」
 それに軽く返しつつ、ソードは人面蜘蛛を改めて見た。蜘蛛は血走った目で
こちらを伺っている。仕掛けるタイミングを計っているらしい。
(……剣がないのは、痛いな〜。ま、この状況じゃ、接近戦は無理だけど)
 恐怖心からしっかりとしがみついているミィを離すのは、不可能に近いだろ
う。何事もなければ心地良い少女の温もりも、この状況下では重荷でしかない。
(さて、どうするか……)
 ……キシャアアっ!
 ソードの思考を遮るように、蜘蛛が奇声を上げた。耳まで裂けた口がくわっ
と開き、粘つく物体が吐き出される。ソードが横っ飛びにかわすと粘液はべち
ゃっと地面に落ち、しゅうしゅうと音を立てて地衣を溶かした。
「お約束なヤツ……毒かよ」
 苛立ちと戦慄を込めて吐き捨てると、蜘蛛は嘲笑うようにシャシャシャ、と
声を上げた。その膨らんだ腹部が、くい、と上に持ち上がる。
(パターンを踏襲しているとしたら、次は……)
 ふと過ぎった嫌な予感は、しなくてもいいのに的中する。針を思わせる先端
部から、糸状の物体が勢い良く噴き出してきたのだ。
「冗談じゃ、ないっての!」
 舌打ちしつつ飛びずさるものの、ミィを支えている状態では動きが鈍る。初
弾はどうにか避けたものの、直後に噴き出されて目の前に迫る次の塊に対処す
る術は、基本的にはなかった。
「……ちっ……」
 万事休すか──そんな考えがふと過ぎった、その時。
 ……ヴンっ!!
 大気が、鋭い唸りを上げた。それまで無風だった空間に激しく風が渦巻き、
それが刃となって飛来する糸を切り払う。
「……え?」
「……な、なに?」
 思わぬ事態にソードもミィもきょとん、と目を見張る。風の刃は歌うように
唸りつつその刃を増やし、人面蜘蛛に襲いかかった。
 キシェエエエエエっ!!
 刃に切り裂かれた人面蜘蛛が絶叫する、その響きと身体の消失はほぼ同時だ
った。後には黒い塵だけが残され、その塵を、ふわりと吹き抜ける穏やかな風
が散らす。
「……どうやら、無事のようだな、盟約者よ」
 ソードもミィも呆然とその様子を見つめていたが、不意に呼びかけてきた声
にはっと我に返った。二人の目の前で風が渦を巻き、集約した大気の流れの中
から人らしき姿が現れる。鮮やかな緑の髪と瞳を持つ、どことなく神秘的な雰
囲気の青年だ。
「……あんた……は?」
 唐突な展開に戸惑いつつ、ソードは青年に問いかける。この問いかけに青年
は微かに眉をひそめるものの、すぐに納得した面持ちになってそうか、と呟い
た。
「……剣の誓約により、刻を失したのだな……では、盟約の記憶も、既になし、
か」
「え、えーと……?」
 妙に寂しげな呟きに、ソードは困惑する。
 目の前に立つ青年の事は、記憶にはない。だが、何故か知っているような気
がしてならないのだ。それが困惑を助長して、ソードは眉を寄せる。そんなソ
ードの様子に、青年は苦笑めいた面持ちでため息をついた。
「まぁ……仕方あるまい。しかし、我らの盟約は魂に基づくもの。お前がお前
として生き続ける限り、失われる事はない」
「……はあ」
 正直、一人で納得されても困るのだが、向こうに説明する気はないようだっ
た。青年は苦笑めいた面持ちのまま、すい、と右手を上に上げる。風が再び渦
を巻き、青年の姿は風の中へ溶けるように消えていった。
「結局……今の、一連の連中って、何だったんだ?」
 こちらの理解を完璧に無視した展開に、ソードは呆然としつつこう呟いた。
それから、ふと視線を感じてミィの方を見る。ミィは驚いたような戸惑ってい
るような、何とも表現しがたい表情でこちらを見つめていた。
「……どしたの?」
「あ、いえ……なんでも」
 きょとん、として問うと、ミィは小声で言いつつ目を伏せた。言葉と裏腹の
その様子に、ソードは更に問いを継ごうとするが、
「ソード、無事かっ!?」
 一瞬早く投げかけられた問いがそれを遮った。振り返ると、刀を手にしたシ
ュラがこちらに駆け寄ってくるのが目に入る。やって来たシュラは周囲を見回
し、異様な臭気を立てて溶ける地衣に気づいて微かに眉を寄せた。
「……一騒動はあったようだが……どうやら、無事のようだな」
「ああ、何とかね。それはそうと、さっきのって……」
「ここの研究者の一人が、正体不明の化け物に襲われた」
 ソードが問いを最後まで言う前に、シュラは答えを出していた。ソードはや
や眉を寄せつつ、で? と短く問いを継ぐ。
「即死だそうだ」
 それに対する短い答えに、ミィが息を飲んだ。ソードは表情を引き締めつつ、
震える肩を抱く手に力を込める。その瞬間、細い肩は一際大きく震えるものの
それは徐々に静まり、代わりに、胸につかまる手に力がこもったようだった。
「……取りあえず、戻るとしますか。食欲は失せたけど、こりゃ、しっかり食
べといた方がよさそうだからね」
 口調だけはいつも通りの軽いノリでこう言うと、シュラは正論だな、と頷い
た。

 部屋に戻ってやや気の進まない食事を済ませると、三人はレイファの部屋を
訪れた。
「……あら。三人揃って、何か御用?」
 問いかける、口調は軽いが表情は陰りを帯びている。膝の上のリュンを見つ
める瞳も沈みがちだった。
「……? チビさん、どーしたんだ?」
 妙にぐったりとしたリュンの様子に、ソードは眉を寄せつつ問いかける。こ
の問いに、レイファは大きくため息をついた。
「ちょっとね……ショックが大きくて、まいってるの」
「ショック?」
 思わぬ言葉にソードはきょとん、と瞬く。
「目の前で、人に死なれたショックよ。理不尽な死に対する概念がまだないか
ら、状況を理解できてないの」
「目の前でって……それじゃ、さっきの?」
「……そうよ」
 ため息と共に頷くと、レイファはそっとリュンの髪を撫でた。
 先ほど聞こえた絶叫は、いなくなったリュンを探していた研究員のもの。そ
して、その場に居合わせたリュンは、目の前で人が死んだ事を理解できずにい
る、という事らしい。
 そうなると、その研究員を襲ったという化け物はどうなったのか、それが気
にはなったが、ソードはそちらの追求は避ける事にした。考えられる可能性が、
一つしかないからだ。
(まいってるのは、精神的なモンだけじゃないなこりゃ。力を暴走させて、襲
ってきた方を吹っ飛ばした疲れもあるんだろーな……)
 竜人は世界を構成する様々な存在に働きかけ、その力を自在に使う事ができ
た、と言われている。恐らく、状況に混乱したリュンは自分の力を暴走気味に
発揮して襲撃者を撃退し、慣れない力の行使で疲れてもいるのだろう。
「一つ、尋ねたい。襲ってきたものというのは……」
 ソードが考えをまとめている横で、シュラが静かにレイファに問いかけた。
「魔導帝国軍のキメラ・ビーストでしょうね……あたしたちがガード用に配置
してるハイ・ビーストが、こっちを襲う訳、ないもの」
 その問いに、レイファは表情を引き締めつつこう答えた。
「でも、なんだって、そんなモンが?」
「……貴様、本気でそれを聞いているのか?」
 ソードの疑問にシュラが呆れたように問い返し、ソードはそれはに素直に頷
いた。間の悪い空気が立ち込め、すぱあんっ!という小気味良い音がそれを取
り払う。
「ボケるのも、ほどほどにしろ! まったく……」
「いてて……別にボケてる訳じゃ……あ、ああ、そうか。狙いはこのチビさん
……竜人、か」
 文句を言う途中でそれに気づいたソードは、呟きながらリュンを見た。
「古代種・竜人……ずっと昔に滅んだはずの種が、どうして、今ここにいるん
ですか?」
 沈黙を経て、ミィがレイファに低く問いかけた。
「それは……創ったから、よ」
 その問いに、レイファはごくあっさりとこう答える。
「……創った?」
「ええ。元々、あたしたちは魔導帝国で生命創造の研究をしていたの。そんな
時にたまたま、大地の護り手……竜人に関する資料を見つけてね。五年前の譲
葉陥落から、大陸のあちこちで始まった自然減少の対策になるんじゃないかと
思って、竜人再生の研究を始めたのよ」
 思わぬ言葉に呆然とする三人に、レイファはごく淡々と語り始めた。
「でもその内、嫌な雰囲気になってきてね……魔皇帝は、兵器転用を前提に、
あたしたちに研究をさせてたのよ。それがわかったから、あたしたちは帝国を
離れて……この場所を、見つけたの。かつて、竜人たちが暮らした場所をね」
「ここが……竜人たちの、家だったっての?」
 周囲を見回しつつソードが投げかけた問いに、レイファはやや眉を寄せた。
「家って言うか……竜人たちが祭祀を取り仕切る所……言うなれば神殿に相当
する場所だったみたいね。残念ながら、竜人が滅んだ原因の手がかりになりそ
うなものは無かったけど、ここに来てそれなりに竜人の事も知る事ができたわ。
 何より……竜人の生体組織が残ってたのが、一番の収穫だったけど」
「生体組織って……」
「気持ちのいいモノじゃ、なかったけどね。とにかく、その生体組織を核にし
て、それをホムンクルス培養の要領を応用した方法で培養して……その結果、
生まれたのが、リュンなの」
 ソードの疑問をさらりと受け流しつつレイファはこう話を結び、そっとリュ
ンを撫でた。
「……ま、今思えば、妙だったのよね。あたしたちが離反する時って、何の妨
害も無かった……皇帝は、あたしたちに研究を完成させた上で、成果だけを奪
うつもりだったんだわ」
「いかにも、魔皇帝のやりそうな事だな」
 ため息混じりの呟きに、シュラが低く吐き捨てた。何か思う所があるのか、
その瞬間、蒼氷の瞳はいつに無く厳しかった。
「ま、リクツはともかくとしてさ、これからどうする訳? このまま、大人し
くチビさんを渡す訳にはいかないだろ?」
 ソードの問いに、レイファはまあね、と頷いた。
「だから、ここを引き払うつもり。それなりに戦力がある所と合流すれば何と
か凌げると思うから、旧第七遊撃師団に合流するわ」
「旧第七遊撃師団?」
 レイファの答えにソードはとぼけた声を上げ、リュンを除く全員の注目を集
めた。
「……貴様、あれだけ有名な連中を、本当に知らんのか?」
「うん」
 シュラの低い問いに、ソードは素直に頷いた。
「……」
 すぱあんっ!
「……この間のユグラル侵攻に反対して離反した、帝国最強の遊撃師団よ。師
団長は行方不明だけど、残った団員が、反抗勢力を吸収しながら抵抗活動を続
けてるの」
 一瞬の空白を経て、シュラはソードの頭に無言で扇子の一撃を加え、レイフ
ァは淡々とこう説明する。
「それで、大丈夫なんですか?」
「多分ね。まあ、妹に迷惑かける事になるから、不本意ではあるんだけど」
 ミィの問いかけに、レイファはため息と共に頷いた。
「それで、あなたたちはどうするの?」
 それから、三人の顔を見回しつつこう問いかけてくる。
「あ……そだね。取りあえず、引っ越しの準備が終わるまではいさせてもらう
よ。コレが、役に立つかもしれないし……な?」
 その問いには復活したソードが答えた。ソードは剣を示しつつシュラに話を
振り、これに、剣匠は無言で頷いた。二人の返事に、レイファはほっとしたよ
うな表情を覗かせる。
「そう言ってくれると、助かるわ。できれば、一緒に師団に合流してほしいん
だけど……」
「あ、オレはそれダメ。ミィをクレディアまで送るのが先だから」
 あっけらかん、と答えるソードに、レイファは残念そうにそう、と呟いた。
「んじゃ、ま、いつまでもここにいるのも何だし……ミィ、戻ろうか?」
 そんなレイファの様子に気づいているのかいないのか、ソードはお気楽な口
調でミィに声をかけた。
「んじゃ、あとよろしく」
 シュラには笑顔でこんな事を言い、これにシュラは訝るように眉を寄せる。
「よろしく、とは何だ、よろしく、とは?」
「え? だってさ、チビさん狙われてるんだし」
 低い問いかけに、ソードはにこにことしたままこう答える。
「それは、確かにそうだが……」
「だったら、誰かがガードしてないと。でも、オレはミィの方優先しないとな
らないから、だから、そっちはよろしく〜、ってね」
 どこまでもお気楽に言うソードを、シュラは睨むように見る。そこに浮かぶ
険を素知らぬ笑顔で受け流すと、ソードは二人のやり取りにきょとん、として
いるミィを促して部屋を出た。ミィは戸惑いながらもソードについて部屋を出
る。
「あの……いいんですか?」
 廊下に出るなり、ミィは不思議そうにこう問いかけてきた。
「いいって、何が?」
「えっと……」
 逆に問い返すと、ミィは困惑した面持ちで今出てきた部屋を振り返る。シュ
ラ一人に任せてしまっていいのか──そんな疑問が、表情から読み取れた。そ
れに、ソードは笑いながら、いーの、と答える。
「ぞろぞろいても、ジャマになるよ。だから、外野は退散」
「外野……?」
 軽い言葉の裏の意味はどうやら伝わらなかったらしく、ミィは怪訝そうな面
持ちで首を傾げた。
(それに、分散してた方が、対処し易い事もあるしな……)
 可愛らしい仕種に笑みを浮かべつつ、ソードはこんな事を考えていた。

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