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   ACT−4:清らな水底、冥き影 01

「嫌。絶対に、嫌です」
 恐らく言うであろうとアキアが予想していた通りの言葉を、フレアはぴしゃ
りとレフィンに叩きつけた。
「う……だから、どうしてっ!?」
「嫌だからです」
 必死で食い下がるレフィンだが、フレアには取り付く島もない。
「……同情に値するね、ああなると」
 一人、口論の現場を離れているアキアは、ヒューイを通じて聞こえる二人の
やり取りにこんな呟きをもらしつつ、鍋の中で焦げ始めた砂糖と水あめをかき
回した。全体の色が変わってきたら、鍋にバターを投入する。
 冥魔の騒動の翌日、一行は予定よりも遅れて森の中の小さな宿場にたどり着
いた。着いたその日は、とにかく全員が例外なく疲れていた事もあり、特に話
をする事もなく休息を取った。
 そして、その次の日。レフィンにフレアが王都を出た事情を改めて説明し、
どうにかレフィンの誤解を解く事はできた。一部、フレアが強引に納得させた
節もあるが、それはそれとして。
 事情を理解したレフィンは自分の目的を果たすためにフレアの説得を始め、
それが不毛な論争になる、と察したアキアは「お茶の支度をするから」と言っ
て早々にそこから離脱していた。宿の厨房を借りてタルト生地を作り、それが
焼き上がった現状においても、二人の論争に発展の兆しは見えない。生地を寝
かせた時間を考慮すると、一時間以上、嫌とどうして、を繰り返している事に
なるのだ。
(忍耐力があると言うか、発展性がないと言うべきなのか……)
 中々、判断の難しいところだ。勿論、考えた所で意味はないのだが。
「やれやれ……」
 ため息をつきつつ、鍋の中で甘い香りを放っているキャラメルソースにドラ
イフルーツとナッツを入れて手早く混ぜ合わせる。これをタルト生地に流し込
み、パウダーシュガーで飾れば、今日のお茶菓子は完成だ。二つ作った内の一
つは厨房を借りたお礼に、と、宿の女将に笑顔と共にプレゼントし、お茶の支
度を整えたアキアは二階の部屋へと戻った。
「……」
 階段を上がるとすぐ、二人の声が聞こえてくる。嫌、とどうして、の論争は、
まだ続いているらしい。良くぞ続けられるものだ、と感心しつつ、アキアは部
屋のドアを開けた。
「さて、お話しはまとまりましたか?」
 まとまっていない事など百も承知でこう問いかけると、フレアがむー、とむ
くれた表情でこちらを見た。
「ぜんっぜん! だってレフィン様、わからず屋さんなんだもんっ!」
「わ、わからず屋って……せめて、何がどう嫌なのか、説明してくれと言って
いるだけで……」
「嫌なものは、イ、ヤ、な、ん、で、す!」
 きぱりと断言され、レフィンはそれ以上言葉を継げなくなったようだった。
傍目にもはっきりそれとわかるほどにがくん、と肩を落として落ち込むレフィ
ンの様子に、アキアは苦笑する。
 想う少女の言動の一つ一つに一喜一憂し、それを素直に表現できるレフィン
は見ていてなんとも微笑ましいものがある。将来的に王権に携わる、という点
から鑑みると問題だが、それはまた、別の問題としておく事にした。
「やれやれ……まあ、そう、むくれたり沈んだりしないで。お茶入れるから、
一息つこう。ね?」
 フレアとレフィン双方に呼びかけつつ、アキアは手早くお茶の支度を整える。
自分の前に置かれた紅茶とタルトを見るなり、フレアはきゃーっ! と、語尾
にハートマークがつきそうな歓声を上げた。
「また、新しいお菓子だー! いただきまーすっ」
 先ほどまでの不機嫌さはどこへやら、フレアはにこにこしながらタルトの皿
を手に取ってぱくぱくと食べ始める。その早変わりぶりに苦笑しつつ、アキア
はこちらもフレアの変化に呆気に取られているレフィンの方を見た。
「よろしければ、どうぞ。オレの手作りだけどね」
 微笑みながらこう言うと、レフィンはえ? ととぼけた声を上げ、それから、
自分の前のタルトをまじまじと見つめた。やはりと言うか、アキアの外見と菓
子作りが頭の中で上手く結びつかないらしい。それでも、満面の笑顔でタルト
を食べるフレアの様子に興味を引かれたらしく、いただきます、と一礼してか
ら皿を手に取った。
「……うわ」
 一口食べた直後にレフィンが発したのは、こんな短い一言だった。
「いかがですか、お味の方は?」
 笑いながらの問いに、レフィンはどこかとぼけた口調で美味しいです、と答
えてくる。フレアはと言えば一切れ目を綺麗に平らげ、早くも二切れ目にかか
っていた。取りあえず、タルトで二人を和ませるのは上手く行ったらしい。
(まぁ、問題はここからだな……)
 レフィンを国に返すのはほぼ不可能だろう。そのためにはフレアを国に戻さ
ねばならず、それが諸々の事情から絶対に無理、と断言できてしまうのだから。
 だからと言って、レフィンを放置して先に進むのはもれなく不安がついてく
る。一人にしておけばこの間のような騒動を引き起こす可能性が高いし、何よ
り、彼はクライズ国王レオンの一粒種。その身に何事かあれば、クライズとい
う国自体が傾く危険も孕んでいる。
『結局、メンドー見るっきゃねーってこったな』
 たどり着きたくなくてその前でぐるぐると回っていた結論を、ヒューイがあ
っさりと突きつけてくる。アキアは頭痛を感じつつ、まあな、と声に出さずに
呟いた。
「まぁ、何だね」
 六等分されたタルトが綺麗になくなるのを見計らって、アキアはフレアとレ
フィンに呼びかけた。
「お嬢は国に帰りたくない、殿下はお嬢と離れたくない。ようするに、そうい
う事、なんだよね?」
 確かめるようにこう言うとフレアは即頷き、レフィンは一瞬、間を空けてか
らこちらもはい、と頷いた。
「で、と。別に、お嬢は殿下が一緒でも問題がある訳じゃないし、殿下も、今
すぐ国に帰らなきゃならないって訳でも、ないんだよね?」
 二人の肯定にアキアはにこにこと笑いながら、更にこう問いかけた。さすが
にと言うか、この問いにはフレアもレフィンも戸惑いを覗かせる。
「ア、アキア?」
「あ、あの。それは、つまり……」
「だったら」
 何事か言いかける二人を、アキアは有無を言わせぬ笑顔で遮った。
「殿下も、オレたちと一緒に、帝国の祭り巡りに行く事にすれば、問題ないっ
て事だね」
 その笑顔のまま、アキアは強引にこう話をまとめる。一見すると穏やかだが、
その実、反論を一切許さぬ雰囲気をたたえたその笑みに、フレアもレフィンも
言葉を封じられてはい、と頷いていた。
「なら、決まりだ。じゃ、山越えルートでクレストを目指すから、二人とも、
そのつもりで体調を整える事。いいね?」
 二人の返事ににっこりと微笑みながらこう言うと、アキアは空になった皿を
まとめて立ち上がった。
「それじゃ、オレは山越えの準備をしに行くから。君たちは、ゆっくり休んで
いる事。急がないと祭りに間に合わないから、ちょっと無理するからね」
 僅かに厳しさを織り交ぜつつこう言うと、アキアはすたすたと部屋を出て行
き、
「……」
「……」
 後には何とも表現し難い空気と共にフレアとレフィンが残された。
『はー、やれやれ』
 沈黙する二人の様子にヒューイが呆れたような呟きをもらしていた事には、
誰も気づいてはいないようだった。

 それから三日ほど宿場に滞在して疲れを十分にとってから、一行は旅を再開
した。
 レフィンがカジェスト候から譲り受けた馬は、そのまま連れて行く事にして
いた。人数が増えた分、荷物も当然増えているし、何より旅人の休息所のよう
な小さな宿場では、馬の価値に見合った対価を請求する事自体、難しいと思え
たからだ。
 そして何より。
「やっぱり、乗せてもらうとラク〜♪」
 疲れたとゴネるフレアをなだめすかして歩かせる、という手間が省け、行程
の滞りがなくなるのが大きい。これは、アキアとしては非常にありがたい事な
のだ。
 もっとも。
「ラクばっかりしてると……まん丸くなるよ?」
 たまにこんな言葉で乙女の心理をちくりと刺し、できるだけ自分で歩かせる
のも忘れはしないのだが。
 森の中の道はやがて緩やかな傾斜を伴い始め、それが山に差し掛かっている
事を伺わせた。今進んでいる川沿いのルートはクレスト・カジェスト双方の共
同事業によって整備されており、比較的歩き易くはあるのだが、やはり山歩き
に不慣れなフレアとレフィンにはそれなりの疲労を与えるようだった。
「あ〜、疲れたぁ……」
 夜営地を定めて準備を始めると、フレアは大抵こう言って座り込んでいた。
『つか、お嬢、半分以上馬に乗ってたじゃんよ、今日も……』
 そこにすさかずヒューイが突っ込むのだが、最近はスルーされる事が多い。
フレアの方に反論するだけの余力がないようだ。その様子にペース調整がいる
か、と考えつつ、アキアはレフィンの方を見る。
 レフィンは、夜営の時にはまず最初に馬の世話をしている。自分の馬なのだ
から、とアキアがそうするように癖を付けさせたのだ。その甲斐あって馬とレ
フィンの意思の疎通は良好らしい。
 ねぎらいの言葉をかけつつ馬の世話をしているレフィンの様子に、アキアは
満足げな笑みを浮かべつつ、夕食の支度に取り掛かった。
 食材は、ルートの関係もあってどうしても川魚が中心となる。それでも、旅
人が自由に食べられるように、という意図の許に植えられた果樹や食用になる
野草のおかげで連日同じメニューという事には、決してならない。
「ま、そうでないとやりきれないからね」
 限られた食材と道具で作られる、毎日違った料理に驚くレフィンに、アキア
は苦笑しつつこう言っていた。何も変化がないのは楽だが飽きる、という説明
に、レフィンは妙に納得していたが。
 食事が終わると、フレアは早々と眠り込んでしまう。やはり、疲れの度合い
が大きいのだろう。ヒューイを抱え込むようにして眠る無邪気な寝顔の子供っ
ぽさに微笑ましいものを感じつつ、アキアはその身体が冷えないように毛布を
かけてやった。
「……あの」
「ん? 何かな?」
 それが終わったところにレフィンが遠慮がちに声をかけてきた。アキアはそ
ちらを振り返りつつ、穏やかな口調で問う。
「あの、えっと……あなたは……」
「うん、オレが、何?」
「あなたは……えっと、どうして、フレアと……」
 途切れがちの言葉の先を静かに促すと、レフィンは消え入りそうにこう続け
た。
「お嬢と……何かな?」
 レフィンが何を問おうとしているのかはわかっているが、アキアは穏やかな
態度を崩さずに言葉の続きを促す。レフィンはしばしためらうような素振りを
見せて口ごもるが、やがて、意を決したように顔を上げた。
「あなたは、どうして、フレアと、一緒に、いるんですか?」
 顔を上げたレフィンは緑の瞳で真っ直ぐにアキアを見つめつつ、こう問いか
けてきた。その視線を、アキアは藍と紫の瞳で真っ向から受け止める。
「約束、なんだ」
 やや間を置いて、アキアは静かな口調でこう言った。この答えに、レフィン
は不思議そうに瞬く。
「約束?」
「そう、約束。ある人とね、約束したんだ。この子を護るって。そして、その
約束を果たす事は、オレという存在、そのものにかけた誓いでもある。だから、
かな」
「約束と……誓い」
 おうむ返しの呟きに、アキアはそう、と頷いた。
「逆に言えば、それだけ。だから、心配しなくても大丈夫だよ」
 それまでとは一転、軽い口調でこう言うと、レフィンはえ、と言って目を見
張った。
「し、心配って、な、なんですかっ!?」
「ん? 何って……」
 傍目にもはっきりそれとわかるほど真っ赤になって声を上ずらせるレフィン
の様子に、アキアは笑みを禁じえない。感情を隠すのが下手と言うか、その善
し悪しはともかくレフィンが素直である事が、その様子からはっきりと感じら
れた。
「わ、笑ってないで答えてくださいっ!」
 言葉を途切れさせてにこにこしていると、レフィンが叫ぶようにこう問いか
けてきた。感情を昂らせるその様子に、やりすぎたな、と思いつつ、アキアは
静かに、と言ってレフィンを制する。
「大声出すと、お嬢が起きちゃうよ? だから、静かに、ね?」
「わ……わかりました」
 どことなく不満げではあったが、レフィンはこう言って口を噤む。だが、ア
キアに向けられるエメラルドの瞳には、不満の色がありありと浮かんでいた。
質問がはぐらかされそうな事と、恐らくは子供のように扱われる事への不満だ
ろう。妙な所が、フレアと全く同じだ。
(ほんと、素直だなぁ……)
 単に感情を隠すのが下手なだけだとしても、自分を偽らない態度は好感が持
てる。こんな事を考えつつ、アキアは一つ息を吐いた。
「ま、とにかく、余計な心配はしなくても大丈夫。それより、そろそろ君も休
まないと。ルガリス山脈越えは、ここからが本番だからね」
 やや表情を引き締めつつこう言うと、レフィンはむっとしたように眉を寄せ
た。結局、質問をはぐらかされたのが不満なのだろう。
 それでも、休息を取らなければ明日が辛い、と言うのは自分でも理解してい
るらしく、レフィンはわかりました、と頷いて素直に寝床に潜り込んだ。こち
らも相当疲れが溜まっていたらしく、横になって間もなく規則正しい寝息が聞
こえてきた。
「やれやれ……ようやく、寝てくれましたか」
 二人が寝静まると、アキアは苦笑めいた面持ちでこんな呟きをもらす。
『……つーか、お前、その物言いは……』
 唯一、それを聞いていたヒューイが、不意にぼそりと呟いた。
「ん? 何だよ?」
『思いっきり、おとーさんの発言だぞ……』
「あのなぁ……」
 ピントがずれているような的確なような、何ともいえない突っ込みに、アキ
アはただ、苦笑するのみだった。

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