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   ACT−3:決して、交差しないもの 07

 アキアがヒューイと共に行ってしまい、フレアが不安を感じつつも作っても
らった即席のサンドイッチを食べ終えた時、気絶していたレフィンが目を覚ま
した。
「……ここは……ぼくは?」
 目を覚ましたレフィンは一瞬、自分の置かれている状況がわからなかったら
しく、ぼんやりとした声でこんな事を呟く。フレアは口の周りをナプキンで拭
いてから、レフィン様、と声をかけた。その声に、レフィンはがばっと起き上
がり、緑の瞳でまじまじ、とフレアを見つめる。
「フレア! 無事だったんだね!」
「無事に決まってます! 危ない事なんて、ぜんっぜん、ないんですから!」
 目を輝かせるレフィンに、フレアはぴしゃりとこう言い放った。睨むような
目に、レフィンはやや怯む。
「え、でも……誘拐……」
「あたし、誘拐なんてされてません!」
「……え?」
 きっぱりと言いきると、レフィンは心底不思議そうな声を上げた。
「いや、だって……」
「大体、誰がそんなコト言ったんですかあ?」
「だって……叔父上が、一般に捜索隊を募ったりしていたから……賞金をかけ
て」
 レフィンの言葉にフレアは大げさなため息をついた。
 フレアが家出をした時、父フランツ・リュセルバートはフレアを見つけて連
れ戻した者には多額の謝礼を支払う、という旨の高札を立てていた。それが口
コミで広がって行く内に、フレアが誘拐され、その犯人に賞金がかけられてい
る、という方向性に勘違いされて行ったらしい。
 実際、クライズにいる間は一攫千金を狙う連中がアキアを誘拐犯と見なして
ケンカを売り、返り討ちにあう、という事がよくあったのだ。
「……違ったの?」
「ち、が、い、ま、す!」
 とぼけた問いに、フレアはきっぱりと断言する。
「じゃあ……」
「あたしは、自分の意思で、クライズを出て来たんです」
「自分の意思……?」
 フレアの言葉に、レフィンは不思議そうに瞬く。
「そうです。あたしは、自分で考えて、自分で決めて、それでアキアと一緒に
いるんです。誘拐されたんじゃありません」
「……え?」
 静かな言葉にレフィンはまたとぼけた声を上げ、それから何故か、ぴしりと
固まった。思わぬ反応にフレアは一瞬きょとん、とする。
「レフィン様?」
「それじゃあ……それじゃあ、まさか……」
 名を呼ぶと、レフィンは震える声を上げた。何がまさかなのかわからず、フ
レアは首を傾げ、
「誘拐じゃなくて……自分の意思って事は……か、駆け落ちっ!?」
 次にレフィンがもらした呟きに絶句した。しーんと、重い空気が立ち込め、
そして。
「レフィン様のっ……レフィン様の、ばかああっ!!」
 三度目の絶叫でそれを取り払ったフレアは、反射的に走り出していた。
「フレア!」
 レフィンが名を呼ぶのが耳に届くが、正直、聞きたいとは思わなかった。
(レフィン様のばか、レフィン様のばか、レフィン様のばかあっ!! もう、全
然わかってないんだからあっ!!)
 何がわかっていなくて何がこんなに腹立たしいのかはわからないが、とにか
く腹立たしくてフレアは森の中をめちゃくちゃに走り回り、
「きゃっ!!」
 木の根に足を取られて転んでいた。
「いったあ……」
 幸い顔を打たずにはすんだが、膝が痛い。擦りむいたのかな、などと思いつ
つ、取りあえず身体を起こしたフレアは人の気配に気づいて顔を上げ、
「……っ!?」
 息を飲んだ。
「……アキア?」
 呟いてすぐにフレアはそれを否定した。しかし、思わずそう呟いてしまうほ
ど、そこに立つ女性はアキアに似ていたのだ。銀色の長い髪と、藍と紫の異眸。
顔立ちも、驚くほど良く似ている。相違点はと言えば、一目で女性とわかる体
型と白を基調としたその装い、そして右手に剣を握っている事だろうか。
「あ……あなたは?」
「フレイアリス・リュセルバート様……ですわね?」
 恐る恐る問うのに女性は答えず、逆にこう問いかけてきた。凛々しい表情に
やや低めの声が絶妙に良く似合う。冷たい響きもクールな外見には適当とさえ
思えた。それを向けられるのが、自分でさえなければ。
(こ……この人、一体?)
 冷たい瞳と声が無意識の内に身体を震えさせる。同じ色の瞳はいつも温かい
だけに、恐ろしさが募った。
 逃げなければいけない。
 そんな思いが過るものの、身体が動かなかった。声も出せない。状態はほと
んど金縛りだ。
「もう一度お聞きします。フレイアリス・リュセルバート様で、間違いありま
せんわね?」
 女性が再び問いかけてくる。フレアは震えながら一つ頷いた。頷いて肯定す
るのは怖かったが、このままの状態で居続けるのも恐ろしかったのだ。
「そう、ですか……」
 肯定を得ると女性はこんな呟きをもらし、それから、手にした剣をフレアへ
と向けてきた。
「……っ!?」
「新たなる『煌風の巫女』よ……あなたを、封印します」
「ふ……封印?」
「そう……『清月の封印師』の名において……あなたは、危険な存在なのです」
 どこまでも静かに、淡々と告げられる言葉はフレアを混乱させた。『清月の
封印師』――封印師と言うからにはアキアと関わりがあるのだろうか、いや、
ここまで似ていて無関係とは到底思えないが、だとしたら何故、と思考がぐる
ぐる回る。
 アイルグレスで出会ったファヴィス。『星輝の封印師』と名乗った少年は、
『巫女』の血は絶やすと――暗に自分を殺す、と宣言していた。そして今度は、
『清月の封印師』を名乗る女性が自分を封印する、と言っている。『白銀の封
印師』と名乗るアキアは、自分を護ってくれるのに。
(わかんない、わかんない、わかんない)
 封印師と名乗る者たちと、自分。そこに、どんな関わりがあるのか。追い詰
められた状況下で、フレアは初めてそれに疑問を感じていた。
「……『清月の封印師』シルヴェリアの名において、今、ここに封印の力を生
み出さん……」
 歌うように流麗に、力を生み出す言葉が紡がれる。その声がフレアを我に返
らせるが、すくんだ身体は逃げるための行動を取ろうとしない。
(や……やだあっ!)
 訳もわからないまま、封印などされたくはない――そう思った、その時。
「我、『天煌』の号を継ぎし者、その名に依りてここに命ず! この場に生じ
し封じの力、全て無へと回帰せよ!!」
 鋭い声が夜気を切り裂いた。女性の表情を苛立ちめいたものが過り、彼女は
ばっと後ろに飛びずさる。入れ替わるように、フレアの前に黒い影が飛び込ん
できた。黒衣の上で、銀色の髪が揺れている――アキアだ。
「……アキアっ!」
「お嬢、無事だねっ!?」
 肩越しに振り返ったアキアの問いに、フレアはこくこくと頷く。見慣れた瞳
が心と身体の緊張を解してくれた。
「……ラキア」
 だが、和んでいる場合ではない事に変わりはなく、呟くような声が場に再び
緊張を呼び込んだ。アキアは表情を引き締めて声の主――彼とそっくりな女性
へと向き直る。
「シルヴェル……」
「お久しぶりですわね」
 低く名を呼ぶアキアに、女性――シルヴェルは優雅に一礼して見せた。
「どういうつもりだ?」
 そんなシルヴェルに、アキアは低くこう問いかける。
「どういう、とは?」
「ごろつきどもを焚き付ける程度なら笑い話ですむが、何故、あれほどの規模
の冥魔を放置していた?」
「私にとっては、冥魔以上に封印を優先しなくてはならぬものがありますから」
 淡々と答えると、シルヴェルはアキアの向こう、フレアへと視線を向けた。
冷たい瞳に、フレアはびくりと身体を震わせる。
「お前といい、ファヴィスといい……何故、そうまでして『巫女』の存在を否
定する!?」
「危険だから、という以外に、理由がありますかしら?」
 鋭い問いに、シルヴェルは臆した様子もなくこう言いきった。この返事にア
キアの表情が険しさを増す。
「それだけの理由で……人、一人の未来を閉ざすと言うのか!?」
「全ては、安定を保つためです」
「シルヴェルっ……」
「どいて下さい。でなければ……」
「でなければ、また、オレを殺すとでも? それで、オレが引くと思うのか!」
 言葉と共に銀の刃が月光を弾く。アキアの手には、長剣と化したヒューイが
握られていた。ヒューイを見たシルヴェルの眉が微かに寄る。
「どうあっても……」
「わかっているはずだ。オレたちの道は、誰かが考え方を変えない限り、交差
する事はない……そして、オレに考えを変える意思はない!」
 静かな気迫のこもった宣言にシルヴェルの表情が険しさを増し、場の緊張が
高まる。シルヴェルもまた、剣を手にした右手をすっと上に上げた。
『……メル』
 ヒューイが小さな声で呟く。シルヴェルの手にした剣――その形状はヒュー
イとほぼ同じ、唯一の相違点は柄に埋め込まれているのが色鮮やかな瑠璃と言
う所だけと言う事だろうか。
「あくまでも、その不安定な在り方を通す……と?」
「それが、オレの選んだ道……それを、変える気はない」
「そうですか……」
 ここで、シルヴェルは小さなため息をついた。
「ならば……私も、私の道を通すのみです」
 静かで厳しい、決意を込めた宣言が空間に張り詰めた静寂を呼び込む。この
上なく美しい、藍と紫の瞳が鋭い光を宿してお互いを捉え、そして――
「……フレアっ!!」
 対峙する二人が動こうとした、その機先を絶叫とも言える声が制した。張り
詰めていた緊張の糸が、ぶつん、という音入りで切れる。フレアはえ、と気の
抜けた声を上げ、アキアと、シルヴェルまでもが呆気に取られた表情を覗かせ
る。緊張の糸を断ち切った本人――レフィンはそんな事などまるで気にした様
子もなく、真っ直ぐにフレアに駆け寄った。
「フレア、大丈夫!? なんともない!?」
 自分が倒れそうに息を切らしつつ問うレフィンには、どうやら周囲の状況は
見えていないらしい。その様子に呆れたのか毒気を抜かれたのか、シルヴェル
がため息をついて剣を下ろした。
「……シルヴェル?」
「気が削がれました……この場は引きます」
 訝るように名を呼ぶアキアに、シルヴェルはため息まじりにこう言った。
「ですが……私は、私の意思を貫きます。ファヴィスにも、あなたにも……決
して、邪魔はさせません」
「その言葉、そのままお前に返す!」
 凛とした宣言と鋭い断言、その応酬が場に緊張を取り戻させた。藍と紫が再
び、鋭く互いを捉える。やがて、シルヴェルがふとアキアの右腕に視線をずら
し、紅い色のにじんだ包帯に眉を寄せた。
「何故、そうまでして……あなたはっ」
 かすれた呟きがその口からもれる。それに、アキアは何も答えない。シルヴ
ェルは手にした剣をゆっくりと鞘に収めて踵を返す。背を向けた瞬間、銀色の
髪の中で何かが月光を弾いた。銀と螢石の髪止め――アキアが髪をまとめてい
るのと、同じ物だ。
 シルヴェルの姿は夜の闇に溶けるように消え失せ、後には静寂が残される。
フレアもレフィンも、何も言わずにアキアを見つめていた。レフィンに限って
言えば、状況が理解できていないだけ、とも言うが。
「……決して、交差しないもの……か」
 場に立ち込めた沈黙は、アキアのもらした呟きによって破られた。呟きと共
に自嘲的な笑みが浮かぶものの、それはすぐにいつもの笑顔にかき消される。
「さて、と……戻って、休もうか?」
 振り返りながらの言葉は、表情こそ穏やかなものの反論の余地はなく――フ
レアとレフィンはただ、頷くしかできなかった。立ち上がって歩き出した二人
に続いて歩き出しつつ、アキアはふと背後を振り返る。
『……アキア』
「わかってる……覚悟は、してるさ」
『……そっか』
 短いやり取りを経てヒューイはまた黙り込み、アキアはゆっくりと歩みを進
めた。
 その瞳に微かに浮かぶ陰りには、唯一、月だけが気づいているようだった。

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