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『エネルギープラント……充填率200パーセント突破……』
 破壊音を制するように、無機質な声が淡々と告げる。シーラは自身の知識と
その言葉を照らし合わせ、最後の操作を行う時が来たと判断した。
「リック……」
 名を呼ぶと、リックはうん、と頷いて肩を支えてくれた。その温もりに安ら
ぎを感じつつ、シーラは水晶柱へと手を伸ばすが、
「……待ちなさい!」
 突然響き渡った男の声にはっと動きを止めた。シーラとリックは声の聞こえ
た方を振り返り、息を飲む。人がいたというのも驚きだったが、その腹部を染
める赤黒い色が更にそれを大きくしていた。
 声の主――黒髪と碧い瞳の青年レイファシスは、驚く二人に微笑みかけつつ、
ゆっくりと近づいてきた。
「あ……あなたは?」
「……『制御者』……カノン・リューナと呼ばれた者。都市の終焉を見届ける
のは、私の役目だ、子供たちよ」
 戸惑いを込めて問うシーラに、レイファシスは静かにこう答える。
「『制御者』……? それじゃ……」
 白き翼の『制御者』カノン・リューナ。シーラの母である、『調和者』レイ
フェリアの伴侶――即ち、シーラにとっては父に当たる人物である――と、理
解した矢先に、『中枢』内部が激しく揺れた。
「きゃっ!」
「わっ!」
 今までにない大きな揺れに、シーラは声を上げてリックにしがみつく。リッ
クもバランスを崩しかけるが、どうにかシーラを支えきった。
「急がねばならんな……」
 そんな中で、一人冷静さを保つレイファシスが低く呟いた。
「『監視者』の最大権限を持ってしても、『浄化』の発動はできないようにな
っている。それができるのは、私だけだ。だから、そこをどきなさい」
 揺れがひとまず鎮まり、安堵している二人に向けてレイファシスは静かにこ
う言った。思いも寄らない言葉に、シーラはえ、と言いつつレイファシスを見
る。
 全てに関わる権限を持ち、唯一、都市を消滅させるための『浄化』を実行で
きる者。
 それが『監視者』であると、シーラは認識していた。にも関わらず、『浄化』
の発動はできない、とレイファシスは言う。驚くなというのが無理な相談だ。
「お前たちを都市から解放した後、機能を変更した。未来ある者たちが、犠牲
になる必要はない」
 困惑した表情からその疑問を察したのか、レイファシスは静かに微笑みなが
らこう言った。
「都市で生まれし、最後の子供たち。何者が、その死を望む必然を持つ?」
 不意に紅い光が弾け、静かな声が問いを投げかけてきた。覚えのある声にそ
ちらを見たリックは、え、と短く声を上げる。
「……ギル?」
 そこに立っていたのは、見慣れた灰翼の男。だが、その顔を覆っていた仮面
はない。
「ギル・ノーヴァの役目は、既に終わった。ここにいるのは、リーヴェリオス
とアルティレナの願いを託された、生ける屍に過ぎん」
 戸惑うリックに、レッドという本来の名を取り戻した男は静かにこう告げる。
その顔に微かに浮かぶ笑みと淡い緑の瞳は、シーラにある人物を容易に思い起
こさせた。
「……やっぱり……レイヴィーナさんの……」
「お前たちが無事に戻らねば、ユーリがレヴィに殺されかねん。行け」
 呟くシーラに冗談めかして言いつつ、レッドはその手に紅い光を灯す。その
光が意味するものには容易に察しがつき、そして、それはシーラを焦らせた。
「ちょっと、待ってください! あ、あたし……」
 言わなくてはならない。何でもいいから言わなくてはならない。目の前の、
自分と同じ碧い瞳の人に。しかし、何を言えばいいのかわからない。会えるの
は、言葉を交わせるのは、今だけなのに。
 白き翼の『制御者』カノン・リューナ・レイファシス――自分の父親。
 ここで別れたら、もう、会う事は叶いはしないのだ。
「……子供たちを、外へ。『浄化』を発動する」
 思いを言葉にできず口篭もるシーラに優しく微笑みかけると、レイファシス
はレッドに向けて短くこう言った。
「ギル!」
「生きろ。それが、お前の父リーヴェリオスと母アルリアノンの願いだ」
 リックに向けて静かにこう告げると、レッドは紅い光をシーラたちへ投げか
ける。
「お……お父さんっ!!」
 その光が自分たちを『中枢』から連れ出そうとする直前に、シーラはようや
くその一言を口にできた。レイファシスが優しく、優しく微笑むのが一瞬だけ
目に入り、そして。

――生きなさい。何者に束縛される事もなく、自分の意思で――

 空間を飛び超える直前に、こんな言葉が二人の頭の中に響いた。

「……行ったぞ」
「ああ。では、終わりにするとしよう」
「全ての呪縛からの解放……か」
「そう……これで、私たちも、本来あるべき姿に帰れると言う訳だ」
 自嘲的な笑みと共にこう言うと、レイファシスは水晶柱に手を触れる。
「……『制御者』、唯一権限を発動……『浄化』実行、承認」
『唯一権限発動を確認……『浄化』実行』
 無機質な声が、どこまでも淡々と告げる。

 そして、一点に押さえ込まれていた力が、一気に弾け飛んだ。

 黎明の砂漠を、白い閃光が染め上げる。

「……っ!!」
 崩れていく都市を見つめていたユーリとラヴェイトは、思わぬ出来事に一瞬、
視力を奪われた。一際大きな爆音が上がり、砂が激しく舞い上がる。危険を感
じたのか、水と風の精霊たちが障壁を張り巡らせて、二人を庇った。
 爆音と爆風はしばらく荒れ狂っていたが、やがて、ゆっくりとその勢いを鎮
めて行った。閃光の残した視界のちらつきに苦しみつつ、それでもどうにか前
を見た二人は。
「なんっ……」
「……都市が」
 目の前の光景に、呆然とした。
 すり鉢状のくぼ地に佇んでいた都市の姿は、どこにもなかった。くぼ地は大
半が砂に埋まり、そこから黒い煙が立ち上っている。
 何をどう言えばいいのかわからない、と言うのは、こういう状況なのかも知
れない。
 ラヴェイトはふとこんな事を考え、
 ……きゅきゅきゅっ!
 耳元から上がった甲高い声に我に返った。声の主は言うまでもなく、砂漠ネ
ズミのアルだ。
「……アル、君?」
 戸惑いながら肩を見やると、アルはまた、きゅっ! と甲高い声を上げた。
アルビノの砂漠ネズミはラヴェイトの肩から飛び降り、ちょこまかと走り出す。
「? ど、どこに行くんですか?」
 そんな場合ではないような気もするが、ラヴェイトはその後を追っていた。
アルはちょこちょこと走って行き、砂が小山のように盛り上がった所で足を止
め、きゅっきゅう! と鳴き声を上げつつその山を掘り始めた。
「どうしたんです? ここに何が……」
 言いかけた言葉は、途中で途切れた。砂山の中から、生命波を感じたからだ。
「これは……ユーリ殿!」
 それと気づいたラヴェイトはユーリを呼びつつ、自分も砂山を掻き分け始め
た。ユーリはどこかぼんやりと立ち尽くしていたが、その声と、山を掻き分け
るラヴェイトの姿にすぐにかけ寄って来る。
「どうした!?」
「この山の中に……シーラさんたちの気配が!」
 問いに答えつつ、ラヴェイトは砂を掻き分けて行くが、気の焦りと心身の疲
労のためか思うようにいかなかった。
「……ったく、ちょっと下がれ! 精霊に、砂だけ飛ばさせる!!」
 その様子に埒が開かないと判断したのか、ユーリはこう言って剣を抜く。ラ
ヴェイトがアルを拾ってそこから離れると、ユーリは距離を開けて剣に力を込
め、それを横一文字に薙ぎ払った。巻き起こった突風が砂を吹き飛ばし、そし
て。
 きゅうう!
 アルが甲高い声を上げる。砂が吹き飛んだ後には、しっかりとお互いを抱き
つつ倒れているシーラとリックの姿があった。
「シーラ!」
 剣を収めたユーリが駆け寄る。ラヴェイトは二人の傍らに膝を突き、二人が
気絶しているだけであるのを確かめて安堵のため息をついた。
「大丈夫です……二人とも、生きています」
 ラヴェイトが笑顔でこう告げると、ユーリはやれやれ、とため息をついた。
「でなかったら、あの世とやらまで怒鳴り込むぜ、オレは……」
「怒鳴り込むだけにしてくださいね」
 笑いながらの言葉にユーリはどーゆーイミだ、と渋い顔で問う。それを、ラ
ヴェイトがさあ、とはぐらかした時、シーラが微かに身動ぎをした。
 きゅっ!
 それに気づいたアルが甲高い声を上げる。
「……ん……」
「う……」
 シーラに続けて、リックも声を上げて身動ぎをした。そして、二人はほぼ同
時に閉じていた目を開く。
「シーラ!」
「シーラさん、リック君!」
 ユーリとラヴェイトの呼びかけが、ぼんやりとしていた二人の意識を覚醒さ
せた。
「……ユーリさん、ラヴェイトさん……アル……」
 目に入った者の顔を、シーラは小さな声で呼ぶ。
「大丈夫か?」
 ユーリの静かな問いに頷いて、シーラはゆっくりと身体を起こした。リック
も起き上がり、ややふらつくシーラを支える。起き上がった二人はかつて都市
があった所――今はただ、砂が広がる空間をぼんやりと見つめた。
「……なくなっちまったな、エデン」
 場に立ち込めた沈黙を、ユーリが軽い口調で取り払う。
「それで……いいんです。だって、あの場所は……もう、死んだ場所だったか
ら……」
 精霊に護られた空間もあるにはあったが、しかし、その恵みを受け取るべき
生者は存在していなかった都市。本来なら、五百年前に消滅していたはずの場
所は、二人の赤子を生かすために存続し、そして、二人が解放された時点でそ
の使命を終えていたのだ。
「……空へ……」
 不意に、ラヴェイトが空を見上げて小さく呟いた。
「空が、どうした?」
「あ、いえ……都市に囚われていたあの思念たちは……帰れたんでしょうか。
彼らの、焦がれていた、空へ」
 不思議そうなユーリに、ラヴェイトは空を見上げたままこんな事を言った。
幾度となく負の思念に接し、その思いを感じていたラヴェイトだけに、それが
気にかかるのだろうか。静かに空を見つめるラヴェイトにつられるように、全
員が空を見上げた。
「帰れたはずです……だって、もう、束縛するものはないんですもの」
 小さな、しかし、強い確信の込められた声でシーラがこう言いきる。
「うん、オレもそう思う……みんな、空に帰ったはずだよ……」
 続けてリックもこう言いきった。二人の言葉にユーリは一つ息を吐き、ラヴ
ェイトはそうですね、と微笑む。
「帰る……リック、帰ろう、あたしたちも!」
 空から傍らのリックに向き直りつつ、シーラは笑ってこう言った。
「帰るって……ああ、そうだ。帰ろう……オレたちの故郷、シェルナグアへ!」
 ほんの一瞬戸惑うものの、リックはすぐにシーラの言わんとする所を理解し、
にこりと微笑む。
「やーれやれ、今からそんなにお熱いたあ、先が思いやられるぜ、ったく……」
 そんな二人の様子に、ユーリが処置なし、と言わんばかりに大げさなため息
をついた。
「大丈夫でしょう、そんな心配は、無用のなんとやらです」
 それにラヴェイトが笑いながらこんな事を言う。ユーリはかもな、と言って
またため息をついた。
「で、お前は? フィルスレイムの総本山に帰るのか?」
「いえ、ぼくは……」
 投げかけられた問いに、ラヴェィトは逡巡する素振りを見せる。
「ぼくは、このまま……砂漠を、西に抜けてみようと思います」
 空白を経てラヴェイトが発した言葉は、場に静寂をもたらした。
「西にって……どうしてですか?」
 唐突な言葉に戸惑いつつ、シーラが問う。
 死の砂漠の西。そこに何があるのか、東部に住む者たちは誰も知らない。危
険な砂漠を超えて大陸の反対側へ行こう、と考える者がいなかったのだから、
無理もないのだが。
「どうしてって……何となく、なんですけどね」
 シーラの問いに、ラヴェイトは曖昧な返事をするだけだった。シーラとリッ
クは戸惑うが、ユーリは妙に納得した様子でやれやれ、と息を吐く。
「カエルの子は、やっぱカエルだな、おい」
 苦笑しながらユーリがもらした呟きに、全員が一瞬きょとん、とした。
「どう言う事ですか?」
 戸惑いを更に重ねつつシーラが問う。
「ドゥラもな、西側にやたらと興味持っててよ。いつか、行ってみたいっての
が、ヤツの口癖だったんだよ。同じコト言う辺り、やっぱ血は争えないってワ
ケかねぇ?」
「そうなんでしょうね、きっと」
 ユーリの説明にラヴェイトはにこり、と微笑む。
「幸い、荷物は無事に持っていますし、ぼく一人なら、生命波を調整する事で
食料を切り詰める事もできます。それに、彼女も力を貸してくれると言ってく
れてますし」
 つい心配そうな視線を投げかけてしまうシーラに、ラヴェイトは傍らの水の
精霊を見やりつつ、笑顔でこう言いきった。そこにあるのは、揺るぎない決意。
何者にも、それを覆す事はできそうにない。
「ラヴェィトさん……」
 それでも心配を抑えられないシーラに向け、ラヴェイトの肩の上のアルがき
ゅきゅきゅっ、と甲高い声を上げた。心配無用、とでも言いたげなその様子に、
シーラは一瞬きょとん、とする。
「アル? ラヴェイトさんと……一緒に?」
 短い問いを肯定するように、アルはきゅう、と鳴いて頷いた。
「……そう……」
 僅かに寂しさのようなものも感じるが、環境の全く違うシェルナグアに連れ
帰っても、アルは生きていけないかもしれない。それを思えば、このままラヴ
ェイトと共に行く方が、アルにとっては良い事のように思えた。シーラは小さ
な砂漠ネズミに笑いかけると、ラヴェイトにこう問いかける。
「ラヴェイトさん……アル、お願いして、いいですか?」
 問いかけに、ラヴェイトはにこりと笑ってはい、と頷いた。
「ルフォス伯父上に、よろしくと伝えてください……お幸せに、ね」
 穏やかな言葉にシーラはえ、と言って頬を染める。リックも照れたように視
線を彷徨わせた。微笑ましい様子にラヴェイトは笑みをもらし、それから、ユ
ーリに向き直る。
「ユーリ殿、ありがとうございました。ぼくを、ここへ導いてくれて……感謝
しています」
 居住まいを正して一礼するラヴェイトに、ユーリは苦笑しつつ頭を掻いた。
「感謝されていいモンかどーか、悩むとこだがな。んじゃ……また、会おうぜ」
 物言いは素っ気ないが、しかし、その言葉に込められたものはちゃんと伝わ
っていた。ラヴェイトははい、と言って、力強く頷く。
「んじゃま、俺たちも行くとするか? まずは、グラルシェ……それから、シ
ェルナグアへ」
 ラヴェイトに頷き返したユーリは、シーラとリックに向けてこう問いかけて
来る。その問いに、二人ははい! と声をそろえて言いつつ、頷いた。

 そして、彼らは歩き出す。
 それぞれ支度を整え、今は砂だけが広がる空間に、思いを込めた視線を投げ
かけてから、ゆっくりと。

 古代都市エデン――かつて、天空に君臨した、翼の民の箱舟。
 都市は伝説と共に砂の中に消え、そして。
 都市で生まれた最後の子供たちは、五百年の時の束縛を逃れ、ゆっくりと歩
き出す。
 押し付けの宿命ではない未来を、自分の意思で、選び取るために。
 互いに互いを支えつつ、少女と少年はゆっくりと歩いて行く。

 優しい人たちが待つ場所へ。
 自分の、『故郷』へ帰るために。

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