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「……ほらほらほら! いっつまでも寝てんじゃないわよ!」
 グラルシェの朝は、基本的にそんなに早くない。少なくとも、ユーリの常識
においては、そうなっている。
「なんだよっとに……まだ、早いだろうがぁ……」
 にも関わらず、文字通り問答無用で叩き起こされたユーリは、ぶつぶつと文
句を言いつつベッドの上に起き上がる。その顔面にタオルの束がぼすっと直撃
した。
「なぁ〜に、悠長なコト言ってんのよ、あんたは?」
 タオルを投げつけた者――言わずと知れたレイヴィーナは、腕組みをした姿
勢で苛立たしげに足をとんとんと踏み鳴らしている。相当に、機嫌が悪いよう
だ。
「……なに、カリカリしてんだ、お前?」
「ラあイトニング! この寝ぼすけの頭、叩き起こしておやり!」
 ぼーっとしながら問いかけると、レイヴィーナは小さな雷球を呼び出しつつ
こう言った。さすがにぎょっとしつつ、ユーリは記憶を辿る。レイヴィーナが
何を怒っているのか、早急に思い出さねば生命が危うい。
(えーっと……何だったか……)
 こう言う時に限って、頭は働かない。起き抜けの低下思考に焦りが入っては、
仕方ないとも言うが。
 遺跡の探索が長引き、予定より二日遅れて戻ってきたのが、昨日の明け方。
その時点でレイヴィーナの機嫌が悪かったのは覚えているのだが、特に気にな
らなかった。戻りが遅くなった時に彼女の機嫌が悪いのは昔からの事であり、
大抵はベッドでしっかり愛情を示す事で、文句を言いながらも機嫌を治してし
まうからだ。だから、昨夜一晩で機嫌は治っているものとユーリは思っていた。
 にもかかわらず、この不機嫌さは……と、悩みつつ何気なく部屋を見回した
時、部屋の壁に止められた黒い物がふと目に付いた。美しい漆黒の、鳥の羽根。
その下には、白い封筒が同じようにピンで留めてある。それを見た瞬間、記憶
と記憶が繋がった。
「っと……ああ、そうかそうか! シェルナグアに行くんだったな!!」
「……気づくのがおそーいっ!!」
 紫雷、一閃。
「さっさと、支度しなさいよ! っとに、お気楽なんだから!!」
 冷たく言い捨てると、レイヴィーナは雷球を従えて部屋から出て行く。後に
は、黒い焦げを身にまとったユーリが打ち捨てられていた。
 勿論、悠長に焦げていられる時間などないのだが。

「……大丈夫?」
 ゆっくりと道を歩きつつ、栗色の髪の青年は傍らを歩く黒髪の少女に幾度目
かの問いを投げかけた。それに、少女は微笑みながらはい、と頷いて見せる。
「でも、ごめんなさい。急いで行かなきゃいけない所もあるんでしょう……?」
 済まなそうに言う少女に、青年はいいんだよ、と微笑んだ。
「あちらには、いつ戻っても構わないんだから。それよりも、早く君を彼女た
ちに会わせてあげたいんだ。きっと……彼女たちも喜んでくれると思うから」
「そうだと、いいけど……」
「大丈夫だよ」
 やや不安げな少女に、青年は静かにこう言いきる。藍色の瞳には、今、傍ら
にいる少女への強い想いがはっきりと現れていた。
「さ、頑張って行こう。もうすぐ、ファシャーム山の連絡洞だ。そこを抜けれ
ば、シェルナグアはすぐだからね」
「シェルナグア……」
「そう……ぼくにとっても、故郷と呼べる街……」
 呟くように言うと、青年は空を見上げ――それから、少女を促してゆっくり
と歩き出した。

「……もうすぐ、だね」
「……うん」
 淡い色の花を満開にしたフィアルの木の下で、リックとシーラは呟くように
言葉を交わしていた。
 古代都市エデンにまつわる旅の始まりから、二年。十八回目の誕生日を間近
に控えた二人は、落ち着かない日々を送っていた。
 フィアルの誓いを交わしつつ、しかし、一緒に生活しているためか中々正式
な結婚に踏み切らない二人を見かねた周囲が、十八歳の誕生日に合わせて式を
執り行ってしまえと強引に話を進めてしまったのだ。街ではにわかにお祭りム
ードが高まり、当の二人を完全に置き去りにして式の準備が進められていた。
「でも、何て言うか……実感わかないんだよね」
「ほんとね。あたしたち、何もしてないんだもん」
 当事者のはずなのにね、と言いつつ、シーラはくすくすと笑みをもらす。リ
ックも笑いながら、ほんとにね、と頷いた。
「もう……二年もたつのよね……」
 一しきり笑った所で、シーラはふとこんな呟きをもらした。
「うん……でも、まだ、二年しかたってないよ。まだまだ、これからさ」
 それに、リックがやはり呟くようにこう返す。
「そうよね……これから、よね」
 自分たちはまだ、歩き始めたばかりだ。自分の意思で選んだ道を、ゆっくり
と。その道はこれからどう変化するか、まるでわからないが、それでも。
「それでも、オレはずっと一緒だから」
 静かに、そしてはっきりと言いきるリックの言葉に、シーラはうん、と頷い
た。この二年間で精悍さを増したリックからは、旅立つ以前の頼りなさはほと
んど感じられない。その存在は、シーラに取って何よりも大きな支えと言えた。
 勿論、その逆もまた真理ではあるのだが。
「……あー、いたいた! もう、シーラ、何のんびりしてるのよー!」
 不意に、丘の下からシーラを呼ぶ声が聞こえてきた。あれ、と思った時には
声の主――二人の幼なじみであるメリアが息を切らして駆け上がってくる。
「メリア、どうしたの?」
「って、どうしたの、じゃないでしょー! アンナ姐さん、待ってるわよ? 
ほら、ドレスの寸法合わせ!」
 きょとん、としながら問うと、メリアは呆れたような口調で早口にこうまく
し立てる。
「え? あ、いけないっ……」
「もー、おとぼけなんだから、あんたはっ……」
 思い出して慌て始めるシーラに、メリアは処置なし、と言わんばかりに大き
くため息をついた。
「リックも、ルフォス様が呼んでたからね! っとに、もうすぐ好きなだけ一
緒にいられるようになるんだから、今の内は我慢しなさいよっ!」
「……はい」
 反論の余地のない言葉に、リックはただ、苦笑するのみだった。
「もう……ほら、シーラ、急いで! 姐さん、待ってるわよ!」
「あ、うん……それじゃ、リック、後でね!」
「うん、じゃあ、後で」
「いちゃついてないで、急ぎなさーい!」
 丘の上に怒声が響き、そして、シーラとメリアは丘を駆け降りて行く。一人
残ったリックはやれやれ、と言いつつゆっくりと立ち上がり、空を見上げた。
「……」
 青く、高い空。そこ帰ったはずの、たくさんの人の想い。
「……オレたちは、大丈夫です。絶対、負けませんから……」
 その想いたちへ向けて、小さく呟くと、リックはゆっくりと丘を降りて行く。

 満開のフィアルの花が、薄紅の花びらを風に散らしつつ、その背を見送って
いた。

                    〜 STORY END 〜

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