目次へ


   27

 薄暗かった空間に、さっと光が射す。射し込んだ淡い光に照らされたその空
間は、正確な六芒星形をしているようだった。それぞれの頂点と中央には水晶
の巨大な結晶を思わせる柱があり、それは時折キラキラと輝きを放っている。
 だが、そんな幻想的な煌めきに見入る余裕はシーラにもリックにもない。二
人は今、声をかけてきた者――空間の奥に立つ、金髪の青年に警戒の眼差しを
向けていた。
「……あなたは?」
 シーラが低く、問いを投げかける。
「ガルベルク……白き翼の『統率者』ヴァヌス・リューナ・ガルベルク」
 その問いに青年――ガルベルクは優雅な一礼と共にこう答えた。
「『統率者』……」
 引き継いだ知識の中に、その言葉はあった。
 象徴である『調和者』、都市機能を管理する『制御者』らと対になり、『調
和者』の関与しない政治的な部分を管理する者。ある意味では、都市の最高権
力者とも言うべき存在だ。
「新たなる女神よ。『調和者』を継ぐ者、白き翼の『監視者』ライア・リュー
ナ……帰還を待ちわびたぞ」
 言いつつ、ガルベルクはゆっくりとシーラに近づいて来る。その歩みを押し
止めるように、光の軌跡が薄暗闇の中に閃いた。
「それ以上、近づくな」
 光の剣を両手に携えたリックが低く言い放つ。挑戦的なその漆黒の瞳を、ガ
ルベルクは無感動に一瞥した。
「黒き翼の『守護者』ゼオ・ラーヴァ……裏切りの騎士は、あくまで私に剣を
向けるか」
「オレは……オレも父も、誰一人として裏切ってなどいない!」
 嘲りを帯びた言葉に、リックは微かな怒気を込めてこう言い返す。ガルベル
クはその憤りを鼻先で笑い飛ばし、シーラに目を向けた。
「姉上に、良く似ているな。新たな象徴となるに相応しい美しさだ」
「姉……?」
 独り言めいた呟きにシーラは首を傾げ、ガルベルクはそう、と言って頷いた。
「我が姉、白き翼の『調和者』レデュア・リューナ・レイフェリア。全てを統
べし、天空の女神。その血を引き継ぐ唯一の娘よ、我らを再び、天空へと導く
のだ」
 こう言った瞬間、ガルベルクの背後に黒い影が揺らめき立った。禍々しさす
ら感じるその影にシーラは息を飲み、リックは表情を更に険しくする。
 それは、今まで幾度となく目にして来たもの。行く先々に現れていた負の思
念の具象化したものだ。
「あたし……あたしは、都市を、復活させるためにここに来たんじゃ、ありま
せんっ!」
 負の思念の放つ威圧的な波動に気圧されつつ、それでも、シーラはこう言い
きった。ガルベルクの表情が、微かに険を帯びる。
「では、何故? よもや、我らの楽園を破壊しに来たとでも?」
「……そういう事になります」
「愚かな事を……何者の讒言に惑わされた、『監視者』!」
 はっきりそれとわかる苛立ちを込めた叫びと共に、ガルベルクの背後の影が
その濃さを増した。それによって威圧感が高まるが、シーラはそれに屈しない、
と念じつつ言葉を綴る。
「お母さんに……『調和者』に、そう頼まれました! 都市の全てを、眠らせ
てと!! だからっ……」
「あり得ぬ……断じて、あり得ぬっ!!」
 だから邪魔しないで、という言葉は、絶叫さながらの否定に遮られた。
「そのような事を、姉上が望むはずはない!! 姉上は、この都市の全てを慈し
んでおられたのだぞ!? その姉上が……」
「全てを慈しんでいたからこそ、都市の一部が迫害される事に苦悩していたの
だと、何故に貴様は理解せぬ!」
 早口に言い放たれる言葉を、鋭い声が遮った。
「ギル!」
 リックがどこか、安堵したようにその声の主の名を呼ぶ。
「シーラ!」
「大丈夫ですかっ!?」
「ユーリさん、ラヴェイトさん!」
 続けて聞こえてきた声と、空間からにじみ出るように現れたその主の姿に、
シーラは安堵を込めて彼らの名を呼んだ。
「完全な覚醒を果たしたか……黒き翼の『守護者』として」
 現れたギルはリックを見やりつつこう言い、リックはうん、と頷いた。
「魂の傷が、癒えたんですね……ええと、リック君」
 正常な生命波を感じたのか、ラヴェイトがこう言ってリックに微笑みかけた。
リックは一瞬きょとん、とし、それから、はい、と頷く。
「ま、取りあえず心配事のタネはまた減った、ってえ訳で、と」
 悠長なやり取りに苦笑しつつこう言うと、ユーリはガルベルクを見た。それ
を基点に、全員の視線がガルベルクへと向く。
「……何という……負の思念を」
 ガルベルクの背後の影を見やりつつ、ラヴェイトが低く呟いた。微かに青ざ
めた横顔と苦しげな声に不安を感じたのか、アルがきゅきゅっ、と甲高い声を
上げる。ラヴェイトは大丈夫、と言いつつ、小さな頭を撫でてやった。
「大丈夫か、ラヴェイト?」
「ぼくの事は、お構いなく。それよりも、今は……」
 ユーリに短い問いに答えつつ、ラヴェイトはガルベルクの背後の影を改めて
見る。
「ま、目の前の見るからに厄介そーなワガママ野郎をなんとかしねぇとな」
 口調は軽く、しかし、瞳は厳しくユーリはガルベルクを見た。当のガルベル
クははっきりそれとわかる憎悪を込めた視線をギルへと投げかけている。
「……灰翼の『調律者』……楽園の汚点、その象徴……」
「耳を塞ぎ、目を閉ざす傀儡の『統率者』に言うべき言葉はない。ただ、滅す
るのみ」
 その激しい憎悪をギルは淡々と受け流し、その手の上に炎を灯した。呼応す
るようにユーリが剣を抜き、構える。
「抗うと言うのか……この都市の、楽園の真なる支配者たる我に」
「言ってろ、お山の大将」
「何を持って、あなたは自らを支配者と称するのですか? 正しき生命の失わ
れたこの都市で、何の上に君臨すると言うのです? 負の思念と、歪んだ生命
をその身に押し込んでまで」
 自信を込めた言葉をユーリはさらりと受け流し、ラヴェイトが静かに問う。
ラヴェイトは既に、ガルベルクの状態を看破しているようだった。
「楽園は全てを統べる存在、女神の座所。故に、楽園を統べし我は、全ての真
なる主となる!」
 問いに対する答えと共に、ガルベルクの背後の影が大きく広がった。影はそ
の大きさを増して行き、空間をその色彩に閉ざしそうになるが、
「……そんなの……」
 小さな呟きと共に灯った碧い光にぶるっと震えて動きを止めた。
「そんな……そんな、勝手な事……」
 碧い光の源はシーラの右手の腕輪――『天空の瞳』だった。シーラは光と同
じ、碧く澄んだ瞳でガルベルクをきっと見据えつつ、途切れがちに言葉を綴る。
「そんな、勝手な事ばかり言う主なんて……誰も、必要としていません!」
 言いきるのと同時にシーラの背に純白の翼が開き、碧い光が輝きを増した。
黒い影はそれを恐れるように僅かに収縮する。
「……行け!」
「わかった!」
 ギルの短い言葉に応じて、リックが漆黒の翼を広げる。両手に構えた光の剣
が舞い、影を切り裂いた。
「うぐっ!」
 影が切り裂かれると、ガルベルクは低くうめいてよろめいた。その期を逃す
まいとギルが炎の竜を生み出し、ガルベルクへと放つ。
「いい気になるな、下衆ども!」
 苛立たしげな叫びと共に、ガルベルクは背後の影を操った。扇状に広がって
いた影がぶるんと震え、無数の触手状に形を変える。触手は襲いかかる炎の竜
に絡みついてそれを取り込み、別の触手がリックを捕えようと乱れ飛ぶ。
「リック!」
 迫る触手にシーラが声を上げるが、リックは冷静だった。
「……はっ!」
 両腕を胸の前で交差させ、低い気合と共に左右に振る。二本の光の剣が大き
く軌跡を描きつつ、迫る触手を切り払った。リックはそのまま空中で綺麗な後
方回転を決めて後ろから来ていた触手を避ける。
「レイ・セイバー、出力全開!」
 二本をぴったりと合わせて振りかぶりつつ、リックは剣の力を解放する。光
の刃はその長さを増し、標的を捕え損ねて漂う触手を一気に切り払った。
「やるねぇ、中々」
 空中での鮮やかな乱舞にユーリが感心したような声を上げ、
「あらよっとお!」
 直後に手にした大剣を横一文字に薙ぎ払った。エレメント・コアから放たれ
る光をまとった刃は黒い影を容易く切り払う。前方が開けるとユーリは走りだ
し、ガルベルクとの距離を一気に詰める。
「愚かな……」
「そいっつあ、どっちかねえ!」
 嘲笑を浮かべつつ影の触手を差し向けるガルベルクににやりと笑いつつ、ユ
ーリは風を操ってその触手を切り払った。そして自分は床を蹴り、先ほどギル
が放った炎の竜を捕える触手を切り落とす。
「……何を……」
「おらよっとお!」
 竜を捕えた塊をガルベルクの前に落とすと、ユーリはそれに向けて風の刃を
放った。風は触手を切り払って竜を解放し、解放された竜は風を取り込むよう
にしてその形を崩し、炎の嵐となってガルベルクに牙をむいた。
「むっ!」
 ガルベルクはとっさに飛びずさって炎の嵐を避けようと試みるが、突然絡み
ついた青く煌めく光に身体の動きを封じられ、その場に立ち尽くした。
「な、何いっ!?」
 動揺するガルベルクを炎の嵐が襲う。その動きを封じたのは、言うまでもな
くラヴェイトだ。
「この感触は、父さんと同じ……彼もまた、死せる者……」
「そうだ。この都市に全き生者など、もはや存在せん」
 低い呟きにギルが淡々とこんな事を言った。ラヴェイトは静かな藍の瞳をそ
ちらへ向ける。
「それでは……あなたも?」
「既に、気づいていたのだろう?」
 短い返事に、ラヴェイトはええ、と頷いた。
「バルク殿や父さんの様子から……推測はできていました。残酷……ですね」
 独り言めいた呟きに、ギルは仮面の奥で深く息を吐いたようだった。
「全ては報い。自ら得た業に過ぎん……禁忌に触れたが故のな」
「でも、それによって救われたものがある。だから、あなたは悔いてはいない
のでしょう?」
 静かな問いにギルは何も言わなかったが、ラヴェイトには充分だったらしか
った。そうこうしている間に炎が静まり、ガルベルクが姿を見せる。
「おのれっ……よく、もっ……」
 膝をついた姿勢で、ガルベルクはうめくような声を上げる。さすがに今のは
痛手となったようだが、まだ余力があるらしい。鬼気迫るその様子にシーラは
恐ろしいものを感じて後ずさり、直後に、異常に気付いて息を飲んだ。
「え……な、何!?」
 ガルベルクの背の翼。神々しいまでに白く、美しかったそれが溶けていた。
片方の翼は羽の一枚一枚がその形を失い、煤けた白い塊となっている。もう片
方の翼は不自然に折れ曲がり、その先端から白い物体がぼとぼとと滴り落ちて
いた。
「こいつぁ一体……」
「奴には既に翼は……精霊の加護はない」
 ユーリの疑問に答えるように、ギルがぼそりとこう呟く。
「……なーるほど。お飾りにハネがなくっちゃあカッコつかねえから、作りモ
ンを背負ってたと」
 短い呟きから事情を察したユーリは、大げさなため息をつきつつ頭を掻く。
「そうまでして……拘らねばならぬものなのでしょうか?」
 ラヴェイトが眉を寄せつつ、痛ましげに呟いた。
「下衆どもが……地面を這いずるだけの下郎が……よくも、この私にっ!」
 うめくように言いつつ、ガルベルクが立ち上がる。この言葉に、ユーリがま
た大げさなため息をついた。
「地面這いずるったら、お互いさんだろーが? 作りモンのハネくっつけて、
てめえだってもう、翼がねえんだろ?」
「な……に?」
 呆れ果てたと言わんばかりの言葉に、ガルベルクの動きが止まった。
「何だと? 何を言って?」
「……自分の背中、見てみろってんだよ」
 突き放すような一言が静寂を呼び込む。ガルベルクはゆっくりと、コマ送り
のような動作で自分の背中を見、そして。
「……」
 その姿勢で固まった。
「……とけ、た」
 重苦しい静寂を経て、ガルベルクはぽつん、と呟く。
「……翼が……とけた……翼が……」
 見開いた目で呆然と溶けた翼を見つめつつ、ガルベルクは翼がとけた、と繰
り返す。その様子に、先ほどまでの威圧感や尊大さはない。あるのはただ、目
の前のもの――溶けた翼への恐れだけだ。
「なくなった……翼が……飛べない……落ちる。おちる。おちる……」
「なんか……ヤバくねーか?」
 ぶつぶつと呟き続けるその様子に、ユーリが低く呟いた。その呟きを、ギル
は恐らく、とあっさり肯定する。
「元々、翼を失う事、失った事への強い恐怖を持っていたのでしょう、彼は。
そこに、他の者の同種の思念が加わり、今、自分の身に起きている事が……」
 自分の身に起きている事が認められない。ラヴェイトがこう結論付けようと
するのを遮って、
「う……嘘だああああああっ!!」
 ガルベルクが絶叫した。その様子に危機感を覚えたのか、まだ滞空して様子
を見ていたリックがシーラの側にふわりと舞い降り、呆然と立ち尽くすその肩
を抱いて支える。
「嘘だ、うそだ、翼が……私の、ぼくの、翼……なくなるなんて、そんな、そ
んなっ……」
 絶叫した直後に、ガルベルクは頭を掻きむしりつつ早口にまくし立てた。
「嫌だ、いやだ……殺される、『賢人議会』に……いやだ、イヤだ!! 怖いよ、
助けて……アルティ……助けて……助けて、姉さん!」
 姉さん、という言葉の直後に、ガルベルクの視線がシーラに向いた。その表
情を、安堵のようなものが過る。
「姉さん……リア姉さん! 助けて、このままじゃ、議会に、殺される……」
 半ば泣きながら、ガルベルクはゆっくりと歩き出す。彼の目にはシーラはシ
ーラでなくレイフェリアとして映っているのか、しきりと姉さん、リア姉さん、
と呼びかけていた。
「……」
 そんなガルベルクに、シーラはどう対処すればいいのかわからず、呆然と立
ち尽くしている。
「シーラ。シーラ、しっかり!」
 呆然としているとリックが呼びかけてきて、シーラはひとまず我に返る。我
に返ったシーラは改めてガルベルクを見、ある事に気づいて息を飲んだ。
「く……崩れてる……?」
 歩いてくるガルベルクの身体が、少しずつ崩れ始めていた。シーラの脳裏を、
筒の中で崩れて行ったレイフェリアの姿が過る。良く似た二人の面差しが否応
無しに先ほどの事を思い出させ、シーラは再び身体を大きく震わせた。
「……負の思念を……拒絶している? それで、崩れていると言う事か?」
 ほぼ全員が呆然としている中、冷静に状況を分析していたらしいラヴェイト
が低く呟いた。
「どう言う事ですか?」
 その呟きを聞きつけたリックがそちらを振り返る。ゼオの頃とは一転、敬語
調の問いはラヴェイトの調子を狂わせるものの、今はそれどころではない。
「彼は……いえ、彼に限らずこの都市の再度の飛翔を望んだ者は皆、ある特定
の思念の依り代とされています。恐らく、『賢人議会』と呼ばれた者たちの、
妄執の集合体なのでしょう。
 彼の身体はその思念の依り代となるために維持されていたのでしょうが、今
の彼は『賢人議会』を恐れ、そこから逃れようとする意思に支配されています。
維持を司る者、それを拒めば……」
「ぶっ壊れるのは、必然ってワケだな?」
 言葉の先を引き取るユーリに、ラヴェイトはええ、と頷く。
「そんなの……酷いっ……」
 そのやり取りを聞いていたシーラは、低くこう呟いていた。
「……シーラ?」
「そんなの……酷すぎるっ!!」
 戸惑うリックには答えず、シーラは駆け出した。ガルベルクは足を失い、両
手で這うように進んでいたが、シーラが近づくのを見てほっとしたように微笑
んだ。
「リア……ねえさん」
「もう、休んで……」
「やすむ?」
 怪訝そうなガルベルクの前に膝をついたシーラは、そう、と言って頷いた。
「何にも……怖くなんてないから。もう、大丈夫だから、休んで。眠ればいい
の。そうすれば……」
「そうすれば?」
「空に……帰れるから」
 でき得る限り穏やかに微笑みつつ、こう告げる。この言葉をガルベルクに伝
える事――それをレイフェリアが望んでいたような、そんな気がしていた。
「でも……翼が……とけて……」
「大丈夫! 形のある翼がなくたって、ちゃんと飛べるから! だから……お
休みなさい」
「でも……リア姉さんが一人に……」
 静かな言葉にガルベルクは何事か言いかけ、それから、シーラの傍らにやっ
て来たリックを見てああ、と声を上げた。
「そうか……リーヴェがいる。ファシスも、リアノンも……だから、寂しくは
ないのか」
 リーヴェというのはリーヴェリオス、つまりはリックの父の事だろうか。黒
い翼が錯覚させたのだろうが、それはガルベルクを安心させたようだった。
「ええ……大丈夫だから、心配しないで」
 穏やかな笑みにガルベルクは安堵の笑みで応え――直後に、限界に達してい
たらしいその身体は崩れ落ちた。後には黒い霧状の物と、白い光球が残される。
白い光球はふわふわと頼りなく舞い上がって行き、黒い霧は行かせまいとする
かのようにそれに追いすがった。
「……っ! だめっ!!」
 それらが意味するもの、そして霧の意図は容易に察する事ができた。シーラ
はとっさに大声を上げ、その声に霧は怯むように大きく震えた。その隙を突く
ようにギルが翼を広げ、頼りなく上昇する光球の傍らへと飛び上がり、両手で
そっとそれを包み込んだ。
「……一足先に行くがいい。『彼女』も、じきに行く」
 静かな言葉に、光球は微かに煌めいたようだった。直後にそれは姿を消し、
そして、黒い霧が後に残された。

← BACK 目次へ NEXT →