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   11

 真紅の光が弾けた――と思った次の瞬間、周囲の様子は一変していた。陽の
昇り始めた黎明の砂漠から一転、薄暗い石造りの場所への移動は一瞬視覚をお
かしくする。
「……ここは……一体……?」
 落ち着きを取り戻したらしいラヴェイトが呆然と呟く。ユーリはぐるりと周
囲を見回し、それから大きくため息をついた。
「おいおい……勘弁してくれよ。なんだってこんなトコに……」
「ここがどこか、わかるのですか?」
 ラヴェイトが投げかけた疑問に、ユーリはばりばりと頭を掻きつつ一つ頷い
た。
「泉の近くに埋もれてる古代遺跡さ。十六年前に覗いてったとこだ」
「……十六年前に……ですか」
 ユーリの説明にラヴェイトもぐるりと周囲を見回し、それからやや言い難そ
うにところで、と呼びかけた。
「ん、どした?」
「……あの、ギル・ノーヴァという人物ですが……まさか……」
「性格は、そのものだけどな」
 途切れがちの問いを最後まで言わせず、ユーリはこう言って肩をすくめる。
「しかし、こればっかりはなんとも言えねえな……少なくとも、俺やお前の知
ってるあいつにハネはなかったろ?」
「それは……そうですが……」
「ま、その辺はあとで本人に聞くとしてだ……現実に向き合うとしようぜ?」
 言葉を濁すラヴェイトにユーリは軽い口調でこんな事を言い、それから、や
や厳しい表情をシーラに向けた。シーラはゼオに寄りかかるようにして、どう
にか、という感じで立っている。顔面は蒼白、支えがなければ今にも倒れ込み
かねない様子だ。
「シーラさん、大丈夫ですか!?」
 それと気づいたラヴェイトが慌てて問うのに、シーラはこくん、と頷いた。
全身を小刻みに震わせつつ、その手はしっかりとゼオにすがりついている。当
のゼオは相変わらず無表情のまま、シーラを支えていた。
「ラヴェイト、シーラを診てやれ。んで、ボウズ、お前ちょいと俺に付き合え
や。そこらを見て来るからよ」
 ユーリの言葉にゼオは微かに眉を寄せた。
「……オレの役目は……」
「わぁってるよ、シーラを護る事、だろぉ? だから、そのために、周りの安
全を確かめに行くんだよ。それだって、間違ったやり方じゃあねぇぜ?」
 飄々として言う、その言葉には妙な説得力があった。それで納得したのかど
うかはわからないが、ゼオは自分にすがるシーラを引き離してその場に座らせ、
ユーリに歩み寄る。シーラは思わず、不安げにその姿を目で追った。
「じゃ、ちょっくら行って来るぜ。ラヴェイト、そっちは頼むぞ」
「え!? あ、はい……お気をつけて……」
 成り行きにぽかん、としつつ、ラヴェイトはこう言って頷く。ユーリはよっ
しゃ、と頷くと、ゼオを伴って近くに口を開ける通路へと踏み込んで行った。
シーラはその後ろ姿をじっと見送り、姿が見えなくなると俯いてため息をつい
た。その傍らにラヴェイトが膝をつき、青い光をふわりと生み出す。柔らかな
輝きを放つ青い光に照らされると身体の震えが大分静まった。
「あ……ありがとう……」
 額に残った汗を拭うと、シーラは一瞬笑顔になってラヴェイトを見、それか
らまた、不安な瞳を通路の奥へ向けた。ラヴェイトもそちらを見、それから横
目でシーラを見る。その視線に気づいたシーラはきょとん、としつつラヴェイ
トを振り返った。
「……ラヴェイトさん……? どうしたんですか?」
「……え!? あ、いえ……」
 不思議に思って問うと、ラヴェイトは言葉を濁して目をそらした。藍の瞳に
は、迷いのようなものが微かに見て取れる。しばしの沈黙を経て、ラヴェイト
は真面目な面持ちでシーラに向き直った。
「……シーラさん」
「あ、はい」
「……彼の……ゼオ君の事なんですが……」
「……え?」
 改まった呼びかけに、シーラはきょとん、と瞬いた。
「あなたは……その、彼が、以前話していたリック君であると……そう、言っ
ていましたね」
 その通りなので、シーラは困惑しつつもはい、と頷く。
「ですがもし、そうでなかったら……彼らが、全くの別人だったとしたら……」
「そんな事、ありませんっ!!」
 低い問いを最後まで言わせず、シーラは大声でそれを否定していた。二人が
同一でないというのは、最早『あり得ない』と断言できる事実であり、そして
それ故に、ゼオの冷たさがシーラには辛いのだ。
 この反論にラヴェイトは眉を寄せ、それから小さくため息をついた。
「シーラさん……言うべきかどうか、ずっと悩んでいたんですが……彼は……
ゼオ君は、生命体として異常なんです」
「……え?」
「ぼくも、ちゃんと調べた訳ではないので断言はできないんですが……彼の生
命波には、大きな歪みがあります。存在そのものに、大きな負荷がかかってい
るような感じと、あと……」
 ここで、ラヴェイトはためらうように言葉を切った。
「……あと……なんですか?」
 不安と戸惑い、そして一抹の憤りを込めて先を促すと、ラヴェイトは一つ息
を吐き、それから表情を引き締めた。
「これは……気のせいなのかも知れませんが……彼の生命は、非常に擬似的な
物のように思います。とにかく、正常な状態ではないんです。だから……」
「だから……なんですかっ!?」
 叫ぶように問うと、ラヴェイトはそれは、と口篭もった。
(だから……だから、なんだと言うんだ? ぼくは……ぼくは、一体何を言お
うとしてるんだ?)
 その心の内にはこんな思いが過っていたが、当然の如くシーラには知る由も
ない。突然の言葉に戸惑いつつ、シーラは碧い瞳でラヴェイトを睨むように見
ながら次の言葉を待った。
(どうして……どうして、いきなりこんな事っ……!)
 その心の内ではこんな思いが渦を巻いていたが、これもまたラヴェイトには
知る由もない。
「だから……彼は、存在自体が非常に不安定なんです。いつ、存在にかかる負
荷に押し潰され、消滅するかもわからない……そんな相手に想いを寄せるのは、
ある意味、危険です!」
 傷ついてほしくない、悲しんでほしくない。言葉に込めたのは、そんなささ
やかな願い。その言葉が逆に傷つけてしまう――そんな予感はあっても、こう
としか言えなかった。ユーリのように冗談めかして言う事も、伯父であるルフ
ォスのように穏やかに説く事も、ラヴェイトにはできない。できるのはただ、
正論を正論として言う事だけ。それが自分が今、最も嫌悪する人物と全く同じ
表現と言う事実が微かに痛いが、今はそれよりももっと大きな痛みが心を苛ん
でいた。自分を見つめる碧い瞳が、濡れているのに気づいたから。
「……シーラさん……」
「それ……正しいんですよ……ね……」
 泣き出しそうになるのを必死で堪えつつ、シーラは途切れがちにこう言った。
「わかってます……ラヴェイトさん、ウソ、つかないから……間違ってないっ
て……わかります……でも……それでも、あたしは……」
「……」
「それでも……信じてるんです……っく……リックの事……約束、してくれた
から……ずっと一緒だって、絶対護るって……必ず……行くって、約束してく
れた、から……それにっ……」
「……それに?」
「それ……に……それに、あたしはっ……あたしは、リックが好きだからっ!
他の誰よりも、リックが一番好きだから……だから、信じてる……それに、ゼ
オが……ゼオの中に、リックがいるの、感じるからっ! だから……」
 それから先は言葉にならなかった。そして叫ぶような告白は、ラヴェイトが
思っていた以上に鋭い刃となってその心に突き刺さる。
「……そう……ですか……」
 その痛みを強引に押さえ込みつつ、ラヴェイトはかすれ気味の声で呟いた。
「でも……例え、それがあなたの絶対の真実なのだとしても……ぼくは……」
 言ってはいけない。言えば、余計な負担をかける。わかっていても……言葉
を押さえる事はできなかった。多分、今しか言えない――そんな思いがあった
から。
「ぼくは……あなたが悲しむ姿を見たくはない……ぼくにとっても、あなたは
……大切なひとだから……」
 愛しいと言えるひとだから、という部分はぎりぎりで飲み込む事ができた。
そこまで言えば、本当にシーラを苦しめてしまうと言う思いと、そして、感覚
に触れてきた異様な気配が冷静さを取り戻してくれたからだ。
 きゅっ……きききっ……
 不安を帯びた甲高い声がシーラの胸元から上がる。一連の混乱した状況から
完全に忘れられていたアルビノの砂漠ネズミが声を上げたのだ。その声は不安
と共に強い警戒を帯びている。ラヴェイトは表情を引き締めつつ立ち上がり、
空間の奥に立ち込める暗闇を睨むように見る。
 ……ずるっ……
 暗闇の奥から、奇妙な音が響いてくる。何か、湿ったものを引きずるような
音だ。
 ずる……びしゃんっ……
 また、音が響いた。音はゆっくりとだが、こちらに近づいてくる。それに伴
い、生臭い臭いが漂い始めた。
 ききっ!! ききぃっ!!
 砂漠ネズミが鋭い声を上げる。そして、音の源が姿を見せた。

「……あのよ」
「……なんだ」
「……お前さん……ほんっとに、愛想がねえな……」
 どこまでも素っ気ない物言いをするゼオに、ユーリはは〜っとため息をつい
た。
「用はそれだけか」
 それに、ゼオはどこまでも淡々とこう返してくる。愛想がどうのと言う以前
に、感情が欠落しているとしか思えないその様子に、ユーリはやれやれ、と息
を吐いた。
「んな雑談のためだけに声かけた訳じゃね〜よ。聞きてぇ事があるんだが……」
「……ギルの事か」
 問いを最後まで言わせず、ゼオは短くこう言った。ユーリはまぁな、と頷い
てそれを肯定する。
「……ギルは、オレの導き手。それ以外の事は知らない」
「顔、見た事は?」
「ない。ギルはあの仮面を外す事はない。あの仮面は、『調律者』の証だ」
「は? なんだ、そりゃ?」
「知らない。ただ、そういう物という事は理解している」
 どこまでも淡々とした物言いには含みの類は一切感じられない。どうやら本
当に、それ以上の事はわからないらしい。
(って〜か、気にしてねぇって感じだな、こりゃ)
 ふとそんな疑問が過るが、あながち間違いではないようだ。
「……用は、それだけか。なら、オレはオレの役割に戻るぞ」
「ん? ああ……その前に、もう一つ聞きてぇ。いいか?」
 足を止めたゼオの問いにユーリは軽く問い返す。ゼオは微かに眉を寄せつつ、
それでも、なんだ? と続きを促した。
「こっちはホントに大した事じゃねえよ……よっと」
 言いつつ、ユーリは雑多な物をしまっておくポーチの一つから一枚の羽を取
り出した。以前、ファシャーム山の山腹で拾った濡れ羽色の羽だ。
「……それは……」
「ちょいと前に、シェルナグア近くの山ン中で、人間の残骸の横で拾ったモン
さ……やっぱり、お前さんの羽かい?」
 軽い口調で問うと、ゼオの表情に困惑めいたものが浮かんだ。
「……シェルナグア? 人の……残骸?」
「ああ、そうだ。さっき上で戦った屍人が、まだ生きてた頃の同類の、な」
 ごく何気ない口調で付け加えると、ゼオの困惑が更に強まった。
「なんの……話だ? オレは……そんなもの、知らない……」
「……本当に、そうか?」
 かすれた呟きに、確かめるように問う。ゼオはユーリから目をそらし、オレ
は、と口篭もった。
(……なんだ? この男、一体なにを言っている? シェルナグア? 人の残
骸? そこに、オレの羽があった?)
 疑問と困惑が少年の中で渦を巻く。ユーリは目を伏せるゼオを厳しい表情で
見つめた。
「……オレは……」

『お前はゼオ・ラーヴァ・黒き翼の『守護者』』

 ギルに告げられた言葉が、ふと蘇る。

『……しゅご……しゃ?』
『そう……『守護者』だ。白き翼の『監視者』ライア・リューナを護るべき者』
『……まもる……?』

――ボクガマモルベキモノハ ヒトツシカナインダ――

「……っ!?」
 不意に、自分の奥底からこんな声が響いた。

――ズットソウキメテイタ ボクニトッテイチバンタイセツナモノダカラ――

(なんだ……なんの事だ? オレは……)

――ウマレタトキニキメラレタコトナンテ カンケイナインダ――

(生まれた時に決められたのは……『守護者』のさだめ……)

――デモソンナノハドウデモイインダ ボクニトッテタイセツダカラ――

(……だから……なんだと言うんだ?)

――ダカラ ボクハ 『シーラ』ヲマモルンダ――

「……くっ……ううっ!!」
 突然、全身を悪寒が駆け抜けた。頭が激しく痛み、ゼオはその場に膝をつく。
「お、おい、どうした!?」
 ユーリの問いにゼオは答えない。突然の悪寒と頭痛に加え、吐き気までして
きたのだ。理由はわからないが、この異変が先ほど浮かんできた言葉によって
導かれた事だけは、何故かはっきりと感じられた。
「……く……う……」
 苦しい。言いようもなく。しかし、それに煩わされている余裕はない。感じ
取ったからだ。彼が、『護る』と決めた存在に危機が迫っているのを。
(オレは……『守護者』……ただ、その役割を……果たす……)
 強引にこう思い込む事で、身体の異常は多少治まった。自分の奥から響く声
はもう聞こえない。ゼオは荒く息をしつつ、ふらりと立ち上がった。
「おいおい、大丈夫か?」
「……自分の事など……構っては、いられない……『監視者』に、危機が迫っ
ている……」
 ユーリの問いに素っ気なく答えると、ゼオは来た道を戻って行く。その言葉
に眉を寄せつつ、ユーリもそれに続いた。

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