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   10

「……やっぱり、妙なんだよなぁ……」
 オアシスにたどりついた翌日、ユーリは妙に難しい面持ちでこんな呟きをも
らした。
「……妙って……今度は、何が妙なんですか?」
 その呟きにラヴェイトが怪訝な面持ちで問うと、ユーリはため息をついて空
を見上げた。
「……天気が良すぎる。砂漠に入って一ヶ月、一回も砂嵐にでくわしてねぇ」
「それが……何か?」
 ぼやくような言葉の意味を理解しあぐねたのか、ラヴェイトはきょとん、と
しながら更に問いを継いだ。シーラも髪を編む手を止めてユーリを見る。そう
すると砂漠ネズミが前に集めた髪にじゃれつき始めた。実はこのおかげで、髪
の編み直しが一向に進まないのだ。
「……あのな、ラヴェイト。俺ぁもうかれこれ二十年近く、ここに出入りして
るんだがな。その間、一回だって砂嵐に遭わずに済んだ事ぁねえんだよ。まし
て……」
 ここでユーリは一度言葉を切る。その表情には、困惑めいたものが微かに浮
かんでいた。
「まして……砂嵐の方でこっちを避けて起きる、なんてのは今まで一度だって
お目にかかってねぇ。不気味がるなってな、ムチャな相談だぜ?」
「砂嵐が……避ける? そんな事が……」
「普通は、ねえよ。ま、とにかく常識が通用しねえ土地の、一番わからねぇ場
所に行こうとしてんだから、考えても仕方ねぇのかもしれんがな」
 思いも寄らない話にぽかん、とするラヴェイトに、ユーリはため息まじりに
こう言って肩をすくめる。
「ま、このまま嵐に出くわさずに進めりゃあ、あと一週間もしねぇで古代都市
にゃつくだろうが……問題は、それからだな」
「どうしてですか?」
 ユーリの言葉にシーラはきょとん、と瞬いた。ちなみに、砂漠ネズミは服の
胸ポケットに押し込まれてきぃきぃともがいている。こうでもしないと、髪が
編めないのだ。
「……取りあえず、今は行く事が目的だ。だが、当然行ってそれで終わりじゃ
ねぇ……ついてからどうするのか、どうすれば知りたい事を知る事ができるの
か……結構、問題だぜ?」
「……確かに。『行けばわかる』という、単純なものを求めている訳ではあり
ませんからね」
 ユーリの言葉にラヴェイトが低くこんな事を呟く。それに、ユーリはそうい
うこった、と頷いた。
「もちろん、俺だって納得行くまで答え探しはするつもりだが、基本的にあそ
こは廃墟……人が生きるには、限界もある。そして、俺たちの目的地は古代都
市だが、そこが終点じゃねえ。最終的には、グラルシェまで帰らなきゃ意味が
ねえんだ……わかるか?」
「えっと……つまり……」
「場合によっては、答えが得られなくとも、古代都市を離れなくてはならない
……と、言う事ですね」
 ラヴェイトの問い返しにユーリは厳しい面持ちでそうだ、と頷いた。二人の
やり取りに、シーラは不安げに眉を寄せる。
「ま、そうは言っても俺も色々と気になる事はあるからな。ギリギリまで粘る
つもりはあるから、そんなに心配すんな、シーラ」
 シーラの不安に気づいたのか、ユーリは一転、軽い口調でこんな事を言う。
茶目っ気のあるウィンクにシーラはひとまず安堵しつつはい、と頷き、
「……っ!!」
 直後に感じた違和感に大きく身体を震わせた。何か、言いようもなく不自然
な力が感じられたのだ。そして、その感触には覚えがある。つい最近、接した
覚えが微かにあった。バルクとの戦いの最中に感じた不快な感触だ。
「どうしたシーラ……っ!?」
 突然身体を震わせたシーラに訝しげに問いかけた直後に、ユーリもまた違和
感を覚えていた。周囲の精霊たちが、急に脅え始めたのだ。
「……どうか、したんですか?」
 そんな二人の様子にラヴェイトが不思議そうに問う。それに、ユーリは大剣
を手に立ち上がる事で答えた。
「どーもな……妙な客が来てるらしい。水場を荒らす訳にゃ、いかねえからな
……出迎えるぞ」
 静かな言葉にラヴェイトは気を引き締めて頷く。強い不安を感じつつ、シー
ラも一つ頷いた。緑のオアシスを出て白い砂漠に戻ると、頭上の空はどんより
と不自然に陰っていた。
「……人?」
 その曇天の下に佇む影に、シーラはきょとん、と目を見張る。一目で高級素
材を使用しているとわかる長衣を身に着けた、おおよそこの場にはそぐわない
身形の男が一人、砂の中に立っている。その顔を見た途端、ユーリとラヴェイ
トの顔が厳しくなった。
「……おいおい、こいつぁなんの冗談だ? なんだって、央都賢人議会の議長
サマが、こんなド辺境にいるんだよ?」
 佇む男を睨むように見つつ、ユーリが吐き捨てるように問う。この問いに男
――ドゥラは薄く笑った。
「相変わらず、口のきき方を知らぬようだな、貴様は?」
「おかげさんでな。それで? お忙しいはずの議長サマが、こんなところまで
お散歩かい?」
 剣呑な響きの問いにドゥラは答えず、シーラの方に目を向けた。冷たい瞳に
シーラは思わずあとずさる。
(この人がラヴェイトさんの……でも……この感じは……!)
 自分を見つめる男から感じる力に、シーラは戸惑いを隠せなかった。先ほど
から感じている不愉快な感触。それが、目の前の男から感じられるのだ。それ
以外にも何か、不自然な感じがしてならない。何がどう、とはっきり言える事
ではないのだが、とにかく、自分の目の前にいるものは不自然に感じられた。
「それが……そこにいるのが、古代都市の眠り姫か。なるほど、中々に美しい」
 沈黙を経て、ドゥラが低くこんな呟きをもらす。口元が歪み、冷たい笑みを
織り成した。その表情にシーラは思わず身をすくませ、そんなシーラを庇うよ
うにラヴェイトがその前に立った。
「ほう……珍しい所で、珍しい者に会うものだな」
 睨むように自分を見るラヴェイトに、ドゥラは淡々とこう呼びかける。それ
に、ラヴェイトはそうですね、と硬質の声で応じた。
「……あなたの直属のアサシンの姿を見て以来、いずれどこかでお会いするだ
ろうと思っていましたが……一体どうやって、こんな場所までお出でになられ
たのですか?」
「答える必然はない。それより、そこを退いてもらおう。私は、そこの娘に用
があって来たのだ」
 ラヴェイトの問いにドゥラは素っ気なくこう応じ、この一言が場の緊張をよ
り一層高めた。
「……あのな。ここで退くくらいなら、俺は最初から、こんなとこにゃこねえ
ぞ?」
 瞬間生じた張り詰めた沈黙を破ってユーリが吐き捨てる。
「あなたが何を成そうとしているのかは存じませんが、人をモノとして扱うあ
なたの用件など、取り合う価値はありませんね」
 続けてラヴェイトもこう言いきった。そんな二人に、ドゥラは嘲りの笑みを
向ける。
「……私に、逆らうと言うのか?」
「ちっ……そういう、ムダにクドいとこだきゃあ、今も昔も変わらねぇんだな、
てめーは?」
「『権力におもねるなかれ』……フィルスレイム第一教義には、こうあります。
あなたが賢人議長であるという理由でへつらう必然は、ぼくにはありませんね」
 問いに対する二人の返事に、ドゥラは低い笑いをもらした。その背後に何か、
影のようなものがゆらりと立ち上る。
「ユーリさん、ラヴェイトさん、気をつけて!」
 それに気づいたシーラが声を上げるのと同時に、ドゥラの周囲に滲み出るよ
うに黒い影が現れる。一見すると以前にも見た黒衣の集団に変わりないのだが。
「……っ!? なに……この感じ」
 それが現れた瞬間、シーラは言い知れぬ不快感を覚えていた。言葉では説明
しがたい不自然さが感じられ、それが悪寒となって圧しかかってくる。
「……シーラさん、どうしたんですか?」
 呆然とするシーラに気づいたラヴェイトが問うのに、シーラは震える声であ
の人たち、と呟いた。
「……あのアサシンたちが……なにか?」
「……生きて、いないみたい……」
「……っ!?」
 ようやく探し当てた言葉を震えながら伝えると、ラヴェイトはぎょっとした
ように黒衣の集団を見た。それから、力を集中してそれを黒衣の集団に向ける。
空白を経て藍の瞳が見開かれ、直後に激しい怒りがその顔を彩った。
「……あなたは……なんという事をっ!! 死霊邪法にまで、手を染めたという
のかっ!?」
 怒気を帯びた問いを、ドゥラは薄い笑みを浮かべる事で肯定する。
「……どういう事だ、ラヴェイトっ!?」
「……彼らは、屍人……命を奪われ、それを贄とした邪法により動かされる、
骸……そして、その邪法を用いる者は全て、我がフィルスレイムの……敵とな
ります」
 二人のやり取りに困惑したユーリの問いにラヴェイトは低い声で答え、最後
にきっぱりとこう言いきった。この宣言にドゥラはほう、と感心したような声
を上げる。
「敵……と、言いきるか。自らの父を?」
「その言葉が既に意味を成さぬ事、それを最も理解しているのはあなたではな
いのかっ!?」
「確かにそうだ……では、私の敵だというのならば……消えてもらうとしよう」
 感情的な問いかけに、ドゥラは冷たい笑みと共に静かに宣言する。それを合
図に黒衣の屍人が一斉に動いた。
「ちっ! 屍人ってな、一番メンドくせえんだがな!」
 苛立たしげに吐き捨てつつ、ユーリが剣を抜く。
「ラヴェイト、お前はシーラを見てろ!」
「え? で、ですが……」
「いいんだよ! そっちは、任したぜ!」
 どこか寂しそうな、そして、何かを諦めたような、そんななんとも言い難い
表情でこう言うと、ユーリは砂を蹴って走り出す。
「……ユーリ殿……」
 低く呟いて、ラヴェイトは唇を噛み締める。しかし、感傷に浸っている余裕
はない。故に、ラヴェイトは一つ息を吐き、それを押さえ込む。今は、目の前
に迫る屍人をなんとかしなければならないのだ。屍人といえども元は人、故に、
その身体には歪められた生命波の名残がある。それをたどり、正す事で、屍人
は本来の姿、即ち骸へと戻るのだが。
(これだけの数……全てを救えるか?)
 無言で迫る屍人の数にふとこんな不安が過る。しかし、悩んでいる余裕はな
い。瞬間生じた弱気を押さえ込むと、ラヴェイトは力の集中を始めた。
「あらよっと! どきな、デクの坊!」
 走り出したユーリは行く手を阻む屍人を切り払いつつ、ドゥラを目指してい
た。ドゥラは近づいて来るユーリに冷たい目を向ける。ラヴェイトが言ってい
た通りの、何の感情もない冷たい瞳だ。
(昔から、目つきの悪さはレッドとタメなヤツだったがな……)
 それでも、かつてのドゥラの瞳には感情が存在していた。冷徹に振る舞おう
としてそれに徹しきれないお人好し。それがユーリの知る、ドゥラ・ヴァスキ
スという男だったのだ。
「……それがなんだって、こんな単なるインケン野郎になっちまったんだ?」
 屍人を突破しドゥラと対峙したユーリは、低くこう問いかけた。ドゥラは薄
い笑みを浮かべるだけで答えようとはしない。ユーリは舌打ちをして剣を両手
で構えた。
「……バルクを手にかけ、更に私にまで剣を向ける、か……」
「はん、そうなるように仕向けてんのは、そっちだろ?」
「貴様が、私の行く手を阻むからだ。昔からそうだったな、貴様は……」
「ここに来てガキの頃のウラミ言かよ? てめー、幾つだ? 俺より、三つは
上のはずだろーが?」
 呆れたように吐き捨てると、ドゥラは低く笑った。その背後に再び、影のよ
うなものが揺らめき立つ。
「まあいい。いずれにしろ、貴様には消えてもらわねばならん……あの男……
裏切り者のレイファシスによって導かれし者を、『聖域』に近づける訳には行
かぬ……」
「!? なんだ……お前、なに、言って……?」
 思いも寄らない言葉にユーリは困惑し、その困惑がそのまま隙となった。ヴ
ンッ!という音と共に走った衝撃波がユーリを捉え、後ろに吹き飛ばす。
「っとお!」
 倒れそうになるのをすんでで踏み止まり、じわじわと近づく屍人たちに向け、
風の刃を叩きつけて牽制する。緑色の光の粒子が空間を駆け抜け、屍人たちを
文字通り吹き飛ばした。
「へっ、久々にやったにしちゃ冴えてるな、俺も!」
 自画自賛しつつ体勢を整え、改めてドゥラを見る。ドゥラは相変わらず薄い
笑いを浮かべてこちらを見ている。その背後に揺らめき立つ、影のようなもの
――それが、妙に気になった。
「……妙なモン背負いやがって……てめーもバルクも、精霊の加護、どこに置
いてきたんだよ?」
 かつて彼らが『エレメント・フォース』と呼ばれた所以――地水火風の精霊
の加護。バルクもそうだったが、目の前のドゥラからはかつて彼の周囲に強く
存在していた水の精霊の力が全く感じられなかった。代わりに感じるのはどす
黒い思念のようなものばかりであり、それはユーリの周囲の風の精霊を酷く脅
えさせていた。
(……妙に、覚えがあるんだよな……)
 そしてその感触には微かに覚えがあった。かつて挑み、今再び訪れようとし
ている場所で、同じ感触に接したような気がするのだ。
(そこに持ってきてあの旦那の名前だろ? ますますタダゴトじゃねーよな)
 先にドゥラが口にした名――ユーリにとって忘れ難い人物の名と、彼を敵視
する物言いが疑問を更に高める。大体、バルクの事を知っていたのもいただけ
ない――疑念は諸々に渦巻くが、それに思い煩う時間は、与えてはもらえなか
った。
「……ユーリさんっ!!」
 シーラの悲鳴じみた声がユーリを我に返らせる。ほんの二、三分戸惑ってい
る間に、周囲を屍人が取り囲んでいたのだ。
「ちっ……」
 さすがにマズイか――などとらしくもない事を考えつつ、剣を構え直した時、
 ……ゴウっ!!
 なんの前触れもなく、大気が真紅に揺れた。色鮮やかな炎が舞い、屍人の壁
を焼き尽くす。
「え……なに?」
「……今のは……炎の精霊魔法……」
 シーラとラヴェイトが呆然と呟く。そして、ユーリは。
「……お前……は?」
 目の前に降り立った者に呆然と問いかけていた。銀を散らした漆黒のマント
とローブに身を包んだ仮面の男――その背には、見事な色合いの灰褐色の翼が
開いている。
「……我は……『調律者』」
 ユーリの問いに、男は短くこう答えた。
「……『調律者』?」
「灰翼の『調律者』ギル・ノーヴァ……全てを読み解き、見届ける者」
 静かにこう告げると、男――ギルはドゥラに向き直る。ドゥラは先ほどまで
の余裕のある態度から一変、あからさまな敵意を込めた目でギルを睨みつけて
いる。ギルを、と言うよりは、彼の背の翼を、と言うべきかも知れないが。
「灰翼の者だと……あの女の手の者かっ!」
 ドゥラの背後の影が揺らめき、そこから感じる不快感が強くなる。その重圧
に思わずよろめいたシーラの背を誰かが支えた。はっと振り返った先にあるの
は、相変わらず無表情な漆黒の瞳――ゼオだ。
「気をしっかり持て。飲まれるぞ」
「う……うん……」
 素っ気ない言葉に頷いてはみるものの、身体の震えが止まらない。シーラは
半ば無意識の内にゼオにすがりつくようにして、どうにか身体を支えた。
(なんなの、この感じ……すごく、重い……まるで、全部押し潰そうとしてる
みたい……)
 ふとこんな思いが過るが、的外れではないように思えた。シーラは額に滲ん
だ冷たい汗を拭い、対峙するドゥラとギル、そしてユーリを見つめる。ユーリ
はゆっくりと立ち上がり、剣を構え直そうとしていた。
「……待て」
 突然、ギルが短くそれを制した。
「待てって……おいおい、ムチャ言うなよな……」
「この状況で戦いを強行する方が、遥かに無茶と言うものだ」
 呆れたような言葉にギルは淡々とこう返す。その物言いにユーリは微かに眉
を寄せた。今の切り返し方には覚えがある。彼がかつてあらゆる意味でライバ
ルと見なしていた男――彼はいつも、ユーリの言葉をさらりと切り返していた。
「お前……まさか?」
「……時間は稼ぐ。その間に『監視者』を落ち着かせろ。このままでは怨気に
飲まれかねん……それでは、元も子もあるまい」
 問いには答えず、ギルはすっと右手を横に伸ばした。その手の上に、鮮やか
な真紅の光球が舞い降りる。
「……近場の遺跡に飛ばす。態勢が整ったら戻って来い」
「って、おい! んな勝手に……」
 勝手に仕切るな、という主張は通らなかった。ギルの手の上の光球が紅い閃
光を放ち、その光がシーラとゼオ、ラヴェイトとユーリを包み込む。一瞬間を
置いて光が弾けた時、四人の姿はどこにもなかった。
「……空間転移か……時間稼ぎのつもりか?」
 嘲るような問いに、ギルは何も言わない。その態度にドゥラはふん、と鼻を
鳴らした。
「まあいい……いずれにしろ、ノーヴァの民は目障りに違いはない……リュー
ナでもラーヴァでもない半端な者どもに、価値はないのだからな」
「……愚かな。その歪んだ思想が全てを狂わせ、楽園を失わせたと言うのに」
 憐れみを帯びた嘆息の後、ギルは大きく飛びずさってドゥラとの距離を取る。
その背後に、紅く煌めく陽炎のようなものが揺らめきたった。
 
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