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     5 一つの絆

「……ほお……ここまで来た、か」
 ルアたちが障壁を越える通路に足を踏み入れた頃、彼らの目的地であるバル
ディニア城の玉座の間で、濃い紫色のマントを羽織った男がこんな事を呟いて
いた。
 髪と瞳の色彩は銀灰色。色白で妙に近寄りがたい、言うなれば氷の美貌を備
えている彼の名はライヴォル。ヴァーレアルドの民に妖魔導師、あるいは魔王
と呼ばれ、恐れられるご当人である。
「勇者カーレルの息子、か……これは中々面白い」
 独り言めいてこう呟くと、ライヴォルはぱちん、と指を鳴らす。城内に控え
ている三人の部下を呼び集める合図だ。
「……お呼びでしょうか、ライヴォル様?」
 呼び出しに応じ、まず暗闇の中から滲みだすように漆黒のローブに身を包ん
だ男が現れる。異様に丸くなった背が目を引く、矮躯の男だ。
「……召集に従い、参上仕った」
 それに僅かに遅れて、そちらとは全く対照的な鎧を身に着けた長身の男がゆ
らりと姿を現す。挙動に合わせて鎧が鳴る音が、高い天井に大きく響いた。
「ようやく、出番ですの?」
 最後に笑うような響きを帯びた女の声が響き、次いで、真紅の光が弾ける。
その光が弾けた後には、豊満な肢体を僅かばかりに覆い、これ見よがしに見せ
つけている美女が立っていた。
「勇者の息子がやって来たようだ。バヌスは獣魔兵団に招集をかけ、取りあえ
ず守りを固めておけ」
 現れた三人をライヴォルは一瞥し、それから、鎧の男に向けて指示を出す。
これに、バヌスと呼ばれた男は御意、と言いつつ一礼して姿を消した。その姿
と気配が完全に消えると、ライヴォルは矮躯の男を見やる。
「ドゥームはあれを起こせ。座興に使う」
「御意にござりまする……くくく、アレを使う事ができるとは、世の中とは因
果なるものですなあ……」
 素っ気無い言葉に、矮躯の男──ドゥームは低く笑いつつ、周囲に立ち込め
た闇の中へ姿を消した。そして、ライヴォルは最後に残った女へと銀灰色の瞳
を向けた。
「モルリアは、適当に時間を稼いでこい。方法は問わんが、殺すなよ」
「殺しては、ならぬのですか?」
 ライヴォルの指示に、モルリアと呼ばれた女は露骨に不満げな様子で不満げ
に主に問うた。
「殺さない程度に遊んで来い。ようは、復帰できればいいのだ」
 それに、ライヴォルはさらりとこう返す。
「つまりませんわあ……」
「そうむくれるな。生かしておけば、面白い見せ物が見られるのだぞ」
 こう言われて、ようやくモリルアは納得したようだった。真紅の光が弾け、
その姿が消え失せる。部下たちが姿を消し、空間が元のように静まり返るとラ
イヴォルは冷たい笑いを浮かべた。
「……古代英雄譚ではありふれた趣向だが、まあ、よかろう……」

「……確かに、こいつは退屈しねえな」
 呟いて、ルアは剣を振るった。剣が勢いよく大気を薙ぎ、それと共に敵を両
断する。
「退屈でいいよ……まったく……」
 その呟きにため息まじりにリーンが答え、手にした剣で飛びかかってきた敵
を切り払う。
「同感だな……」
 持参したもう一つの武器である細剣で敵の眉間を貫いたシェアラが、二人に
同意した。
 魔の樹海に入ってすぐ、四人は三つ目の狼イビルアイ・ウルフに襲われた。
四人はマルトを中央に置いて背中合わせに円陣を組み、次々と襲いかかってく
るイビルアイ・ウルフを切り払い始めたのだが、どうにも数が多い。
「ったく! 狼がつるむんじゃねーよ!」
 思わずもらしたその愚痴は、ルアの偽らざる心情だった。
 しかしそれでもマルトの的確な回復、という援護を得て、三人は際限ないの
ではとさえ思えたイビルアイ・ウルフをどうにか全滅させた。最初からこの調
子とは、さすがは敵地、という所か。
「門まで、どのくらいかかるんだって?」
 戦いの後でリーンがこう言ったのも、無理からぬ事と言えるかも知れない。
正直、先が思いやられるどころの騒ぎではなかった。
「直線で二日。少し進むと川に出るから、それに沿ってきゃいいってんだけど」
 リーンの問いに答えて、ぐるり周囲を見回してみるが、目に映るのは深緑の
壁ばかりで近くに水が有るようには思えなかった。
「ま、悩んでても始まらねえだろ。とにかく、行こうぜ!」
 軽い口調で言いつつルアは教えられた方角に歩き出し、後の三人もそれに続
く。

 ここで方位魔石に頼ったのが、全ての間違いだった。

「っかしいな……」
 行けども行けども、見えるは森、森、森、森、森ばかり。
「ひょっとして……迷ったか?」
 とんでもない事を平然と言ってのけるルアの様子に、後をついて来た三人は
硬直、戦慄、呆然と、三者三様の反応を示した。
「迷ったあ!?」
「ああ。どうもそうらしい」
「どうもそうらしい、で済む問題か?」
「問題じゃ、ねえよな……」
「冷静に、言わないでください!」
「慌てたって、なんもなんねーだろ?」
 それはそうだ。
「どうするのさ、こんな所で迷子になって!」
 疲れのために気が立っているらしいリーンが大声を上げると、それに驚いた
野鳥と怪鳥がばさばさあぎゃあぎゃと騒ぎながら飛び去った。
「落ち着けよ、ったく! ま、今晩は、ここで野宿だな……陽も落ちたらしい
し」
 一方のルアは、あくまで自分のペースを崩さず、平然と言ってのける。
「そんな、気楽に……」
「焦った所で、道は見つかりませんよ、リーンさん」
 さらに何事か言い募ろうとするリーンをマルトが遮った。リーンはしばし沈
黙した後、わかったよ、と小さな返事を返す。
 結局、これ以上動き回るのは危険という判断から、四人は近くの低木の茂み
を切り開いて広場を作り、そこに魔除けの結界を張って休む事になった。
 そうして、念のために交代で立てた見張りが、リーンの番になった時。
「……ん?」
 ぼんやりと焚き火を眺めていたリーンは、誰かに呼ばれたような気がして顔
を上げた。
「気のせいか……?」
 呟いて、ぐるり周囲を見回す。が、焚き火の明かりが照らす範囲には、眠っ
ている仲間の姿しか無かった。
「……疲れてるんだな、きっと」
 自己完結して、また焚き火に目を落とす。

──……リィーナ……──

 自己完結した直後に、また声が聞こえた。さっきよりもはっきりと。そして、
その声には聞き覚えがあった。
「そんな……まさか……」
 記憶に残る声と、呼びかける声とが一致して、リーンは落ち着きなく周囲を
見回した。

──……リィーナ……こっちにいらっしゃい……リィーナ……──

「そんな……そんなはず、ない……こんな所にあの方がいるはずは……」
 とは思うもののどうにも気になってしまい、結局、リーンはマントを羽織り、
念のため長剣を持って立ち上がる。

──……リィーナ……──

 また、声が呼んだ。それに、今行きます、と小声で答えて、リーンは声の聞
こえる方へ走りだした。
「ん……リーン?」
 その気配と足音はルアの浅い眠りを破る事となる。ぼんやりとしつつ目を開
けたルアは、走って行くリーンの姿に慌てて跳ね起きた。
「どこ行くんだよ、あの馬鹿!」
 焦りを帯びた呟きをもらしつつ、ルアは自分も剣を手に取る。ついそのまま
走り出しそうになるものの、不自然な状況がふと不安をかき立て、ルアは走り
出す前にシェアラを起こしはじめた。

 走る、走る。
 響く声に導かれ。
 聞こえてきた声、その主がこんな場所にいるなどあり得ない。あり得ないと
わかっていても、走らずにはいられなかった。普段冷静なリーンにそんな突拍
子もない行動を取らせるだけのものが、突然聞こえてきた声と呼びかけには込
められていた。
「……ここは……?」
 声に引かれて走ったリーンがたどり着いたのは、樹海の中の開けた草地だっ
た。リーンは一度足を止めて周囲を見回す。そこに再び、声が聞こえた。今度
は意識に響く声ではなく、耳に届く声が。
「リィーナ……」
 呼びかけを捉えたリーンは、弾かれたように声の聞こえてきた方──草地の
中央を見やり、そして琥珀色の瞳を大きく見開いた。
「……母様……?」
 草地でリーンを待っていたのは、リーンに良く似た面差しの、黒髪の女性だ
った。琥珀色の瞳が優しくこちらを見つめている。その女性は二度と会う事の
許されない、母リィズに他ならなかった。
「そんな……嘘、どうして……」
 震えを帯びた呟きが口をつく。あり得ない、どうして、でも。そんな言葉が
頭の中を駆け巡った。
「リィーナ……会いたかった……」
「母様……本当に?」
 再度の呼びかけに、リーンは目を凝らして目の前の女性の姿を見つめた。そ
の姿は、記憶の中にある母のそれと寸分違わない。声の響きも、何もかも……
リーンは半ば無意識の内に、ふらふらと女性の方に歩み寄っていた。
「母様……? 本当に、母様なのですか?」
 恐るおそる問いかけると、リィズは静かに頷く。リーンはまた、ふらふらと
そちらに進みかけ、
「リーン!」
 突然の声にはっと我に返った。

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