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 塔を出た一行はヴィノナの案内で登山道を進み、途中から道を逸れて獣道に
入って行った。途中、幾度か怪物の襲撃があったものの、最高位の魔法の使い
手である大魔導師ヴィノナを加えた今の一行の驚異となりうる存在など、そう
はなかった。
「……張り合いねーの」
 思わずもらした呟きは、ルアの偽らざる心情だった。
「ぜーえたくねえ! これから、手応えだらけで、うんざりするわよお」
 それに、呆れた口調でヴィノナが突っ込む。
「常人がうんざりするほどの手応えなら、オレにゃちょうどいいね」
「……バカね。あんたの基準で言ったのよ」
 どうあっても、舌戦ではヴィノナに勝てそうにないルアだった。とはいえル
ア自身、舌戦でヴィノナに勝てるとは思ってはいないのだが。より正確に言う
ならば、口でヴィノナを言い負かせる者などいない、とすら思っていた。
「ところで、これからどこに行くんですか?」
 漫才が一区切りするのを待って、マルトがヴィノナに問いを投げかける。
「え? ああ……あたしの、古い知り合いのとこ。魔の樹海に入る道なら、熟
知してるわ」
「そんな人が……」
「あ、人じゃないから」
「え……?」
 軽く言われた一言に、マルトはきょとん、と目を見開いた。
「人じゃないって……?」
「すぐに、わかるわよ」
 楽しそうな口調で言ったきり、ヴィノナはその知り合いについて話そうとは
しなかった。マルトは隣を歩いていたリーンと顔を見合わせる。
 その後は特にお喋りの種もなく、一行はポウナを肩に乗せたヴィノナを先頭
に森の中の道を進んで行った。前進するにつれて、ポウナは何やら嬉しそうに
羽をぱたぱたさせたり尻尾を振ったりしはじめた。妙にそわそわしているのだ。
「……ポウナ、フェディにあたしたちの事、知らせてきてちょうだい」
 使い魔の落ちつかない様子に、ヴィノナは優しく微笑って言った。ポウナは
ぴょん!と飛び上がって、あ〜〜い! と返事を返すや、道の奥へとすっ飛ん
で行く。
 そのまましばらく道を行くといきなり前方が開け、一行の目の前に石造りの
古めかしい建物が姿を現した。
「ここは?」
「あたしの知り合いの家」
 ルアの問いにこう答えて、ヴィノナはさっさと建物に入って行く。四人も後
に続いた。趣味のいいレリーフを両側の壁に施した廊下をどんどん進むと、咆
哮する竜がレリーフされた扉に突き当たった。ヴィノナは四人がついて来てい
る事を確認すると、その扉を押し開けた。
「フェディ、元気?」
 ごく軽い調子で、ヴィノナは部屋の奥に寝そべる存在に声をかけた。後から
入って来た四人は、ヴィノナがフェディと呼んだそれを見て、目を丸くする。
「ド……ドラゴン?」
 部屋の奥に寝そべっていたもの。それは、巨大なドラゴンだった。巨躯とい
う言葉だけでは到底言い表せないその大きさは、古の森で戦った狂いドラゴン
など比較にもならない。
「……エンシェント・ドラゴン……?」
 白銀に輝く鱗の巨竜を見上げて、シェアラが惚けた声を上げた。
「なんですか、それ?」
 マルトが不思議そうに問うがシェアラは答えず、呆然と白銀の鱗に見入って
いた。
「こ、このドラゴンが……お知り合い、なんですか?」
 その一方で、同じように鱗の煌めきに見入りながらリーンがヴィノナに問い
かけていた。
「ええ。エンシェント・ドラゴンのフェイディオーラ……ポウナの、お母さん
でもあるの」
 ヴィノナは事も無げな口調でそれに答える。
「ポウナの? でも、あの子は……」
「そ、ミニ・ドラゴン。フェディの意思で、あたしが呪文をかけて預かってる
の」
 リーンの疑問にさらりと答えると、ヴィノナは白銀のドラゴンに声をかけた。
「元気そうね、フェディ」
「あなたも……あら? その子は……カーレル? 似ている……」
 鈴を鳴らすような響きの声でフェイディオーラは挨拶を返し、それから、ぽ
かん、と自分を見上げているルアを不思議そうに見た。ヴィノナは微笑ってそ
の疑問に答える。
「……カーレルの、息子よ。話、聞いてるでしょ?」
「カーレルの? どうりで……似ているはずね。名前は?」
 ヴィノナの説明に妙に納得したような呟きをもらしつつ、フェイディオーラ
は名を尋ねてきた。
「……ルア……」
「よろしくルア。わたしはフェイディオーラ。フェディと呼んでください」
 呆然としたまま短く名乗ると、フェイディオーラは穏やかな口調で自分も名
乗りを返してくる。圧倒的な存在感──しかし、威圧や重圧は感じられない。
白銀のドラゴンを取り巻く空気は穏やかで、そして、温かいものを感じさせた。
「フェディ、いきなりで悪いんだけど……」
「樹海に行くのね?」
 ヴィノナに最後まで言わせる事なく、フェイディオーラは静かな口調でこう
言った。
「どうして、それを?」
 ようやく落ち着きを取り戻したルアが問うと、フェイディオーラは優しい色
彩を湛えた瞳をそちらに向けた。
「ここに来る者が求める存在。
 第一に、わたしの守護する財宝。第二に古の知識。そして、第三に暗黒の障
壁を潜る道……このいずれかしか無いのですもの、すぐにわかります。
 そして、知識や財宝だけを求める者をヴィノナがわたしに会わせるはずもな
い……簡単な、消去法ですわ……」
「……正論、だな」
 ようやくいつもの冷静さを取り戻したらしいシェアラが呟くと、フェイディ
オーラはゆっくりとそちらに顔を巡らせた。
「あなたは? その銀髪は古の者の証では?」
 どことなく嬉しげな響きを帯びた問いに、シェアラは一つ頷いた。
 古代王国期では銀は『継承者』や『守護者』などの意味を持つ色とされ、今
の時代に古の知識を伝える者たちは身体のどこかに必ずこの色を持っている。
シェアラたち古森妖精族の銀髪や、フェイディオーラの白銀の鱗などは、その
証と言えるのだ。
「古の森を守護する古森妖精の長で、シェレイエルと申します、古の竜よ」
「そう……では、わたしたちは同じ役目を持つ、同志という事になりますね」
 嬉しそうな口調でフェイディオーラが言うと、シェアラは笑って頷いた。言
葉に出さずとも同じ思いなのは、目を見ればわかる。
「それで、フェディ。今、門がどこに開いているか、わかる?」
 話の軌道を修正して、ヴィノナが問いかけた。
「今から探知するわ……少し、待ってちょうだい」
 こう言うと、フェイディオーラは目を閉じた。同時にその角の辺りで丸くな
っていたポウナが、ヴィノナの所へ下りてくる。
「……わかったわ……門は、樹海の東……滝の側に開いている。特に、動いて
はいないようね」
 やや時を置いて、フェイディオーラは目を開きつつ、静かに言った。
「動いてない? ……オレたちを待ってるってのかよ?」
 それにルアが疑問を投げかけると、白銀のドラゴンは首を傾げるような素振
りを見せた。
「どうかしら……そもそも彼は、あなたたちの事を知っているの?」
「それが問題ね……」
「……知らないって事は、ないと思います」
 フェイディオーラと、そしてヴィノナの疑問には、リーンが低い声で答える。
「なんでだよ?」
「だって、ホラ。聖域で、ぼくたちが来るのを見計らったように召喚の門が開
いたじゃないか。向こうは、君が動いているのを察知してると思う。でなきゃ、
あんなに計ったように仕掛けてくるなんて、無理だよ」
 疑問を感じて投げかけた問いに、リーンは真剣な面持ちで返して来た。言わ
れてみれば納得できる内容に、ルアは確かにな、と呟く。
「ま、それならそれでいいさ。いずれにしろ、倒しにいかにゃ始まらねえ……
そうだろ?」
 それから、フェイディオーラを真っ直ぐに見上げて、ルアはきっぱりとこう
言いきった。
「……そうね……確かにそうだわ」
 それに、フェイディオーラは慈母を思わせる優しい瞳でルアを見つめつつ、
静かに答える。
「お行きなさい、ルア……そして……必ず、ここに戻って来るのですよ?」
「ああ。わかってる」
「あなたがたも、無理はなさらないように。彼は、恐ろしい力を持っています
……とても大きく、恐ろしい力を」
 ルアの返事に頷くと、白銀のドラゴンはリーンたちを見回した。
「忠告痛み入る……我が同志よ」
「ご心配なく。ボクたちには、大いなる女神の加護があります」
「大丈夫です。負けるつもりは、ありませんから!」
 静かな言葉にシェアラ、マルト、リーンは各人各様の返事を返す。ヴィノナ
はそのやり取りを静かに見守っていたが、それぞれの決意表明が済むとルアに
歩み寄って、紙の束を差し出した。
「しっかりね。あたしは、行きたくてもこの先には行けないから……これ、餞
別代わりにあげるわ」
 そう言ってヴィノナが差し出したのは、魔法の護符の束だった。
「なんだよ、これ?」
「上位魔法のお札。あたしがあいつと戦った時に効果があった魔法と、役に立
ったのを選んで封じといたから」
「札なんかより、本人が来た方が早くねえか、この場合?」
「そうしたいんだけど……ダメなの。ゴメンね、坊や」
 何気ない言葉に、ヴィノナはやや寂しげに微笑んだ。
「あいつにね、強制の呪いかけられてて……暗黒障壁の内側に入ると、役に立
たなくなっちゃうのよ。だから、ここまで。あんたたちがあいつを倒してくれ
れば、この呪いも解けるから。だから、頑張ってね」
 ヴィノナは十三年前の魔王討伐に参加した者の、唯一の生存者である。何故
かライヴォルは彼女の生命を奪わず、呪いをかけただけでヴァーレアルドまで
送り返して来たのだ。ヴィノナほどの魔導師が滅多に人の寄りつかない疾風の
峠に引っ込んでいるのは、国内での魔導師に対する評価に加えて、その事に対
する気まずさもあるのは想像に難くなかった。
「しゃあねえなあ……」
 ため息をつきつつ頭を掻いてこう言うと、ルアは護符をしまいこんだ。
「それじゃ、ヴィノナはここで待ってろよ。あのヤローの生首、土産に持って
きてやるからさ」
「……いらないわよ、そんなゲテモノ……」
 軽い口調で言うルアに、ヴィノナは呆れた口調でこう返す。確かに、生首は
やると言われて嬉しい物ではないだろうが。ヴィノナは苦笑めいた表情でふう、
とため息をつくと、突然リーンに声をかけた。
「ちょっと、来て。話があるの」
「ぼくに、ですか?」
 きょとん、とするリーンにヴィノナは一つ頷き、両側の壁についた無数の扉
の一つを開けてその奥へと連れて行った。
「何だ、ありゃ?」
 その様子に、ルアは首を傾げてフェイディオーラを見る。
「さあ、何でしょう?」
 不思議そうな視線に、白銀のドラゴンは軽く首を傾げつつ、ややわざとらし
い物言いでこう返した。
「さて……それでは、今の内にわたしからも餞別を差し上げましょう……何が
いいかしら?」
 それから、フェイディオーラは妙にうきうきとした様子でこんな事を呟いた。

 ヴィノナがリーンを連れて行ったのは、財宝が無造作に積まれた宝物庫の一
つだった。
「あの……何でしょうか?」
「……ちょっと待ってて……ええっと……あ、あったあった!」
 戸惑うリーンにこう言いつつ、ヴィノナは色とりどりに煌めく山の中から可
愛らしい宝石箱を引っ張りだす。リーンは不思議そうにヴィノナの手にした箱
を覗き込んだ。
「何ですか、それ?」
「宝石箱。と言っても、この箱は問題じゃないの。問題なのは、この中の……
これ」
 不思議そうな問いに答えつつ、ヴィノナは箱の中から碧い宝石のついた銀製
の指輪を取り出した。
「……これは?」
「聖女の指輪っていうの。綺麗でしょ?」
「はあ……でも、これが、何か?」
 状況が把握できずに困惑するリーンに対し、
「惚けちゃって……あたしにまで隠さなくてもいいじゃない、あなたが女の子
だって事」
 ヴィノナはさらりとこう言った。思わぬ言葉にリーンは目を丸くする。
「え……あ、あの、どうして……」
「生命波……っていうのかしら? それを見れば、老若男女の区別はすぐつく
わ。恐らく気づいてないの、坊やだけじゃないの?」
 上擦った声を上げるリーンに、ヴィノナは悪戯っぽく微笑みながらこう言っ
た。それから、ヴィノナは表情を真剣な物に変え、リーンを真っ直ぐに見つめ
る。
「あなたが、あの子を、心の底から思った時、指輪が奇跡を起こしてくれる。
ルアをお願い……あの子、あのままじゃ……壊れてしまう」
「え?」
 静かな言葉に、リーンは先ほどとはまだ違った戸惑いを覚えて眉を寄せた。
ヴィノナは真剣な表情のまま、更に言葉を続ける。
「今、ルアを動かしてるのは、ライヴォルに対する憎しみだけ……今のあの子
なら、確かにライヴォルを倒す事ができる……でも、憎しみは何も生み出さな
いわ。そして憎しみを抱いて魔王を倒しても、堂々巡りになるの」
「……どういう、事ですか……?」
 堂々巡り、という言葉に首を傾げて問うと、
「……ごめん……それ、わからないの。見てるはずなんだけど……記憶から消
されてて。でも、憎しみだけで戦えば……最悪の事態を招くのは確かよ」
 ヴィノナはため息と共にこう言って首を横に振った。
「最悪の事態……」
 短い言葉を反芻するリーンに、ヴィノナは一つ頷く。
「あたしとしては、それだけは避けたいの。だって、馬鹿らしいじゃない、そ
んなの?
 だから、お願い。あの子の心を支えてあげて。憎しみ以外の目的を与えてあ
げて欲しいの。
 ……あなたにしか頼めないのよ、ずっと、あの子を思い続けていたあなたに
しか……お願い、リィーナ」
「……え!? どうして、そんな事まで!?」
 唐突に出てきた思いがけない言葉と呼びかけに、リーンは上擦った声を上げ
て問う。その問いに、ヴィノナは答えなかった。ただ、聖女の指輪をリーンの
手に握らせて、寂しげに微笑って見せる。
「ヴィノナさん……ぼくは……」
「お願い」
「……わかりました……」
 到底答えは得られそうにない、と判断したのだろうか。リーンはため息まじ
りにこう言って頷いた。

「何、やってたんだよ?」
 小部屋から出てきたリーンに、ルアはやや苛立った口調でこう問いかけた。
「え? あ、ちょっとね。秘密のお話」
 軽い口調で言って、リーンはちら、とヴィノナを振り返る。ヴィノナは軽い
ウィンクでそれに答えた。
「……?」
 そこだけでわかっている二人の様子を訝りつつ、それでもルアはそれを深く
追求しなかった。突っ込んだところで、ヴィノナにやり込められるのがオチ、
と判断したのだ。
「では、道を開きましょう……そうそう、あなたにもこれを……」
 フェイディオーラがこう言うと、ポウナが宝石をあしらった三日月の形の細
工物を下げてリーンの所に飛んできた。
「これは?」
「わたしからの餞別……古代王国期に造られた魔法の小物です。役にたつと思
うので、お持ちなさい」
「……ありがとう、ございます」
「いいえ……では、皆さん、気をつけて……」
 ぺこ、と礼をするリーンに穏やかに言うと、フェイディオーラはゆっくりと
前足を動かした。その背後に隠されていた壁には、厳めしい雰囲気の扉が付い
ている。
 フェイディオーラが何事か呟くと、扉は重々しい音を立ててゆっくりと開い
ていく。開いた扉の向こうには、薄暗い通路が続いていた。
「よし……行くぜ!」
 通路を満たす薄暗闇を見据えつつ、ルアは低い声でこう言って、その中へと
踏み込んでいく。リーンたちもゆっくりと、それに続いた。

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