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 癒し手の適切な治療の甲斐あって、リーンの傷は比較的早く塞がった。傷痕
は残ってしまったらしいが、当人はさして気にしてはいなかった──なかった
ようにルアには思えた。
 鉤爪に引き裂かれたブレストプレートの方は諦めるしかないとの事だった。
基本的に、森妖精族は鍛冶の才を持たないのだ。
「……山妖精たちとの交流が、途絶えていなければよかったのだが……」
 シェアラはすまなそうにこう言いつつ、代わりに守護の腕輪と呼ばれる魔道
具と真新しい革の鎧を用意してくれた。守護の腕輪とは文字通り守護の魔法を
封じ込めた腕輪の事で、身に着けているだけで魔法と同じ効果を得る事が出来
るらしい。
「でも、そんな高価な物……」
 守護の腕輪をやる、と言われてリーンは戸惑っていた。魔道そのものが廃れ
つつある王国ではこのような魔道具はかなりの貴重品なのだ。
「気にすんなって! ここじゃ、さして珍しいもんでもねえんだから!」
 リーンはしばらく受け取るのを躊躇していたものの、ルアのこの一言にどう
にか納得して、腕輪を受け取っていた。
 癒し手がリーンを寝床から開放したのは、担ぎ込まれた二週間後だった。人
間の技術では、恐らく助からなかったであろう瀕死の重傷である。その状態か
らたったの二週間で起き上がれるレベルまで回復させたその技に、マルトはひ
たすら感心していた。
「それでも、ぼくは女神の奇跡がこの技術に劣るとは思いませんよ」
 感心するだけ感心した後、マルトはにっこり笑って癒し手にこう言った。こ
ういうオチをさらっと付ける辺り、やはりただの子供ではないらしい。
 それから更に日数をかけて、ルアはリーンの体力が十分に戻るのを待った。
別に向こうに対して挑戦状を出したわけでもないので、焦って先に進む必要は
ない、と判断したのだ。
 結局、三人は一月近く古森妖精の部落に居候をする事になっていた。ルアは
無料で世話になるのを潔しとせず、リーンの治療費と称して射手たちの狩りを
手伝って日々を過ごし、マルトはマルトで織り機と糸を借りて、連続模様の美
しい壁掛けを織り始めた。女神ラーラの神殿は完全な自給自足をしているので、
司祭たちはこういった手仕事までこなすのだ。
 そして動けるようになったリーンはと言えば、若い娘たちと一緒に、癒し手
の使う薬草摘みをするのが日課になっていた。

 そんなこんなで一月が過ぎ、リーンの体調も整ったところで、ルアはシェア
ラに出発の意思を告げた。
「そうか、行くのか」
 告げられた言葉に、シェアラは静かにこう返してきた。
「ああ。すっかり、世話になっちまったな」
「気にするな、お前たちは村の恩人……礼を尽くすのは当然だろう?」
「そうかい……?」
 居間には、彼らの他には誰もいなかった。時刻は真夜中近く、村全体がしん
……と静まり返っている。二人は獣脂のランプの細い明かりの下で言葉と杯を
交わしていた。
「ルア」
「んー?」
「これから向かうのは……バルディニアか?」
「ああ」
 頷いて、ルアは陶器の杯の果実酒を喉に流し込んだ。
「いい加減、決着つけねえとさ。このままじゃ、呑気に風来坊もやってられね
えし……それに……」
「それに?」
 濁された言葉の先を、シェアラは静かに促す。
「……それに、やっぱさ、今のまんまじゃ、すっきりしねえんだよな。なんっ
か……変にもやもやしててさ」
「お前らしいな……それで……」
「あん?」
「三人だけで、勝てるつもりか?」
「シェアラ?」
 含みを感じる言葉に、ルアは訝るような視線をシェアラに向けた。シェアラ
の翡翠の瞳は、真剣な色彩を湛えてこちらを見つめている。
「……わたしも、同行させてもらいたい……いや、同行させてもらう。構わん
な?」
「シェアラ!?」
  瞳と同様に静かな言葉に、ルアはつい大声を上げていた。
「そう、大声を出すな」
「あっと、そうだった……だけど……本気かよ?」
「冗談で言える類の事ではないと思うが?」
 確かにそうだろう。だが、それだけに、それが意味する所は重い。
「だけど……お前、ここのリーダーだろ?」
「長だからこそ、部族の未来にも関わる大事に手を貸したいのだ。先代もそう
言って、ここを出た……勇者カーレルと共に」
「でも、帰って来なかったんだぜ?」
 投げかけた問いにシェアラは静かに答え、ルアは、確かめるようにこう返す。
この言葉にシェアラはやや、表情を険しくした。
「お前も、帰って来れないかも知れんないんだぜ?」
「お前が無事なら、わたしも無事に戻れる」
 更に言葉を続けると、シェアラは一転、薄く笑ってこう返してきた。
「って、ムチャな理屈だぜ、それ……大体、フィーナの事ほったらかしといて
いいのかよ?」
「フィーナは、既に承知している」
 呆れを込めつつ投げかけた最後の問いに、シェアラはさらりとこう返してき
た。こうなると、ルアにシェアラを止める事はできそうにない。止めるための
要素が、見つからないのだ。
「……どいつもこいつも、どーせ、駄目だっつったって聞きゃしねえくせに、
律儀に断ってくんなよな……」
 深く、深くため息をつきつつ、投げやりに言い放つ。それは、ルアの偽らざ
る心情だった。
「ルア……」
「勝手にしてくれよ、ったく! リーンといいマルトといいお前といい、何が
楽しくて生命で博打したがるんだよ!」
 こう言うと、ルアは果実酒を杯に満たして一気に煽った。
「そんな馬鹿ばかしいこた、オレ一人がやりゃあ十分なんだぜ? ったく……
馬鹿やろどもが!」
「そんな、馬鹿者ばかりを引きつける自分を呪うのだな、英雄殿」
 吐き捨てるような言葉に対し、シェアラは皮肉っぽい笑みを浮かべつつこう
言った。
「……え・い・ゆ・う、ね……そーいや、ルイシェレイドの名前、好きに使っ
て構わねえからな……」
「フィーナに、聞いた。ありがたく使わせてもらう」
「……女が生まれても、オレ知らんけどな」
 この一言にシェアラは何も言わず、ただ苦笑めいた笑みを浮かべるのみだっ
た。

「色々、世話んなったな」
 その三日後、旅支度を整え直したルアたち三人とシェアラは、部落の北側の
門で古森妖精たちの見送りを受けていた。
「なに、お互いさまさ」
 ルアの言葉を受けてシヴが笑う。
「わたしが不在の間の事は、シヴに任せる。頼むぞ」
 シェアラの言葉に、部族の者全員が頷いた。
「ちゃんと、帰って来てくれよ? オレは、リーダーの柄じゃない」
 おどけた口調でシヴはこんな事を言う。長の代理を任された者は、長が戻ら
なければそのままその役職を引き継がねばならないのだ。
「……シェアラ……」
 フィーナが不安げな面持ちで夫の前に立つ。そんな妻に、シェアラは優しく
微笑んで見せた。
「案ずるな……必ず戻る。身体に、気をつけるのだぞ?」
「はい……」
 こくん、と一つ頷くと、フィーナはルアの方を見た。
「皆さんもお気をつけて……」
「フィーナもな。身体、大事にしろよ?」
 おどけた口調で言って、ルアはウインクして見せる。
「癒し手様……ありがとう、ございました」
 その傍らで、リーンが癒し手に頭を下げていた。
「無理はしないで。いいですね?」
 癒し手はやや厳しい口調で静かに言った。これに、リーンははい、と頷く。
「では、そろそろ参りましょうか?」
 挨拶が一区切りすると、マルトがルアに向けてこう問いかけた。それにルア
がああ、と頷くと、マルトは女神の聖印を片手に古森妖精たちを見回す。
「大地の恵みが、常に皆様と共にありますように……お世話に、なりました」
 司祭のお決まり文句と共に、マルトはぴょこん、と頭を下げた。
「じゃあな!」
 こう言って軽く手を振ると、ルアは北門を潜る。シェアラは全員の顔を見回
し、最後にフィーナに笑いかけてから門を潜った。マルトがそれに続き、最後
に出ようとしたリーンを、急にフィーナが呼び止めた。
「ちょっと、待って、リーンさん!」
「え……?」
 きょとん、としつつ振り返るリーンに、フィーナは足早に歩み寄る。
「えっと……何か?」
「……ルアを、お願いね……」
 不思議がるリーンにフィーナは小声でこんな言葉を告げ、突然の事にリーン
は更に戸惑う。だが、フィーナはそれ以上何も言わずに微笑むだけだった。
「おい、リーン! 何やってんだ、おいてくぞ!」
 そこに、門の向こうからルアが呼びかけてきた。それに、今行く、と答える
と、リーンは改めてフィーナを見る。
「えっと……わかってます……心配、しないで」
 にこっと微笑ってこう言うと、リーンはもう一度癒し手に会釈してから門を
潜った。
「シェアラ……ルア。どうか、無事で……」
 四人の姿が木々の向こうへ消えると、フィーナは小さな声で、祈るようにこ
う呟いた。

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