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     4 疾風の峠

 四人に増えた一行は、シェアラの案内でその日の内に古の森を抜けた。ここ
から北に向かうとと疾風の峠と呼ばれる、その名の通り年中強風の吹き荒れる
峠の麓にたどり着く。その峠を越えた先に、目的地であるバルディニア城があ
るのだが。
「封鎖あ!?」
 疾風の峠の麓の村までやって来たルアたちを待ち受けていたのは、この世で
最も融通が効かないと言われる、お上の通達だった。
「ええ。この頃、疾風の峠から来る化け物の数は鰻登り……このままそれを許
していては、こんな小さな村など……わーっ!」
 細々と説明していた警護兵は、突きつけられた剣の切っ先に大声を上げた。
「おっさん。オレだって、伊達にこんなもんぶん回してんじゃねえんだ。自分
の身は、守れる。オレらが通る間だけ封鎖解いたって、問題ねえんじゃねえの
か?」
 突きつけられたのは、ルアの大剣だった。蒼い瞳は冬の蒼天を思わせる色合
いで、あからさまな殺気を漂わせている。その色彩に、警護兵はまともにすく
み上がっていた。
「そ……そう言われましてもおお〜」
「ルア! やめなよもう……大人げないんだから……」
 後ろから見ていたリーンが思い余って口を挟む。思わぬ助け船に、警護兵は
ほっとしたように息を吐いた。
 お上の通達とは、疾風の峠に通じる登山道の封鎖の報せだった。理由は今、
警護兵が言った通り、この麓の村の安全のため。とはいえ、ルアにそんな事情
は通じるはずもなく……結果、今のような押し問答が展開する事になった。
「あー、もう、ルアはちょっと黙ってて。ぼくが交渉するから」
 ルアと警護兵の間に割って入るようにしつつ、リーンはため息まじりにこん
な事を言う。露骨に呆れ果てた、と言わんばかりの物言いにややむっとするも
のの、ルアはわかった、と言って後ろに下がった。このまま押し問答を続けて
も埒が開かない、と気づいたからだ。
「この地方を治めているのは確か、レイファス・ディアネル子爵でしたね? 
ぼくは自由騎士のリーン。子爵と直接、話をしたい」
 ルアが後ろに下がると、リーンは一転、静かな口調で警護兵にこう告げた。
そしてこの言葉に警護兵はえ、と言って目を丸くする。
「自由騎士? あなたが?」
 ヴァーレアルドとその周辺諸国における自由騎士というのは、功績を上げた
王国騎士が領地と爵位の代わりに放浪の自由と、友好国であれば通用する特権
を得たもので、それなりの経験を積んだ者──二十代後半からそれ以上の者が
多い。
 だが、目の前の自由騎士はどう見ても二十歳を越えたようには見えず、そん
な素朴な疑問からつい、とぼけた声を出してしまったのだろうが。
「信じられぬ……とでも?」
 琥珀色の瞳に鋭く睨まれ、警護兵は今の不用意な一言を後悔した。このよう
な疑問は、騎士にとっては最大の侮辱となるからだ。今の一言は、この場で切
り捨てられても文句はつけられないだろう。
 とはいえ、幸いにと言うかリーンは自制する、という事を知っていた。
「まあ、いいでしょう。先例のない任命でしたから……それに、あなたの不注
意は、直接あなたに帰る訳でなし……」
 その代わりという訳でもないのだろうが、リーンはにっこりと微笑みつつ、
こんな事を口走った。遠回しだが、しかし、明確にそれとわかる脅しだ。直接
的な手段よりも、こちらの方が遙かに効くだろう。実際、部下の不注意で足元
を掬われた貴族は数知れないのだから。
「とにかく、至急子爵に取次ぎを。特命を受けているので、手短に済ませたい」
 一転、真面目な面持ちになったリーンがこう言うと、警護兵はぴんっと背筋
を伸ばした後、直立不動で頷いた。その様子にリーンは密かに笑みをもらしつ
つ、ルアたちの方を振り返る。
「話をつけてくる。宿で待っててくれ」
「では、我々は不足した物を買い揃えておくとしよう」
 同じように笑いを堪えつつ、シェアラが頷いた。
「うん、そうだね。じゃあ、行って来る」
「……あんまり、イジめんなよ……?」
 にこりと笑うリーンにルアはぼそりとこんな事を言う。リーンははいはい、
と頷いてから、警護兵と共に封鎖された門の横に監視小屋を出て行った。

 翌日、四人は妙に腰の低い子爵に見送られつつ、疾風の峠の登山道へ続く門
を潜った。道をしばらく行って、振り返っても門が見えなくなると、それまで
澄ました顔をしていたリーンが堪えきれない、という様子で吹き出す。
「あー、おかしいったらないね、ほんと!」
「お前、あのおっさんになに言ったんだ?」
 その様子に、ルアは呆れたような口調で問いかけた。
「えー? ほんとの事、言っただけだよ。国王陛下の特命を受けて、峠の先に
行くんだって。大事な用だから、手間取るわけにはいかないって……それだけ
だよ?」
 それに、リーンは明るい表情で軽く答えた。ルアは呆れた表情のまま、更に
問いを継ぐ。
「お前……『国王陛下』のとこだけ、強調したろ?」
「あは、わかった?」
「わからいでか!」
「まだ、外では王制を取っているのか?」
 ルアとリーンの会話に、シェアラが疑問を挟んで来た。
「ああ、今でもな」
「進歩がないな」
「仕方がありませんよ、それは」
 シェアラの呟きに、マルトが苦笑しつつ会話に加わってくる。
「人には、時間がなさすぎるんです。一つの目的に到達する直前に女神の下に
召されてしまう事も、しばしばありますから」
「だからこそ、縦と横の和を重んじて、その志を広め伝える……それが、女神
の教えの一つだったね?」
「はい、その通りです」
 リーンの言葉に、マルトは満足そうににこっと笑って頷いた。
「なるほど……我々古森妖精と王国の民が付き合うには、まだまだ障害が多い
ようだな……」
 一方のシェアラは、ため息まじりにこう呟いていた。
「ま、仕方ねーだろって、それは。お前らには時間があるんだから、焦りなさ
んなって」
 本気で残念そうなシェアラの様子にルアは苦笑しつつこんな事を言い、直後
に、前方から感じた気配に表情を引き締めた。
「敵か?」
 その変化に気づいたシェアラが短く問う。
「こんなとこに、友好的な連中がいるかよ?」
 その問いに、ルアはひょい、と肩をすくめた後、大剣を引き抜いた。
 道の先から、唸るような羽音が聞こえてくる。どうやら虫の羽音のようだが、
響く音の大きさからしてごく当たり前の虫ではないらしい。それと共に伝わる
のは、純粋な殺気。捕食本能、とでも言えばいいのだろうか。とにかく、友好
的な空気は全く感じられない。
「さっさとカタつけるぞ。こんなとこで手間取ってられっか」
 雲行きの怪しい空の下、大剣の刃が僅かな光を鈍く反射する。
「同感だな……じき、天気も荒れる」
 樹霊の弓の翠珠細工が澄んだ光を放った。
「相手は? ひょっとして、巨大トンボ?」
 手入れの行き届いた長剣が、軽く空気を裂く。
「そのようですね……来ます!」
 聖印についた鈴が、涼しい音をたてた。
 鈴の音が消えるよりも僅かに早く、登山道の上の方から巨大な影が飛来する。
暴走した魔力を吸収して巨大化したトンボ、ドラゴンフライの群れだ。元々、
昆虫の中でも強い力を持つトンボが巨大化すればそれだけで脅威と言える上に、
この種は火炎のブレスによる攻撃も行える。その数とも相まって、中々に厄介
な相手と言えるだろう。
「……耐火の水!」
 剣を使う二人に、マルトが火炎を防御する水の幕を張る。シェアラは数を数
えて弓に矢をつがえた。
「行くぞ、リーン!」
「うん!」
 火炎防御を得た二人は敵陣に飛び込み、接近戦を展開する。
 森を出てからここに来るまでの数カ月の間に、リーンの剣技は格段に上達し
ていた。鎧が軽くなったのを逆に生かし、元の身軽さと合わせて今まで以上の
速攻戦を行なうようになったのだ。
 力強く振り切られ、文字通り敵を薙ぎ払う大剣と、華麗とも言える動きで確
実に対象を仕留める長剣。そして一撃必殺、的確に急所を貫く矢の攻勢の前に、
ドラゴンフライの劣勢は早くも明らかと言えた。

 そして、その頃。
 始まった戦いの様子を、水晶球を通して見ている者が一人、いた。
「……とうとう来たわね、坊や……」
 水晶球の前で頬杖を突きながら、その者──漆黒の髪を長く伸ばした女性は
小さく呟いた。
「随分、大きくなって……あいつ、そっくりじゃないの」
 小さく呟く、その間にもドラゴンフライはその数を減らしていく。
「ポウナ」
 水晶球の映像を眺めつつ、彼女は止まり木でうつらうつらしていた使い魔を
呼んだ。使い魔はぱさぱさと羽を動かしてやって来る。
「坊やたちを、ここまで案内してきてちょうだい。天気荒れそうだから、テレ
ポートでね」
「あ〜〜〜い」
 気の抜ける返事をして、使い魔のポウナは通用窓から外に出て行った。
「さあて……それじゃ、お茶の用意でもしといてあげましょ。お菓子は何がい
いかしら?」
 身の丈ほどに長く伸ばした漆黒の髪を、同じ色のリボンできゅっと束ねなが
ら彼女は立ち上がって小さくこう呟いた。

 その一方で。
「……よっし……ラスト!」
 ルアがドラゴンフライの一匹を両断して、疾風の峠における最初の戦闘は終
わった。
「手応えねえなあ……」
 刃を拭って鞘に収めつつ、ルアはため息混じりにこう呟く。
「ずっと、大物続きだったからね。張り合いないんだろ?」
 その呟きに、リーンが苦笑しつつこんな事を言ってくる。
「でもぼくは、この程度がちょうどいいよ」
 剣を収めながらの呟きは、大物と戦う度に痛い思いをしているリーンらしい
一言と言えるかもしれなかった。
「それより、どこか雨宿りの場所を探そう。一雨、来るぞ」
 弓を片づけたシェアラが言うのとほぼ同時に、曇った空から水滴が零れてき
た。
「うげっ!? 冗談!」
 降って来た雨に、ルアが上擦った声を上げる。だが、天気に冗談は通用しな
い。雨粒は後から後から落ちてくる。
「濡れたくないのに……」
 空を恨みがましく見上げつつ、リーンがぽつりと呟いた。
「でも、雨宿り場所なんて」
 マルトが周囲を慌しく見回した、ちょうどその時。
「あまやどばしゃ、ありましゅ」
「はあ?」
 舌足らずな声が頭上から振ってきて、全員がほぼ同時に惚けた声を上げた。
四人はこれまたほぼ同時に頭上を振り仰ぎ、怪訝そうな表情を作った。
「ドラゴン……ですか?」
 マルトが不思議そうに呟き。
「それにしては、随分小さいな……」
 シェアラが首を傾げつつ訝しげに呟く。
「それじゃ、なんだよ?」
 二人の言葉にルアが疑問を投げかけ。
「あは! ミニ・ドラゴンだ!」
 唐突にリーンが無邪気な声を上げた。
「ミニ・ドラゴン?」
 はしゃいだ声に、ルアは不思議そうにリーンを振り返り、リーンはうん、と
頷いた。
「大きくならないように、特別な魔法をかけた愛玩用のドラゴンだよ。子供の
頃、旅の芸人が連れてたのを見た事があるんだ!」
 リーンの説明に、ルアはすぐにそれを思い出してああ、と短く声を上げた。
同時に、何故こんな所にそんなものがいるのか、という疑問を感じる。魔法の
廃れ方が他国の比ではないヴァーレアルドでは、このようなものは頻繁には見
られないはずだ。
「ヴィノナさまの、おここばで、おむきゃにきまいた。どぞ、おてくだしゃ〜
い」
 眉を寄せて考え込んでいると、ミニ・ドラゴンがまた声を上げた。
「……ヴィノナ?」
 その中の聞き覚えのある名に、ルアは更にきつく眉を寄せる。記憶の中で、
その名を持っているのは一人だけ。そして、その一人は確かにこの近くに居を
構えているはずだ。
「にしても……なんで?」
 疑問を感じつつ低く呟いた直後に、
「ルア? 何考えこんでるの、行こうよ」
 リーンが平然とこう言った。あまりにもあっさりと言われてしまい、ルアは
思わず呆気に取られる。
「へ? 行くって、おい……」
「このままじゃ、ずぶ濡れだよ!? ぼくは、そんなの御免被る」
 それはそうだが、しかし、いくらなんでも安直ではなかろうか。このミニ・
ドラゴンの言う『ヴィノナ』がルアの知る人物なら問題はないが、その名を騙
る何者かである可能性もないとは言えないはずだ。
「つっても、おい……」
「別に一人だけ、ここで濡れてたいなら、止めないよ」
 そう思って説得を試みるものの、それを遮るようにリーンはこう言いきった。
反論の余地のない物言いに、ルアはやれやれ、とため息をつく。
「……わかったよ! オレも、行く。お前らも、だろ?」
 どうやら同じ意見に達しているらしく、シェアラとマルトは無言で頷いた。
(ま、仮に何かの引っかけでも、幾らでも切り抜けられるだろーしな)
 こんな、ある意味楽観的な考えで自分を納得させると、ルアはミニ・ドラゴ
ンに向けて一つ頷いた。
「みにゃしゃ、おでですね? にゃ、いきましゅう〜〜」
 全員の同意を得たミニ・ドラゴンはその背の羽をぱっと広げる。広げた羽の
先にぽうっと光が灯り、それはぽむっという軽い音と共に広がって、四人を包
み込んだ。
 周囲の景色が奇妙な形に歪む。次いで軽い目眩が襲いかかり、最後に浮遊感
が全身を包んだ。短い時間の意識の混乱があり、とんっという軽い音と共にそ
れらの混乱が治まる。
 歪んだ景気が正常に戻り、目眩が治まるとそこは、柔らかい光に照らされた
玄関ホールだった。広さからして、どこかの塔のようだ。奥に螺旋階段があり、
その前に身体にぴったりとした黒のドレスを纏った黒髪の女性が立っている。
右手には水晶球のついた杖を持っており、左の肩にはいつの間にそこに行った
のか、先ほどのミニ・ドラゴンがちょこん、と乗っていた。
「ようこそ、皆さん。そして……久しぶりね、ルア坊や?」
「あー! やっぱり、性悪ヴィノナ!」
 声を聞いた途端、ルアは大声を上げていた。この一言に女性──ヴィノナは
あらあら、と言いつつ眉を寄せる。
「性悪とはご挨拶ねえ! 十三年ぶりに会ったってのに、それはないんじゃな
くて?」
 怒ったような口調だが、目は笑っている。彼女はどうやら、この会話を楽し
んでいるようだ。
「あの、あなたは……?」
 そこに、リーンがそっと疑問を挟む。ヴィノナはリーンの方を見ると、穏や
かに微笑んだ。
「ヴィノナ・ヴェルドゥク……この塔の主よ。この子は使い魔のポウナ。濡れ
なかった?」
「はい、おかげさまで」
 ヴィノナの問いには、マルトが真っ先に答えた。にこ、と微笑みながら、丁
寧なお辞儀をする、という動きはマルトがやると素直で、違和感がない。
「助かった。この弓を水に晒すと、不都合が生じるのでな」
 シェアラが軽い礼をしつつ、説明的な礼を言う。これもこれで、違和感らし
きものはなかった。
「それはそれは……でも、寒かったでしょ? ここは、風がとにかく強いから
ねぇ……」
「そう思うなら、こんなとこに住むなよ」
 微笑みながらのヴィノナの言葉に、ルアはぼそっと突っ込みを入れた。
「うるっさいわねえ……こんなとこだから、気楽なのよ! こっちで呼ばなき
ゃ、客もこないし」
 途端に、ヴィノナは口調を砕けたものに変えてこう返してきた。ルアはへー、
と言いつつ呆れたような視線をヴィノナに投げかける。
「どーせ、呼ぶ気もないくせに……」
「わかってるじゃないのよ。ふふっ……その口の悪さは、相変わらずね。安心
したわ」
 こう言うと、ヴィノナは二人の軽快なやり取りに困惑しているらしいリーン
たちに向き直った。
「今夜は、相当荒れる。部屋の余裕あるから、泊まってくといいわ」
「……よろしいんですか?」
 リーンの問いに、ヴィノナはええ、とあっさり頷く。
「部屋、余ってるもの。それに、昔馴染みもいるしね?」
 笑いながらの言葉に当の昔馴染み──ルアはがじがじ、と頭を掻きつつ大げ
さなため息をついて見せた。

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