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   6

「そろそろ、いいかも知れませんねぇ」
 その頃、当の先行師団ではガルォードがの〜んびりとこんな呟きをもらして
いた。
「そろそろ?」
 その呟きを聞きつけたラグロウスの問いに、ガルォードはええ、と頷く。
「出陣の用意は、できておられますね?」
「ああ、そりゃ問題ねぇ」
「では、アーヴェン平原へお送りします。月家の彼はレクサス殿と一騎討ちに
入られたようですが、火家の若君は、どうやらあなたをお待ちのようです」
 にこにこと笑いながらの言葉に、ラグロウスははあ? と怪訝そうな声を上
げた。
「何だ、そりゃ?」
「戦端が開いてから、フレイルーン聖騎士団は全く戦闘に参加していません。
さすがは、火家直系……精霊たちのざわめきから何かを感じ、兵の温存をして
いるようですねぇ」
「……ほう」
 楽しげな説明に、ラグロウスは感心したような声を上げてにやりと笑う。
「そいつぁ、楽しめそうだな……んじゃ、行くとするかね。氷狼に、いいとこ
全部食われちまうワケにゃ、いかねえからな」
 その笑みを残したまま、ラグロウスはゆっくりと立ち上がった。その物言い
にくくっと笑いつつ、ガルォードもゆっくりと立ち上がる。
「全軍に通達。これより、我が隊はアーヴェン平原へと空間転移。氷家フェン
レイン傭兵団と共同戦線を張る。転移後、指揮権はラグロウス殿に委譲。各人
の健闘に期待する。以上!」
 控えていた伝令兵に指令を伝えると、ガルォードは杖を手に取った。
「んで、お前さんは? 知り合いに挨拶してから、こっち来るって?」
 軽い口調で問うラグロウスに、ガルォードはええ、と頷く。この返事に、ラ
グロウスは妙に楽しげににやっと笑った。
「……その知り合いってのは、夢家の当主か?」
「ご想像にお任せしますよ」
 問いかけを、ガルォードは妙に皮肉っぽい笑みで持て、さらりと受け流した。

 戦場のざわめきが、近くて遠い。
 氷家の奔放な動きに困惑していた水家の指揮系統はだいぶ安定してきたらし
く、アルスィードのお家芸とも言うべき水魔法が炸裂する様が後方からも見て
取れた。
 戦局の安定、それ自体は歓迎すべき事だが、その中に自分たちがいない事に、
フレイルーンの聖騎士たちは少なからず不満を感じていた。特に、古参の騎士
たちにはそれが色濃い。彼らにしてみれば、この初戦で先陣を切り、フレイル
ーン聖騎士団は健在と知らしめるものと思っていたのだからそれも無理はない
だろう。
 リンナとて、それはわかっている。占拠されたラファティアの民に、自分た
ちの戦いを伝えたい気持ちはある。だが、精霊たちの伝えるざわめきと聖痕の
疼きはそのために先走る事を強固に押し止めていた。
 重苦しい沈黙が立ち込める中、いつの間にか騎士たちは二つのグループに分
かれていた。リンナを中心とした十代後半のグループと、カリストを中心とし
た年長者のグループだ。前者はどこか不安げに、後者はあからさまに苛立った
様子でじっとリンナを見つめている。
「リンナ様」
 長くそこにあった沈黙を、カリストの冷たい声が取り払った。
「我らは、いつまでここに待機せねばならぬのですか?」
「……」
「友軍はだいぶ巻き返しているようですが、依然、戦場の優位は氷家にありま
す。水家の騎士の魔力が尽きれば、突破は必定でしょう」
「……」
「何故、動かぬのか、説明していただきたい。でなければ……」
「でなければ、腑抜けた形だけの当主など捨て置いて、突撃すると言うんです
ね?」
 意味ありげに濁された言葉の先を、リンナは硬質の声で引き取った。
「あなたの返答次第では」
 それに、カリストは冷たくこう応じる。
「今、騎馬兵が突入すれば、水家の魔法騎士は混乱しますわ、カリスト殿」
 そんなカリストに向け、マールが低くこう言った。オレンジの瞳は鋭くカリ
ストを見つめている。
「混乱? 何故?」
「水家の魔導騎士はまだ、実戦魔法を使い慣れていません。ようやく、『戦場
で魔法を使う』という思考を持って、運用を始めたばかりなんですから。これ
以上乱戦の度合いが深まれば、標的を見失って誤爆する恐れがあります」
「ならば何故、戦端が開けた時点で……いや、それ以前に何故、先陣を辞され
た!! 臆しておられるのか!!」
 鋭い問いが、再び場に沈黙を呼び込んだ。マールが反論しようとするのを、
リンナは小さく手で制する。
「カリスト殿。あなたは、何故、そうまで……戦場に、先陣に拘るのですか?」
 マールを制したリンナは静かな口調で問う。この問いに、カリストはやや眉
を寄せた。
「何故? 戦の先陣は、騎士の誉れ。先陣を切り、勝利を収めるは至上の名誉
でありましょう?」
「騎士の誇り……それだけ、ですか?」
 さも当然、と言わんばかりの答えに、リンナは更に問いを継ぐ。この問いは
カリストのみならず、場の全員を困惑させたようだった。
「それだけ……とは?」
「ぼくには……あなたが、死に急いでいるように見えます」
 流水城での再開からずっと感じていた事を、リンナは静かに口にする。この
言葉にカリストは微かに怯むような素振りを見せた。
「確かに、ぼくは経験も実力もない……ただ、聖痕を持つだけの存在でしかな
い。全ての面において兄上に劣り、勝る所なんて一つもない……そんなぼくの
指揮下に入るのは、騎士として耐えられぬ事かと思います……だけど!」
 ここでリンナは言葉を切り、どことなく虚ろだった表情をきっと引き締めた。
「だけど、今はそのプライドは捨ててください。そして、死に急がないでくだ
さい。少なくとも、父ランフォードは誇りの元に死する事は禁じていました。
 形なき『誇り』に踊らされて生命を落とすのではなく、形ある『想い』を繋
ぎ、多くの生命を護れと。ぼくは……『精霊の環』を引き継ぐ時、そう、教え
られました」
 静かな言葉と共に、今は鎧の下に隠された銀と紅珠の腕輪が微かな光を放っ
たようだった。
「とにかく、最初の質問に答えますけど……ゼファーグの先行師団が……あの、
傭兵騎士が、ここへ来ます」
 途切れがちのその言葉は、場に緊張を呼び込んだ。
「……何を馬鹿な……オーウェン大寺院近辺まで侵攻している軍勢が、今、こ
の場に現れるなど! 世迷言も大概になされよ!!」
「あら、一概にそうとは言えませんことよ? 現に、わたしたちはオーウェン
から流水城まで、一瞬で来ているのですから」
 吐き捨てるように言うカリストに、マールがすさかず反論する。
「しかし、それはあくまで夢家の当主殿の力があっての事。それほどの力の主
がそうそう……」
 そうそういるはずがない、という否定を、マールは最後まで言わせなかった。
「現ゼファーグ王クィラル、そしてその腹心である宮廷魔導師ガルォード。ど
ちらも魔導師として、夢家当主ヴェラシア様に勝るとも劣らない実力を備えて
います。
 そして、先行師団はそのガルォードに率いられていると言う事をお忘れです
の? 堅固で知られたラファティアの城壁を、一瞬で破ったのが何か、聞いて
おられぬのですか?」
 矢継ぎ早に問うマールに、カリストは苛立たしげな目を向ける。魔法という
物に関しては、やはり本職の魔道師であるマールの言葉の方が重みがある。そ
してその言葉は、騎士たちの間にざわめきを呼び起こした。
「しかし、例えそうだとしても……」
 オーウェン攻めを目的としているはずの部隊が、こちらへ来るのか。そう、
問おうとしたカリストの言葉は、途中で途切れた。
「……来た!」
 突然、リンナが鋭い声を上げ、背後を振り返ったのだ。
「リンナっ! 来たわっ!!」
 合わせるように、援護に飛び回っていたファミーナが飛来し、同じく鋭い声
を上げる。
「わかってる! そっちはぼくたちで抑えるから、ファミーナは混乱がでない
ように、前線に伝令を! 余裕ができたら、援護に来て!!」
 ファミーナにこう答えると、リンナは困惑している騎士たちを振り返った。
「ぼくを信じる信じない、認める認めないは、各人に任せます! 強制はしま
せん! でも、今はぼくの判断を信じてください! 今だけでもいいから!!」
 叫ぶようにこう言うと、リンナはレヴァーサを走らせた。青毛の駿馬は心得
ている、と言わんばかりに鋭くいななき、その意に応じて走り出す。ファミー
ナは前線へ向けて天馬を飛ばし、マールも、マントのフードに入っていたもの
――翼の生えた白猫を引っ張り出してひょい、と目の前に放り投げた。
 特異な姿をしたそれはミューキャット、と呼ばれる妖精の一種で、魔道師た
ちが盟約して従えている使い魔、と呼ばれる存在だ。地面に降りたミューキャ
ットは光を放ち、マールが乗れるくらいの大きさに膨らむ。
「クーク、お願い!」
 ぴょんっと背に乗ったマールの言葉に、使い魔のクークはみゃうん、と猫そ
の物の声で応え、ばさっと音を立てて飛び立った。取り残された形の聖騎士団
の間には、統率されないざわめきだけが広がる。ほどなく、リンナたちの向か
った方向に鈍い色の光が弾け、土ぼこりが上がるのが目に入った。
「……っ!?」
 風に乗って、歌うような言葉が聞こえてくる。それは、ゼファーグ神聖騎士
団が戦いの前に必ず唱えるもの――『聖宣』と呼ばれる宣誓文だった。それは、
そこにゼファーグ神聖騎士団がいるという事実を何よりも端的に物語っている。
「……カリスト殿……」
 年長の騎士の一人がカリストに呼びかけるのを遮るように、
「みんな、何、ぼーっとしてんだよっ!」
 ファディスが声を上げた。
「リンナが……ぼくらの主君が、敵に向かって行ったのに! ぼーっとしてる
なんて、おかしいだろっ!! 行かなきゃ!!」
 一緒に固まっていた同世代たちに向けられたらしいその言葉は、騎士団全体
に衝撃を与えたようだった。
「そ、そうだよなっ」
「リンナは、ぼくらの主君、火家の当主なんだからっ!!」
「行かなきゃ!」
「遅れ取ったら、それこそ笑い者だ!」
 その衝撃を、若い騎士たちは前進意欲へと素早く切り換える。その姿は、年
長者たちに違う形で衝撃を与えたようだった。
 リンナが火家の直系である事。
 自分たちの主君である事。
 何のためらいもなくその事実を受け入れ、当然としている若い騎士たち。
 聖騎士ランスの傑出ぶりに半ば心酔していた彼らからすれば、それは信じ難
いものなのかも知れない。勿論、それが当然の姿であると、どこかでは理解し
ているのだが。
 やがて若い騎士たちは頷き合って走りだし、年長者たちも、大半が敵を認識
したのだから、と呟きながら隊を揃えてそれに続いた。状況から取り残された
形のカリストは周囲を見回し、そこに残る顔ぶれに苦笑する。
 未だに走り出せずにいるのは、かつてランスの直属だった第一隊に所属して
いた者たちばかりだった。第一隊所属で走り出せたのはファディスなど、将来
リンナの補佐役となるべく共に編入されていた数人だけだったらしい。
「カリスト殿……」
 先ほど、ファディスに言葉を遮られた騎士が、再び呼びかけてくる。ためら
いと、困惑。その表情にはそれらがありありと浮かんでいた。
「行かぬ訳には、いくまい。リンナ様は火家直系……個人の感傷で守りきれな
かったとあっては、それこそ末代までの恥晒しだ」
 低く呟く、その脳裏を以前、レヴィッドに投げつけられた言葉が過る。
 個人の感情や思惑がどうであれ、火家の直系はリンナただ一人。
 彼が死ねば、火家は絶えてしまう。
 火家に仕える騎士が、それを容認していいはずがない。
「……刺される訳には、いかんからな」
 冷たく厳しいくるみ色の瞳を思い返しつつ低く呟くと、呼びかけてきた騎士
はは? と怪訝そうな声を上げた。カリストは苦笑しつつ、何でもない、とそ
の疑問を受け流す。
「皆、行こう。我らが今後どうするか……それを、見極めるためにも」
 静かな言葉に、居残っていた者たちは困惑しつつ、それでも一つ頷いた。

 戦場を、血の臭いをはらんだ風が過ぎていく。
「ふふん……悪くない雰囲気じゃないの」
 その風に、長く伸ばした蒼い髪を遊ばせつつ、楽しげに呟く女の姿があった。
肌を大きく露出した黒いドレスに身を包んだ、際どい装いの美女だ。彼女は淡
い紫の瞳でぐるりと周囲を見回し、艶然と微笑む。
「思ってたよりも、楽しそうだわねぇ……そう、思わない?」
 楽しげに問いつつ、振り返った先には闇が佇んでいる。勿論、闇そのもので
はないが、思わずそう称したくなるほどに、そこに佇む者は黒かった。
 漆黒の全身鎧に身を包み、こちらも漆黒の馬に跨った騎士。そこにいるだけ
で周囲が暗くなるような、闇を滲ませているような雰囲気の持ち主だ。だが、
その闇は重く、澱んでいる。リューディの安らぎを感じさせる闇とは明らかに
違う、むしろ相反する性質のものだ。
「さて、どうしようかしら? 役者も揃ってはいるようだし……挨拶するのも、
悪くはないわよねぇ?」
 何も言わない漆黒の騎士に、女は楽しげにこう問いかける。この問いに答え
るように、騎士の兜の奥に紅い光が二つ灯った。それは肯定を意味するらしく、
女は楽しげにくすくすと笑い声を上げた。
「それじゃあ……ちょっと、お邪魔しようかしらね」
 楽しそうに呟きつつ、女は戦場の中心へと目を向ける。
 風が、脅えるようにビュウ、と重い音を立てて吹き抜けた。

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