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「……それで?」
 森の中に築かれた宿営地の最も奥まった天幕の中で、ラグロウスはガルォー
ドにこんな問いを投げかけていた。
「それで、とは?」
「これから一体、ど〜すんだ?」
 端的に要点を現した問いに、ガルォードはああ、と言いつつぽん、と手を叩
く。
「ああ、じゃねぇだろっての。総数、二百と八十。これで本気でオーウェン攻
めにかかる気か?」
「仕掛けて、勝てると思いますか?」
「無理だな」
 妙に楽しそうな問いに、ラグロウスはきっぱりとこう言いきった。ストレー
トな言葉にガルォードは楽しげにくくっと笑う。
「勿論この数、そしてこの構成ではオーウェンは落とせませんよ。レイザード
を引き込めれば、勝機もありましたけど。歩行の重騎士で、天然の要害でもあ
るオーウェン大寺院は、まず攻めきれませんね」
 その笑みを残したまま、ガルォードは妙に楽しげにこう解説した。人事のよ
うな物言いに、さしものラグロウスも微かに眉を寄せる。
「二百八十、死兵にする気か?」
「まさか」
「じゃあ、どうする?」
 低い問いかけに、ガルォードはにこり、と笑って見せた。
「そろそろ、ラファティアに詰めているフェンレインが動くはずです。それに
合わせてアーヴェン平原へお送りしますから、レクサス殿と適当に連携して、
同盟軍と戦ってください。指揮権はそちらに委譲します。机上の用兵しか知ら
ぬ私より、現実の用兵を知る貴殿の方が兵を生かせるはず」
 平然と答えるガルォードに、ラグロウスははあ? ととぼけた声を上げた。
「なんだそりゃ。随分いい加減だな、おい」
「そうですか? 私は、最初から、こうするつもりだったのですよ。まぁ、ア
ルスィードが思いの他早く動いてくれたもので、予定より兵を失しましたが、
それ以外は予定通りの展開です」
「予定通り、ね……反ゼファーグ同盟の結成も、予定の内、か?」
 低く投げかけられた問いに、ガルォードは冷たい笑みを口元に乗せた。
「各個撃破のために戦力を逐次投入するのは、無駄と言うものですよ。なら、
軽く突ついて一点に集め、一気に叩いた方が、手間も省けます。
 アルスィードを叩いてドルデューンとマリレナが直接動けば同じく叩き、も
しレイザードのように閉じこもるなら、そのまま押し込めてしまえばいい」
「……フェーナディアのジイサンが動いたら?」
「陸戦兵力しか持たないフェーナディアが、ファミアスを経由せずにアーヴェ
ンに来るのは、大変でしょうねぇ。ゼファーグとの国境は、険しい険しいルキ
オート山脈ですし。アシュラティアやティシェルを抜けるのも、大変な時間と
労力を要しますよねぇ?」
 つまり、フェーナディア家は戦力として脅威となり得ない、という事らしい。
ファミアスの軍事非干渉により東西が分離された今のレティファ大陸において、
ファロードもまた、孤立状態と言えるのだ。
「……なるほどな。で、指揮権を人に押し付けた上で、軍師殿はお帰りかい?」
 ばりばりと頭を掻きつつ投げかけられた問いに、ガルォードはまさか、と笑
って見せた。
「私は、私の用事もあって、ここに来たんですよ」
「……自分の用事?」
 訝しげに眉を寄せるラグロウスに、ガルォードはええ、と頷く。
「挨拶をしなければならない方が、オーウェンにいますので。それがすんだら、
また合流しますよ」
 静かに答える魔導師の瞳は妙に冷たく、その色に、ラグロウスはそうかい、
と肩をすくめて一言、言った。
「勝手にしな」
 素っ気ないこの一言に、ガルォードはにこりと笑ってはい、と頷いた。

「兄上! 兄上、どこですか!?」
 いつも静かな屋敷の中を、苛立たしげな女の声が駆け抜けていく。ラファテ
ィアの豪商クォーガの屋敷――現在は駐留軍であるフェンレイン傭兵団の拠点
となっているこの場所は、表向きはいつもと変わらぬ様相を呈していた。クォ
ーガ邸に限らず、ラファティア全体が以前とさして変わらぬ暮らしをしている、
と言ってもいいだろう。不可能なのは、国から出る事のみ。略奪などは一切行
われていない。
 勿論と言うか、それには理由がある。強過ぎる縛りを与えると緊張の糸が断
ち切られ、事態がややこしくなる事を駐留軍側が理解しているからだ。曰く、
「市兵は簡単に死兵になっからな。鎮圧にかかる手間と費用もバカになんねー
し、やってらんねー」
 と、言う事であるらしい。ちなみにこれは傭兵団の長である氷家当主、レク
サス・ザン・フェンレインことレクサの弁だ。
 そんな訳で傭兵団は妙に大人しく、ラファティアの人々はそれに戸惑いなが
らも日常生活を続けていた。もっとも、駐留軍の拠点となっているのが人望厚
いクォーガの屋敷であり、彼がそこに留め置かれているという状況では、動く
に動けないだろうが。
 傭兵団もそれはわかっているので、市民を刺激するような行動は取らない。
何より、彼らの目的はラファティアの占領統治ではないのだ。彼らの本来の目
的は、アーヴェンに集結している反ゼファーグ同盟の掃討。『仕事』として請
け負ったのは、それだけだった。
 そして、これまで停滞気味だったその『仕事』を、本格的に始めるように、
という指示が『依頼主』から届いたのだが。
「……兄上ったら、一体どこに行ったのよっ」
 本来、それを受け取る立場のレクサは姿をくらまし、その双子の妹である副
長レイナスことレイナは深く、深くため息をついていた。
 レクサの気まぐれさは今に始まった事ではない。いや、自由気ままにやる、
と言うのは氷家当主の特徴とも言えるだろう。だが、補佐する立場のレイナに
とっては、それは厄介なものでしかない。
 特に、今回のように厄介さが際立つ『仕事』の時には、レクサにしっかりし
て欲しいものなのだが。
「その辺りの自覚のなさは、父上を超えているんだからっ……」
 ぶつぶつと文句を言うレイナの背後には、どす黒いオーラのようなものが漂
っていた。その気配の鋭さと露骨な苛立ちに、通りがかったメイドはそそくさ
と道を変え、庭先でだべっていた傭兵たちはささっと退散する。前者は完全に
気圧され、後者はレイナの機嫌の悪さを察知したが故の行動だった。特に後者
は、レイナが怒るとどうなるか、よーく知っているだけに行動が早い。
「……若、またバックれかね?」
「お嬢の様子からして、そんなもんだろーな」
 レイナが通り過ぎた後では、傭兵たちがこんな言葉を交わしていた。
「しかし、お嬢のあの様子からして……」
「ああ。頭に、召集かかったしな……」
 傭兵たちの間に、一瞬、沈黙が訪れる。
「まあ……取りあえず、だ」
「隊の頭が居残りクジをひかねぇコトを祈りつつ、準備にかかるかね」
 軽く言葉を交わしつつ、傭兵たちはゆっくりと動き始める。
 そんなやり取りなど露知らず、レイナは邸内を歩き回り、ふとある場所の事
を思い出した。
「……上にいないとなると……」
 低く呟いて、そちらに足を向ける。向かったの先は、地下の書庫。ここに拠
点を据えた時、レクサは書庫があると聞いて子供のように喜んでいた。そして、
暇さえあればそこに入り浸っているのだ。
「……兄上!」
 案の定と言うべきだろうか。レクサは地下書庫の隅、地上からの灯り取り窓
の下に椅子を置いて座り、本を取るための脚立に足を投げ出すようにして分厚
い本を読み耽っていた。その表情はどことなく物憂げで、幼さすら感じさせる。
「……あ、に、う、え!」
 一度目の呼びかけでは返事はなく、レイナは苛立ちを募らせながら語気を強
めてもう一度呼びかけた。レクサはあん? と言いつつ、うるさそうな目をレ
イナに向けた。
「なんだよ、レイナ」
「なんだよ、じゃ、ありません! 何をなさっているのですかっ!」
「何って……おま、コレが料理してるよーすに見えんのかー?」
 声に込められた苛立ちに気づいているのかいないのか、レクサは平然とこん
な返事をする。それがレイナにどんな影響を与えるのか、わかっているのかど
うかはかなり微妙だ。
「……兄上! 真面目にやって下さい!」
 怒気をはらんだ声と共に、べしいっ!という音が書庫に響いた。レイナが腰
に着けていた剣を鞘ごと外し、それでレクサの頭を殴り倒した音だ。殴られた
レクサは半ば椅子に沈み込みつつ、いちちちち、と言って殴られた所を摩る。
「ってぇなあ……」
「当たり前です、痛いように殴りましたから」
「……きぱっと言うんじゃねぇよ……」
 ぶつぶつと文句を言いつつ、レクサは態勢を元に戻した。
「んで、何なんだよ?」
「……クィラル殿から、指示が来ています」
「旦那から? っだー、ようやくかよ、待ちくたびれさせやがって!」
 問いに答えるレイナの声の低さに気づいているのかいないのか、レクサは妙
にわくわくした口調でこう言いつつ、本を閉じた。傍らの山にそれを積み上げ、
弾みをつけて椅子から立ち上がる。
「んで、頭どもは?」
「とっくに集ってます! 待ちくたびれて、寝てるんじゃないかしら?」
「へへっ、寝てるヤツには居残りクジ決定だぜ。ま、仕方ねぇわな、ここに来
てからどーにもヒマだったしよ」
 楽しそうに楽しそうに言いつつ、レクサは傍らに置いた剣を手に取る。その
表情には、先ほどまでの物憂げな様子は全く見られない。氷を思わせる青の瞳
に浮かぶもの――それは憂いではなく、期待だ。
「ま、住み易さと、メシの美味さは中々のモンだが、やっぱここは『火竜』の
都だからな。『氷狼』の肌には今ひとつあいやしねぇ……っしゃあ、気合入れ
て行くぜ!」
 どこまでもどこまでも楽しげに意気を上げるレクサの様子に、レイナはやれ
やれとため息をついていた。

 少しずつ、少しずつ。大きな戦いへ向けて、全てが動き始める。

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