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   5

 戦いの準備が本格的に始まったオーウェン大寺院の中は、にわかに慌ただし
さを増していた。
 アーヴェンのアルスィード魔導騎士団に合流するのはリューディ、レヴィッ
ド、リンナ、ファミーナ、マールの五人。カールィは寺院に止まり、ミュリア
のガードを担当する事になっていた。気心が知れた者が一人くらいはいた方が
いいだろう、というヴェラシアの配慮によるものだが、どうやら彼女自身、カ
ールィについて気にかかる事があるらしい。
「オレ、別に珍しくないと思うケドなあ……」
 色々聞きたい事がある、というヴェラシアの言葉に、カールィはこんなぼや
きをもらしていたが。
 リューディたちの他に、武闘僧兵団と魔導師団から各一師団が合流する。こ
ちらの本隊はゼファーグの先行師団の撃破後にアーヴェンに合流する事になっ
ていた。アーヴェンにはラファティアで敗走したフレイルーン聖騎士団の生き
残りが到達しているらしく、その報せはリンナに多少、明るさを取り戻させて
いた。
「地、水、火、夢、四家あわせて前線は八百ってとこか……早いとこ、先行師
団、潰しておきてえとこだな」
 大雑把に数を計算したファビアスがぼそりと呟く。
 ゼファーグの先行師団の現在の総数は二百前後らしい。そこだけを見れば、
数の上ではこちらが有利だ。しかし、現在ゼファーグの支配下にあるラファテ
ィアに厄介な集団が配備されている、という情報もある。十二聖騎士侯・氷の
フェンレイン家の率いる流浪の傭兵集団、フェンレイン傭兵団がゼファーグに
与し、ラファティアに待機しているらしい。
 今は何の動きも見せてはいないが、アルスィードとフェンレインの激突は必
至となるだろう。フェンレイン傭兵団の総数は四百。数だけを見れば大した事
はないが、その構成員の大半はヴィズル戦役を生き延びた猛者たちである。油
断する事はできない。
「戦屋騎士さんがあっちついたのって、イタイっすねー」
 例によってのほほ〜んとレヴィッドが言う。一見すると緊張感皆無だが、瞳
は真剣だ。
「連絡つかねえ時点で覚悟はしてたがな。見事に、クィラルに先越されてたぜ」
 それに、ファビアスがため息を交えて吐き捨てる。
「今の氷家は文字通りの神出鬼没、その行動は読めませんわ。しかし、こうな
った以上は何としても風家にこちらについていただかないと。ファロードがゼ
ファーグに与したなら、こちらは更に不利になります」
 ヴェラシアの呟きにリンナがええ、と頷いた。
 風家の治めるファロードの南は、兵力を一切持っていない。星家のティシェ
ルは学術都市という性質柄軍備は無く、ヴィズル戦役以降、継承者不在で断絶
となっている天のアストレシア家の所領であったアシュラティアもまた、然り
だ。
 そして、ティシェルと湾を挟んだ反対側に位置してるのが夢家のオーリェン
トだ。もし風家がゼファーグに与するなり、敗北するなりして軍勢が南下すれ
ば、オーリェントにまで前線が拡大する事になる。そうなると、数的にもこち
らが不利なのだ。
「ファロードは……風家のカールレオン卿は、この状況をどう見ているのでし
ょうね?」
 リンナの疑問に、ファビアスがさあな、と投げやりに言って嘆息する。風家
当主であるカールレオンは、未だに何の行動も起こしてはいない。レイザード
家のように閉じこもるでなく、フェンレイン家のようにゼファーグに与する素
振りも見せない。それでいてアルスィード家のように行動を起こそうとはせず、
先日派遣した使者も戻らないままだ。
「……もうろくするにゃ、まだ早いと信じてえんだがな」
 冗談めかして言いつつ、ファビアスはさっきから黙ったままのリューディを
見た。リューディは窓辺に頬杖をつき、ぼんやりとしている。この所というか、
ミュリアとの一件以来ずっとこんな調子なのだ。どこか気が抜けたような、ど
こかいらついたような、お世辞にも安定しているとは言い難いその精神状態は、
これから戦いに赴く者としてはおおよそ好ましいとは思えない。
「ま、フェーナディアの御大には色々と働きかけてくしかねえ。あとは、目の
前の敵をどうさばくか、だな。ぼちぼち、態勢も整えてるだろうしよ。ま、こ
れもこれで、考えても始まらなねえが」
 大雑把に状況をまとめると、ファビアスは立ち上がってリューディに歩み寄
り、その襟を掴んで吊るし上げた。
「ぐえっ!? な、なんだよっ!?」
 突然の事にさすがにリューディは我に返る。ファビアスは片腕で猫の子よろ
しくリューディを吊り上げ、にやりと笑う。
「な〜に、話が一段落した所で、外の空気を吸って来ようと思ってな。お前も
付き合え」
「付き合えって……」
「今、一番気分転換が必要なのはお前だ! ほら、来い!」
 こう言うと、ファビアスは問答無用と言わんばかりにリューディを引きずっ
て行く。
「ぐえっ!? く、首! わかったから、付き合うからっ! 首! 締まる!!」
「……つか、あれ、絶対ワザと絞めてんじゃ……」
 大騒ぎをするリューディの言葉にレヴィッドが突っ込み、リンナがうん、と
頷いてそれに同意した。

 部屋を出たファビアスはリューディの首根っこを掴んだまま、寺院の一番高
い尖塔へと向かった。陽が落ちて、周囲はどんどん暗くなっていく。夜闇の到
来――リューディにとって最も心地よい時間帯だ。
「んーで?」
 塔の一番高い所までやって来ると、ファビアスはリューディを解放してこん
な問いを投げかけてきた。
「んでって……何が?」
 ようやくの解放にほっと息をついていたリューディは、きょとん、としつつ
ファビアスを見る。
「一体、何を落ち込んでんだ?」
 軽い問いにリューディは別に、と言って目をそらした。ファビアスは眉を寄
せると、太い腕でがっしとリューディの首を抱え込む。
「な〜にが『別に』だよ! 上の空かピリピリか、ここんとこそのどっちかば
っかじゃねーか?」
「そ、それはっ……」
「悩みがあんなら相談しろ! そんなんじゃ、とても前線には送れねーぜ?」
「……う」
 さらりと言われた言葉がずきりと響く。確かに、こんな中途半端な精神状態
では、戦場で生き残るのは困難だろう。リューディはぎゅっと唇を噛み締め、
それから、かすれた声でオレ、と呟いた。
「どう言えばいいのか……わかんなくて……」
「どう言えばいいのか? 何に?」
「……ミューに」
 ため息と共に名を口にしてから、リューディは事の顛末を話して聞かせた。
誰かに聞いてほしかったと、心の片隅で思っていたためだろうか、包み隠さず、
全てを話す事ができた。
 ファビアスは黙ってそれを聞いていたが、話が終わると一つ、息を吐いた。
「なんだなんだ、自信、ねえのか?」
「……自信?」
 思わぬ言葉に顔を上げると、ファビアスは空いている左手を頭の上に乗せて
きた。
「そう、自信。ねえだろ?」
「そんな事……大体、なんの自信だよ?」
 ややむっとしながら問うと、首に回った腕に力がこもった。リューディはぐ
え、と声を上げてじたばたする。
「そんな事もわかってなかったのかあ? っとに、どーしよーもねーな、お前
は……」
 苦しげなリューディの様子は完全に無視して、ファビアスは大げさなため息
をつく。
「ファビ……に……くる、し」
「あん? この程度でへたばってどーする、情けねえ」
 情けない云々以前に限度があるはずだが、その理屈は通用しないらしい。
「護る自信がねえんだろ、結局は」
 じたばたもがくリューディに、ファビアスは呆れ果てたと言わんばかりの口
調でこう言った。この言葉にリューディはえ? と言って動くのを止める。同
時にファビアスが腕の力を緩めたが、言われた言葉に衝撃を受けていたリュー
ディはそれに気づかない。
「護る自信が、ない?」
「違うか?」
 静かな問いに、リューディは何故か答えられずに唇を噛んだ。
「確かに、状況的に連れてく事はできねえから、それが理由になるのは当然だ
な。だが、お前に『護る自信』があれば、泣かれたって騒がれたって、ちゃん
と説明できたんじゃねーか? でも、お前はそれができなかった……何故だ?」
「何故って……それは……」
 問いに答える術が見つからず、リューディは口篭もってしまう。
「自信がねえからだろ? だから、状況を盾にして、その場、取り繕おうとし
たんじゃねーのか?」
 静かな言葉がぐさぐさと突き刺さる。なんとか反論したいのに、何故かそれ
はできなかった。リューディはきつく唇を噛んで目を伏せる。
「リューディ」
「……」
「お前が、月家のリューディスに戻りたくねえ理由は、あの子だろ?」
「……っ! それはっ……」
「月家の剣は、陽家のために振るわれるべきもんだ。月家の名を継げば、あの
子一人のために剣を振るう事は状況が許しちゃくれねえ……だから、月家の名
を継がねえって言ったんだろ、こないだは?」
 静かな言葉は否定すべくも無く、リューディは一つ頷いた。月家の名を継ぎ、
家を再興するという事。それは、陽家への義務を第一とし、大きな責任を負う
事になる。そうなればミュリアを――幼なじみの少女を護りたいという、ささ
やかな願いは状況によっては押し潰さなくてはならなくなるのだ。
 それが嫌だから。そんな事を言っている場合ではないと理解しつつ、月家の
即再興を拒んだのだ。
「そこまで想ってんなら、うだうだ悩むんじゃねーよっ!」
 こう言うと、ファビアスは不意打ちで首を絞めてきた。
「ぐえっ!?」
「月家の名よりも大事なモンってわかってんなら、きっちり護れ。その自信が
ないならないなりに、はっきりそう言っちまえ! その方が、なんぼかすきっ
とすんだろ?」
 こう言うと、ファビアスは突き放すようにリューディを解放した。ようやく
その腕から逃れたリューディは喉元を押さえて荒く息をする。自由に吸える空
気が、妙にありがたい。必死で深呼吸するリューディに、ファビアスは情けね
えな、と辛辣な言葉を浴びせた。
「ま、決めるのはお前自身だ。すきっとしてから行くか、うだうだ引きずって
くか。自分でいいと思う方を選べ」
 それまでとは一転して静かな口調でこう言うと、ファビアスはくるりと踵を
返して階段を降り始める。リューディは階段の方を振り返り、ファビアス兄、
と声かけた。ファビアスは足を止めて、ゆっくりと振り返る。
「ん? どした?」
「あ……」
 呼び止めたものの、しかし、何を言えばいいのかわからなくて言葉に詰まる。
結局、なんでもない、と呟いて目をそらすリューディに、ファビアスはそうか、
と苦笑して階段を降りて行った。
「……」
 ファビアスが行ってしまうと、リューディはぼんやりと空を見上げた。夜空
には、下弦の半月がぽかりと浮かんでいる。
「……オレ……どうすればいい?」
 かすれた問いに月は当然の如く何も語らず、静かな光を放つのみだった。

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