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   ACT−4:隣り合わせの過去と現在 03

 取りあえず、天候が回復するまでは旧第七師団の世話になる。師団の主要メ
ンバーとの話し合いがそこに落ち着く頃には、すっかり日は暮れていた。ただ
でさえ暗い所に雨が降り、更に先の戦いが師団の戦士たちに残した精神的な痛
手がずん……と重い空気を漂わせている。
「……好きじゃないんだよなあ、こういう空気」
 その重い空気の中、ソードは廊下に佇んで雨を眺めつつ、こんな呟きをもら
していた。状況柄、余りお気楽なのもどうかとは思うが、それにしてもこの空
気は重い。
「仕方ないわよ、ただでさえアテにしてた戦力が潰されて、士気が落ちてるん
だもの」
 ため息混じりの呟きに、ため息混じりの呟きで誰かが応じた。おんや、と言
いつつ振り返った先には、メイファの姿がある。
「アテにしてたって……ああ、丘の下の三十人。そんなに、腕の立つ連中だっ
たの?」
「バルゼルード傭兵団……大陸でも、一、二を争うとまで言われた傭兵団の生
き残りよ。あたしも、かなり期待してた」
 軽い問いかけに、メイファはゆっくりと隣にやって来てこう答えた。
「そっか、そりゃ災難。挙句に転がり込んじゃって、悪かったね」
「それはいいわ、結果的にこっちが助けられたんだから、お互い様よ」
「あはは、そう言って貰えると助かる。ムダ飯食いってのは、一番申し訳ない
んでね〜」
 軽い口調で、笑いながらこう言うと、メイファは不思議そうな面持ちでソー
ドを見つめた。
「え……どうか、した?」
「……笑うのね、あなたは」
「……は?」
 表情の変化と、言われた言葉。その意味が理解できずにソードは思わず呆け
た声を上げる。
「クロードは……笑わなかった。いつも、冷たい目をして……笑って、くれな
かった」
 ソード話す、というよりは、独り言めいた言葉。それにどう返せばいいのか
わからず、ソートはただ、困惑した瞳をメイファに向けた。その困惑に気づい
たのか、メイファは小さなため息を一つつき、ごめんなさい、と呟く。
「いきなり、おかしな事言って……でも、正直、まだ信じられないのよ。あな
たが、クロードじゃないって事。だって……顔も、声も、そっくりだし……」
「……」
「でも、やっぱり違うのよね。あなた、ちゃんと笑うから……それが一番、大
きな、違い……」
「えっと……」
 はっきりそれとわかる、切なさと寂しさを帯びた表情と声に、ソードはます
ます困惑する。とはいえ、ここで何か言うと泥沼化するような予感はあった。
(ど、どーするかな……)
 だからと言ってこのまま黙り込んでいる訳にも行かず、さてどうしたものか、
と考え始めた矢先、
「みゃう!」
 甲高い声と共に、何かが後頭部に飛びついてきた。何か、と言っても、こん
な事をするのは一人しかいないが。
「くぉら、リュンっ! いきなり人に飛びつくんじゃないって、いつも言って
るだろっ!」
「みゅう〜!」
「みゅう〜、じゃないっ!」
「みゃううっ!」
「みゃうう、でもないっ! ……ってこら、お前、なんでこんなとこにいるん
だよっ!?」
 いつもの掛け合いの途中で、ソードはふとそれに気づいた。リュンは先ほど、
不安定なミィの側についているように、と置いてきたはずなのに、と。
「ソード、くるのぉ!」
「くるのって、どこに!?」
「いーの、くるの!」
 言いつつ、リュンはソードの頭にしがみついたまま、引っ張るように身体を
後ろにそらした。当然というか、重さに引き摺られる形のソードは後ろに向か
ってバランスを崩す。
「わたっ!? こら、やめろって!」
 危うく倒れ掛かるのをぎりぎりで支え、しがみつくリュンを引き離す。その
まま手を返し、ちょうど逆さまの状態で顔を合わせると、金色の瞳は睨むよう
にソードを見つめていた。どうやら、怒っているらしい。逆さづりな現在の体
勢対する不満も、多少はあるのかも知れないが。
「……何、怒ってんだお前」
「ソード、こないんだもん」
 思わず問うと、リュンは拗ねたようにこう返す。
「だから、どこに!?」
「みゅ〜……とにかく、ソード、くーるーのーおっ!」
 こう言うと、リュンは逆さまのままじたばたと暴れだす。見事なまでの駄々
っ子モードに、ソードはやれやれ、と息を吐いた。
「あー、わかったわかった、わかったから暴れるなっ! ……って訳でごめん、
オレ、行くわ」
 暴れるリュンを半ば強引に肩車しつつこう言うと、ソードはメイファに軽く、
頭を下げる。肩車されるとリュンは途端に機嫌を良くして、いくのお! と廊
下の奥を指差した。ソードははいはい、と言いつつそちらへと歩き出す。
「まったく……筋道立てた説明の仕方を、学ばせねばならんな、あいつには」
 一連の掛け合いに呆然としていたメイファを、呆れたような嘆息が我に返ら
せる。はっと振り返ったメイファは、腕組みをして佇む人影──シュラの姿に
一つ瞬いた。
「あなた……いつの間に?」
「先ほどからここにいたが……取り込み中だったのでな」
 声をかけるのは遠慮していた、と。警戒を帯びた問いにさらりと返しつつ、
シュラはゆっくりと窓辺に寄る。
「何か、用なの?」
「レイファから、これを預かった。もし会う事があったなら、渡してくれと」
 短い問いに答えると、シュラは懐に手を入れて布の包みを取り出した。青鈍
色のそれを開くと、微かな灯りの下で銀が煌めきを弾く。包まれていたのは、
銀細工の護符だった。現れたそれに、メイファははっと目を見張る。
「……これって……それじゃ、姉さんは?」
 戸惑いを交え、微かに震えた声の問いに、シュラは僅かに目を伏せたように
も見えた。
「……自己の信念に、殉じた」
 短い空白を経て、シュラは静かにこう返す。短い答えにメイファはそう、と
呟きつつ小さなため息をついた。
「ほんっとに……どこまでも、父さんそっくりだった訳ね、姉さんは」
 呆れたような、でもどこか寂しげな呟きの後、メイファはソードとリュンが
歩いて行った方を見やる。
「それじゃ、あのリュンって子は……姉さんの?」
「忘れ形見、という事になる。見た通りのものだがな」
「そう……ちゃんと成果は出したんだ。そういう所は、さすがね」
 くすり、と微かに笑んでこう呟くと、メイファはシュラに向き直った。
「そのアミュレット……嫌じゃなかったら、持っててあげてくれるかしら?」
「……なに?」
 思わぬ申し出に、シュラは微かに眉を寄せる。
「それね、姉さんが初めて造ったアーティファクトなの。初めての完成品だっ
て、凄く大事にしてた。死んだら、お墓に持って入るって言ってたくらいにね」
「……それほどの物であるなら、尚の事身内が持つべきではないか?」
 シュラの疑問に、メイファはふう、と一つ息を吐いた。
「そうかも知れないけど……でも、考えてみて。姉さんがそれをあなたに渡し
た時点で、あたしとあなたが会う可能性って、皆無に等しかったじゃない」
「確かに……な」
「つまり、姉さんはあたしに渡る事、期待してなかったってワケ。本音は……
あなたに持ってて欲しかったんじゃないかしら。姉さん、そういう所は不器用
だったから、ね……」
 どことなく寂しげなメイファの言葉にシュラは改めて護符を見、それから一
つ、ため息をついた。
「では、もうしばらく預かるとしよう。リュンが、己の在り方を見出す時まで、
な」
「そういう結論つけるの? まあ……あなたの自由だけどね」
 呆れたような言葉に、シュラは苦笑めいた面持ちで答える。メイファはやれ
やれ、と大げさなため息をつき、それからソードたちの消えた廊下を改めて見
た。
「……一つ、聞いてもいいかしら。その……」
「ソードの事か?」
 言い難そうな言葉の先を引き取って問うと、メイファはこくん、と頷いた。
「あなたなら、わかるんじゃないの? 五年前のあの日……クロードに『救わ
れた』あなたになら」
 低く問うメイファに、シュラはやや険しい視線を投げかける。メイファは臆
した様子もなく、真っ向からその視線を受け止めた。
「……『焔獄の聖魔騎士』クロード・ヴェルセリス……我が必殺の剣・鋼破斬
を受けてなお生きていた唯一の男……確かに、奴とソードには、共通項が多い」
 つと視線を逸らして窓の向こうの暗闇を見やりつつ、シュラは独り言のよう
に呟く。
「だが奴らが同一の存在であるか否かを見極める術はない。仮に、ソードがク
ロードであったとしても……」
「あったとしても……何よ?」
 途切れた言葉の先をメイファが促すと、シュラはふ、と短く行きを吐いた。
「恐らく、戻る事はあるまい。奴は振り返る過去を一切持たず、それ故に、全
てをあるがままに受け入れている。そして、その生き方に馴染んでいるようだ
からな」
 まったく、お気楽なものだ、と。どことなく呆れたような響きを交えて付け
加えつつ、シュラは軽く肩を竦めた。メイファは何も言わずに、僅かに目を伏
せる。
「いずけにしろ、奴が何者であるかを決めるのは奴自身だ。その選択は、何者
に左右される事もない」
「……周りで、とやかく言うな、って事?」
 低い問いかけを、シュラはさあな、と軽く受け流した。
「所詮、私が述べているのは理屈にすぎん。それに従う義理はなかろうが……」
 ここでシュラは言葉を切り、やや厳しい面持ちでメイファを見た。静かな蒼
氷色に、メイファはやや怯む。
「感情に煩わされて自失はするな。経緯はどうであれ、お前はここを統べる者。
一軍の将として成さねばならぬ事、果たすべき責……それだけは、忘れるな」
 瞳と同様、静かな口調でこう言うと、シュラはゆっくりと廊下の奥の闇へと
消える。
「……」
 一人、その場に残ったメイファはしばし、唇を噛んで立ち尽くしていた。

「……んで、さぁ」
「みゅ?」
 その一方で。
「お前、オレをここに連れてきて、何をしろって?」
 リュンに連れてこられた部屋の前で、ソードは困惑しつつこんな問いを投げ
ていた。
「ソード、ここいるの」
「ここいるの、って、ここって……」
 リュンの答えにソードは眉を寄せて頬を掻く。ここは確か、先ほどリュンと
一緒にミィを置いて行った部屋のはずなのだ。
「ソード、ここいるの。ソード、ミィと一緒いなきゃ、ダぁメ!」
「ダぁメ、ってな、おい……」
 言い切られても困るのだが。
 とはいえ、ミィの様子が気にならない、と言えば、それはそれで嘘になる。
(ほっとくのも、心配だしな、あの様子じゃ……)
 こんな事を考えつつノックをするが、返事はない。仕方ないので、入るよ、
と声をかけてドアを開けると、リュンがぴょん、と頭から飛び降りた。
「リュン? ……どわっ!?」
 突然の事を訝って振り返った矢先、強い力が背中を押した。その勢いに、ソ
ードは半ばよろめくように部屋に入る。転ぶ直前に踏み止まって廊下の方を振
り返ると、悪戯っ子の表情で笑いあうリュンと風の精霊の姿が見えた。直後に、
ぱたん、と音を立ててドアが閉まる。
「あいつら……気ぃきかせたつもりかよ?」
 呆れを込めて呟きつつ室内を見回したソードは、椅子の背にぐったりともた
れかかるミィの姿にぎょっとした。
「……ミィ!?」
 慌てて駆け寄り、顔を覗き込むと微かな寝息が耳に届いた。どうやら、泣き
疲れて眠ってしまったらしい。ここに来てからの一連の出来事は、相当にショ
ックだったのだろう。
「やっぱりオレ……何にも、してやれないのかな?」
 弱々しいその姿にふとこんな呟きがもれ、その事実が心に重く圧し掛かる。
ソードは一つため息をつくと、起こさぬように気遣いつつミィを抱き上げ、ベ
ッドまで運んでやった。ついでに、顔に残ったままの跡をそっと拭う。
「……ねえ……さま……ファル……」
 不意に、ミィの口からこんな言葉が漏れた。寝言なのは説明されるまでもな
くわかる。わかるのだが、しかし。
(寝言で呼ぶのは、あいつなワケね)
 こう考えてしまうと、妙に悔しいものがあった。そんな複雑な思いを込めた
息を吐くと、ソードは椅子の一つに腰を下ろして窓の方を見やる。雨は、その
勢いをどんどん増している。どうやら当分、止むつもりはないらしい。
「早く止んでほしいよーな、そーでもないよーな……やれやれ」
 ぼやくような呟きを漏らしつつ、ソードは目を閉じる。今日一日の騒動が招
いた疲れが睡魔を呼び込み、そして、睡魔はいつもの悪夢を呼び寄せる。断ち
切れないその悪循環に苛立ちばかりが募るが、断ち切る術は見つからないまま
だった。

 夜が明けても雨の勢いは衰えを知らず、日が昇っても周囲はどんよりと薄暗
い。どうにも、気の滅入る朝だった。
「……ん……え……私……」
 目を覚ましたミィは一瞬、状況を掴みあぐねてこんな呟きを漏らしていた。
泣き出して、泣き疲れて寝入ってからの記憶など当然の如くないため、どうし
て自分がちゃんとベッドで寝ているのかがわからない。
「ええと……?」
 戸惑いながら起き上がり、室内を見回したミィは、椅子に座る人影に気づい
て身を強張らせた。しかしそれは長くは続かず、そこにいるのがソードと気づ
いたミィは安堵の息をつき、それからお世辞にも穏やかとは言い難いその寝顔
に息を飲んだ。
 一言で言えば、苦悶の表情。いつもの明るさからは想像もつかないような、
苦しげな表情が、そこにあった。
「……」
 ゆっくりとベッドを降り、そっとそちらに近寄る。思えば、ソードが眠って
いる所を見るのは、これが初めてかも知れなかった。ソードはいつもミィが眠
るまでは休まず、目覚める前には起き出しているから。
「……くっ……」
 どうすればいいのか困惑したまま立ち尽くしていると、ソードが呻くような
声を上げた。内容はわからずとも、見ている夢の苦しさはその表情から容易に
窺い知れる。
「……ソードさん……ソードさん、起きてください」
 やや躊躇ったものの、ミィはそっと声をかけつつソードの肩を揺さぶった。
目を覚ませば、少なくとも今見ている夢からは抜け出せる。そう思ったから、
というのが主なものだが、苦しげな表情それそのものを見たくない、という気
持ちもまた、僅かながらに存在していた。
「ソードさん……」
「ん……ん? あ……れ?」
 何度目かの呼びかけの後、ソードはゆっくりと目を覚ました。翠珠色の瞳が
ぼんやりとミィを見つめ、何故か一瞬、困惑したような表情が過ぎる。その困
惑に戸惑いつつ、ミィは大丈夫ですか? と問いかけた。
「え? あ、ああ、うん……多分」
 それに対する返事は妙に歯切れ悪いものがあったが、ミィがその理由を問う
事はできなかった。問いを発するより早くぱたん、とドアが開き、緑色が目を
引く物体が飛び込んできたからだ。
「みゅ〜♪ ソードとミィ、起きた〜♪」
 妙に楽しげに言いつつ、緑色のそれ──リュンはぴょん、とミィに抱きつい
てくる。無邪気なその様子に、ソードが毒気を抜かれたような面持ちで一つ、
息を吐いた。
「っとに、お前は元気だね」
「リュン、元気〜♪ ソードもミィも、ごはんなのー」
 呆れたような言葉にも元気に応じるその様子に、ミィは気が鎮まるのを感じ
ていた。それはソードの方も同様らしく、苦笑しながらリュンの頭を軽く撫で
ている。
「ご飯、ね。じゃ、行こか?」
 一しきりリュンを撫でたソードの問いに、ミィははい、と頷いた。


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