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   ACT−4:隣り合わせの過去と現在 04

 取りあえず、その日は何事もなく過ぎて行った。
 旧第七師団のメンバーとソードの間にちょっとしたトラブル──本当に団長
ではないのか、の悶着はあったものの、どうにかそれは収まり、何事もなく日
は暮れた。
 しかし、状況への緊張の糸はますます張り詰め、ぴりぴりとした雰囲気が漂
っていくのは誰にも止められなかった。『神斬の魔剣士』が帝国についた、と
いう事実。それが、大きなプレッシャーになっているらしい。
 もっとも、そんな緊張はシュラに言わせると、
「精神鍛錬がなっていない」
の、一言で斬り捨てられてしまうのだが。
 そんな感じで一日が過ぎて行き──翌日。
「……みううう〜……」
 朝起きてからずっと、リュンは不安げな声を上げていた。リュンだけではな
く、周囲の精霊たちもその不安を伝えてくる。それらの不安から、ソードは自
然、気を引き締めていた。
「……来ると思うか?」
「まず、間違いなし」
 同じく緊張を保っているシュラの問いに、ソードは窓越しに雨を眺めつつ、
短く答える。
「では、どうする」
「……やんなきゃ、なんないよな……殺られるワケには、行かないし」
 静かな答えに、シュラは真理だな、と呟いた。そんな二人のやり取りに、ミ
ィが瞳を陰らせる。
「……ミィ」
 その陰りに、リュンがミィを不安げに呼んだ。ミィは無言でリュンの緑の髪
を撫でる。ソードはちら、とそちらに視線を向け、声をかけようとするものの、
直後に感じた気配に言いかけた言葉を飲み込み窓の外へを見た。
「……来たな」
 シュラの短い言葉にああ、と頷くと、ソードは窓を開ける。その音と、一際
大きく響いてきたミィが顔を上げた頃には、ソードは雨の中へ飛び出していた。
「早々割り切れるものではなかろうが……一つ、理解すべき事がある」
 顔を上げたミィに、シュラがごく静かに声をかけた。戸惑いを帯びて向けら
れるスミレ色の瞳を、蒼氷色の瞳は冷静に見返した。
「今の奴は、ユグラルの守護剣士ではない。辛かろうが、それが現実だ」
 静かに、静かにこう告げると、シュラもまた雨の中へと駆けて行く。取り残
された形のミィは、また俯いて唇をかみ締めた。
 廊下の方からは、慌しく行き交う足音と声が聞こえてくる。『神斬の魔剣士』
の襲撃──その報にざわめく建物の内部で、ミィとリュンのいる部屋だけが、
ざわめきから取り残されたように静まり返っていた。
「ミィ」
 その静寂を破り、リュンが小さくミィを呼ぶ。
「……わからない……どうすれば、いいのか……わからない……」
「ミィ……」
 震える声を上げるミィを、リュンは不安を帯びた金色の瞳で見つめ、それか
ら小さな手を精一杯伸ばしてミィの髪を撫でた。
「ミィ、なくの、や。ミィ、なくと、ソードも、リュンも、みんなもかなしい
から……や」
 悲しげな訴えにミィは答えず、ただ、小さな身体を抱き締めるだけだった。

 雨に包まれ、灰色に陰った空間に黒い影が佇んでいる。左手には、漆黒の剣。
灰色の雨の中、その姿は明らかに異質だった。いや、存在そのものが世界から
異質なのだろうか。少なくとも、ソードにはそんな風に思えていた。
「……来ましたね」
 近づくソードに気づいたのか、黒い影──ファルシスが低い声を上げた。
「待たれてたみたいだからね。期待裏切っちゃ、マズイでしょ?」
 それに、ソードはひょい、と肩を竦めて応じる。口調は軽いが、瞳は厳しい。
その瞳の厳しさに、一歩遅れてやって来たシュラは小さく息を吐いた。それか
らおもむろに刀を持った右手を横に伸ばす。その動きに更に遅れてやって来た
メイファは道を遮られ、慌てたように足を止めた。
「な、なによ、いきなりっ!?」
「見れば、わかろう?」
 食って掛かるメイファにシュラはさらりとこう返す。蒼氷の瞳は、対峙する
ソードとファルシスに注がれていた。その視線を辿ったメイファは、二人の間
の緊張した空気に息を飲む。
 戦いは、既に始まっている。
 それは、誰の目にも明らかな事実だった。そして、それが他者の介入を許さ
ぬ事も、張り詰めた空気から容易に窺い知れる。集まった者たちは固唾を呑み、
対峙する二人を見つめた。
「……一つ、聞いときたいんだけどさ」
 雨音が響くだけの静寂を破り、ソードが声を上げた。ファルシスは何か、と
短く応じる。
「お前、何で戦ってんの?」
 ストレートな問いにファルシスは微かに眉を寄せ、周囲の者たちも、シュラ
を除いて皆怪訝そうな表情を覗かせた。
「何故、そんな事を?」
「ちょっと気になったから」
 低い問い返しにソードは軽くこう答え、ファルシスは訝しげな視線をソード
に向けた。向けられるそれを、ソードは悠然と受け止める。
「……何を言い出すのかと思えば……くだらない」
 沈黙を経て、ファルシスは呆れ果てた、と言わんばかりにこう吐き捨てた。
左手の漆黒の剣がゆっくりと上がり、切っ先がソードに向けられる。
「大体、そんなものは決まっているでしょう? あなたたちが邪魔だからです
よ。邪魔は、取り除かなければならないんです。
 あなたたちが戦う理由も、結局は同じでしょう? 相手が邪魔だから、存在
が不都合だから、排除する。
 どんなに大層な理想を掲げていても、根底にあるのは相手が邪魔だから取り
除きたい、という意思、それだけなんですから」
 淡々と告げられる言葉に、ソードはなーるほど、と呟いた。どことなく呆れ
たような響きを感じてか、ファルシスはむっとしたように眉を寄せる。
「まー、そー、怒んない怒んないっと。んじゃ、さ。なんで、ジャマなワケ?」
 眉を寄せ、睨むようにこちらを見るファルシスに、ソードは低くこう問いか
ける。突飛と言えば突飛な問いに、ファルシスのみならずメイファたちも呆気
に取られたようだった。唯一、シュラだけは態度を変えず、むしろ険しさの増
した瞳を対峙する二人へと向けている。
「なんで? 何故……とは?」
 空白を経て、ファルシスが低く問いを投げてきた。その声には、微かに困惑
らしき物も感じられる。
「なんで、はなんで。なんで、ジャマなの? まさか……皇帝陛下の邪魔をす
るから……なぁんて事は、ないんだろ?」
「っ! そ……それはっ……」
 軽い口調でつがれた問いに、ファルシスは明らかな動揺を示した。
「少なくとも、心酔して、どこまでも着いて行きたいタイプじゃないみたいだ
しねぇ、皇帝さんってのは」
「……くっ」
「そんなモンのために、何だって戦うワケ? 戦いたくない、って、自分で思
ってんのに」
 動揺するファルシスに、ソードはざくざくと遠慮なく言葉で斬りこんで行く。
黒衣に包まれた身体が小刻みに震え、その震えと呼応するように手にした剣の
柄に埋め込まれた青い宝珠がちらちらと光を放つ。それらは、剣士の心の乱れ
を端的に物語っているようだった。
「戦うだけの意義のあるものじゃない。生命を託して、掛けていい相手じゃな
い……わかってんだろ? 剣聖って呼ばれてるだけの、あんたなら?」
「だ……ま、れ……」
 諭すように言葉を続けると、ファルシスはかすれた声を上げた。身体の震え
がぴたりと止まり、何か、異様な雰囲気がその周囲に立ち込める。闘気や覇気
とは言ったものとは明らかに違うその力に、近くにいた精霊たちが一斉にソー
ドの周囲に逃げてきた。
「綺麗事を……並べるしか、できない、夢想家が……知ったような口をきくな
ああっ!」
 直後に絶叫が響き、ファルシスが動いた。黒衣の剣士はぬかるんだ地面を蹴
り、一気に距離を詰めて剣を振るう。ソードも剣を抜いてその一撃をいなし、
後ろに跳んで距離を取ろうと試みるが、ファルシスは超人的なスピードで体勢
を立て直して再び距離を詰めて来る。金属がぶつかりあう音が一瞬、雨音を制
した。
「別に、綺麗事語る気、ないんだけど」
「うるさい、黙れ、お前たちは何も見ていない、何も知らない」
 ぼやくような呟きに。ファルシスは早口にこう捲くし立ててくる。藍の瞳に
は何か、鬼気迫るものすら感じられた。
「ぼくは、勝たなくてはならない。二度と、負けは許されない。ぼくが、負け
たら……」
「負けたら、何だってんだよ?」
「……みんな……死んでしまうんだ!」
 絶叫と共にファルシスは剣を押し込んでくる。ソードはそれに逆らわず、力
を受け流しながら距離を取った。
「……よーするに、だ」
 体勢を立て直して剣を構えつつ、ソードは低い声を上げた。
「そっちは、そっちなりに、自分の理由があって、戦ってる、と」
 確かめるような言葉にファルシスは答えず、ただ、息を切らしながら剣を構
え直す。
「……でもさ、それはこっちも同じなんだよ。オレは……誰も、死なせたくな
い」
 すっと表情を引き締めて、静かに言い放つ。その表情を見たメイファがはっ
と息を飲むが、それに気づいたのはシュラと、遅れてやって来たミィだけのよ
うだった。眼前のファルシスにのみ集中しているソードはそんな変化にも、ミ
ィが来た事にも気づかぬまま、剣を握る手に力を込める。
「……はああああっ!」
 張り詰めた緊張の糸を低い気合が断ち切った。先に仕掛けたのは、ファルシ
スだった。ソードは立て続けに打ち込まれる乱撃を的確に弾きつつ、攻め込む
タイミングを計る。しかし、一見雑な乱撃はその実的確で、隙らしきものはな
い。
(仕方ねっ!)
 打ち込まれた一撃を弾くのではなく受け止め、その力を使ってふっと身体を
沈めつつ、同時に低い蹴りを放って足を払う。一手でも誤れば一撃をまともに
受けかねない荒業は相手の虚を突き、ファルシスは体勢を崩して前へと倒れ掛
かった。ソードは横方向にすり抜ける事で衝突を避け、体勢を整えつつ素早く
切り込む。
「……っ!」
 体勢を大きく崩していたファルシスはこの一撃に対する事はできず、横薙ぎ
の一閃が黒衣を裂いて真紅を散らした。
「……ファルっ……」
 ミィがかすれた声を上げる。降りしきる冷たい雨とは異なるものが、その頬
を濡らしていた。
「うっ……く……このおおおおおおおっ!!」
 絶叫が雨音を引き裂く。腹部に重症を負い、通常であれば動く事すらままな
らないはずだが、ファルシスはそれを気にした様子もなく、剣を構え直してソ
ードへと切りかかった。
「げっ……なんでっ!?」
 今の一撃で、動きは止められた。そう思っていただけにソードの受けた衝撃
は大きく、それは隙を呼んで動きを鈍らせ、そして。
「……ソード!」
 シュラが叫ぶのとそれは、どちらが早かったろうか。
「……っ!」
 メイファが息を飲む、その時には銀の勢いは止めようもなく。
「いや……だめえっ!」
 ミィの悲鳴じみた声が響くのと、ほぼ、同時に。

 銀の剣が、ソードの身体を貫いた。

「……っ!?」
 何の前触れもなく走った寒気は手から力を抜き、エイルセアは手にした本を
取り落とした。
「……まったく……だから、止めろと言ったのに!」
 苛立ちを込めて吐き捨てつつ、落とした本を拾い上げる。紫水晶の瞳には、
焦りらしきものが浮かんでいた。
「止めなくては……『神斬剣』と『焔獄剣』の同時暴走など、笑い話では済ま
されない!」
 低い呟きを残して、その姿が消えうせる。
 後には読みかけの本と、開いたそのページの上に舞い降りた黒い羽根。そし
て、すっかり冷めた紅茶のカップだけが残されていた。

 静寂が、重い。
 貫かれた者も、貫いた者も真紅を滴らせつつ、微動だにしなかった。
「そん……な……」
 呆然と呟いて、ミィが座り込む。水を弾く、ぱしゃり、という音が周囲に響
いた。
「……なんて、事っ……」
 メイファが掠れた呟きを漏らし、走り出そうとする。その眼前に再び、シュ
ラが刀を伸ばした。
「動くな」
「なっ……何、言ってるのよ、こんな時に!」
「黙って見ていろ!」
 食って掛かるメイファに向け、シュラは厳しくこう言い放つ。その表情には
微かに戦慄の影が見て取れた。蒼氷の瞳は、動かない二人にじっと向けられて
いる。
「……なかなか……やって、くれる……」
 低い呟きが、雨音を制して響いた。それと共に、紅い光が周囲を照らし出す。
光を放っているのは、ソードの剣の宝石だった。
「……急所を、突いたんですよ? 何故、生きて、いるんです、か?」
 息を切らしながらファルシスが問う。それに、ソードはさてね、と応じた。
口元には微かな笑みが浮かび、明らかに正常ではない、とその笑みが物語って
いた。
「……ソード……ダメ、だよぉ」
 掠れた呟きが、雨の中に零れ落ちる。いつの間にやって来たのか、リュンが
微かに震えつつ、じっとソードを見つめていた。
「ソード……ダメだよぉ。みんな、こわいって……コワレちゃやだよって……」
「どういう事だ、リュン?」
 零れる呟きに疑問を感じたシュラが、その傍らに膝を突いて問う。リュンは
ふみゅう、と言いつつシュラに抱きついた。その震えに戸惑いつつ、シュラは
小さな身体を左腕で抱えて立ち上がる。
「えとね、精霊さんがね、えと、こわいって。ソード、剣に、たべられちゃう
って……コワレちゃうってね、言ってるの。リュンも、やなの」
 こう言うと、リュンはシュラにぎゅっとすがりつく。小さな身体の震えは、
止まるどころかどんどん強くなるようだった。
「剣に……喰われる、だと?」
 低く呟きつつ、シュラは改めてソードとその手の剣を見る。剣の柄の真紅の
石は嘲るような明滅を続け、その煌めきは、言いようもなく禍々しいものを感
じさせた。
「首を落として切り刻めば、死にますか?」
 ファルシスの発した冷たい問いが静寂を破り、雨の中に淡々と響く。
「試してみたらどうだ? やれたなら、の話だが」
 それに答えつつ、ソードはゆっくりと顔を上げる。濡れてはり付く前髪に見
え隠れするその瞳は、いつもの翠珠色ではない。禍々しさを感じさせる、鮮や
かな真紅だ。
「……っ!?」
 その変化に気づいたミィが、大きく肩を震わせて息を飲んだ。
「また……また、ソードさん、が……」
 震える声が零れ落ちる。ソードの変貌を目の当たりにするのは、これで二度
目だ。いつもの優しさと温かさはそこにはなく、人間性すら感じられない。
「では、試してみましょう」
 震えるミィに追い討ちを掛けるように、ファルシスの冷たい声が響いた。
「ファル……」
 呆然と、名を呼ぶ。
 彼女の知っている彼──ファルシス・リエンドラという青年はいつも優しく
穏やかで、剣を取って戦う者とは思い難い、物静かな若者だった。
(……なのに……なのに、どうしてっ!?)
 考えても、答えは出ない。そこにあるのは、彼女の知る優しい人々が、全く
正反対の性格に変貌し、血を流し合っているという事実のみ。そしてその事実
は容易に受け入れ難く、しかし、拒否を許さぬとばかりに、目の前に広がって
いた。
「もう……やめて……」
 声に出して呟いたつもりだった。しかし、掠れたそれは雨音にかき消されて
しまう。かと言って叫ぶほどの力はなく、仮に叫べたとしても、二人が剣を引
くとは考えられなかった。
 ファルシスがソードの胸に突き立てた剣を引き抜く。衝撃が、二人の傷それ
ぞれから真紅を散らした。出血は、既に致死量を超えていてもおかしくはない。
凄惨なその光景に、青ざめている者も少なくはなかった。
「死んでもらう、なんとしても」
「できない相談だな、それは」
 当の二人は傷の事も、そして周囲の様子も全く意に介した風もなく、それぞ
れの剣を構えている。緊張した空気が張り詰め、そして──。
「双方、剣を引け!」
 二人が動こうとするのに僅かに先んじて、その間に黒い影が飛び込んできた。
ばさり、と音を立てて漆黒の翼が雨の中に広がる。翻る黒衣。舞い降りたのは、
黒髪と紫水晶の瞳の青年だった。
「エイルセア・カーウェス……?」
 何故ここに、と。シュラが小さくその名を呟く。
「これ以上、戦ってはならない」
 ソードとファルシス、それぞれを見やった後、エイルセアは静かな声音でこ
う言った。
「……何故、止める。魔皇帝の命は……」
 静かな言葉に反発するファルシスに、エイルセアは厳しい目を向けた。
「君が暴走すれば全てが滅ぶ。彼が暴走すれば全ての心が根絶する。その果て
に何があり、どんな意義がある」
「……しかしっ!」
「……君に、彼は殺せない。だが、彼は、君を殺せる。引きたまえ、ファルシ
ス・リエンドラ」
 尚を言い募ろうとするファルシスを、エイルセアは厳しく遮った。この言葉
にファルシスは苛立たしげな視線を魔導師に投げかけ、ふっと姿を消す。その
気配が完全に消えうせると、エイルセアは静かな瞳をソードに向けた。
「君は、『君』を失い、今の君を得た。それを、失ってはならない」
 謎掛けのような言葉に、ソードは僅かに眉を寄せる。
「何故……何のために?」
 淡々と投げかけられた言葉に、エイルセアは微かに笑んだようだった。
「それを知るのは、君だけだ」
 問いに対する答えはまたも謎掛けめいていた。それから、エイルセアはシュ
ラと、彼にしがみつくリュンへ目を向ける。どことなく不安げなリュンに、エ
イルセアは穏やかに微笑んで見せた。
「……みゅ?」
 思わぬ表情にリュンはきょとん、と目を見張り、そんなリュンに丁寧な一礼
をすると、エイルセアはその背の翼を羽ばたかせた。雨の中に漆黒が舞い上が
り、あっという間もなく、鈍い灰色の空の彼方へと消え失せる。
 重苦しい沈黙が、空間に立ち込めた。
 誰一人、雨音が閉ざす静寂を破る事ができず、時だけが流れ、そして。
「う……くっ……」
 低い呻きと、ばしゃ、という音が、空間に音と動きを取り戻した。
「みゅみゃうっ!!」
 リュンが素っ頓狂な声を上げる。静寂を破ったのは、立ち尽くしていたソー
ドが剣を取り落とし、その場に膝を突いた音だった。
「……ソード!」
 シュラが叫んでその傍らへと走る。膝を突いたソードは、傷を押さえて荒く
息をしていた。
「ソード、ソードぉ!」
「し……心配すんな、リュン……大丈夫、前にも、あったし……」
 大騒ぎをするリュンに笑いかける、その瞳はいつもの翠珠色に戻っている。
「前にもあった、ですむか馬鹿者!」
 妙にお気楽なソードをシュラが怒鳴りつけた。それに、ソードは力なく笑い、
「……くっ!!」
 直後に感じた鋭い痛みに身体を丸めた。喉の奥から嫌な感触がこみ上げ、そ
れは、真紅の塊となって吐き出される。
「ソード!」
「……意識……限界……気絶、する、かも……」
 掠れた声でこう呟くのと同時に、ソードはその場に倒れ伏した。周囲に真紅
が飛び散り──その様子が、ミィに何かを感じさせたらしかった。
「……いや」
 掠れた呟きが零れ落ちる。それに気づいたのは、ミィの横で呆然としいたメ
イファだった。
「ど、どうしたの?」
「もう、いや……」
「いや……って、何が? しっかりしなさい!」
 呆然とした様子に何か只ならぬものを感じたのか、メイファはミィの傍らに
膝を突いてその肩を揺さぶった。華奢な肩がびくり、と大きく震え、そして。
「もう、いやぁ……こんな……こんなの、もう、いやああああああああっ!」
 悲鳴にも似た絶叫が、少女の口から迸った。

 全てが凍りついたような空間の中で、ただ、雨だけは素知らぬ様子で降り続
けている。


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