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   ACT−4:隣り合わせの過去と現在 02

「……ぐわあああっ!」
 絶叫と共に鮮血が舞い、戦士の一人が倒れ伏す。ただの一振りでその生命を
奪った黒衣の剣士はそちらを顧みる事無く、自分を取り巻く戦士たちを見回し
た。
「……弱いね、話にならない。これで、帝国最強を名乗っていたなんて……」
 感情らしきもののほとんど感じられない声で吐き捨てられた言葉に、数人が
何をっ!? と色めき立つ。剣士は気だるげに瞬くと、左手に握った剣をそちら
へと突きつけた。
「違うと言うのなら、それを示して見せろ。でなければ……死ぬよ」
 淡々と綴られるが故に、その言葉は言い知れぬ恐怖感をかき立てるようだっ
た。その重圧に耐えかねたのか、戦士の一人が絶叫と共に剣士に切りかかる。
剣士は露骨に詰まらなそうな面持ちで、剣を構えた。
 ……キイイイインっ!
 次の瞬間、澄んだ金属音が雨音を裂いて響き渡った。切りかかった戦士の手
にしていた剣が回転しつつ宙に舞い、ぬかるんだ地面に突き刺さる。
「あ〜、危ない、危ない」
 その場に張り詰めた沈黙を、場にそぐわない呑気な声が打ち破る。ソードだ。
「まったく……この程度の事で自失するとは情けない」
 呆れ果てた、と言わんばかりの嘆息がそれに続く。こちらは言うまでもなく、
シュラだ。
 戦士が切りかかったその瞬間に二人が場に乱入し、ソードは剣士の一撃を受
け止め、シュラはそちらと背中合わせの位置に入って戦士の剣を弾き飛ばした
のだ。言葉で言う容易く思えるが、相応の技量と呼吸がなければできない、絶
妙のコンビネーションによるものだ。
「ふうん……ただの烏合の衆かと思っていたけど……それなりの、実力者もい
たか」
「単なる通りすがりだよ。そっちは、そういう訳じゃなさそうだけどね」
 剣士の呟きに低い声で答えつつ、ソードは受け止めた剣を押し返す。剣士は
それに逆らわず、後ろに跳んで静かに剣を構えた。その動きにソードと、そし
てシュラが身構える。二人以外の戦士たちは凍りついたように動きを止め、対
峙する者たちを見つめていた。
「二対一、ですか」
「まあ、不本意っちゃそうだけどね。でも、過小評価でイタイ思いはしたくな
いから」
「そういう事だな」
 確かめるような剣士の言葉に、ソードは口調だけは軽くこう答え、シュラが
続くように頷いた。剣士の藍の瞳が厳しさを帯び、それを、ソードはこちらも
厳しい翠珠の瞳で受け止めた。睨みあいを経て、剣士はふ、と冷たい笑みを唇
に乗せる。
「それはどうも。でも……まだまだ、過小評価かも知れませんよ?」
「……自分を、過大評価するのはどうかと思うぞ?」
 剣士の言葉にシュラがさらりとこう返し、それに対して剣士はほんのわずか、
肩を竦めて見せた。
「それは、お互い様ではありませんか? いずれにしろ……邪魔は、させない」
 静かな宣言と共に鋭い闘気が剣士を包み、手にした銀の剣が淡い藍色の光を
放ち始める。
「ぼくは負ける事を許されない。だから、立ちはだかる者には容赦などしない
……必ず……倒す」
 独り言めいた呟きを経て、剣士が動く。一本にまとめた長い黒髪がふわり、
と流れ、次の瞬間、剣士は一気にソードの懐へと飛び込んで来た。
「……っと!」
 下段から切り上げられた剣をバックステップでかわし、それを追った切り下
ろしを振り上げで弾く。剣士の態勢を崩したソードは一気に踏み込んで横薙ぎ
の一閃を放った。
「……はっ!」
 その一撃を、剣士は低い気合を伴った跳躍でかわした。着地直後の不安定な
態勢を立て直す、その一瞬の隙を右側面からシュラが突くが、剣士はぬかるん
だ地面で身体を大きく滑らせる事でその一撃を回避して見せた。その状態から、
剣を地面に突き刺し、左手を軸に一回転する事で剣士は強引に態勢を立て直す。
「……中々、やってくれる!」
 口元に笑みを浮かべてこう言うと、剣士は剣を引き抜きつつ一気に距離を詰
めてきた。振るわれた一撃を、ソードは真っ向から受け止め、
(……なっ……なんだ、これっ!?)
 剣を介して伝わってくるものに息を飲んだ。

『……戦いたくない……』

 今にも消え入りそうな、微かな声。剣と剣とがぶつかった瞬間、それが頭の
中に響いたのだ。その声が今、剣を合わせている剣士のものなのははっきりと
わかる。そして、それとわかるが故に、それは困惑を招き。
「……お前、一体……?」
 思わず呆然と呟いた瞬間、力の均衡が崩れた。低い気合と共に押し込まれた
剣を受け止めきれず、ソードは態勢を崩す。
「やべっ……」
「……ソード!」
「甘いねっ!」
 声が交差した、と認識した直後に、鈍い衝撃が肩に走る。次いで、それは鈍
い痛みに変わった。
「……くっ!」
 痛みに顔を歪めつつ、それでもソードは近接しているこの期を逃すまい、と
剣を振るった。それと気づいた剣士は力をかけつつ剣を引き抜き、後ろへと跳
んで距離を開けた。
「腕一本は取ったつもりが……切り損ねたか」
「……てめ……気楽に言いやがってぇ……」
 何の感慨もなく呟く剣士を、ソードは傷を抑えながら睨みつける。
「戦いの最中にぼんやりする貴様も迂闊だろうが。下がっていろ」
 そんなソードに冷たく言い放ちつつ、シュラが前に進み出て剣士と対峙した。
その姿に、剣士はおや、と意外そうな声を上げる。
「……白銀の剣鬼……譲葉の護国剣士……おかしな所で、おかしな人物と会う
ものですね」
 どこか楽しげな口調で呟きつつ、剣士は一気にシュラとの距離を詰める。横
合いからの一撃を刀の峰で受け流したシュラは、刃を返して斬り下ろしの一撃
を放つが、剣士はひょい、と後ろに跳んでそれをかわした。
「げ、はやっ……」
 その動きに、ソードは思わずこんな呟きをもらしていた。
 シュラの一撃は文字通りの剣閃。そのスピードが、最大の特徴なのだ。それ
を回避するとなればそれこそ神業的なスピードが要求される。それを容易く避
けるとなると、相当な身体能力の持ち主と見て間違いないだろう。
「……あいつ、生命、歪んでるよっ!」
 対峙する二人を見つつ思考を巡らせていると、不意に、脅えたような声が耳
に届いた。はっとしつつ声の方を見れば、いつの間に現れたのか薄い翅を持っ
た少年が無事な左肩につかまっていた。風の精霊だ。
「生命が、歪んでる?」
「生命と、魂の、波動がおかしい……凄く、歪んでる……存在が、キモチワル
イ……」
 ソードの投げた問いに対する脅えた呟きをかき消すように、鋭い金属音が響
き渡った。はっとそちらを振り返れば、シュラの斬り下ろしの一撃を剣で受け
止めつつ、不敵に笑う剣士の姿が目に入る。妙な余裕を感じさせるその様子に
ソードはふと嫌な予感を覚え、直後にそれは現実となった。剣士の姿が、かき
消すように消えたのだ。
「……なにっ!?」
 力をかけていた相手が唐突に消え、シュラはバランスを大きく崩す。直後に、
ソードは今消えた剣士の姿がシュラの頭上に現れた事に気づいた。
「シュラ、上!」
「……っ!? ちぃっ!」
 ソードの警告にシュラは苛立たしげな声を上げつつ懐に手を入れ、扇子を取
り出すとそれを頭上から切りかかってくる剣士へと投げつける。
「……何っ!?」
 さすがにこの一撃には虚を突かれたらしく、剣士は畳んだ扇子の一撃を額に
受けた。衝撃がその態勢を崩し、必殺を期した一撃にはブレが生じる。シュラ
は扇子が作り出した一瞬の隙に後ろへと大きく跳んで距離を開け、くるくると
回転して戻ってきた扇子をぱしり、と優雅に受け止めた。
「い……いつもながら、器用、だね」
「軽口を叩く余裕があるなら、大事無いな」
 呆れたように呟くソードにしれっとこう言うと、シュラは扇子を懐に入れて
剣士に向き直る。剣士は着地時に崩れた体勢を整えつつ、冷たい瞳を二人へと
向けた。
「……ふ……くくくっ……どうやらこれは、本気を出さないといけないようで
すね……」
 低く呟きつつ、剣士はゆっくりと構えを取った。先ほどまでは片手で振って
いた剣を両手で持って構えるなり、氷の刃を思わせる冷たい闘気がその身を取
り巻く。気迫を感じて、ソードとシュラもそれぞれ表情を険しくした。
「……殺る気……かな?」
「恐らく」
 確かめるようなソードの呟きにシュラが淡々と応じる。
「やれやれ……痛がるヒマもなしかよ……とほほ〜」
「油断をした貴様が悪い」
「……いじめっ子〜」
 どこまでもさらりと言うシュラをジト目で睨むように見つつ、ソードはゆっ
くりと立ち上がり、剣を構える。場の緊張が一気に高まり、戦いを見守る戦士
たちが固唾を呑んだ。
 空間に、ピン……と張り詰める、緊張の糸。
 しかし、その糸は思わぬ形で断ち切られた。
「……やめてぇぇっ!」
 糸を断ち切ったのは、突然響いた少女の絶叫だった。唐突なそれに、居合わ
せた者たちは皆、声の方を振り返る。
「……ミィ?」
 声の主を認めたソードが不思議そうにその名を呟く。声の主──ミィはソー
ドたちと剣士との間に駆け込むと、今にも泣き出しそうな瞳を剣士に向けた。
そしてその姿に、剣士は何故かはっとしたように息を飲む。
「まさか……ミルティア姫?」
「ファル……あなた、ファルシスでしょう? どうして……どうして、あなた
がこんな事をっ……」
 呆然と呟く剣士の声を掻き消すように、ミィの問いかける声が響いた。重苦
しい静寂を経て、剣士はふっと息を吐く。
「……戦意が削がれた。興ざめ、ですね」
 嘆息するようにこう言うと、剣士は手にした剣を鞘に収めた。それから、自
分を見つめるソードとシュラ、そしてメイファを順に見回す。
「今日は、挨拶に止めておきましょう。ですが、お忘れなく。ぼくは必ず……
あなたたちを殺します」
「……なぁんで、オレの周りの黒服ってのは、勝手ばっか言うかなあ……っと
にぃ」
 冷たい宣言を耳にした多くが怯む中、ソードが憮然として吐き捨てる声は大
きく響いた。厳しい翠珠と冷たい藍玉が真っ向からぶつかり合う。やがて、剣
士は冷たい笑みをもらして踵を返し、その姿はかき消すように見えなくなった。
重苦しい沈黙が立ち込め、そして。
「……ったたたたたぁ〜」
 唐突に上がった情けない声が、それを打ち破った。場の緊張が一気に崩れ、
皆毒気を抜かれた面持ちで声の主、つまりソードを見る。
「自業自得だ、馬鹿者。あの状況で、何をぼんやりしていた」
 肩を押さえて呻くソードに、シュラが呆れたような……というか、すっかり
呆れ果てた、と言わんばかりの口調で言う。ソードは顔をしかめつつ、んな事
言ったって〜……、と言葉を濁した。
「オレだって、好きで止まったワケじゃないしっ……」
「当たり前だ。好きで動きを止めるなど、どこの自殺志願者か」
「ぐわ、そこまで言わなくても……」
「ちょっと……余裕ね、あなたたち」
 どう考えてもそんな場合ではないのに漫才じみたやり取りを始めるソードと
シュラに、メイファが呆れた声を上げて割り込んだ。
「いや、余裕なんて全然ないんだけど……イタイし」
「それはそうでしょうよ。とにかく中に戻って、手当てしないと……もう少し、
詳しい話も聞いた方がよさそうだしね」
 ソードの力ない反論に大げさに息を吐くと、メイファはミィに厳しい視線を
向ける。視線に気づいたミィは無言で目を伏せ、その瞳の陰りにソードは眉を
寄せた。

 いつの間にか、雨はその勢いを増していた。その雨音は沈黙に閉ざされた室
内に、やけに大きく、重たく響く。
 その重い沈黙の中、ソードは俯くミィを見つめていた。部屋に戻ってソード
の傷を癒したきり、ミィはずっと俯いて黙り込んだままだった。
「みうぅ……」
 沈黙の重さに耐えかねたのか、リュンがか細い声を上げる。その頭をシュラ
がなだめるようにぽんぽん、と軽く叩いた。リュンは不安げな瞳をシュラに向
け、それを静かに受け止めたシュラは、ゆっくりとミィを見た。
「……一つ、答えてもらいたい。あの剣士は『神斬の魔剣士』ファルシス・リ
エンドラに間違いないのだな?」
 静かな問いかけに、ミィはしばし躊躇う素振りを見せるものの、こくん、と
頷いた。肯定の返事に、シュラはそうか、と息を吐く。
「……『神斬の魔剣士』?」
「神斬剣ラグナロク……『世界軸の鍵』とも呼ばれる魔剣に選ばれし者。強大
な力を持つが故に、何れの勢力にも与しないと聞いていたのだが……」
「結局は、体制についたようね」
 ソードの疑問の声にシュラはため息混じりの説明で答え、それに、メイファ
が短くこう付け足した。
「そんな……そんなはず、ありませんっ!」
 その冷たい一言にミィが顔を上げて反論するが、
「でも、現に彼はあたしたちを攻撃してきたのよ。それも、帝国軍のエンブレ
ムをつけてね。
 理由はどうであれ、彼が帝国に与している事、そして、あたしたちと敵対し、
戦おうとしているのは事実なの。それは、認識してくれないかしら?」
 メイファは冷静なままそれを撥ね付けた。ミィはまた、俯いて唇をかみ締め
る。
「……現実は現実として受け止めるとして、しかし、何故あの男が帝国につい
たのか。ヤツも若くして剣聖と称されるだけの男……自らの力と立場は弁えて
いるはず」
「……ただ、体制についたって感じじゃ、なかったな。戦い、嫌がってたし」
 静かなシュラの言葉に、ソードはぽつり、とこんな呟きをもらした。先ほど
の戦いの中で感じ取ったもの──剣を介して伝わってきた声。それを思うと、
自ら望んで、とはどうしても思い難かった。
「嫌がってたって……どこが!?」
 とはいえ、さすがにこの一言は周囲には驚きだったらしく、メイファが上ず
った声を上げ、シュラも険しさをやや増した表情でソードを見る。
「外見じゃ、そんな素振りも見せなかったけどね。でも、あいつ、戦いを望ん
でないよ」
「何故、それとわかる?」
 シュラの静かな問いかけに、ソードは一度目を伏せ、小さく息を吐いた。
「……剣を合わせた瞬間、声が聞こえた。『戦いたくない』……確かに、そう
言ってた」
「言ってた、って言われても……」
 静かに言い切るソードの様子にメイファは困惑した面持ちで何事か言いかけ
るが、
「ファルは……ファルシスは、とても、優しい人。戦いは嫌いだって、いつも、
言ってました」
 それを遮るように、ミィが小声で呟いた。
「でも……逃げる事は、できないからって。嫌いだからって、やらない訳には、
行かないからって……でも、避けられる戦いなら、避けたいって……いつも、
そう、言ってたのに……どうしてっ」
「ミィ……」
 震える声で途切れがちに言葉を綴るミィの様子に、リュンが不安げな声を上
げた。リュンはととと、と駆け寄ってミィの膝の上に飛び乗ると、小さな手を
精一杯伸ばしてその頬を撫でる。ミィは唇をかみ締めつつリュンをぎゅっと抱
き締め、それきり沈黙した。泣き出したいのを必死で堪えている、と傍目にも
わかるその様子に、ソードは眉を寄せる。
「ちょい、場所、変えよか……リュン、ミィと一緒にいてくれな?」
 ソードの言葉にリュンはみゅう、と声をあげ、シュラがそうだな、と頷く。
メイファはやれやれ、という感じで一つ息を吐いた。
「いいわ、他にも聞きたい事は多いし……場所、変えましょ」
 この言葉にソードは苦笑しつつ悪い、と頭を下げる。メイファは気にしなく
ていいわ、と返して部屋を出た。シュラがそれに続き、ソードはもう一度ミィ
の方を見てから、部屋を出て扉を閉める。
 三人が廊下に出るのと、ミィの感情の糸が切れるのとは、ほぼ、同時だった。

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