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   ACT−4:隣り合わせの過去と現在 01

 惨状。
 その状況を表すのに、これほど適切な言葉はないと思われた。
 そこかしこに転がる屍と、彼らが流した血で赤く染まった大地。そこに立ち
こめる沈黙には、酷い、という表現すら受け付けない冷たさがある。
 生きる者の姿などあり得ないとさえ思えるその空間の中央に、立ち尽くす影
が一つあった。左手に抜き身の剣を下げた、まだ若い男だ。彼は周囲を見回し、
動くものがないと確かめると一つ息を吐いた。
「……制圧完了……所詮は、烏合の衆か」
 何の感慨もなく、ぼそりと呟く。藍の瞳は、虚ろに周囲を映していた。
「……」
 唇が、微かに動く。しかし、紡がれた言葉は音にはならない。男はもう一つ
息を吐くと手にした剣を一振りして絡みつく紅を振り落とし、それを鞘に収め
てゆっくりと歩き出した。
 数歩、歩みを進めたところで、その姿は溶けるように消え失せ。
 後にはただ、紅く、重苦しい沈黙だけが残された。

「……ん?」
 その臭いが漂ってきたのは、森を抜けてしばらく進んでからだった。
 噎せ返るような、異臭。それが意味する所をソードとシュラは敏感に察知す
る。
「……何ですか、この臭い……」
「ふにゃあ……やな感じがするぅ……」
 ミィとリュンがやや顔をしかめながら呟く。さすがにというか、こちらは漂
うそれが何の臭いか、気づいてはいないらしい。
「……気分のいいもんじゃないのは、確かだね。オレ、ちょっと見てくるよ。
シュラ、二人、頼む」
 ひょい、と肩をすくめつつこう言うと、ソードは臭気を感じる方──右手に
広がるなだらかな丘を登って、その下を覗き込んだ。直後に、その表情を険し
い物が過ぎる。
「こりゃまた……ごーか、だね」
 広がる光景に対し、真っ先に口をついたのはこんな呟きだった。
 死屍累々という一言で表せるが故に、それを用いるのがためらわれる惨状。
広がるそれを一通り見て取ると、ソードは足早に丘を降りて三人の所へと戻る。
「……戦いがあったらしい。とんでもない状況になってる」
「とんでもない……って?」
 低い声で簡潔に状況を説明すると、ミィが不思議そうに問いかけてきた。
「女の子は知らなくていい状況。は〜、見なきゃよかった」
「貴様がそこまで言うからには、余程のものだな」
 その問いに、やや大げさなため息を交えて答えると、シュラがさらりとこん
なオチをつけた。それに、ソードは大きなお世話、と切り返す。
「しかし、何だろな。見た感じ、カッコに全然統制とか取れてなかったんだけ
ど……?」
 それから、ふと感じた疑問を口に出す。その疑問に、シュラがああ、と言い
つつ一つ息を吐いた。
「恐らくは、反帝国を掲げる連中だろう。その大半は滅ぼされた国の残兵たち
だからな。武装はまちまちなものだ」
「あ、なるほどね。と、なると……一体、どういう戦いだったんだ?」
 シュラの説明に納得するのと同時に、ソードはそれとは異なる疑問を感じて
いた。
 一見した所、丘の下の戦いは戦闘の規模自体は大した事はなかったように思
えた。倒れていた人数は三十人程度で、その装いは皆異なっている。これは、
先ほどのシュラの説明で納得できるのだが。
「……どういう意味だ、それは?」
「ん〜……見てくればわかる。オレが、何を悩んでるのかは」
 訝しげなシュラにソードは頭を掻きつつこう返し、シュラはやや、眉を寄せ
て丘を登って行く。しばらくして戻ってきたシュラは、その面持ちを更に険し
くしていた。
「なるほどな。確かに、あれは疑問を感じる」
「だろ? 全員が同じ太刀筋で殺られてるってのは……ちょっと、普通じゃな
いぜ」
 シュラの低い呟きに、ソードは僅かに戦慄を帯びた声でこう返す。
 丘の下に倒れている者たちは皆、一撃で致命傷を与えられていた。斬打双方
に長けたと思われる剣による太刀筋は全ての傷に共通しており、同一の使い手
によるものと容易に察する事ができる。つまり、丘の下の三十人は一人によっ
て倒された、という事になるのだ。
「……ま、絶対不可能とは言わないけどね」
「相手が烏合の衆であるならな。しかし、見た所それなりの手練もいたようだ」
「そ、問題はそれ。そう考えると……この界隈には、かなり怖いのがいる……
って、事だよな」
 軽い口調で言いつつ、ソードは二人の話について行けずにきょとん、として
いるミィの側に寄った。
「ま、それに関しては説明を受けられるやも知れんな」
 返すように言いつつ、シュラは静かに構えに移行する。
「友好的に願いたいんだけどね。あんなもん見た後で、更に自分で流血沙汰と
か、さすがにやりたくない」
「……同感だ」
 ぼやくようなソードの言葉にシュラがため息混じりに呟くのと前後して、二
人に緊張を招いたもの──武装した一団が前方に姿を見せた。こちらは丘の下
の一団とは異なり、装備などにそれなりの統制が取れている。動きにも一定の
統率が見て取れる所からも、単なる寄せ集めと言う訳ではなさそうだった。
「……何だと思う?」
 シュラが低く問うのに、ソードはさあね、と言いつつ肩をすくめた。ミィは
不安げに、リュンは不思議そうにきょとん、としつつ、近づいてくる一団を見
つめている。一団はある程度まで距離を詰めると一旦停止し、先頭に立ってい
た人物だけがゆっくりと近づいてきた。革製の胸当てを着けた、まだ若い女だ。
 その顔に、何となく見覚えがあるな、とソードが思った矢先、女ははっとし
たような表情になって足を止めた。何故か自分に向けられて大きく見開かれた
ヘーゼルの瞳を、ソードはきょとん、と見つめ返す。
(あ、彼女に似てるんだ。身内かな?)
 その瞳の色に、ソードはレイファを思い出しつつこんなお気楽な事を考えて
いた。
「……うそ……生きてた……」
 その一方で、女は呆然とした様子でこんな呟きをもらしていた。見開かれた
瞳が瞬く間に潤み、そして。
「生きて……生きてたのね、クロードっ!」
 次の瞬間、女は喜びに震える声を上げつつソードに駆け寄り、迷う様子もな
く抱きついていた。
「いいっ!?」
 全く思いも寄らない事態にソードはぴき、と音入りで硬直する。シュラは妙
に納得した面持ちでため息をつき、リュンはきょとん、と、ミィは困惑した面
持ちでそれぞれソードを見つめた。
「え……え〜? えーと、えーと……」
「……何を動揺している」
 戸惑いから困惑するソードに、シュラが呆れたようにこう言い放つ。
「って、動揺するなってのが無茶だっての!」
 手の置き所に困りつつ、ソードは早口にこう反論した。じっとこちらを見つ
めるミィの視線が、妙に、痛い。
(だ……誰か何とかしてくれぇ……)
 などと考えてしまうものの、助けが得られないのは明らかだった。故に、ソ
ードは一つ息を吐いてから彷徨わせていた手を女の肩に下ろして、そっとその
身を引き離す。
「……クロード?」
「いや、その……そう呼ばれても、困るんだよね」
 戸惑いを声に織り込む女に、ソードは苦笑しつつこう返す。それから、ちら、
とミィの方を見るが、ミィは視線を合わせるのを避けるようについ、と目を逸
らした。その反応に、ソードは妙に陰ってきた空を仰いで深く、ふかく嘆息す
る。
(っとに……参ったなあ……)
 何がどう参った、なのかははっきり言い表せないもののふとこんな事を考え
つつ、ソードはこちらを見つめるヘーゼルの瞳に向き直った。
「オレは、ソード……キミの言ってるクロードとは……多分、別人だと思う」
 静かな言葉に、女はえ? と言いつつ、目を見張る。信じられない──そこ
には、そんな思いがありありと浮かんでいた。
「……どうやら、状況の説明が必要なようだな」
 場に立ち込めた重い沈黙を、シュラの静かな声が取り払う。
「少なくとも、敵対する必然もなさそうなのだら、どこかに落ち着いて話すべ
きではないか? 遠からず、一雨来るぞ」
「……どうも、そうらしいわね。でも、あたしたちはまず、同志と合流しない
とからないの」
 シュラの静かな言葉に冷静さを取り戻したのか、女は低い声でこう答える。
その中の『同志と合流』という言葉に、ソードとシュラは一瞬、視線を見交わ
した。
「……それでは、無駄足になったな」
 短い静寂を経て、シュラが呟くように言いつつさっき上った丘の方を見やる。
「無駄足……?」
「その、同志とやらは……丘の下で、屍となっている」
 淡々と告げられた言葉に、女は息を飲む。
 場の緊張の高まりを示すように、彼方で雷鳴が轟いた。

 天候的にも状況的にも長居は得策ではない。
 そんな、共通の診断を下した一向は、武装集団の本拠地へと移動する事にし
た。森と崖に四方を囲まれた小さな集落は、戦火を逃れるために住人たちに捨
てられたものらしい。集落に着くと、女はその中央の建物の一室へと四人を案
内した。
「さて、と……一応、自己紹介からした方が良さそうね。
 あたしは、メイファ・シュナイツ。この旧第七遊撃師団の代表、って事にな
ってるわ」
 部屋に落ち着くと、女──メイファは先ほどの半泣きの様子など微塵も伺え
ない、毅然とした態度で自分の名を告げた。
「シュナイツ……やはり、レイファの妹か
 その名乗りに、シュラが小さくこんな呟きをもらす。それに気づいたメイフ
ァは、え? と言いつつ怪訝そうな目をシュラへと向けた。
「姉さんを知ってるの?」
「ああ、旅の途中でね。宿を、借りた」
 メイファの問いにシュラは答えず、代わりに、ソードが簡潔にそれに答えた。
メイファはシュラからソードに視線を向けるが、どうにも視線を合わせ難いソ
ードはわざとらしくならないように目を逸らす。
「……それで、あなたたちは、一体? これからどこに行くつもりなの?」
 そんなソードの様子にメイファは小さくため息をつくものの、すぐに毅然と
した態度に戻ってこう問いかけてきた。それに、ソードは簡単な自己紹介と目
的地の説明で答える。
「……クレディアに行くの? あんな、形に拘るだけの場所に行って、どうす
るのよ?」
 一通り話を聞いたメイファは、露骨に呆れたような表情でこう言い放った。
「そういう言い方、ないじゃないですか!」
 辛辣な言葉に、珍しくミィが声を荒げて反論する。それを、メイファは冷静
に受け止めた。
「でも、事実よ。クレディアの神官たちは祈るだけで何もしていない。天地双
女神の降臨した聖地としての重要性は認めるけどね。基本的には、役に立たな
いわよ。
 大体、双女神の加護自体、今のこの大陸にあるかどうかすら疑わしいじゃな
い。天のユグラルも、地の譲葉も滅ぼされているんだから」
「それは……そうですけど……」
 正論故に反論の余地のないメイファの言葉に、ミィは言葉を詰まらせる。
「……あのさ。場所の価値とか意義ってのは、一概に言えるもんじゃないと思
うけど、オレ」
 唇を噛み締めるミィの様子にソードはかりかりと頭を掻き、それから、メイ
ファに向き直ってこう言った。突然の言葉に、メイファはえ? と言って眉を
寄せる。
「オレは、頭ん中が変に空っぽだから、クレディアがどんな場所なのかはわか
らない。でも、誰かにとって無意味だからって、全ての人にとってそうとは限
らないと思うよ?」
 にっこり笑っての言葉に、メイファは毒気を抜かれたような面持ちになる。
その瞳には、強い困惑らしきものが浮かんでいた。
「……正論は正論だが、クレディアの神官どもが役立たず、という点に関して
は否定すべくもないな」
 不意に、シュラが大きく息を吐きつつこんな事を言って、場の注目を集めた。
「……なんか……実感、籠ってない?」
 いつになく辛辣な物言いにふと疑問を感じたソードはそれを素で投げかけ、
直後に炸裂した扇子の一撃に撃沈する。
「あったたたた……」
「口は災いの元、という言葉を、そろそろ学んではどうだ?」
「お……大きなお世話……ん?」
 さらりと言うシュラに、呻くような声でこう返した直後に、ソードは違和感
のようなものを感じて僅かに眉を寄せた。それとほぼ同時に、ミィの膝の上に
ちょこん、と座っていたリュンがみゅっ、と声を上げる。どうやらソード同様、
何か感じたらしい。
「どうしたの、リュン……え?」
 落ち着きを無くした様子のリュンに心配そうに呼びかけた直後に、ミィもま
た、何か感じたようだった。スミレの色の瞳に、困惑らしきものが過ぎる。
「……客人のようだな」
 それぞれが感じた物が何であるか、まとめるようにシュラが呟いた。立ち上
がる蒼氷の瞳に宿る色彩は、厳しい。
「それも呼んだ覚えのない、できればこないで欲しいってヤツ……かな?」
 ため息混じりに呟きつつ、ソードも立ち上がった。こちらもまた、瞳は険し
さを帯びている。
「……どういう事?」
 そんな二人の様子に、メイファが困惑を帯びた問いを投げかけた。
「わああああああっ!」
 窓の向こうで絶叫が響いた。それを追うように、雷鳴が響き渡る。
「……さっきの、やったヤツかな?」
「そう考えて、間違いあるまい」
「そんな……それじゃ、帝国軍!?」
 口調だけは軽いソードとシュラのやり取りにメイファは色を失う。直後に部
屋のドアがやや乱暴に開かれ、もたらされた報せが室内の緊張を張り詰めた。
「副長、敵襲ですっ!」
 飛び込んで来た声にメイファの表情が引き締まる。
「敵襲!? それで、数は!」
 凛とした問いに、飛び込んで来たまだ若い男は何故か言い澱むような素振り
を見せた。
「どうしたの? 敵襲なのでしょう?」
 その様子に、メイファはやや苛立ちを交えて報告を促す。男はしばし躊躇っ
たようだがやがて口を開き、
「それが……一人だけ、なのです」
 言い澱んでいた言葉を告げた。その報せはメイファを戸惑わせ、そして、ソ
ードとシュラの予想を確信へと変える。二人は軽く視線を交わして頷きあうと、
素早く行動を起こした。
「お先っ!」
 言うより早く窓を開けたソードが外へと飛び出す。
「え、お先って……」
「戸締りは、任せる!」
 唐突な言葉にメイファが戸惑うのに重ねてシュラがこう言い放ち、ソードに
続くように外へと飛び出した。
「ちょ、ちょっと、あなたたちっ!」
 突然の事にメイファは一瞬呆気に取られ、それから、慌てて窓辺に駆け寄っ
た。その頃には、二人の姿は既に降り出した雨に霞んでいる。メイファはやや、
苛立たしげに舌打ちをすると、ミィとリュンを振り返った。
「仕方ないわね……あたしはでるから、あなたたちはここにいて。あなた、彼
女たちの護衛をお願いね?」
 ミィに声をかけ、報せに駆け込んできた男に指示を出すと、メイファはドア
から部屋の外に出ようとする。ミィはとっさに立ち上がり、待ってください!
とメイファを呼び止めていた。足を止めたメイファはやや、怪訝そうな目をミ
ィへと向ける。
「なに?」
「私……私も、行きます!」
 振り返ったメイファに、ミィはやや青ざめた面持ちで叫ぶようにこう言い、
そんなミィにリュンがどことなく不安げな視線を投げかけた。

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