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「……はあ」
 そして、その夜。野営場所として選んだ森の中の広場から僅かに離れた場所
で、ランディは一人ため息をついていた。
 ウォルスの一撃の後、アレフとフランツの口論が起きる事はなかったものの、
正直、こんな状態で先に進んで大丈夫なんだろうか、という不安は尽きない。
もっとも、こんな事を言っても始まらないのだが。
 フランツが何故自分たちを追うようにやって来たのか、何をしたいのか。そ
の辺りの事情はライファスがそれとなく聞き出してみる、と言ってくれていた。
付き合いの長さなどから考えても、フランツの事はライファスに任せておくの
が無難だろう。話してくれるかどうかはともかくとして。
「はぁ……」
 またため息をついて、梢越しの夜空を見上げる。どうも、出発してから何か
につけてため息をついているような気がしてならなかった。
 何かやろうとしては、つまづいて。そのつまずきから先に進む術がはっきり
しなくて、戸惑い続けている。そんな自分を情けなく思いつつ、苦笑を浮かべ
た時。
「……こんなとこで、何してんだよ?」
 不意に、背後から呼びかけられた。振り返った先には、槍を手にしたアレフ
の姿がある。
「ん、ちょっとね……考え事。君は?」
 にこ、と笑いながら逆に問い返すと、アレフは別に何にも、と言いつつラン
ディの隣に座って槍を抱え込んだ。その横顔には、昼間は見られなかった困惑
が見て取れる。
「……なぁ」
 沈黙を経て、アレフがぼそり、と呼びかけてきた。
「なに?」
「あのさ……こんな事聞くのって……おかしいのかも知んないけど……」
「うん」
「……怖く……ねーの?」
「え?」
 投げかけられた途切れがちの問いにランディは一瞬戸惑い、それから、何と
なくその意を察して一つ息を吐いた。
「怖いよ。戦う事、人を傷つける事。スラッシュとかウォルスは割り切ってる
みたいだけど、ぼくはまだ……割り切る事はできてない」
 夜空を見やりつつ静かにこう言うと、アレフは不思議そうにランディを見た。
「んじゃ、なんで……」
 なんで戦えるのか。問いは途中で途切れたものの、その意は感じ取れた。ラ
ンディは空の星からアレフに目を移して、にこり、と微笑んで見せる。
「護りたいものがあるから。それと……逃げたくないから、かな」
「護りたいものがあって……逃げたくない、から?」
 ランディの答えに、アレフは不思議そうに瞬いた。ランディはうん、と頷い
て、また空を見る。
「ぼくが騎士になりたいと思ったのは、ある人を護りたいと思ったから。その
人を護るのは、ぼくの役目にはならなかったけどね」
 ふとその時の事を思い出し、苦笑が浮かぶ。その笑みをアレフは怪訝そうな
面持ちでじっと見つめた。
「でも、それから……ぼくは、すぐ近くに、護りたいものを見つけた。だから、
頑張らなきゃって、思う。
 そして、これは……剣は、そのための力の一つだと思ってる」
 言いつつ、ランディは抱え込んでいた剣をそっと撫でた。アレフは同じよう
に抱え込んでいる槍を見、それからまた、問いを投げてくる。
「じゃあ……逃げたくない、ってのは?」
 この問いに、ランディは表情を引き締めてアレフを見た。
「自分の、選択から。目指すもののために、望んで力を持った事から……目を
逸らしたくないんだ」
「自分の、選択……」
 小さく呟くアレフに、ランディはうん、と頷く。
「戦うのは怖い。人を傷つける事、戦いで生命を奪う事。そのどちらも怖い。
でも、それはぼくが自分で選んだ道の結果だから。そこから逃げるって事は、
それを選んだ自分から逃げる……自分を、否定するって事になるような……そ
んな気が、するから。
 それに……」
「それに?」
「今は、他に、思いつかないんだ。大事なものを、護るための方法……他に、
もっとあるのかも知れないけど、でも……」
 途切れた言葉の先を促すアレフに、ランディは苦笑めいた表情を向け──直
後に感じた衝撃に、息を飲んだ。
「……っ!?」
 今日一日、特に何の反応も示さなかった『時空の剣』が唐突に衝撃を伝えて
きたのだ。紫水晶はそのまま、断続的な震えを伝えてくる。それと共に感じる、
焼け付くような痛み。それらが示すのは、主に警告だ。
「どーしたんだよ?」
 唐突に黙り込んだランディに、アレフが不思議そうに問いかけてくる。ラン
ディはそれに答えず、抱えていた剣を手に立ち上がった。
「って、おい?」
「君は、野営地に戻って!」
 同じように立ち上がったアレフに短く告げると、ランディは木々の奥へ向け
て走り出す。
「戻って、って……一体、どうしたんだよっ!?」
 困惑しきった問いに答える余裕はなかった。『時空の剣』が警告を放つとい
うのは、それだけで緊急事態と言える。
 現状、『時空の剣』が警戒を示しているのはアレフの槍と『死拝者』なのだ
が、今感じている警告はそれらに対するものとはどこか違っていた。感覚的に
は、真紅の魔女に対するそれと近いだろうか。
(あの人がいる? それとも……)
 ふと脳裏を掠めるのは、シュキと言う名の死霊術師の少年。どうやら、真紅
の魔女とも関わりのあるらしい彼が近くにいるというのであれば、この反応も
納得は行く。
(でも、一体何のために?)
 こんな疑問を感じつつ、ランディは感覚の導くまま、木々の間を駆けて行っ
た。
 その一方で。
「一体、何なんだよ?」
 取り残された形のアレフは、呆然とこんな事を呟いていた。その背後の茂み
ががさり、と音を立てる。それと共に急に冷たさを増した空気を訝りつつ、音
の方を振り返ったアレフは、
「……なっ!?」
 そこに虚ろに佇む骸骨戦士の姿に息を飲んだ。
「な、なんで、こんなっ……」
 こんなとこにこんながいるんだよ、と叫ぶより早く。
「……浄!」
 鋭い声と共に飛来したカードが骸骨の頭部にガツッ!と音を立てて突き刺さ
り、一拍間を置いて骸骨諸共に光の粒子となって消え失せた。
「無事だな」
 状況について行けずぽかん、とするアレフの意識を冷静な声が現実へと引き
戻す。数回瞬いてから声の方を振り返ったアレフは、カードを手にしたウォル
スの姿にあ、と短く声を上げた。
「一人か。ランディは?」
「そ、それが……いきなり、走ってっちまって……オレにも、何が何だか」
 振り返り、視線が合うなり投げられた問いに答えると、ウォルスは僅かに眉
を寄せた。
「な、なぁ、一体、何が起きてんだよ! なんで、こんなとこにこんな……」
「オレが知るか。わかっているのは、害意ある何者かが襲撃してきた、という
事と……」
 上擦った声で問うアレフへの返答は、唐突に途切れる。漆黒の髪がゆるりと
流れ、直後にガツっ、という鈍い音が響いた。いつの間にか近づいてきた骸骨
戦士の顎に見事な回し蹴りが決まり、その体勢が崩れる。
「……のんびりしていれば、死ぬという事だ。来るぞ、構えろ!」
 自分の体勢を整えつつ、ウォルスは淡々とこう言い切った。鋭い声に弾かれ
るように、アレフは槍を両手で構える。一体いつの間に現れたのか、周囲には
錆び付いた武具を手にした骸骨戦士たちが集まり、がしゃ、がしゃ……と無機
質な音を立てていた。
「何なんだよ、っとに……わけ、わかんねぇっ!」
 苛立ちを帯びた声を上げつつ、アレフは槍を繰り出して骸骨戦士の剣を弾く。
その瞳には僅かながら困惑と、そして、恐怖心のようなものが見え隠れしてい
た。

 それと、多少時間は前後する。

「……はあ」
 何となく所在無い思いに囚われ野営地を後にしたファリアは一人、ため息を
ついていた。単独行動の危険性は理解している。これでも、冒険者としての生
活は長い方だ。その経験が今の自分──魔法を使えない魔道師が一人でいる事
の危険性を感じさせてはいるものの、しかし。
 そんな自分に対する周囲の気遣いが、言い方は悪いが少し煩わしいようにも
思えて。そんな自分に嫌気がさして落ち込み、そこをまた気遣われる。いつの
間にか、そんな悪循環に陥っていた。
「ほんと、こんなんじゃ単なる足手まとい……」
 そうはなりたくない、と。ずっとそう思っていただけに、その事実は重い。
とはいえ、自分ではどうしようもないのだ。
 以前の一件──カティスで魔力の強制放出をさせられた影響なども考えはし
たが、それならばもっと早くに症状が出ていてもおかしくはないだろう。そう
考えるとどうにも理由が思いつかず、幾度目かのため息をつこうとした時。さ
ざめくような笑い声が微かに聞こえた。
「……誰?」
 仲間たちのものではなく、同行者たちのそれとも違う声に自然、声は警戒の
響きを帯びる。ファリアはやや息を詰めて周囲を見回した。肩の上のリルティ
も忙しなく周囲に視線を投げている。
「……」
 じり、と一歩後ずさる。大気の冷えとは明らかに異なる冷たい空気が、ここ
に一人でいる事の危険性を感じさせた。
(戻らないと……)
 今の自分は、何も出来ないのだから、と、そう思いつつもう一歩足を下げた
時。
「どこ行くの?」
 背後から、声が聞こえた。とっさに振り返った先には何者の姿もなく、え、
と声を上げて瞬くのと同時にリルティが甲高い声を上げた。その直後、今度は
すぐ横から笑い声が上がり、とっさにずらした視線の先に鮮やかな緑が翻る。
色とりどりの羽根飾りの揺れる、独特とも言えるその装いは。
「……っ! あんたはっ!」
「やあ、こないだぶり?」
 そこにいるのが誰であるかに気づいて大声を上げるファリアに、笑い声の主
──シュキは彼女とは対照的に明るく、楽しげに笑って見せた。ファリアは二、
三歩下がって距離を取り、睨むような目をシュキに向ける。その様子に、シュ
キは楽しげにくすくすと笑った。
「やだなあ、そんな怖い顔しないでよぉ? せっかくカワイイのに、台無しじ
ゃない」
「……何しに、来たのよ?」
 からかうような言葉を投げてくるシュキに、ファリアは低くこう問いかける。
何故、一人で出歩いたのかと。今更のように、それが悔やまれた。
「何しに、は酷いなあ。キミに逢いたくて来たのに」
 低い問いにシュキは笑みを絶やす事無く平然とこう返してくる。翡翠色の瞳
には、楽しげな光が浮かんでいた。
「逢いたくて……って、な、何よ、それ?」
 そしてその、平然と告げられた言葉にファリアは困惑する。半ば無意識の内
に、足が一歩後ろに下がった。その動きにシュキはまたくすり、と笑う。
「言葉通りの意味しかないよ? ぼくは、キミが気に入ってるんだ。気に入っ
たモノに逢いたいって思うのは、おかしい?」
 小首を傾げつつ、何でもない事のように問われたファリアは返事に窮して口
ごもった。理屈自体は間違ってはいないかも知れないが、しかし、敵対してい
るはずの相手にそう言われても素直には受け止められなかった。
「別に、おかしくはないでしょ?」
 ファリアの沈黙を肯定と判断したのか、それとも最初から答えを待つ気など
なかったのか。シュキは楽しげな口調で言いつつ距離を詰め、ファリアに手を
伸ばす。近づく気配と、リルティの発したきゅうう! という甲高い声に我に
返った時には既に遅く、ひやりとした冷たい感触が腕を掴んでいた。
「……なっ……」
 生者のそれとは到底思えぬ感触に息を飲む間もあらばこそ。強い力に引き寄
せられ、冷たい感触が頬に触れた。
「ちょ、ちょっと……!」
「ねぇ、一緒においでよ?」
 何すんのよ、と怒鳴るより先に囁きが耳元に落ちた。全く思いも寄らない言
葉に、ファリアはえ? と言いつつ一つ瞬く。
「い……一緒に、って……」
 間を置いて零れ落ちたのは、こんな呟きだった。否定や拒否の伴わない疑問
のみの言葉に、シュキは満足そうに目を細める。
「一緒に、は、一緒に。ねぇ……おかしいとは思わない? 力ある者が、その
力を正しく理解されない世界……力なき者の妬みや嫉みで、素晴らしい力が失
われていく世界って……さ?」
 ほんの少し、笑みを帯びた声でシュキは囁く。いつもであれば即突っぱねる
ようなその言葉は、何故かファリアの中で引っかかった。
(力ある者が……理解、されない……)
 ふと過ぎるのは、広場での出来事。「魔導師は災いを呼ぶ」という、人々の
声。
 ファリアはぎゅっと目を瞑ると、浮かんだそれを振り払うように数回首を振
った。その仕種に、シュキはくく、と低く笑う。
「思ってるんでしょ、キミも? 思うよねぇ、あんなメに遭わされたら……さ」
 再び落ちる、囁き。もしレイチェルがこの場にいたなら、或いはファリアが
いつもの彼女であったなら。その『あんなメ』の原因を作ったのは誰か、と突
っぱねる事も出来たのかもしれない。
 しかしレイチェルはここにはおらず、力が使えない事で不安定になっていた
ファリアにはそこまでの意志力は発揮できず。僅かに毒を帯びたシュキの囁き
は、不安定になっている部分へと直に、落ちた。
「ね……だから、さ。一緒に行こうよ。理解しようとしない連中と一緒にいた
って、辛いだけじゃない?」
「……それは……」
 畳み掛けるような言葉に、ファリアは小さく呟いて目を伏せる。
「ぼくと一緒なら、あんな思いはしなくて済むんだよ?」
「……」
 言葉が、落ちる。不安定な部分が、また、揺れた。
 このままここに──何も出来ないままでここにいて、ランディの枷になるの
なら。足手まといになるのなら、いっそ姿を消してしまった方がよいのではな
いか、と。
 力が発揮できないと気づいてから、ずっと考えていた事が、脳裏を掠める。
「必要とされているかどうかもわからない場所にいるより、確実に必要とされ
ている場所の方が、居心地がいいよ……きっと?」
 大きく揺らぐファリアの様子に、シュキは笑みを深くしつつ更に囁く。『必
要と』。短いその言葉は一際大きくファリアの心を揺らした。その揺らぎに気
づいたのかリルティが不安げな声を上げるが、しかし、今のファリアには届い
ていないらしい。
「……あたし……」
 俯いたまま、ファリアが小さく呟いた時。
「……ファリアっ!」
 その名を呼ぶ声が、大きく響き渡った。

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