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「くっ……なんだっていきなり、こんなっ!?」
 アレフと別れて……というか、置き去りにして走り出してすぐ、ランディの
行く手を阻むように不死怪物たちが現れ始めた。何の脈絡もないその出現に疑
問を感じつつ、ランディは道を開くために剣を抜き、目の前に揺らめくそれら
を打ち砕いていく。しかし、不死怪物は後から後から、さながらランディを先
に進ませまい、とするかのように次々と現れて道を阻んだ。
「一体、何が……普通じゃないよ、これっ……」
 また一体、骸骨戦士を打ち砕いて額の汗を拭う。零れた呟きに答えるように
紫水晶がちりり、と痛みを伝えてきた。その痛みが焦りを募らせ、早く先へ、
と思うものの、次々と現れる骸骨の壁はそれを思うように行かせない。
「くっ……」
 埒が開かない。しかし、それとわかっていても目の前の一体一体を撃破する
以外の術をランディは持ち合わせてはいなかった。闘気の刃を放てばそれなり
の広範囲に仕掛ける事もできるが、この状況では事前の力の集中の段階で一斉
攻撃を受けるのは目に見えている。
「どうすればっ……」
 募るのは、不安と苛立ち。それを抱えつつ、とにかく目の前の一体へと剣を
振るい、強引に打ち砕く。乾いた音と手応えを感じつつ、開けた空間へ駆け出
そうとするものの、
「……っ!?」
 不意に何かが足を掴み、それを阻んだ。はっとしつつ下を見たランディは、
自分の足を掴むもの──地中から突き出す白骨化した手に息を飲む。
「しまっ……放せ!」
 慌てて剣をそちらへ向けて払いのけようとするものの、白い手は決して放す
まい、と言わんばかりに次々と現れて足を押さえ込む。そこへ、足元のそれと
は異なる乾いた音が近づいて来た。前方を塞いでいた骸骨戦士たちが近づいて
来たのだ。
「くっ……」
 このままじゃ、と、先ほどとはまた違った焦りが募る。その焦りを嘲るよう
に、カタカタと白骨が鳴った。錆の浮いた刃がじわじわと迫る。
 絶対絶命。
 状況に、不本意ながらこんな一言が浮かんだその時。
「……亡者必滅……破呪聖光!」
 鋭い声が響き、夜闇の色を裂いて白い光が舞い散った。
「な……」
 唐突な出来事に呆然とするランディの目の前で、どこからともなく飛来した
光球に触れた骸骨戦士が次々と消滅していく。白の軌跡を残しつつ舞う光球に
触れたものが同じ色の光の粒子となり、夜闇に溶けるように消えていく様は幻
想的で、ランディは一瞬状況も忘れてそれに見入っていた。
 粒子を引き連れた光球の舞は最後にランディの足に絡みつく手を全て消し去
り、そして、唐突に消え失せる事でその幕を閉じた。
「今の、一体……」
「ランディ、無事かっ!?」
 呆然と呟く声に問いが重なる。我に返って声の聞こえた方を見れば、そこに
は息を切らせたスラッシュの姿があった。
「スラッシュ!」
「お、無事だな! 急がねぇとヤバい、行くぜ!」
 名を呼んだ後、今の光球の事を問う暇はなかった。スラッシュはランディを
一瞥してその無事を見て取ると、木立の奥へと駆けて行く。どことなく焦りを
感じさせるその態度に戸惑いつつ、ランディもそれに続いて走り出した。
 紫水晶は相変わらず警告を伝えており、そしてランディ自身、言葉では表せ
ない強い不安を感じてならなかった。
 時折眼前に立ちはだかる骸骨を適当にあしらいつつ走って行くと、声が聞こ
えてきた。ファリアと、ランディには聞き覚えのない、少年の声。少年の声に
前を行くスラッシュは表情を険しくするものの、その変化はランディの位置か
らは見えなかった。
 そして、駆け込んだ森の中の小広場──その場の状況が目に入るなり。
「……ファリアっ!」
 口をついた声と共に、紫水晶が大きく震えるのが感じられた。
「シュキ! 何してやがる、このガキ!」
 次いで、スラッシュが怒鳴る。この声に、シュキは煩そうにスラッシュを見、
それからランディを見て薄く笑った。
「まったく……声だけは、人並み外れて大きいんだから……何してたっていい
でしょー、ぼくの自由じゃない」
 笑いながら言いつつ、シュキはこれ見よがしにファリアを抱き寄せる。その
手の冷たさのためか他に理由があるのか、その瞬間、ファリアの身体が微かに
震えた。その震え──いや、それ以前に当然のようにファリアに触れている、
という事実がランディの苛立ちを更にかき立てる。
「その手を……ファリアを、放せ!」
 剣を構えつつ、叫ぶ。この言葉に、シュキは僅かに首を傾げて見せた。
「キミに、それを言われる筋合いはないなあ……それに」
 言いつつ、シュキはファリアの髪に手を触れる。
「それに? それに、なんだって……」
「彼女は、拒んでないんだよ?」
 投げかけた問いは、さらりと言われた一言に遮られた。その言葉にランディ
はえ、と短く声をあげ、俯いていたファリアがはっとしたように顔を上げる。
「ちょっと! 勝手な事、いわ……」
「だって、離れたかったんだよね、彼から」
 勝手な事言わないで、というファリアの言葉を、シュキは半ば強引に断ち切
った。そして、その言葉にファリアは言葉を詰まらせて目を伏せる。
「ファリア?」
「ほぅら、ね?」
 困惑と、笑みと。ファリアの反応に、ランディとシュキは対照的なものを表
情に過ぎらせた。ファリアは俯いたまま何も言わず、ランディは微かな不安を
心の奥に生じさせる。
(離れたい……ぼくから? どう……して?)
「ランディ、しっかりしろ! ヤツの言う事なんざ、真に受けるこたあねぇ!」
 不安は疑問を生じさせ、そこに付きまとう困惑が不安をより深くして行く。
それを押し止めようとするかのように響くスラッシュの声に、ランディははっ
とそちらを見た。
「……スラッシュ……」
「あー……ほんと、ウルサいよねぇ、レイフェンは。口出さないでくれるー?」
 露骨に嫌そうな口調で言いつつ、シュキはスラッシュを煩そうに見る。その
視線に、スラッシュは手にした小太刀を構える事で答えた。
「……」
 ランディはスラッシュとシュキとを見比べ、それから、俯いたままのファリ
アを見る。スラッシュの言う通り、シュキの言葉を真に受けてはいけないとは
思うし、そうするつもりもない──ないのだが。黙り込んだままのファリアの
様子が、先ほど生じた不安を助長するのを止められなかった。
「くっ……」
 浮かんだ不安を振り払うように軽く頭を振り、ランディは一歩前へ踏み出す。
その動きに気づいたシュキは、僅かに目を細めた。
「物分りが悪いなあ……自分の立場、ちゃんとわかってるのぉ?」
 呆れ果てた、と言わんばかりの口調で言いつつシュキは肩を竦め──直後に、
薄く笑った。笑みを貼り付けた口元が微かに動き、声にならない声で何か言葉
を紡ぐ。やや暗い緑の光が空間にぱちり、と弾け、直後にそれは光の縛となっ
てランディとスラッシュに絡みついた。
「なっ……」
「ちっ!」
 絡みついたそれに動きを封じられ、二人はそれぞれ声を上げる。そこに込め
られた焦りの響きに、シュキは満足げな様子でにこりと笑った。
「迂闊だねぇ、レイフェン。ぼくの力は、死霊魔導だけじゃないんだよぉ?」
 スラッシュに向けてこう言うと、シュキはランディへと視線を向ける。楽し
げな緑の瞳を、ランディは真っ向から睨み返した。紫水晶の瞳の真摯な色彩に
嘲るような笑みを向けると、シュキはランディから視線を逸らしてファリアを
見る。
「さて……邪魔なのは静かになったし、行こうか?」
 さも当然のような言葉に、ファリアははっとしたように顔を上げた。
「ちょっと! あたしは、あんたと一緒に行くなんて、一言もっ……」
 続く言葉は、唐突に途切れた。肩を押さえる手に急に入った力、それが伝え
る痛みによって途切れさせられたのだが、傍目には言葉に詰まったようにも見
え、それはランディの中に生じた不安をまた揺さぶる。
「……どうすればっ……」
 苛立ちを帯びた言葉が口をつく。だが、その苛立ちが何処へ向くのかは自分
でもわからなかった。状況か、自分の中の迷いに対してか。いずれにしろ、そ
の苛立ちは眺めているシュキには小気味よいらしく、ちらりと向けられた視線
には微かに愉悦らしきものが感じられた。
「このガキはっ……」
 スラッシュが苛立たしげに吐き捨てる。声にも瞳にもはっきりそれとわかる
苛立ちが込められており、シュキはそちらに対しても楽しげな視線を投げかけ、
それから、唐突にファリアの頬に手を触れた。
「な……何、する、のっ……」
「ん? 何だか色々と諦めが悪いみたいだから、はっきりさせてあげようと思
って」
 突然の事に上擦った声を上げるファリアに、シュキはさらりとこう返してく
る。顔が近づき、シュキが何をしようとしているのかは誰の目にも明らかだっ
た。
「ちょ、ちょっと、何、勝手な事っ……」
 一抹の焦りを声に交えつつ、ファリアは何とか逃れようとするものの、ひょ
ろりとした外見に似ず強いシュキの力に、それは叶いそうになかった。
(やだっ……こんなの、やだよ!)
 声にならない思いが、ファリアの頭の中でぐるぐると回る。それを代弁する
かのように、リルティがきゅーっ! と悲鳴じみた声を上げた。精神の絆で強
く結ばれた者同士、感情は直に伝わっていく。だからだろうか。リルティの声
には、ファリアが上手く現せずにいる想いもまた、そのまま反映知れているか
のようだった。
 即ち、状況への拒絶と──救いを求める意思、を。
「……触れる、な……」
 理屈でそう理解した訳ではないし、まして込められた想いを詳細に読み取っ
た訳でもない。
 しかし、その甲高い声はランディの中に生じた迷いを一時、弾き飛ばすだけ
の力を秘めていた。
「……何か、言ったぁ?」
 ランディの漏らした掠れた呟きに気づいたのか、シュキが動きを止めてこん
な言葉を投げかけてくる。自分かけた束縛の術に自信があるのか、その態度は
余裕のままだった。
「触れ……るな……それ、以上っ」
 それに低く返しつつ、ランディは動こうと試みる。緑に煌めく光の縛はそれ
を感知して束縛を強めるが、しかし。
「ファリア、に……ぼくの、大事な人に……それ以上、触れるなあっ!」
 高まった感情が束縛の魔力を凌駕したのか、それとも『時空の剣』が感情に
共鳴でもしたのか。絶叫と共に澄んだ紫の光が周囲に飛び散り、次いで、ラン
ディを捕えていた光の縛が千切れ飛んだ。
「……おーお、若いねぇ」
 その様子にぽつり、とスラッシュが小さく呟く。とはいえ、言われた方はそ
の呟きに気づく暇もなく、自由を取り戻すやシュキへと駆け出していた。
「まさか……ぼくの呪縛を破るなんて……いたっ!」
 一方、縛を破られた事で動揺したのかシュキは呆然とした様子でこんな呟き
を漏らし、直後に短く声を上げた。その腕に、真白の妖精ネズミが決死の面持
ちで鋭い歯を立てている。
「……お前っ!」
 シュキの表情から呆然が抜け落ち、苛立ちが顕わになる。シュキはファリア
に回した腕を離すと、大きく手を振って噛み付いたリルティを振り払った。元
々非力な妖精ネズミは呆気なく振り払われ、白い身体が宙に舞う。
「……っ! リルティっ!」
 感覚を共有するものに与えられた衝撃はそのままファリアへと伝わり、呆然
としていた少女を我に返らせる。シュキの手は離れており、動き出すのに何ら
障害はない。ファリアは迷う事無く、飛ばされた小さな相棒を受け止めるため
に走り出した。白い妖精ネズミは地に落ちる前に差し伸べられた手の中へすと
ん、と落ちる。リルティを無事に受け止めると、ファリアはそのまま走ってシ
ュキとの距離を大きく開けた。
「あー、もうっ……」
 走り出すファリアにシュキは苛立たしげな様子で舌打ちする。
(……今ならっ!)
 一方、縛を断ち切り駆け出したランディはファリアがシュキから離れたのを
見て取ると全力で剣を振るっていた。
「はあああああっ!」
 鋭い気合が、夜気を裂いて響く。右下へ向けて構えられていた剣が、左上へ
と大きく振り上げられた。銀の剣はいつの間にか澄んだ紫の光をまとい、その
光は振るわれた瞬間、波動の刃となってシュキに襲い掛かっていた。
「なにっ……まさか、こいつっ……」
 ほんの一瞬、驚愕を表情に掠めさせつつ、シュキは後ろへと跳ぶ。剣の一撃
は僅かに届く事はなかったものの、波動の刃はその動きを追い、着地直後の不
安定な体勢のシュキを直撃した。
「……くっ!?」
 上がる、低い呻き声。伝わる衝撃は相当大きかったらしく、シュキは波動の
直撃した辺りを手で押さえつけていた。
「くく……まったく、騒々しいなあ……雰囲気もなにも、あったもんじゃない」
 それでもシュキは余裕を崩そうとはせず、声を掠れさせながらもこんな言葉
を投げてきた。ランディは振り切った剣を返して構えを取りつつ、次の一撃の
ための距離を測り始める。
「えー、やだなあ、ヤル気なのぉ? キミは色々とジャマだから、ここで叩き
のめしてもいいんだけど……それをやると、どっかのオバサンがウルサいんだ
よねぇ……」
 身構えるランディに向け、シュキはおどけた口調でこんな事を言った。その
中の、『オバサン』という部分にランディは状況も忘れてきょとん、と瞬く。
「オバサン……?」
 訝るような呟きにシュキは答えず、どこからともなく取り出した杖をその手
に握った。それから、暗い緑の瞳をファリアへと向ける。冷たい視線にファリ
アの身体がびくりと震え、手の中のリルティがきゅきゅ! と甲高い声を上げ
た。
「ま……今日の所は、引いて上げるよ。でも、ぼくは……諦めない」
 冷たい声で宣言すると、シュキは手にした杖を振る。先端につけられた骸骨
の目に光が灯り、緑の光が弾けた。
 それが消えた後には、異国の装いの少年の姿はなく──ただ、重苦しい沈黙
が立ち込めていた。

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