第二章目次へ


   ACT−7:翡翠の死霊術師

 青白い火が静かに揺れる。荒削りな岩壁の露出するその部屋を照らす灯りは、
それだけだった。青白い火は同じ色のどこか冷たい光を放ち、そこにいる者た
ちを不気味に照らして出していた。
「……また、我らの同士が喜びの門をくぐったようですね」
 静かな声が、場の静寂を打ち破る。銀糸の刺繍の施された漆黒の長衣をまと
ったその人物は、中性的な顔に楽しげな笑みを浮かべた。
「どうも、そうみたいだねぇ」
 呟くような言葉に、妙に明るい少年の声が相槌を打つ。青白い光の中、その
存在を強固に主張する色鮮やかな紋様を身にまとった少年──シュキは、手に
した杖をゆらゆらと揺らしつつ、長衣の人物を楽しげに見つめていた。
「それで、どうするの? 彼らを呼ぶのかい?」
 シュキの問いに、長衣の人物は思案するような素振りを見せた。
「こちらから働きかけずとも、彼らはここにたどり着くでしょう。かつて、あ
の美しき生き物を駆る騎士が、自らの力でここを訪れたように」
 それから、楽しげな口調で問いに答える。この返答は予想通りだったのか、
シュキは短くそう、とだけ返し、座っていた椅子から跳ねるように立ち上がっ
た。
「まぁ、ぼくにはどうだっていいんだけどね。キミは、キミの好きなようにす
るといいのさ」
 ひょい、と肩を竦めつつごく軽い口調でこう言った後、シュキはふと何か思
い出したようにあ、と短く声を上げた。
「どうかなさいましたか、翡翠の御方」
「……一つだけ、大事な事」
 突然の事に怪訝そうな声を上げる長衣の人物に、シュキは笑みを消した表情
と声を向ける。
「大事な事……なんでございましょう」
「バラ色の魔力を持つ女の子に、手を出しちゃいけないよ。あのコは、ぼくが
ぼくの世界に招くと決めたんだ……いいね?」
 念を押す瞬間、少年の瞳には言いようもなく冷たい光が宿っていた。ほんの
一瞬空気が凍てつき、青白い火すらその揺らぎを止めそうな緊張が張り詰める。
とはいえ、それは本当に短い時間の事であり、少年が一見すると無邪気な笑み
を再び口の端に乗せると同時に緊張は砕け散った。
「ま、それだけ気をつけてくれれば、後は好きにしていいよ。頑張ってね、メ
リオン・シュヴァイツァ『死拝者』長」
 ごく軽い口調でこう言うと、シュキは手にした杖をつい、と一振りする。淡
い色の光が弾け、その光が消え失せた時には少年の姿は青白い空間から消え失
せていた。
「あれほどの力を持ち、無限を操る御方でも、生ける者に執心なさるのか……」
 シュキの気配が完全に消え失せると、残された人物──メリオンは低くこん
な呟きを漏らす。その声には僅かながら意外そうな響きが込められていた。
「まぁ、良いでしょう。私が求めるのは、彼の美しき武具。彼の騎士を全き姿
にするために……」
 独りごちつつ、メリオンは視線を頭上の闇へと向ける。その口元には、恍惚
とした表情が薄っすらとだが見て取れた。

 森の緑の中に、鮮やかな紋様を散らした緑が翻る。そのまま、木々の織り成
す闇へ溶けようとする直前でシュキは足を止め、背後に佇む者を笑顔で振り返
った。
「やあ、オバ……お姉さん」
「……白々しいわよ、あんた」
 あからさまに作為的な呼びかけに、森の中では一際目立つ真紅をまとった女
はため息と共にこんな言葉を吐き出した。シュキは口の端に笑みを浮かべつつ、
えー、と声を上げる。
「ところで、何の用?」
「別に? たまたま、あんたの活動地域に入ったから、何してるのかと見に来
ただけよ」
 問いに対する女──真紅の魔女イレーヌの返事に、シュキはまた、えー、と
声を上げた。
「まぁ、適当にやってるよ。適当にね。でも、彼らが来たからねぇ……」
 ここでシュキは言葉を切り、くす、と意味あり気な笑みを漏らした。
「元から、さして期待もしてないでしょ?」
「まぁね。それでも、役には立ってもらってるよ。ぼくらの成すべき事のため
にね」
 呆れたようなイレーヌの指摘に、シュキはまた笑う。この言葉にイレーヌは
ため息を交えつつ、ならいいわ、と呟いた。
「オバ……お姉さんにとっても、役に立つんじゃないかな? 『糧』にはなる
だろうから」
「あんた、しつこいわよ」
 魔女の瞳に僅か、殺気めいたものが過ぎる。シュキは三度、えー、と声を上
げ、それからふと思い出したようにそうだ、と呟いた。
「あのコ、もういらないんだよね?」
「あのコ?」
「『呼び鈴』のコ。もう、使わないでしょ?」
 シュキの問いに、イレーヌは僅かに眉を寄せる。
「……そうね。少なくとも、あたしは使う気もないわ。疲れるのよ、使おうと
すると」
「おトシ、だからね」
「お黙り。で、それが何だって言うの?」
 さらりと皮肉るシュキを睨みつつ、イレーヌは唐突な問いの意を問う。この
問いに、シュキは楽しげにくす、と笑った。
「気に入ったんだ、あのコ」
「……気に入った?」
 この返事は予想外だったのか、イレーヌは呆れたとも驚いたともつかない声
を上げる。シュキは平然とした様子でうん、と頷いた。
「あのコ、気に入った。だから、ぼくのにする」
 にっこりと笑いながら言い切るシュキにイレーヌは軽く瞬き、それから、勝
手にしなさいな、と投げやりに言い放った。
「言われなくても、やるつもりだよ」
「ま、そうでしょうね、あんたは。じゃ、せいぜい頑張りなさい」
 ひらりと手を振りながらこう言うと、イレーヌはシュキに背を向けた。その
背に、シュキはどことなく意地の悪い笑みを向けつつそう言えば、と呟く。
「……何よ?」
「レイフェン。元気そうだったねぇ」
「……」
 魔女の瞳に刹那、苛立ちのような光がかすめる。しかし、イレーヌはそれ以
上何か反応するような素振りを見せる事なく、その場から姿を消した。真紅の
魔女の気配が完全に消え失せるとシュキはさも楽しそうにくすくすと笑い、そ
れから、進もうとしていた木々の間の闇へと溶けるように消えて行く。
 誰もいなくなって数分後、その場所の事を唐突に思い出したかのように小鳥
のさえずりが響き始めた。

「ぼくも行く。行くと言ったら行くんだ!」
「お前が来たって、なんの役にもたたねえだろっ!」
「そんなの、わからないじゃないか!」
「じゃあ、何ができるのか言ってみろよ!」
「そ、それは……で、でも、行くんだったら行くんだ!」
「だから、何しに行くんだってんだよ!」
 森の中を飛び交う声、また声。誰かが間に入らなければ止まらないのは明ら
かだが、しかし、そのタイミングを掴むのが至難とも言えるその様子に、ラン
ディは困ったように頬を掻いた。
「……まったくもって、面倒だな」
 露骨に呆れ果てた、と言わんばかりの口調でウォルスが呟く。それに、ラン
ディはそうだね、と呟いた。ウォルスの言う『面倒』がこの騒動──アレフと
フランツの口論を止める事なのか、この大声のやり取りが今後の行動に与える
であろう影響なのかは定かではないのだが。
 これだけの大声で怒鳴り合えば、今後『見つからずに進む』というのは不可
能だろう。今現在でも、どこで見られているかわかったものではないのだから。
それは転じて、道中のトラブルが増える可能性を示唆している。現状に照らし
合わせると、これは好ましい状況とは言えない──のだが。
「ま、こーなっちまったら、どーしよーもないわな」
 今後に対するランディの憂鬱を読み取りでもしたかのように、スラッシュが
呟く。ダークグレイの瞳には妙に疲れたような、諦めたような色が見て取れた。
「嫌な話だが、真理だな」
 スラッシュの呟きに、ウォルスがぼそりとこんな呟きを漏らす。
「まぁ、先の事は、ね……取りあえず、まずはこの状況をどうにか……」
 どうにかしなきゃ、とランディが言うより早く、
「いい加減にしなさいよ、もうっ!」
 口論を凌駕する大声が森の大気を震わせた。ランディたちは元より、意を決
して仲裁に立とうとしていたらしいライファス、そして口論していた当の二人
も呆気に取られたように大声の主、即ちレイチェルを見る。
「……こういう時は、便利だな」
 そんな中、唯一ペースを崩していないウォルスは悠然とこんな呟きを漏らし
ていたが。
「もー、さっきから聞いてれば! そんなんじゃいつまでたっても話が先に進
まないでしょおっ!?」
「そ、そんな事言ったって、こいつが……」
「って、こいつがムチャ言ってっからっ……」
「どっちもどっち!」
 ほぼ同時に反論してくる二人を、レイチェルは一言で黙らせる。
「……レイチェルちゃん、強い……」
「あのくらいできんとも平原では生きて行けん」
「そーゆー問題かあ?」
 思わず漏らしたランディの呟きにウォルスがさらりと言って、スラッシュが
疑問を投げかける。その疑問を、ウォルスはそう言う問題だ、の一言で受け流
した。
「あんたさ、自分のコト、守れないよね、明らかに」
 そんなやり取りの一方で、レイチェルがフランツにこんな言葉を投げていた。
「あたしたち、遊びでこの先に行くんじゃない。すごく、危険なとこに行くと
考えて、間違いないの。そんなとこに自分も守れないのを連れてく意味くらい、
わかってるよね」
 厳しい言葉に、フランツはそれは、と口ごもる。その目が救いを求めるよう
な光を宿しつつ、ライファスの方を見た。ライファスは何とも言えない、困っ
たような面持ちでそれを受け止める。とはいえ、ここで救いを求められても困
ってしまうだろうが。
「つまりさ、あんたって、自分だけじゃなくて他の人も危険に巻き込もうとし
てるワケだよね?」
 フランツの視線を軽く辿った後、レイチェルは更に言葉を続けた。
「だったら、それなりの言い方ってあるんじゃないの? それとも、人に頭下
げないのは民族性なワケ?」
「な……何をっ!?」
 切りつけるような言葉に、フランツは睨むような目をレイチェルに向ける。
ライファスと、そしてアレフもこの言葉には表情に険しいものを過ぎらせるが、
レイチェルは動じた様子を全く見せずにフランツを見つめていた。意思が強い
と言えばいいのか、口さがないと言えばいいのか。なんとも判断に困るその様
子に、ウォルスがやれやれ、と呆れたようなため息をつく。
「言わんとする所はわかるが……放っておくと、平原の民に対する誤解を広め
て歩きかねんな、あいつは」
「……それに関しては、人の事全く言えんのと違う?」
 ため息に続いて零れた呟きにスラッシュが突っ込み、直後に鈍い音が大気を
震わせた。ウォルスが無言で入れた裏拳が、見事に決まった音だ。ぐぇ、と唸
って身を屈めるスラッシュを完全に無視して、ウォルスはレイチェルたちのや
り取りを眺めている。
「……」
 その様子に、平原の民を知らない人たちは確実に誤解してそうだなあ……、
などと思いつつ、ランディはレイチェルたちのやり取りを見守った。
「そうじゃないって言うんなら、この場で自分がどうすべきかはわかってんじ
ゃないの? 少なくとも、連れてけ連れてけって自分の都合ばっかり押し付け
るのは、あたし、連れてきたくないよ」
 フランツに向けきっぱりと言い切ると、レイチェルは今度はアレフの方へと
睨むような目を向けた。
「な、何だよ?」
 その瞳の険しさに気圧されたのか、アレフはやや上擦った声を上げる。
「あんたはね、取りあえずは話聞きなさいよ! 話し聞く前にダメダメ言った
ら、先に進まないじゃないでしょおっ!」
「う……」
 ぴしゃりと言われたアレフは短く唸って言葉に詰まる。怒鳴っていた者たち
が一斉に口を噤んだ事で、周囲は急に静まり返った。
「……ええっと」
 立ち込める静寂は妙に重たいものの、このままでは先に進めない。そんな思
いから、ランディは短く声をあげ、フランツの方を見た。フランツは俯いたま
ま、ぎゅっと唇を噛み締めている。
「昨日の時点で、わかってるとは思うけど……この先に進む、一緒に来るとい
うのは、相当に危険です。もしかしたら、生命にも関わるかも知れない。それ
でも、ぼくらと一緒に行きたい、と?」
 静かな問いに、フランツはこくん、と頷いた。
「……予め言っておくが、連れて行かないなら一人で行く、というのは効かん
ぞ。そこまで責任を持つ謂われも余裕も、オレたちにはない。行きたければ、
勝手に行け、としか言えん」
 いつの間にか手にしていたカードの束を弄びつつ、ウォルスが言い切る。冷
徹な物言いに、フランツの肩が僅かに震えた。
「ま、確かにお偉いさんたちからは一切そーゆー話は聞いてないし。オレらの
管轄外のコトだわな」
 さらりと軽い口調で言いつつ、スラッシュがライファスの方をちらりと見る。
ライファスの表情には強い困惑が伺えた。フランツがここにいる、そして着い
て行く、と主張している事に最も戸惑っているのが彼なのは、誰の目にも明ら
かだった。胃も辛そうだな、などと考えつつ、ランディはフランツを見つめた。
 今のウォルスとスラッシュの厳しい言葉を聞いて、その上でどんな返事をし
て来るか。そんな事を考えつつ、答えを待つ。
「ぼ、ぼくは……」
 再び立ち込めた重苦しい沈黙を、震える声が取り払う。
「ぼく、も……ぼくを、一緒に連れて行……ってくだ、さい。お願い、しま、
す」
 妙にぎこちなく、言い難そうな調子でこう言うと、フランツはこれまたぎこ
ちなく頭を下げた。
 最初に見かけた時の様子からして、人に物を頼むとか頭を下げるとか、そう
言った事に不慣れなのだろうと。フランツに対し、ランディはこんな印象を抱
いていたのだが、どうやらそれで間違いはないらしい。恐らく、彼としてはこ
れが精一杯なのだろう。
 そんな事を考えつつ、ランディは仲間たちをぐるりと見回す。ウォルスは露
骨に呆れた様子でため息をつき、スラッシュはひょい、と肩を竦めて見せる。
レイチェルはどこか納得いかない、といった様子で眉を寄せていた。心がこも
っていないとかぶつぶつと呟いている所からして、フランツの言い回しが気に
入らなかったか何かなのだろう。そして、ファリアはと言えば、相変わらず落
ち込んだ様子で目を伏せたいた。
(ファリア……大丈夫かな)
 ファリアが魔法を使えない状態になっている事は、ウォルスから聞かされて
いた。恐らくは精神的なものだろうから、少し様子を見た方がいいだろう、と
も言われたのだが、やはり心配が先に立つ。とはいえ、何をどうすればいいの
か、それが全くわからない事もあり、何も出来ない──というのが現状なのだ
が。
 そんな自分に僅かに苛立ちを感じつつ、ともあれ、それを一時押し込めたラ
ンディはアレフの方を見る。アレフは露骨に不機嫌な表情で、睨むようにラン
ディを見ていた。その様子に困ったような笑みを浮かべると、ランディはライ
ファスを見る。ライファスはまだどこか困惑した面持ちでフランツを見ていた
が、ランディの視線に気づくと小さくため息をついた。
「若君が同行なさると言うなら……戦いの際は、私が責任を持って若君をお守
りする。ですから……」
 折れてはくれまいか、と。言葉として最後まで言いはしなかったものの、そ
の言わんとする所はアレフにも伝わったようだった。アレフはちらりと横目で
フランツを見、それから、勝手にすりゃいいだろ、と早口に吐き捨てる。
「少年、そう、ツンケンとしなさんなって!」
 むくれたようにも見えるアレフに、いつの間にかその背後に回り込んでいた
スラッシュが笑いながらこんな事を言った。その腕が、するりとアレフの首に
かかる。
「大体、ここであの坊ちゃんだけ帰すとかなると、厄介だよー? 一人で帰す
の心配だし、そうなると誰かお守りがいるわけだし」
「それが、なんだってんだよ?」
「そうなったら、今後起こり得る事態の危険性から鑑み、最も実戦経験の少な
い者がお守りに就く事になるだろうな」
 アレフの疑問に、ウォルスが淡々とした口調でこんな事を言う。が、その意
はすぐには伝わらなかったらしく、アレフはへ? と言いつつきょとん、と瞬
いた。
「……よーするに、さ」
 どこまでも軽い口調で言いつつ、スラッシュはアレフの首を絞めるように回
した腕に軽く、力を込める。
「坊ちゃんの付き添いには、お前さんが選ばれる可能性が限りなくたかーいワ
ケ。わかるかなー?」
「なんでそうなっ……って、苦しっ……放せよ、おっさん!」
 唐突に首を絞められて驚いたのか、アレフはじたばたしつつこんな事を口走
る。その瞬間、ランディはスラッシュのダークグレイの瞳に危険なものが宿る
のを見た。
「さー、なんでだろうねぇ?」
 口調は軽いまま、表情も笑顔のまま、スラッシュはじわじわと腕に力を入れ
ていく。一見にこやかなのに目だけが笑っていないのは、何やら薄ら寒いもの
を感じさせた。
「オレが、それ、聞いてっ……って、苦しい、って、おっさ……」
「んー? 『お兄さん』、なんっにも! 聞こえないなぁ?」
「……虚しい自己主張をするヤツだ」
 アレフの訴えをしれっとして受け流すスラッシュに、ウォルスが呆れ果てた、
と言わんばかりに呟く。それに、あはは、と曖昧な笑いで返しつつ、ランディ
はアレフたちの様子を見てぽかん、としているフランツに向き直った。
「危険である、という事、無事に戻れる保証のない事、それらを十分に理解し
た上での同行の申し出というのであれば、ぼくたちは構いません」
「本当かっ!?」
 ランディの静かな言葉に、フランツははっと我に返って上擦った声を上げる。
一気に舞い上がったようなその様子に、ランディは厳しさを崩さないようにし
つつ、ただし、と言葉を続けた。
「た……ただし?」
「アレオン候の御子息だからと言って、特別扱いは一切しません。この場での
行動決定権と指示権は一応、ぼくが預かっていますから、何かあればぼくの指
示に従っていただきます。
 そして、もし戦いになった場合は、ライファスさんの側を離れず、その指示
にはちゃんと従う事。この点は、絶対に守っていただきます」
 静かに言い切ると、フランツはどことなくためらいがちにわかった、と頷い
た。その返事に、ランディはライファスを振り返る。
「それじゃライファスさん、こちらはお任せしますね。それで、と……」
 苦笑めいた面持ちのライファスにこう言うと、ランディは未だに騒いでいる
アレフとスラッシュを見やり、一つため息をついた。
「で、二人とも……いつまで、やってるの?」
「放っておけ。あのテの問答に、終わりなどない」
 思わず漏れた呟きに、ウォルスがきっぱり、こう言い切った。

 何はともあれ、フランツはライファスが面倒を見る、という事で事態には一
応の決着がつき、一行は『レアドラの峰』へ向けて出発する事になったのだが。
「ま、こっちの居場所はバレバレだろーな」
 どんなルートで進むのかの話し合いが始まるなり、スラッシュがごくあっさ
りとこんな事を言った。昨夜戦った『死拝者』の生き残りがいつの間にか姿を
消していた事からして、向こうがこちらの居場所を把握している可能性はかな
り高いだろう。
「そうだね、そう考えてた方がいいと思う」
「と、なると、警戒すべきは……空か」
 相槌を打つランディの言葉を受けるようにウォルスが呟く。その呟きにうん、
と頷きつつ、ランディは梢越しの空を見上げた。
 僅かに翳った空。今は雲が広がるだけのそこに、翼ある影が現れない、とい
う保障はどこにもない。それを思えば、開けた場所を進んで行く方が危険度は
高いと言えるだろう。森の中を行けば『死拝者』に奇襲される可能性はあるも
のの、同じフィールドで戦える分飛行能力を持つワイバーンよりは御し易いは
ずだ。
(まあ、こっちはこっちで問題あるけど……)
 ふと、アレフの方を見やり、ランディはため息をつく。
 昨夜の戦いがアレフにとっては初めてのものなのは想像に難くない。即ち、
人と戦い、人の生命を奪う、という行為の。そしてその相手が死を恐れず、む
しろそれを望む者たちだったというのはかなりの衝撃だったのではないだろう
か。
 それを思うと心配ではあるものの、しかし、それが他者に解決できる物では
ない事はわかっていた。そも、他者を気遣う以前にランディ自身がこの事では
悩み続けているのだから。
「……なんだよ?」
 視線とため息に気づいたのか、アレフが振り返り、怪訝そうに声をかけてく
る。ランディはなんでもないよ、と笑顔でそれに返した。
「……? ま、何でもいーけど。んで、結局森伝いに行くんだな?」
 ランディの笑顔にアレフは怪訝そうなまま眉を寄せるものの、特に追求する
事無くこう問いかけてきた。それに、ランディはうん、と頷く。
「そっか。んじゃ、さっさと行こーぜ」
「元気だねぇ、少年」
 急かすアレフにスラッシュがぽつりとこんな呟きをもらした。アレフは一つ
瞬きをしてからそちらを見やり、
「若いからな、おっさんと違って」
 さらりと禁句を口にする。それが禁句であるとわかっているのかいないのか
は、定かではないが。
「……命知らずだな」
 ウォルスがぽつりと呟き、それにランディが何か答えようとするよりも早く、
鈍い音が梢越しの青空へ昇って行った。
「ま、のんびりしててもイイコトナシ、って事で、さくさくと行ってみよーや」
 ぱんぱん、と手を叩きつつ、何事もなかったかのように言うスラッシュにや
や引きつりながら頷くと、ランディは改めて仲間たちを見回す。
「のんびりしていられないのは確かだしね。じゃ、出発しよう」
 この言葉を号令に、一行は目指す峰へと歩き出した。静寂に包まれた森の中、
響くのは微かな足音と金属音のみ──だったのは、最初の数十分のみだった。
「疲れた……」
「……足が痛い」
「だめだ、もうとても歩けないー!」
 想定していなかった、と言えば嘘になる。だが、まさか歩き出して一時間も
しない内にこうなるとは思わなかった。
「お前、いい加減にしろよなっ!? さっき、出発したばっかりじゃねーかよ!」
「そんな事言ったって、疲れたんだから仕方ないじゃないか!」
 その場に座り込んでしまったフランツに呆れたようにアレフが怒鳴り、フラ
ンツはそれに怒ったような拗ねたような口調で返す。ああ、また口論に……と
思いつつ、それでも仲裁しなければ、とランディが思ったその矢先。
 ……ばきいっ!
 鈍い音と、何かが割れるびきっ!という音が響いた。突然の事に何事か、と
音のした方を振り返ったランディは、手近かな木の幹に拳を叩きつけたウォル
スの姿に思わずえ、と短い声を上げる。拳を叩きつけられた木の樹皮は爆ぜ、
細かいひびが走っていた。その状態と、先ほどの音からウォルスが力の限り木
を殴りつけた……という言は容易に察する事はでき。
「貴様ら……静かに、しろ」
 低い、低い声と蒼氷色の瞳に宿る鋭い光から、ウォルスがアレフとフランツ
の問答に相当苛立っている事は誰の目にも明らかだった。その苛立ちを向けら
れた当の二人はしばし硬直し、
「わ……わかりました」
「……はい」
 消え入りそうな声でぽそぽそと言いつつ同時に頷いた。

← BACK 第二章目次へ NEXT →