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 そして翌日、ランディは再びアレフの元を訪れていた。例によって同行して
きたライファスにはウォルスと共に橋の側で待っていてもらい、一人で小屋へ
と近づく。小屋の裏手からヒュンっ!という唸りが聞こえる所からして、アレ
フは槍の鍛練をしているようだった。
 小屋の中に気配がない事もあって裏手へと回って見ると、予想通りアレフは
木製の槍を手にして激しく動き回っていた。ランディはその動きが一段落する
のを待ち、アレフが槍を下ろして額の汗を拭っている所にやあ、と声をかけた。
「っ!? いつから、いたんだよっ!」
 呼びかけられたアレフは本当に驚いた様子で、上擦った声を上げる。
「さっきからだけど……邪魔したら悪いかな、と思って、一段落するの待って
たんだ」
 そんなアレフに、ランディはにこ、と笑いつつこう答えた。アレフは横目で
睨むようにこちらを見ている。その目には警戒と共に、迷いのようなものも見
て取れた。
(う〜ん……どう話そう)
 アレフの様子に、ふとこんな事を考える。
 少しでも警戒を緩めて欲しくてライファスには最初から外してもらったのだ
が、それでもここまで警戒されてしまうと対処が難しい。取りあえず何か話そ
う、と思って話題になりそうなものを探し始めた時、壁に立てかけられた練習
用の槍が目に付いた。
 木を削って作られた、木製の槍。それはランディにふとした懐かしさを感じ
させる。突然自分から視線を外したランディにアレフは戸惑ったらしく、怪訝
そうな面持ちで首を傾げた。
「何なんだよ……ソレ、そんなに珍しいか?」
 それから突き放すような物言いでこう問いかけてくる。ランディはそうじゃ
なくて、と答えつつ、立てかけられた槍の一本を手に取った。
「ただ……何となく、懐かしいなって、思って」
「懐かしい?」
 首を傾げるアレフに頷くと、ランディはゆっくりと構えを取る。呼吸を整え、
虚空に仮想の標的を捉えつつ気合と共に三連突きを繰り出すと、槍はその意に
従い、勢い良く大気を裂いた。
「……うわ」
 アレフがとぼけた声を上げる。ランディを剣の使い手として捉えていたので
あれば、驚くのも無理はないだろうが。
「そんなに、意外だったかな、ぼくが槍を使えるのって……これでも、元はル
シェードの近衛騎士候補だったんだよ? ヴェリオン流の基礎槍術は、一通り
習得済み」
「……嘘だろ」
 ぽかん、とした表情に苦笑しつつこう言うと、アレフはきっぱりとこう言い
きった。こんな形の否定は別に初めてではないが、問い返しも何もない一言で
の否定はさすがにかちん、とくる物があり。
「じゃあ、確かめてみる?」
 ランディは思わずこんな言葉を口にしていた。対するアレフは言葉の意を掴
みあぐねたのか、え? と言いつつ瞬く。
「だから、ぼくに槍術が身に着いているかどうかを。ヴェリオン流槍術は、ル
シェード王国騎士団でなきゃ学べないからね。それが、一番の証明になると思
うけど?」
 そんなアレフににこりと笑いかけながら、ランディはこう続けた。
 提案自体に他意はない。ただ、過去に近衛騎士候補にまで名を連ねたのは、
自分で努力した結果だった。口さがない者たちは家柄だけで、と陰口を叩いて
いたが、騎士団の上層部はちゃんと自分の努力を認めてくれていたのだ。
 近衛騎士候補であった過去を否定されるのは、自分の努力と騎士団の判断を
否定されているような気がしていい気分はしない──そんな思いからの提案だ
ったのだが。
「おもしれぇ……やってやろーじゃん」
 それに、アレフはこんな言葉を返してきた。てっきり、「やってらんねぇ」
とでも言って受け流してくると思っていただけに、今度はランディがその意を
掴みあぐねてえ、ととぼけた声を上げてしまう。
「だから、勝負してやるよ、槍で。その代わり……」
「その代わり……なに?」
 思わぬ展開に戸惑いながら問うと、アレフはにやっと笑った。
「その代わり、オレが勝ったら、もうオレに付きまとうなよっ!」
「……え?」
 さすがにこう来るとは思わなかったため、ランディはまたもとぼけた声を上
げていた。
「じゃあ、ぼくが勝ったら?」
「そん時は、仕方ねぇから、お前らに協力してやるよ!」
 ふと気になって投げかけた問いに、アレフはこう返してくる。何とも奇妙な
展開だが、乗らない手はないだろう。
(このままじゃ、平行線だしね)
 話を続けた所でアレフが折れてくれるとは思い難い。なら、ここは彼自身が
提示してくれた可能性にかけた方がいいだろう。こんな結論に達したランディ
は、にこりと微笑みつつわかった、と頷いた。
「君が、それでいいならね。ただし、ぼくも本気で行くよ?」
「はん、大したじし……」
 アレフの言葉が、途中で途切れる。構えに移行したランディの表情と、雰囲
気の変化に戸惑ったのだろうか。アレフはどことなく慌てたように構えを取る
が、その表情には微かな困惑が見て取れた。
(対人戦の経験、ないのかな、やっぱり?)
 緊張したアレフの様子に、ランディはふとこんな事を考える。だが、それは
それで当たり前と言えるだろう。ルシウス公国の治安は決して悪くはなく、野
盗や盗賊などもあまりでない。更に解放戦争以降は戦いに巻き込まれた事もな
いのだから、一般人であるアレフが戦う、と言った事態は相当に稀なはずだ。
 更に、街の人々との確執と、ルシウスの土地柄。過去の経緯から街の人々と
の間に溝を持つアレフの鍛練に進んで付き合おうとする者はまずいない。そう
でなくとも、両手持ちの大剣を主武器とする山岳の民からすれば、槍を使おう
とするアレフは異質な存在と言えるだろう。
 それらを合わせて考えて行くと、アレフには稽古、という前提でも人と打ち
合った経験はない、という事になる。そう考えるとこの緊張振りも納得が行っ
た。
(と、言っても……)
 だからと言って、加減はできない。より正確に言うと、加減ができるほどに
熟達してはいないのだが。練習用の物とはいえ、槍に触れるのはかれこれ一年
ぶりなのだ。まして、冒険者となってからは剣一筋で打ち込んできている。仮
想敵のみを相手取ってきたとはいえ、槍一筋で打ち込んできたアレフを相手に、
悠長な事はできないだろう。
 何より、ここで全力でぶつからなければ、アレフの信頼は勝ち取れない。
 今、一番必要なのはそれなのだから。
「……でりゃあっ!」
 張り詰めていた沈黙が、唐突に破れる。アレフが気合と共に槍を振りかぶり、
距離を詰めてきたのだ。
(やっぱり、薙ぎ払い重視か!)
 そんな事を考えつつ、ランディは低い構えから前へと出る。振りかぶりで前
面の空いているアレフの懐に飛び込むと、アレフはほんの一瞬怯む素振りを見
せた。
「せいやっ!」
 そのまま、短い気合と共に槍を前に突き出す。とっさの事に判断が追いつか
なかったのか、アレフは繰り出された突きを避けられず、丸く削った木の槍の
先端が胸元を直撃した。
「うぐっ!?」
 衝撃にアレフは後ろに向けてよろめき、槍を取り落としつつ座り込む。さす
がに今の一撃は効いたらしく、突かれた所を押さえつつ、荒く息をしていた。
「ち……ちき……しょ……」
「大丈夫?」
 呻くような声を上げるアレフに近づいて声をかけると、アレフは顔を上げて
鋭くこちらを睨みつけてきた。その表情の険しさにランディは一瞬気圧される
が、
「……連れてけ!」
 直後にアレフの口から出てきた言葉に目を丸くしていた。思わず、え? と
いうとぼけた声まで上がってしまう。
「連れてけ……って?」
「山に、行くんだろっ!?」
「あ……うん」
「それに、オレも連れてけっつってんだよ! 負けっぱなしで、いられるかっ
ての!!」
 叫ぶように言う、アレフの瞳は真剣だった。一撃も与えられず、また、一撃
で動きを止められた事がよほど悔しかったのだろうか。
(今のが、条件反射の一撃だったって……言ったら、怒りそうだなぁ)
 こんな事を考えつつ、ランディはにこっと笑って頷いた。過程はどうであれ、
アレフが自分から同行する、と言ってくれたのだ。それを断る理由はどこにも
ない。勿論、『負けっぱなしでいられない』という論法には、多少の疑問もあ
るのだが。
「んで、いつ出発するんだよ?」
 ゆっくりと立ち上がりつつ、アレフが問う。呼吸も話し方も、だいぶ落ち着
いているようだった。
「明日の朝に出るつもりだよ。どこから調べていけばいいのかわからないのが、
問題なんだけどね」
 苦笑しつつこう答えると、アレフははぁ? と露骨に呆れたような声を上げ
た。
「そんなんもわかんねぇのに、解決する、とか言ったのかよ?」
「……まあ、そういう事になるんだよね」
「本気で、訳わかんねぇ……」
 吐き捨てるように言いつつ、アレフはがしがしと頭を掻いた。
「んじゃ、明日の朝ここに来いよ。えっと……」
 ここでアレフは言葉を切り、じっとランディを見つめた。
「そういや、お前、名前は?」
 続けて投げかけられた問いに、ランディは思わずえ? ととぼけた声を上げ
る。そう言えば、名乗った覚えは全くなかった。
「ランディ。ランディ・アスティル。旅の自由騎士だよ」
「アレフ・フェレイン……だ。アスティルって、まさか……」
 ランディの名乗りにアレフも名乗りで答え、それから怪訝そうに眉を寄せた。
その反応にランディは苦笑する。
 かつて、『剣神』の二つ名で知られた剣匠ヴォルフ・アスティル。
 アスティルの姓は出奔を決めた後、祖父自身から贈られたものだが、名乗る
度にその存在を持ち出されるのはやはり、複雑なものがあった。
「ふーん……ま、何でもいいけどな」
 ランディの苦笑をどう判断したのかはわからないが、アレフは気のない声で
こんな事を言う。話題がそこで止まった事にほっとしつつ、ランディは一つ息
を吐いた。
「じゃあ、明日、来るから」
「おう。あんまり、モタモタしてんなよっ!」
「……はい」
 素っ気無い言葉に苦笑したまま頷くと、ランディは槍を元の場所に戻して橋
の側で待つウォルスたちの所へと向かった。アレフはしばらくランディを見送
っていたが、その姿が小屋の向こうに隠れて見えなくなると自分も槍を壁に立
てかけ、小屋の中へと慌しく駆け込む。
「上手く、まとまったようだな」
 橋まで戻ると、ウォルスがこう呼びかけてきた。ランディはそれに、うん、
と頷く。
「では、アレフ殿も同行されるのですね?」
「はい。明日、ここに寄ってから山岳部へ向かいます」
 確かめるような問いに頷きながら答えると、ライファスはそうですか、と呟
いて眉を寄せた。
「どうかしたんですか?」
「あ、いえ……大した事ではないのですが……味が、変わるな、と」
 その変化を訝って問うと、ライファスは苦笑しつつこんな事を言う。思わぬ
言葉にランディはきょとん、と瞬いた。
「味?」
「パンの味、ですよ。アレフ殿がいなければ、ララ殿も粉引きを他の者に頼ま
ざるをえなくなる。そうするとまた、味が変わるな、と」
「切実なのか、どうでもいいのか、良くわからんな、それは」
 どことなく呆れたようなウォルスの突っ込みに、ライファスははは、と乾い
た声で笑うのみだった。

 明けて、翌日。
 大公府にある戦士団の演習場の一画を借りて身体をほぐした後、ランディは
ルシウスに到着してから初めて鎧を身に着けた。宿に落ち着いてからずっと外
していたためか、妙に久しぶりに思えてならない。そして、久しぶりに身に着
けた鎧の重さは、気持ちをぎゅっ、と引き締めてくれるようにも思えた。
 鎧の止め具を確認して、剣を腰に下げれば身支度は完了する。元から軽装の
ウォルスとスラッシュの方は、既に準備完了のようだ。スラッシュの骨折は治
っているようだが、一体誰が治療したのかは定かではない。自然治癒だとした
らいくらなんでも人間離れしすぎているが。
 そんな取り止めもない事を考えつつ、ランディは荷物の入った背負い袋を背
負い、マントを羽織った。それが準備完了の合図となり、ウォルスが寄りかか
っていた壁から離れ、スラッシュも椅子から立ち上がる。二人に行こう、と声
をかけて部屋を出ると、タイミング良くファリアとレイチェルも部屋から出て
きた。
「おはよ。準備、大丈夫?」
 問いかけにファリアはこくん、と頷き、レイチェルは大丈夫だよ、と答えて
くる。ファリアの表情はまだ陰りがちでそれが不安と言えばそうだが、街を離
れれば少しは落ち着くかな、という楽観的な考えもまた、ランディの中には存
在していた。

 それが本当に楽観に過ぎない事は、後日、思い知る事になるのだが。

 通用門の所で待っていたライファスと共に水車小屋に向かうと、アレフは準
備を整えて小屋の前でランディたちを待っていた。厚手の服の上から革製の鎧
を身に着けた軽装で、手には煤けたに黒い絵を持つ槍を携えている。
 槍は穂先の、柄との接合部分に翼状の刃が突き出しているのが特徴的なパル
チザンと呼ばれるタイプの物だ。稽古の時の動きからの予測は的中していたら
しい、と考えた直後に、ランディは違和感のようなものを感じていた。と言っ
てもアレフに、ではなく、アレフの手にした槍に、なのだが。
 それを感じるのと同時に『時空の剣』が微かな警告を伝えてくる。どうやら、
『時空の剣』はアレフではなく、彼の槍に反応していたらしい──と思い至っ
た時。
「やっと来たのか……おせーよ」
 アレフが苛立ちを込めた声で呼びかけてきた。それではっと我に返ったラン
ディは、ごめんね、と言いつつ笑って見せる。アレフは毒気を抜かれたような
表情を一瞬覗かせ、それから、ま、いーけど、と投げやりに言いつつ頭を掻い
た。
「んじゃ、さっさ行くとしよーぜ」
「それはいいが、アテはあるんだろうな?」
 一しきり頭を掻いたアレフの言葉にウォルスが突っ込み、これにアレフはや
やむっとしたように眉を寄せた。
「少なくとも、そっちよりは情報もアテもあるぜ。信じる信じないは、そっち
の勝手だがな」
「そうか、では当て込ませてもらおう」
 睨むような視線を向けつつ言い放ったアレフの言葉を、ウォルスはさらりと
受け流す。気のせいかも知れないが、ウォルスは妙にアレフに絡むようなラン
ディには思えた。
 その事に僅かに疑問を感じつつ、ランディは表情の険を強めたアレフに笑い
かける。
「そんな顔しないで。ぼくらが君を頼りにしているのは、事実なんだからね」
「そ、そうかよ? じゃ、行こうぜっ!」
 ぶっきらぼうな口調で言いつつ、アレフは足元に置いてあった背負い袋を拾
ってその紐に腕を通した口調とは裏腹に、その表情には嬉しげなものも見て取
れる。
「素直な坊ちゃんだねぇ……」
 その表情に気づいたスラッシュが小さくこんな事を呟き、
「単純なだけだろう」
 ウォルスがぽつりと突っ込みを入れた。あまりにも的確な表現にスラッシュ
はごもっとも、と呟いて苦笑する。
「なに、ぼーっとしてんだよ、そこ! でかい図体してんのが、モタモタして
んなよな!」
 そんな二人に向けてアレフが怒鳴ってきた。ウォルスとスラッシュは実にタ
イミング良く、同時にそちらを振り返り、
「いずれシメるか」
「激しく同意」
 物騒な呟きを交わしつつ歩き出した。
「それで、具体的にはどこに行けばいいのかな?」
 アレフと並んで山道を歩きつつ、ランディは一番の疑問を投げかける。先頭
に立つのはランディとアレフ、その後ろにファリアとレイチェル、ライファス
が続き、ウォルスとスラッシュが殿を務めている。ライファスは自分が殿を務
めたさそうな素振りを見せていたが、ウォルスもスラッシュも彼が自分の背後
に立つ事を無言の内に拒否していたため、こんな順番になっていた。
 ランディの問いかけに、アレフはああ、と言いつつ道の先に見える峰を見つ
めた。
「『レアドラの峰』だ」
「『レアドラの峰』?」
 短い答えを繰り返しつつ、ランディはアレフに習って前方の峰を見やる。
「ああ。父さんは、最後にそこに行くって言ってた。だから、そこに何かがあ
るのは間違いねぇ」
 答える刹那、アレフの瞳は微かな陰りを帯びているようにも見えた。
(……家族の事、考えてるのかな?)
 その陰りに気づいた気づいたランディがふとこんな事を考えた、その矢先。
「わ、わああああっ!」
 前方に広がる森の中から、悲鳴が聞こえてきた。どこかで聞いたようなその
声にランディは眉を寄せ、アレフとライファスが表情を険しくする。
「今のは、まさか……」
「……何考えてんだ、あのバカ」
「って、なんでそんなに落ち着いてるんですかっ!?」
 方や困惑気味、方や呆れ果てた口調で呟く二人に突っ込みを入れつつ、ラン
ディは声の聞こえた方へと走り出す。ウォルスが無言でそれに続き、ファリア
とレイチェルの肩をぽんぽん、と軽く叩いてから、スラッシュも動き出す。そ
れに促される形でファリアとレイチェルも動き出すが、ファリアにはためらい
のようなものも見て取れた。そして、最後にアレフとライファスが森へ向けて
走り出す。
 悲鳴の元は、森に飛び込んですぐに見つかった。森の中の開けた空間に、黒
衣をまとった怪しい一団が佇んでいるのが木々の間から垣間見える。その一団
は半円に展開し、何かを追い詰めているようだった。
「な、何なんだ、何なんだ、お前たちっ!」
 先ほどの声が絶叫するのが耳に届く。その声に、やはり覚えがあるな、と思
いつつ、ランディは場に飛び込んだ。

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