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   ACT−6:迷いと共に、峻険へ

 その日の午後から翌日一日は、探索の準備に費やされた。
 準備、と言ってもその大半は情報収集に終始していた。ワイバーンの飛来し
た方角や、山岳部の地勢、野生動物や怪物の棲息地域の確認など、必要な情報
は多々ある。
 とはいえ、予め予測していたもののワイバーンについて語ってくれる者は少
なく、念のために調べてみたものの、『死拝者』に関する情報は皆無と言えた。
「こうなると本当に、アレフ君が情報を持ってる事を期待するしかないかな」
 相手取る者の姿が全く見えない現状に、ランディは思わずこんな呟きを漏ら
していた。
「どこぞの宮仕えが、何か吐かん限り、そうだろうな」
 その呟きにさらりとこう返しつつ、ウォルスが横目でスラッシュ睨む。
「ていうか、オレも『死拝者』についてはなんも知らんってば」
 睨まれたスラッシュは慌てたようにこう言うが、ウォルスはほう、と言うだ
けで視線を和らげようとはしなかった。その様子に、スラッシュはう、と短い
呻き声を上げる。
「……そりゃまあ、ねぇ。そう言う変人の集団があるらしい、って事ぐらいは
聞いてましたよ? だけど、詳細なんて調べもしてないんだから、わかれ、っ
てのがムチャだって!」
 スラッシュの主張に、ウォルスはそうか、と短く言って目を逸らす。明らか
に納得していないとわかるその様子にスラッシュは恨みがましい目を向けるが、
ウォルスがそれきり何も言わないため一つ息を吐いてランディに向き直った。
「ところで……大丈夫、かね?」
 唐突な問いに、ランディはその意を掴みあぐねてえ? ととぼけた声を上げ
る。
「だから、ファリアちゃん」
 ランディのとぼけた反応に苦笑しつつ、スラッシュは問いを補足する。ラン
ディはうん、と言いつつやや目を伏せた。
 ファリアとレイチェルは隣の部屋にいるのだが、レイチェルの話ではファリ
アはずっと塞ぎこんでいるらしい。ランディも時折り様子を見に行ってはいる
が、その度に「大丈夫だから」と言われて会話が止まってしまうのだ。会話が
止まる、という事からしてお喋り好きのファリアには珍しく、それが状況の深
刻さを物語っていると言えるだろう。
「大丈夫……じゃ、ないのは、わかるんだけど……」
「わかるんだけど……なんよ?」
「……どうすればいいのかわからない」
 かすれた声でぽつりと呟くそれは、ランディの一番素直な心情だった。消え
入りそうな呟きにウォルスは眉を寄せ、スラッシュはため息をつく。
「ま……こればっかは、なぁ。外野で騒いで、それでどーにできる、ってモン
でもないし」
「例えできたとしても、それが好ましい結果になるとは思えんしな」
 ぼやくようなスラッシュの言葉と、それを補足するようなウォルスの呟きに、
ランディはまたうん、と言いつつため息をついた。
「ランディ殿、よろしいか?」
 場に立ち込める、妙にどんよりとした沈黙をドアのノックとライファスの声
が取り払う。ランディが顔を上げてどうぞ、と答えると、やけに勢い良くドア
が開いた。どちらかと言うと静かな立ち居振る舞いをするライファスらしから
ぬ勢いに戸惑っていると、淡い紫のショールを羽織った女性が部屋に入ってき
た。
「え……ララ、さん?」
 予想外の人物の来訪に、ランディは思わずとぼけた声を上げる。そんなラン
ディに、ララはにこりと微笑んで見せた。
「どうしても、貴殿たちに面会させろ、と門前に座り込まれてしまいましてね」
 ララに続けて入ってきたライファスは、こう言って肩をすくめて見せた。
「あたしは、何にもおかしな事は言っちゃいないよ? 命の恩人に礼が言いた
いから会わせてくれ、って頼んだだけじゃないか」
 それにララはさらりとこう返し、ため息をつくライファスは完全に無視して
ランディに向き直った。
「この間化け物が出た時、アレフのとこに来ようとしてた連中を追っ払ってく
れたんだってね、ありがとう。あの時はあたしも水車小屋にいたからねぇ……
ほんとに、助かったよ」
「あ、いえ……大した事はしていませんから」
 満面の笑顔と共に向けられた言葉に、ランディはこちらも笑顔でこう返す。
「でも、あんたたちが来てくれなったら、どうなってたか。街の連中は、例え
自分が何ともなくてもわざわざあの子を助けには来ないだろうしねぇ」
「……そうだろうな」
 大げさなため息を交えたララの言葉に、ウォルスがぼそりと同意した。
「まぁ、あの子の態度にも問題はあるんだけどねぇ。ところで、アレフを探索
に誘ったって、本当なのかい?」
 ウォルスの同意にララはまたため息をつき、それから、心配そうな表情でこ
う問いかけてきた。ランディがはい、と頷くと、ララはそうかい、と呟いて目
を伏せる。
「あの……何か、問題でも?」
 突然の陰りに不安を感じて問うと、ララはそうじゃないよ、と返してきた。
「むしろ、ありがたいくらいさね。あの子が変わるきっかけになれば、願った
りだよ」
「……現状、来てもらえるかどうかも、疑問なんですけどね」
 苦笑しつつこう言うと、ララは心配いらないよ、と言いつつランディの背を
叩いた。
「あの子だって、今が動く時なのは感じてるさ。なぁに、あんまりごねるよう
なら、あたしが尻を引っ叩いて動かしてやるよ!」
「……はぁ」
 尻を引っ叩いて、というのが例えに止まらないような気がして、ランディは
思わず引きつる。その点ではウォルスやスラッシュ、更にライファスも同じ考
えであるらしく、ほんの一瞬複雑なものを表情に浮かべていた。
「何にせよ、あの子を頼むよ。おそらく、あんたにしか頼めないだろうからね」
 それまでとは一転、静かな口調でこう言うと、ララはぐるりと室内を見回し
た。
「ところで……女の子たちは、隣の部屋かい?」
「え? ええ、そうですけど……」
「そうかい。じゃあ、そっちに顔出してから戻るとしようかね」
 唐突な問いに戸惑いながらも頷くと、ララは呟くようにこんな事を言った。
「顔出しって、あ、あのっ!」
 ララの言葉にランディは上擦った声を上げる。いまだに神経過敏の続いてい
るファリアには、街の人と接する事は苦痛かもしれない。そう説明しようとす
るのを遮り、ララはにっこりと微笑みながら大丈夫だよ、と言いきった。
「別に、あの子を責めに行こうってんじゃないんだからね。ただ、どうしても
言わなきゃならない事があるのさ」
「言わなきゃ、ならない事?」
 眉を寄せつつ問うと、ララはそうさ、と頷いて返す。
「頑張ってくれたお礼と……それから、侘びをね」
 短く答えたその瞬間、ララの瞳はどこか遠くを見ているようにランディには
思えた。だがそれは本当に一瞬の事であり、ララはすぐに人の良い笑顔に戻っ
てじゃあね、と手を振りつつすたすたと部屋から出て行く。ライファスが一礼
してその後を追い、ばたん、と慌しくドアが閉められた。
「いやはや……見た目に違わぬ、勢いのいい女将さんだねぇ」
 数分間を置いて、スラッシュがぼそりと呟く。
「……あの女将……ただ者じゃないな」
 こちらは独り言のように、ウォルスが呟いた。
「ま、ただ者じゃなさそうだよな。色んなイミで」
 それにスラッシュが大げさに肩をすくめつつこんな事を言うが、ウォルスの
表情は真剣だった。それにただならぬものを感じたランディは眉を寄せる。
「ウォルス? それ、一体どう言う……」
「名言はできんが……それなりに修練を重ねた、力の持ち主、と見て間違いな
いな」
 言いつつ、ウォルスはカードケースの中からルーンカードを一枚抜き出して
ランディとスラッシュに見せた。そこに描かれているものにランディは短くあ、
と声を上げ、スラッシュは軽く口笛を吹く。
 ウォルスが示したカードに描かれていたもの──それは杖を掲げて光の球を
生み出している、魔導師の姿だった。

 いつもなら何かしらのお喋りで賑わっている空間は、その時も静まり返って
いた。ファリアが黙り込み、他愛ないお喋りすら受け付けそうにないその様子
にレイチェルもまた沈黙してしまうため、結果として静まり返ってしまうのだ。
どちらかと言うと静寂は苦手なレイチェルには相当に厳しいようだが、それと
わかっていても、今のファリアには空気を明るくするだけの余裕は持てそうに
なかった。
(やだな、ほんと……あたし、暗すぎ)
 重苦しい沈黙に、ふとこんな事を考える。
 ファリア自身、こういう沈黙は好きではない。だが、どうしてもそれを取り
払う事ができなかった。自分の選択肢と、それが招いた結果を思うとどうして
も気持ちが塞いでしまうのだ。
 自分の存在が、ランディの行動を制限する枷となっている。
 そんな考えが浮かんでしまい、それが余計に落ち込みを助長する。こんな状
態では探索に出ても足を引っ張ってしまう、とは思うものの、どうしても意気
を上げる事ができなかった。
 そんな憂鬱極まりない状況についため息を漏らした時、ドアがノックされた。
「はいはい、ちょっとお邪魔するよ」
 ノックに答えるよりも早くドアは開き、恰幅の良い女性が部屋の入ってくる。
突然の事にファリアもレイチェルもきょとんとし、そんな二人に入ってきた女
性──ララはにこりと微笑んで見せた。
「あ、えっと……広場のお店のおばさん?」
 確かめるようなレイチェルの問いに、ララはそうだよ、と頷いた。
「えと、えと……何か、御用ですかぁ?」
 唐突な来訪に戸惑っているらしく、問いかけるレイチェルの声は上擦ってい
るようにファリアには思えた。問われたララはちょっとね、と言いつつファリ
アの方を見る。向けられた視線の瞬間の厳しさに、ファリアは思わず身をすく
ませていた。
「あ、あのっ!」
 ララの表情の険しさとファリアの震えに、レイチェルが慌てたように声を上
げる。ララがファリアを責め立てるのでは、という危惧が過ぎったらしいが、
「え?」
「……あ」
 それは思わぬ形で杞憂に終わった。
「……ありがとうね、みんなを助けてくれて」
 穏やかな口調でこう言うと、ララはベッドの上に座り込んでいるファリアに
近づき、ふくよかな腕でぎゅ、と抱き締めたのだ。予想外の展開にファリアも
レイチェルも戸惑いを隠せない。
「あ、あの……えっと……?」
「頑張ってみんなを助けてくれたのに、辛い思いさせちまって……本当に、ご
めんよ」
 静かに言いつつ、ララは戸惑うファリアの頭をそっと撫でてくれた。ファリ
アは顔を上げてララを見、その瞬間、あるものに気がついた。
(え……あ、あれ? この感じって、もしかして……)
 これまでは全く気づかなかった力の波動。強く、そして穏やかな波長の力が
ララから伝わってくる。その力──強い魔力はララが魔法の使い手、それも相
当に卓越した術師である事を物語っていた。
「おばさん……えっと、もしかして?」
 困惑しつつ小声で問うと、ララはまぁね、と微笑む。短い言葉とその笑みが、
問いを充分に肯定していた。
(ルシウスに、魔導師がいるなんて……それも、もの凄く力の強い……)
 古代語魔法を忌み嫌い、その使い手を忌避する者たちの国に、強力な力を持
つ魔法の使い手がいる。それは、ファリアにとっては驚きだった。
「……ヴァルト・アファラス」
 呆然としていると、ララは早口にこんな言葉を口にした。歌うような語調が
特徴的なそれが何か、ファリアはすぐに理解する。上位古代語──古代語魔法
成立期、この魔法がまだ真言魔法と呼ばれていた時代の魔法言語だ。言葉自体
が力を持つ、とされるこの言語を用いて唱えられた呪文は、初級魔法ですら驚
異的な威力を発揮するとされている。
 勿論、強大であるが故に使いこなすには相当な修練を必要とし、ファリアも
呪文の詠唱にこの言語を用いる事はできない。せいぜい、日常会話ができる程
度だ。もっとも、この言語で日常会話をする、という事自体、稀有な事だが。
 ララの短い言葉は「色々あったのさ」という意味合いでファリアに伝わり、
ファリアはそれに色々って、と返す。ララが他者に聞かれる事を考慮して上位
古代語を使っているのはすぐにわかったので、こちらもそれに習う事は忘れな
い。
『ただ、魔法を嫌って切り捨てるだけじゃ、結果的にその力に屈してしまうか
らね』
『でも、おばさん、土地の人でしょう?』
『前世はカティスの魔導師さ。解放戦争の時、カティス上層部のやり方に反発
してルシウス側についた酔狂者さね。それからずっと、転生しながら隠れ宮廷
魔導師を続けてるんだよ』
 こう言うとララは楽しげに笑って見せた。あっけらかん、とした態度にファ
リアはただただ呆然とするしかなく、二人の言語が理解できていないレイチェ
ルはひたすらきょとん、としている。
『この事は、他言無用で頼むよ? 知ってるのは今の御領主様とアレフだけな
んだからね』
 ほんの一瞬だけ真面目な表情になってこう言うと、ララはまたファリアをぎ
ゅっと抱き締めた。
『辛い思いをさせて、ほんとにごめんよ。過去の侵攻と今のあんたには何の関
わりもないのに、あんな目に遭わせちまって。街の連中を恨むな、とは言わな
いけど、でも、過去に魔導師たちが過ちを犯していた事は、覚えて置いておく
れね?
 力に溺れ、在り方を見誤る事がどんな結果を招くか……これは、その一つの
形でもあるからね』
 ララの静かな言葉が、重たく響く。
 魔導師は力ある者。それ故に、自身の在り方を見失ってはならない者。
 だが、力あるが故に迷い易く、そして過ちを犯し易くもある。
 ルシウスという土地は、その過ちがもたらすものの一つを最も端的に物語っ
ていると言えるだろう。
 だが、それらを『理屈として理解』できても、『感情として容認』はできな
かった。
 あの時、レイチェルが一緒にいてくれたおかげで何事もなかったが、もし一
人だったらどうなっていたかわからない。
 そう考えると身体が震える。恐ろしさも感じてしまう。
 ルシウスの人々の思想もそうだが、何より自分の持つ力、魔力に対しての恐
ろしさが大きくなるのを押さえられなかった。
「あんたが悪い訳じゃないって事、みんなちゃんとわかってはいるんだよ。だ
から、思い詰めちゃいけないよ?」
 いつの間にか俯いていたファリアに、ララは古代語を用いずにこう言って、
そっと頭を撫でてくれた。大きな手の感触が、僅かに心を鎮めてくれる。
「騒動が無事に片付いたら、最初にバカな事言い出したヤツにちゃんと侘び入
れさせるからね。だから、頑張っとくれね?」
「……うん」
 冗談めかした言葉にファリアは消え入りそうな声で答え、ララはぽんぽん、
となだめるようにその背を叩いた。
 穏やかな魔力の波動と、腕の温かさ。
 それはファリアに、幼い日に亡くした母のそれを思わせた。

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