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 状況が動いたのは、それから三日後の事だった。
 アレオン公はワイバーンの襲撃と不死怪物の異常発生を理由に建国祭を一時
中断すると発表し、更に、関係者の出国を防ぐ、という名目で出入国を一時的
に制限する、と宣言した。
 その上で、度重なる不死怪物発生の原因を究明して根本的な解決を図る決意
を表明し、その任に自身の片腕と頼む弓兵師団長ライファスを就けた事、そし
て、先日の不死怪物発生時に活躍した冒険者一行──つまりランディたちがそ
れに協力する事を発表した。
 告知の際、アレオン公はファリアが魔法を使った事にも触れ、今回の任務に
加わる事が強制労働の代行罰則である事を明言していた。不死怪物発生の原因
を突き止め、それを取り除く事で、先日の魔法使用が悪意のない過失である事
を立証させる、という事で表向きはまとまったらしい。
「で、これからどう動く?」
 ライファスから告知の内容を伝えられると、ウォルスが真っ先にこう問いか
けてきた。問われたランディはうん、と言いつつライファスを見るが、視線を
向けられたライファスはひょい、と肩をすくめるだけだった。
「表向きは私の指揮下、という事になっていますが、具体的な方針は皆さんに
お任せします。私は、こう言った事には慣れていませんので」
 軽い言葉にわかりました、と頷いて、ランディは思案を巡らせる。しかし、
いざ動こうと思っても、あまりにも手がかりが少ないのが現状だった。
「ヒントになりうなのは、『死拝者』と……」
「あいつ……アレフだな」
 ランディの呟きを途中から引き取る形でウォルスが言い切り、この言葉に二
人以外の全員がきょとん、とした表情を覗かせた。
「アレフって、あの子? あの子が、どして?」
 全員共通と思われる疑問をレイチェルが投げかける。
「先日の不死怪物どもの別働隊が、わざわざちょっかいをかけに行ったくらい
だ。無関係、という事はあり得まい」
 その問いにウォルスが素っ気無く答え、ライファスがなるほど、と低く呟い
た。
「確かに、アイン殿は不死怪物の発生について、独自に調査しておられました
し……アレフ殿に、何か手がかりを残している可能性はありますな」
「多分に、希望的な観測だがな。いずれにしろ、オレとしてはあいつを巻き込
んだ方が、事がすんなりと運ぶと思う」
 ライファスとウォルスの言葉に、ランディは腕組をしつつ思案を巡らせた。
 ランディ自身、アレフには色々と気にかかる点がある。『死拝者』に狙われ
ていた事もそうだが、何より、『時空の剣』が彼に強く反応する事がずっと気
にかかっていた。
 『時空の剣』が焼け付くような痛みを感じさせる事で警告を発するのは、何
かしらの大きな力の乱れに接した時。特に心理的・精神的な傷に基づく力の乱
れに遭遇した時には、強い反応を示すような気がした。
 以前に聞いたアレフの生い立ちから、彼がワイバーンに強い憎悪を抱いてい
るとわかってはいるものの、しかし、それだけであそこまでの強い拒絶反応を
示すというのはさすがに異常と思える。
 その理由を確かめるためにも、そして、ルシウスに来た本来の目的である竜
騎士の足跡を辿る、という意味でも、アレフに協力してもらうのは有効だろう。
こう結論付けると、ランディはライファスの方を見た。
「えっと……ライファスさん」
「はい」
「その告知が出た、という事は、ぼくたちは大公府から出歩いても大丈夫……
と、いう事なんでしょうか?」
 ランディの問いかけに、ライファスは軽く肩をすくめた。
「街外れの水車小屋まで行かれるのであれば、私も同行させていただく事にな
りますが」
 半ば予想通りの返答に、ランディは苦笑しつつウォルスの方を見る。ウォル
スは一つ息を吐いて、寄りかかっていた窓際の壁を離れた。
「引っ張り込むなら、さっさと動いた方がいい。ああいうヤツは、思い込みで
独走し易いからな」
「誰かさんと同じで……ってか?」
 笑えない内容のウォルスの言葉をスラッシュが茶化し、
「……外に出る時は、頭上に注意しておけ」
 冷たい一言にぴしり、と音入りで固まった。そんな、どこまで本気でどこま
で冗談か全くわからない二人の会話に苦笑しつつ、ランディもゆっくりと立ち
上がる。
「とにかく、彼と話してみたいっていうのは、ぼくにもあるしね。ぼくとウォ
ルスで行ってみるよ」
「ん、じゃあ、オレらは探索の準備……っても、荷物確認くらいしかできねー
が、それやっとくわ」
 ランディのまとめにスラッシュがまだ微かに引きつりながら頷き、その言葉
にライファスがああ、と短く声を上げた。
「探索に必要な消耗品は、こちらで用意しますよ。まあ、食料や薬草の類に限
られますが」
「やた、経費は国庫持ちか♪」
「……過剰と判断した場合は、請求書もつきますが」
 ライファスの言葉にスラッシュははしゃいだ声を上げ、直後にさらりと付け
加えられた一言にがくり、と脱力する。その浮沈の激しさに半ば呆れつつ、ラ
ンディはウォルスに行こう、と声をかけつつドアに近づき、
「……ん?」
 ドア越しに感じる気配に眉を寄せた。
「どうした?」
 ウォルスの問いにちょっと、と答えつつ、ランディはドアを開けて廊下を見
回した。その視界の隅を、慌しく角を曲がって走り去る後姿が過ぎる。
「……今の……」
「ああ。誰か、立ち聞きしていたようだな」
 思わずもらした疑問の声に、ウォルスがさらりとこう返す。平然とした物言
いに、ランディはあのねぇ、と言いつつウォルスを見た。
「気がついてたなら、どうして……」
「無配も消さずに立ち聞きするようなヤツ、放置したところで実害はない」
 どうして放っておいたのか、という問いを最後まで言わせず、ウォルスはき
っぱりとこう言いきる。
「そ……そうなの……かなぁ?」
 その断言に、ランディはぽそり、とこう呟くしかできなかった。

 大通りに面した正門ではなく、横合いの通用門を通って外に出ると、三人は
足早に街外れへと向かった。水車小屋の近辺には特に変わった様子はないが、
一箇所だけ不自然に焼け焦げた地面が数日前の異変を思い起こさせた。
 焼け焦げた地面は、ヴァルダが自爆した跡だ。それを目にした瞬間、死の間
際のヴァルダが見せた恍惚とした表情が思い出され、ランディは思わず眉をひ
そめる。
 死を尊び、それに焦がれていたヴァルダ。『死拝者』という言葉が示す通り、
彼にとって死とは崇拝の対象だったのだろう。勿論、その思考は理解の範疇を
大きく越えているし、仮に説明を受けたとしても理解したいとは思えないが。
 そんな微妙に鬱々とした気持ちを抱えつつ、川にかかった橋を渡って水車小
屋に近づくなり、
「せいっ! やっ!」
 気迫のこもった声と風を切る音が耳に届いた。どうやら、アレフはもう起き
られるようになっているらしい。
「回復早々暴れているとは、元気なヤツだ」
「そういう問題でもないと思うけど……」
 ウォルスのもらした呟きに突っ込みを入れつつ、ランディは声の聞こえて来
る小屋の裏手へと向かった。そこはどうやらアレフの鍛練場になっているらし
く、踏み固められた空間の中央に木製の槍を構えたアレフの姿があった。
「はっ! せいっ!!」
 短い気合と共に、木製の槍が風を切る。その動きは、突きよりも薙ぎ払いを
重視しているようにランディには思えた。
「……一対他を想定してる……スピアとかランスより、パルチザンとかグレイ
ブの戦い方って感じかな?」
「……槍の心得がお有りなのですか?」
 アレフの動きを追いつつ何気なく呟くと、ライファスが不思議そうにこう問
いかけてきた。それに、ランディはええ、と曖昧に答える。
「もっとも、実戦で槍を使った事はないのですけどね」
 苦笑しつつこう付け加えるのと前後して、アレフがこちらに気づいて動きを
止めた。こちらに向けられる目にははっきりそれとわかる警戒心が浮かんでい
る。その周囲を取り巻く空気もぴん、と張り詰め、油断すまい、という意思が
ひしひしと感じられた。その様子に、ライファスがやれやれ、という感じでた
め息をつく。
「私は外した方が良さそうですね。橋の所におりますので、話が終わったら、
声をかけてください」
 ごく軽い口調でこう言うと、ライファスは悠然と歩き去ってしまった。アレ
フは睨むようにじっとその背を見送り、姿が見えなくなると挑戦的な目をラン
ディたちに向けてきた。
「何の用だよ?」
 低く問うその声にも強い警戒が込められている。あまりの警戒ぶりにどう話
を切り出そうか、とランディが悩んでいると、
「取って食いに来た訳ではないが?」
 ウォルスがさらりとこんな事を言った。唐突な一言に、場の空気がぴしり、
と音入りで固まる。
「ウォ、ウォルス……それ、いくらなんでも……」
 瞬間の硬直を経て、ランディはどうにか強張った声を上げる。
「何か、問題か? 捕食される直前の野ウサギのように見えたんで、否定した
までだが」
 それにこれまたさらり、と答えつつ、ウォルスはアレフを見る。アレフは呆
気に取られた表情で二人を見ていたが、ウォルスの視線に気づくと慌てたよう
に表情を引き締めてきっ、と睨みつけてきた。その様子は、確かに怯える小動
物を思わせる。
「と……とにかく、そんなに睨まないでくれると、嬉しいかな? 取って食い、
は言い過ぎだけど、別に危害を加えるつもりはないんだから」
 なんとか場を取り成そうとこう言うと、アレフはどうだか、と短く吐き捨て
た。
「危害を加える意図があるなら、気づかれる前……いや、お前が意識不明だっ
た時点で、幾らでも手を下せたが?」
 それに対し、ウォルスが突き放すようにこう返す。この言葉に僅かに怯んだ
アレフに、ウォルスは容赦なく言葉を続けた。
「何より、害意があるなら不死怪物がここに向けて行進した時、最初から放置
している。その方が、手間がないからな」
「だ……誰が、助けてくれ、なんて言ったよ! ほっときゃいいだろ、別に!?」
 ウォルスの冷静さと、そして冷淡さに気圧されているのか、叫ぶように問う
アレフの声は震えていた。その問いを、ウォルスはそうはいかん、と一言で切
り捨てる。
「な、何でだよっ!?」
「お前はレイチェルを……オレの縁者を庇い、傷を負った。一人の恩人は、そ
の縁者全ての恩人となるのがラーキスの掟だ。その義には、報いねばならない」
 叫ぶような問いにウォルスはどこまでも静かにこう答え、この答えにアレフ
は訳わかんねえっ、と吐き捨てつつウォルスから目を逸らした。
「んで、結局、何の用なんだよ?」
 横目で睨むようにランディを見つつ、アレフは低く問う。ランディはちら、
とウォルスを見、彼が何も言わないのを確かめてから口を開いた。
「君に、聞きたい事があるんだ」
「……聞きたい事?」
「この間も起きた、不死怪物の発生の事で」
 ランディの問いに、アレフの表情が険しさを増した。それと共に、緊張が空
間にぴん、と張り詰める。
「……知らねぇよ」
 張り詰めた緊張を、アレフの声が震わせた。
「知らないって……」
「仮に知ってても、領主の手下とつるんでるような連中に、教える気はないっ
てこった!」
 短い答えに戸惑うランディに向け、叩きつけるようにこう言うと、アレフは
二人の横をすり抜けて小屋に戻ろうとするが、
「そうやって、できもせんのに一人で解決すると意気込み、時を無為にしつつ
ただだらだらと引きこもるのか」
 すれ違いざまにウォルスが投げた言葉に足を止めた。
「んだとぉ……」
 低い声を上げつつ、アレフはウォルスを睨む。
「何か、間違っていたか? ただ目の前の事象にのみ拘泥し、前進を望みつつ、
自らそれを忌避する道化……オレには、お前はそう見えるがな」
 対するウォルスはそちらを見る事もなく、さらりとこんな事を言う。
「てめぇ……」
「否定できるのか?」
「……っ!」
 どこまでも静かなウォルスの問いに、アレフはやや俯いて唇を噛んだ。
「オレは……オレは、逃げてなんかいねぇ!」
「だが、立ち向かってもいまい」
 数分の空白を経てアレフが上げた叫ぶような声を、ウォルスは短い一言で切
り捨てる。横目にアレフを見る蒼氷の瞳は冷たく、厳しかった。
「てめぇに、何がわかるんだよっ!?」
「何もわかる訳がなかろう。わかっている事と言えばお前……いや、お前も含
めた大多数が、現実から逃げている、という事だけだ」
 静かなその言葉はアレフだけではなく、橋の所でこちらの様子を伺っている
ライファスにも向けられているようにランディには思えた。
 過去に支配された、という事実に囚われて魔法を忌避し、ワイバーンの襲撃
に基づいて竜を忌避する人々。それだけ、それらの過去が苦痛だったと言える
のだろうが、単なる現実逃避、被害妄想と取れる部分も少なからずある。
「えっと……君には、君の考え、あるんだろうけど……」
 ウォルスとアレフの間の張り詰めた緊張に、ランディはそっと割り込みをか
けた。アレフは無言のまま、睨むようにランディを見る。
「でも、ぼくは君に協力して欲しい。不死怪物の発生と、ワイバーンの襲撃と。
この二つ、何が何でも解決しなきゃならないんだ」
 この訴えに、アレフの表情を訝しげなものが過ぎった。
「なんで、余所者がそこまで力入れるんだよ……領主から、ぼったくるつもり
か?」
「そんなのじゃないよ」
 探るようにアレフが投げかけた問いを、ランディは即座に否定する。
「じゃあ、何で……」
「大事なもののため。護らなきゃならないのに、ちゃんと護れなかったものを
救うため。それと……」
 ここでランディは一度言葉を切り、アレフはそれと? と、その続きを促し
てきた。
「それと……ぼくが、ここに来た目的のため。ぼくは、竜騎士に会いたくて、
ここに来たんだ。だから、その足跡を追ってみたい。
 そしてそれが、この事件の解決続く道でもあるって、そう思ってるから」
 この言葉にアレフは一瞬呆気に取られたような表情を覗かせた。ランディは
真剣な面持ちのまま、アレフを見つめる。
「勿論、無理にとは言わないよ。君には、君の考えがあるだろうし。でも、一
人で抱え込んで走るより、同じ目的を持つ誰かと一緒の方が、確実に歩いて行
けると思うんだ。
 探している答えに向けて、前へ」
「探してる……答え」
 呟くように繰り返すアレフに、ランディはうん、と頷いた。
「別に、今すぐ決めてくれとは言わないよ。多分、動き出すまでもう少し時間
が必要だから。一応、明日……明後日くらいに、もう一度来るから、その時に
答えを出してくれると嬉しいかな?
 それじゃ、ぼくたちは一度戻るね。あんまり長くは、出歩いてられないから」
 最後の部分は苦笑めいた面持ちでこう言うと、ランディはウォルスに行こう、
と声をかけて歩き出した。ウォルスは軽くアレフを見やってからそれに続き、
小屋と橋のちょうど中間地点まで来た所で、いいのか、と問いを投げかけてき
た。
「上手く言えないんだけど……強制する形には、したくないんだ。強制するの
は簡単なのかも知れないけど、でも、それじゃ、何にも解決しないような気が
するから……」
「甘いな」
 問いに答えると、ウォルスは半ば予想していた通りの一言を返してきた。予
想していたとはいえ、こうもはっきり言われてしまうと反論の余地がない。
「だが、焦った所でどうにもならん、という点は同意だな。動く直前まで、様
子を見るのも手だろう」
 こう言ってウォルスは小屋の方を見やり、ランディもつられるようにそちら
を見た。アレフはまだ立ち尽くしているのか、槍を振るう音も聞こえなければ
小屋に戻る様子もない。
(答えに向けて、前へ……)
 先ほどアレフに投げかけた言葉を、ランディは心の中で繰り返す。
 わからない事ばかりの現状から抜け出すためには、見えている道を進むしか
ない。それが正しいかどうかはともかく、今は、それが唯一の方法のようにラ
ンディには思えていた。
「……で、そろそろ行かんか? 師団長が待ちくたびれているように、オレに
は見えるが」
 考え事に浸り込んでいると、ウォルスが声をかけてきた。はっと我に返って
橋の方を見ると、確かにライファスはいかにも手持ち無沙汰、といった様子で
立ち尽くしている。ランディは一つ息を吐くと、うん、と頷いて歩き出した。

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