第二章目次へ


   ACT−5:答えに向けて、前へ

「……事情は、概ね理解した」
 ランディとレイチェル、それぞれから事情の説明を受けたアレオン公は、こ
う言って深いため息をついた。
 不死怪物騒動の翌日、ランディとレイチェルの二人は領主の館に呼び出され、
昨夜の一件についての説明を求められていた。ファリアとスラッシュはそれぞ
れ精神と身体のダメージを理由に寝込んでいる。ウォルスはと言えば、
「目に見える物しか基準しない妄執者を遮断する」
 という理由で二人と共に宿に残っている。昨夜の一件で精神的に追い詰めら
れたファリアが、暴走する周囲によって更に追い込まれないように対処する、
という事らしい。こう言った時にやけに表情が険しかったのが、妙に気にかか
るといえばそうなのだが。
 こんな理由からランディとレイチェルの二人が呼び出しに応じ、事情の説明
に臨んだのだが、険のある態度を崩さないレイチェルのお陰でランディは終始
ひやひやさせられていた。
 魔道師である、という事。
 それだけを理由に私刑を行おうとした街の人々の態度は、レイチェルを相当
に怒らせているようだった。
 レイチェルとの付き合いはまださして長くないランディだが、彼女がこんな
鋭い目で他者を睨むのは初めて目の当たりにしていた。そも、レイチェルがこ
こまで真剣に怒る、という事からして初めて見た気がする。
 真摯な怒りを宿した、ダークブルーの瞳。それは凛とした美しさを感じさせ
る。唯一問題を上げるとすれば、それを今向けられているのが、アレオン公で
ある、という事だろうか。
「不死怪物の発生に対処し、街を救ってくれた事には、感謝している。しかし、
問題は……」
 ため息の後にアレオン公は静かな口調でこう続け、途端に表情を険しくした
レイチェルの様子に苦笑した。
「レイチェル君、と言ったかな? 君には君の考えがあるのだろうが、ルシウ
スにはルシウスの法というものがある。それは、理解していただけるかな?」
 静かに諭すようなアレオン公の問いかけに、レイチェルはこくん、と頷いた。
「そのくらいは、わかるです。街の中で魔法を使っちゃいけないんですよね」
「そう。それは我がアレオン公領に限ったものではなく、ルシウス公国全体に
共通する法なのだよ」
「……じゃあ、魔道師だったら何をしてもいい、勝手に殺してもいいっていう
のも、法で決まってるんですか?」
「って、レイチェルちゃん、それは……」
「それはない。在り得ぬ事と明言できる」
 硬質の声で投げかけられた問いにランディはぎょっとし、アレオン公は即答
でそれを否定する。
「でも、昨夜の街の人たちは、どう見てもそれが当然って態度でした!」
 しかしレイチェルは引き下がらず、更にこう言い募った。強硬な態度にアレ
オン公はため息をつく。
「法の上でも、私個人としても、私刑は認めていない。山岳の民の誇りにかけ
て、そのような行為には厳しい処罰を科している。
 だが、今回の件に関しては、彼女が魔法を使ったという事実に対しても、法
に基づいた処置をしなくてはならないのだよ」
「……そうしなかったら、街が全滅しちゃったかも知れないのに?」
「そう。でなければ法は無為な存在となり、秩序が保てなくなってしまう」
 穏やかだが、しかし、毅然としたものの込められた言葉にレイチェルは沈黙
する。
「では、その『法に基づいた処置』がどういうものか、具体的にご説明いただ
けますか?」
 沈黙したレイチェルに代わるようにランディが問うと、アレオン公は静かな
瞳を向けてきた。
「何らかの破壊活動を目的としていた場合は終身刑。事情があっての過失であ
るならば、一定期間の強制労働と定められている。
 今回の件に関しては街の者も化け物の姿を見ているので、後者が適応される
な」
 瞳と同様に静かな口調で説明すると、アレオン公は妙に大げさなため息をつ
いた。
「ただ、問題があってな。これまで強制労働の現場としていた鉱山が、公国内
での資源協定の見直しのために仮閉鎖されている状態なのだよ。このため、労
働のための場所がない状態なのだ」
 さも困った、と言わんばかりの口調で言う、その言葉にランディもレイチェ
ルもきょとん、とする。
「それじゃ、どうやって法的な処置をするんですかぁ?」
「うむ……この場合は何かしら、我が公領のために働いてもらう、という事に
なるのだが……」
 レイチェルの問いにこう返しつつ、アレオン公はランディを見た。ランディ
はしばし戸惑い、それからある事に思い至る。
「それは……今、アレオン公領で起きている問題を、何か解決する、という形
でもよいのでしょうか?」
 ランディの問いにアレオン公は微かに笑んだようだった。瞬間の笑みに、ラ
ンディは今思い至った事が正解である、と確信する。
「そうだな、それも一つの選択肢としてあげられるだろう」
「……では、昨夜の不死怪物発生の原因を突き止め、それを取り除くという事
で、強制労働を公的に免除していただけないでしょうか? 仲間の一人の起こ
した過失は、全体の責任。ぼくたち五人、全員で事件の解決に臨みます」
 僅かに思案するような素振りを見せた後、ランディは静かにこう言いきる。
この提案にアレオン公はしばし、考え込むような素振りを見せた。
「さすがに、それは私の一存では決められぬな。議会に諮り全体の了承を得ね
ばならん」
 それもまた、決まりなのでな、と付け加える瞬間、アレオン公の表情を苦笑
らしきものが過った。
(合議制っていうのも、色々と大変なんだな……)
 ほんの僅かな表情の変化に、ランディはふとこんな事を考える。
 ルセリニアやルシェード、ラオレムのような専制君主制の国家であればトッ
プの一存で決定できるような事でも、ルシウスや、更に北のイヴェリス連合の
ような議会による合議制では手間がかかる。瞬発力はあるが一方的にもなり易
い前者と、手間と時間はかかるが多数の意を汲み取れる後者と。どちらも一長
一短なのだと、ランディは改めて感じていた。
「……ところで、決定するまでの君たちの処遇なのだが」
 あれこれと考えていたランディは、アレオン公のこの言葉にはっと我に返っ
た。
「決定する前に姿を消されても困るので、大公府で身柄を預からせてもらう。
部屋を用意させるので、滞在している宿を引き払い、移動してくれたまえ」
「あたしたちの事、信用してないんですかぁっ!?」
 淡々と告げられた言葉に、レイチェルが露骨にむっとした表情で反論する。
それにアレオン公が何か言うよりも早く、ランディはわかりました、と返答し
ていた。
「ランディくんっ!?」
「ぼくたちには、後ろめたい所はないんだから、大公府からの要請に逆らう必
要はないよ、レイチェルちゃん」
 ぎょっとして大声を上げるレイチェルに、ランディはさらりとこう返す。レ
イチェルはきゅっと眉を寄せて、でもぉ〜、と呻くような声を上げるた。身を
守るための行動、言わば正当防衛の結果で拘束される、というのが納得いかな
いのだろう。
「賢明な判断だな。では、手配をするので少々待っていてくれたまえ」
 静かな口調でこう告げると、アレオン公は席を立って部屋を出て行く。その
気配が遠のくのを確かめるとランディはほっと一つ息をつき、
「……ど……どうしたの?」
 ジト目でこちらを睨むレイチェルに気がついた。
「どうしたの、じゃないよぉ。どうして、あたしたちが捕まえられなきゃなん
ないのっ!?」
 ストレートな問いにランディは苦笑する。というか、そうする以外に反応が
思いつかなかった。
「別に、捕まる訳じゃないよ」
「でも、身柄を預かるってコトはぁ……」
「まあ、そうとも言うけど。でも、さっきも言ったけどぼくらには後ろめたい
所は全然ないんだから。堂々としていればいいと思うよ」
 にっこり笑ってこう言いきると、レイチェルはやはり不満げなままでむー、
と声を上げる。根が真っ直ぐな彼女の気質を思えば、納得できないのも已む無
し、なのかも知れないが。
(そうは言ってもなぁ……)
 誰が聞いているかわからないこの状況下で、推測の域を出ないアレオン公の
意図を説明するのはためらわれた。
 表向きは処遇が決定するまでの拘留、という名目だが、実際にはこちらを保
護するという目的があるようにランディには思えていた。
 昨夜の騒動はレイチェルのタンカと、かなり遅れてはいたものの騎士団が介
入して住人を解散させる事で治まった。だが、またいつ、何かの弾みで群集の
暴徒化が起こるとも限らない。だが、仮にそうなったとしても、公的な理由で
大公府に留め置かれている限りは直接的な非難に晒される事はないはずだ。
 ルシウス公国でも特にここアレオン公領は魔道師に対する弾圧が常識を逸し
ている、と国外から批判されておりそれに関わる騒動はできるだけ起こしたく
ない、というのがアレオン公の考えなのだろう。
 だからと言って、魔道師を擁護すれば住人との間に溝を作る事になる。アレ
オン公としても、難しい舵取りを要求されているのは容易に想像できた。
(とはいえ、難しいのはぼくらも同じ、か……)
 不死怪物発生の原因を突き止め、取り除く。こう言いはしたものの、手がか
りらしいものはほとんどない。唯一手かがりになりそうなのは昨夜戦った『死
拝者』ヴァルダの言葉と行動、そしてファリアたちが戦ったというシュキとい
う名の死霊術師。これだけなのだ。
 シュキに関してはスラッシュと因縁があるようだが、話してもらえるかどう
かは微妙だろう。彼曰くの『宮仕え』に絡む事であれば、説明を得られる率は
限りなく低い。
(でも、スラッシュの『宮仕え』に関係があるとしたら……あの人とも?)
 真紅の似合う、妖艶な魔女の姿がふと脳裏を掠める。
 『時空の剣』の力を欲していた彼女と、不死怪物を発生させていたというシ
ュキに関係があるのであれば、そのシュキから不死怪物を与えられていたらし
いヴァルダから自分と、自分の持つ力──『時空の剣』についての言葉が聞け
たのも理解できる。
 もちろん、『刻の遺跡』から『剣』が消えた事と、その時遺跡に挑戦してい
た冒険者の中に自分とファリアが加わっていた事は口コミで広がっているので、
全く関わりのない第三者でも噂から類推して知っていた、という可能性は否め
ない。
 だが、自分が剣を手にした事は他者には漏らしていないし、レオードたちも
それは誰にも言わない、と約束してくれた。これはアーヴェルドやチェスター
たちも同様だ。それを考えると自分が『時空の剣』を所持している、と認識し
ている者はごく僅か、更に容姿を見ただけで特定をかけられるだけの情報を得
ているのは、真紅の魔女とその関係者に限られると言えるだろう。
(でも、仮にそうだとして……一体、ここで何をするつもりなんだ?)
 カティスでは、宮廷魔導師ガレスの計画──異世界の力を取り込み、世界を
再構築させる、というものが自分に都合がいいから、という理由で彼に手を貸
していた。そして、ここでは死を賛美し、崇拝する者たちに力を貸しているら
しい。『死拝者』が具体的にどんな集団なのかはわからないが、ガレスとは思
考の方向性が違うようにも思える。
「……ランディくん?」
 あれこれと考え込んでいると、レイチェルが不思議そうに名を呼んできた。
「え? あ、えっと、なに?」
 その呼びかけにはっと我に返って問いかけると、レイチェルは不思議そうに
きょとん、と瞬いた。
「なんでもないけど……ぼーっとして、どしたの?」
「え? あ、いや、ちょっとね。考え事」
 問いに早口で答えると、レイチェルは何故かじっとこちらを見つめてきた。
「え……どしたの?」
 妙に真剣な瞳に困惑していると、
「ファリアちゃんのコト、心配してたの?」
 レイチェルは低くこんな問いを投げかけてくる。微妙に的外れな質問に戸惑
っていると、レイチェルはその沈黙を肯定と判断したらしく、だよねぇ、とた
め息をついた。
「レ、レイチェルちゃん?」
「好きなヒトのコト、心配するのって、当たり前だもんね。で、好きなヒトに
心配してもらえたら、どんなに大変でも頑張れるんだよね、きっと」
 ランディに言う、というよりは自分自身に言い聞かせるようにレイチェルは
こんな呟きをもらした。微妙に陰った瞳に、ランディはどんな言葉をかければ
いいのかと思い悩む。
 復讐のために一族を離れ、平原を飛び出したウォルスを追って自分も平原を
飛び出してきた、というレイチェル。それだけでも、彼女がウォルスを強く慕
っている事は充分に伺える。そして、ウォルス自身もそれはわかっているはず
だ。
(でも……)
 それとわかっていてもウォルスは少女の想いを受け止めず、そして、因果と
も言える巡り合わせによって出会った神聖騎士を選び、彼女と心を通わせた。
その結びつきは容易に断てるものではなく、また他者の介入を許すとも思えな
い。
 レイチェルの想いの強さとその一途さは、傍目にもはっきりとわかる。そし
て想いが届かぬ事の辛さも、理解する事ができた。ランディ自身、かつては決
して手の届かない人を、それと知りつつも強く想っていたから。だが、レイチ
ェルにはかつてのランディが持っていたもの──叶わぬ想いである、というど
こか冷めた諦観がないように見える。そういう点では、彼女の方が辛いように
思えた。
「……あ、ごめん。暗くなっちゃったね」
 場に立ち込めた沈黙を、レイチェルの明るい声が取り払う。どうやら黙り込
んでしまったランディの様子に、気まずくなったらしい。それにランディがそ
んな事ないよ、と答えるのと同時に部屋のドアが開いた。アレオン公が戻って
きたのだ。
「すまない、待たせてしまったな」
「いえ。あの、そちらは?」
 立ち上がって居住まいを正しつつ振り返ったランディは、アレオン公と共に
部屋に入ってきた男の姿に微かに眉を寄せた。左胸だけを集中的にカバーした
革製の胸当てを身に着けた男──年齢は、二十代後半だろうか。服の上からで
もそれとわかる、がっしりとした腕回りと特徴的な鎧から、弓使いであるのは
推察できた。
「彼はライファス。私の副官であり、弓兵師団長を務めている。今回の件が解
決するまでの間、監視役として君たちに動向させてもらう事となった」
「……監視って……」
 アレオン公の説明にレイチェルが早速頬を膨らませる。それに内心でやれや
れとため息をつきつつ、ランディはライファスに一礼した。
「自由騎士ランディ・アスティルと申します。ご迷惑をおかけしますが、よろ
しくお願いいたします」
「アレオン旧兵師団長を務めるライファス・フォレイドと申します」
 ランディの名乗りにライファスは丁寧な礼を返してくる。その態度に、険は
伺えなかった。
「では、当面はライファスの指示に従って行動してくれたまえ。議会決定が出
るまでは、迂闊に外に出ぬようにな」
 静かな言葉にランディはわかりました、と頷き、レイチェルもどこか渋々と
いう感じで一つ頷いた。アレオン公はちらりとライファスを見、ライファスは
その視線に答えるように軽く頷く。
「それではライファス、あとは任せる」
 短くこう言うと、アレオン公は足早に部屋を出て行った。その気配が完全に
遠のいてから、ライファスがランディの方を見る。
「それでは、参りましょうか。まず、宿のお仲間を迎えに行くとしましょう。
宿の方には、私から説明いたしますので、ご心配なく」
「はい……ありがとうございます」
 ランディのこの言葉にライファスは僅かに微笑み、レイチェルは不思議そう
な表情できょとん、と瞬いた。

 ランディたちが大公府で事情の説明をしている一方で。
「……で?」
 宿の部屋ではウォルスが低く、スラッシュに問いを投げかけていた。
「いや、『で?』っつわれてもね」
 対するスラッシュは妙にたじろいでいるようにも見える。いや、それも必然
と言うべきか。窓辺に立ち、逆光を背負うウォルスに睨まれる、というのはか
なりの威圧感がある。しかも、何故かその指には白いカードが挟まれているの
だから、スラッシュとしては笑えない状況だろう。ウォルスが自分にカードを
投げる事に、何らためらいを持っていないのがわかっているのだから。
「別に、真相をいきなり語れとは言わん。だが、これくらいは答えろ」
「こ……これくらいって、どれくらい?」
「昨夜の騒動、カティスの騒動の裏にいた連中が噛んでいるのか否か」
 短い問いが、二人の間に緊張を張り詰めた。スラッシュのダークグレイの瞳
がほんの少し、険しさを帯びる。
「……そうだ、っつたら、どうするおつもりで?」
 沈黙を経て、スラッシュが低くこう問い返した。この問いに、ウォルスは一
つ息を吐く。
「オレは、どうもせん。強いて言うなら、オレの中の仮説が成立に近づくだけ
だ」
「……仮説?」
「星の巡りから見えた、因果の交差。それが織り成す形がオレの詠み違いか否
か……それの見極めに近づけるという事だ」
「……論理的なんだか違うんだか、よくわからんね〜」
「お前に比べれば、単純明快だ」
 淡々とした説明に対し、スラッシュがぽつりともらした呟きをウォルスはあ
っさりと切り捨てる。静かな様子を崩さずに自分を見つめるウォルスに、スラ
ッシュは困ったような面持ちでかりかりと頬を掻いた。
「まいるな〜。何度も言ってるけど、おにーさん宮仕えなんですが」
「それがどうした」
「いやその……あんまりお喋りが過ぎると、路頭に迷っちゃったりするんだけ
どね〜」
「……路頭に迷う前に、涅槃を覗いてみるか?」
 低い声の呟きと共に、白いカードが光を弾いた。蒼氷色の瞳もいつになく冷
たい光を宿しており、今の言葉に冗談が入っていない事を端的に物語っている。
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょい待ちっ!? 冷静に、冷静にっ!!」
「オレはさっきから冷静だが」
 上擦った声を上げるスラッシュに、ウォルスはどこまでも冷淡にこう言って
のける。反論の余地のない一言にスラッシュはぐ、と呻いて言葉を詰まらせた。
「そろそろ、話を元に戻すぞ。この騒動の裏にカティスで動いていた連中は関
わっているのかいないのか。詳細を言えとは言わん。否定か肯定か、どちらか
を出せ」
 絶句したスラッシュにウォルスは畳み掛けるように問いを繰り返し、スラッ
シュはうー、と呻きながらがじがじと頭を掻いた。
「っとに、何が楽しくて、しがない宮仕えの隠密さんをイジめるかなー、この
青年はっ!」
 一しきり頭を掻いたスラッシュはわざとらしい口調で言いつつ、恨みがまし
い視線をウォルスに向ける。対するウォルスの表情は全く変わらず、その様子
にスラッシュはついに観念したらしく、深くため息をついた。
「あー、っとに……わかった、わかりましたよ! 答えりゃいいんだろ、答え
りゃっ! ……確かに、関わってるよ。だが、これ以上は言えねぇ」
 前半は投げやり、後半は真面目な口調でスラッシュは問いに答え、その答え
にウォルスは短くそうか、と呟いた。それきり黙りこんでしまうウォルスに、
スラッシュは拍子抜けしたような表情を向ける。
「……おーい」
「何だ?」
「ほんっとに、今のだけで良かったワケ?」
 スラッシュの問いに、ウォルスはにやりと笑って見せた。
「話したいなら話せばいいさ。ただし、路頭に迷ってもオレは知らんが」
「……ひでえ」
 さらりと返された言葉にスラッシュは呆然とこう呟く。ウォルスはそれを完
全に無視して、肩越しに窓の方を振り返った。
「……戻ってきたな」
 低い呟きに、スラッシュはランディたちか? と短く問う。
「他に、誰がいる。付け加えるなら、迎えでもあるらしい」
「迎え?」
「大掛かりな馬車が来ている。どうやら、大公府辺りで身柄を預かる、という
展開らしいな」
 窓の下に止まった大公家の紋章入りの馬車を見やりつつ、ウォルスは淡々と
こう呟いた。
「人事みたいに言うねぇ……」
「予測済みの事だからな。騒ぎ立てるほどの事でもない。それに……」
 呆れたように呟くスラッシュに素っ気無く答えると、ウォルスは部屋の中を
仕切るカーテンの方を見た。カーテンの向こうには音を遮断する結界が張られ、
その中でファリアが休んでいる。
 昨夜の一件でファリアが受けた精神的なダメージは相当なものだったらしく、
重度の神経過敏に陥っている事が傍目にもわかるほどだった。このため、ウォ
ルスが余計な刺激を与えないようにと朝から結界を張っているのだ。
「それに……なんよ?」
 ウォルスの視線を辿りつつ、スラッシュは途切れた言葉の続きを問う。
「その方が、オレとしてもラクだ。女の感傷ほど、付き合いきれんものはない」
「へ〜え……」
 きっぱりと言い切られた言葉にスラッシュはわざとらしい声を上げ、直後に
掲げられ、光を弾いた白いカードにぴしりと音入りで固まった。
「あ、まあ、その、そうカッかとしないでさ〜……あ、ところでー」
 見るからに引きつった様子で、スラッシュは話題替えを試みる。ウォルスは
心持ちカードを低くして、何だ、と問いかけた。
「オレの骨折は、治療してもらえないんでしょうかー?」
 スラッシュの問いにウォルスは虚を疲れたような表情を見せ、
「どうせ死なんだろう、お前は」
 直後にごくあっさりと切り捨てた。
「ひ、酷すぎるっ……」
 切り捨てられたスラッシュが大げさに泣き崩れるのを完全に無視して、ウォ
ルスはドアの方を見る。それにやや遅れてドアが開き、妙に疲れた表情のラン
ディと不機嫌な面持ちのレイチェルが部屋に入ってきた。
「ただいま。えっと……」
「移動だな?」
 状況を説明しようと口を開きかけたランディの機先を制するようにウォルス
が問う。ランディは一度口を閉じてうん、と頷いた。
「大公府で、身柄預かり……だって。詳しい話は、向こうでするね」
 苦笑しつつこう言うと、ランディは部屋を仕切るカーテンの方へちらりと視
線を向ける。その様子にウォルスと、いつの間にか復活していたスラッシュが
苦笑めいたものを浮かべた。
「荷物運びはこっちでやるから、お前は少し休め。レイチェル、それからそこ
の怪我人モドキ、さっさと片付けるぞ」
 やれやれ、という感じで息を吐くと、ウォルスはさっさと荷物をまとめ始め
る。レイチェルははぁ〜い、と返事をして動き始めるが、さすがにスラッシュ
は不満げだった。
「怪我人モドキってなんですかねー、これでも重傷者なのにー」
「ごちゃごちゃ言わずに、動け」
 いじけた口調でスラッシュは文句を言うが、ウォルスはそれを文字通り一蹴
した。それから、ウォルスは立ち尽くしているランディを振り返る。
「何をぼーっと突っ立っている。邪魔にならん所で、座っていろ」
「あ……うん。ありがとう」
 突き放すような言葉に、ランディはようやくその意図を察して僅かに微笑ん
だ。それから、ウォルスの言う『邪魔にならん場所』へと移動する。
 つまり、布の仕切りの向こう──ファリアの所へ。

 寝ていたらどうしようか、と思いつつ、取りあえず仕切りの向こうを覗き込
むと、ファリアはベッドの上で膝を抱えていた。ウォルスが張った静寂の結界
のため、周囲の物音に気づいていないらしい。起きていた事に安堵しつつ、ラ
ンディはそっと近づいてファリア、と声をかけた。
「……っ!? あ……ランディ、戻ってたの?」
 不意の呼びかけは相当驚かせたらしく、ファリアははっとしたように顔を上
げ、それから、ランディの顔を見てほっとしたように息を吐いた。ランディは
うん、と頷きつつ、ベッドの横の椅子に腰を下ろす。
「とはいえ、すぐに移動しなきゃならないんだ。アレオン公から、大公府の方
に移動してくれって、言われたから」
「大公府に?」
「うん……って、ファリア?」
 問いに頷いて答えたところで、ランディはファリアの瞳の陰りが増した事に
気がついた。それを訝って名を呼ぶと、ファリアは消え入りそうな声でごめん
ね、と呟く。
「ごめんねって……どうしたの、急に?」
「だって……あたしのせいで、拘束されるようなものでしょ、ようするに」
 唐突な謝罪に戸惑いつつ問うと、ファリアは呟くようにこう返してきた。思
い詰めたような物言いと表情にランディは一瞬言葉に詰まるが、すぐにそれを
否定する。
「違うよ、それは」
「でも、あたしが魔法使ったからっ……」
「だけど、ファリアだけが悪い訳じゃない!」
 きっぱりと言い切ると、ファリアは顔を上げてランディを見た。栗色の瞳は
不安げで、いつもの勝気さは影を潜めていた。それだけ、昨夜の一件はショッ
クだったのだろう。
 そう思うと、古い因習への苛立ちと共に、昨夜の自分の先走りがランディに
は悔やまれた。
(ぼくが、先走らなければ……みんなで行動していれば、こんな事には……!)
 勿論、別れて行動したからこそ、シュキと名乗った少年のかけた死の眠りか
ら街の人々を救えたとも言える。だが、それはあくまでも結果論だ。挙句、そ
の代償としてファリアが深く傷ついたのだから、先走った事に対する悔恨は並
ならぬものがあった。
「とにかく、そんなに思い詰めないで。アレオン公は、事情があっての事だっ
て、ちゃんとわかってくださってる。大公府に呼ばれてるって言っても、拘束
って言うのは建前だと思うから……だから、大丈夫だよ」
 なんとか安心させたくて早口に言い募ると、ファリアはうん、と頷いてまた
目を伏せた。その肩の上にちょこん、と乗ったリルティも、同じように元気が
ない。その元気のなさが、ランディの苛立ちを募らせた。
 何とかしたいのに。
 何とかしなければならないのに。
 しかし、どうする事もできない、もどかしさ。
 それが心の中で苛立ちとなり、どんどん積もっていくのだ。
 そんな、どうしようもない悪循環に思わず唇を噛んだ時、
 みゃう!
 甲高い声が耳に届いた。突然の事にランディもファリアもぎょっとしつつ声
の方を振り返り、そして、ベッドの端にちょこん、と座って尻尾をぱたぱたと
させている白い生き物──ティアの姿に気がついた。
「あれ、ティア……」
 いつの間にやって来たの、と問うより早く、それまで遮断されていた周囲の
物音がどっと言う感じで流れ込んできた。張り巡らされていた沈黙の結界が取
り払われた、とランディが気づいた直後にベッドの周囲の仕切りが外される。
差し込む光の中に、それとは対照的な黒衣の人影──ウォルスが佇んでいた。
「荷物の積み込みと、宿代の清算は終わった。弓兵師団長曰く、急いでくれ、
との事だ」
 淡々と告げるその肩に白いカーバンクルが飛び乗り、長い黒髪の向こうに姿
を消す。マントのフードの中に潜り込んでしまったのだろう。ランディはウォ
ルスに向けてわかった、と頷き、それから、ファリアを振り返りつつ立ち上が
った。
 ファリアはいつの間にか俯いてしまっている。その表情に浮かぶ陰りは、外
に出る事への不安によるものだろうか。その陰りが悔恨を大きくするのを感じ
つつもランディはそれを押さえつけ、ファリアに声をかけた。
「行こう、ファリア。大丈夫、だから」
 絶対に護るから、と心の中で付け加えつつこう言うと、ファリアは顔を上げ
てこくん、と頷いた。

← BACK 第二章目次へ NEXT →