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 言いようもなく、重苦しい静寂。
 ファリアたちが中央広場にやってきた時、そこにあったのはそれだった。静
寂と共に漂う空気も重苦しく、澱んでいると感じられる。その感触に、ファリ
アは目眩を覚えて微かによろめいていた。
「ファリアちゃん、大丈夫?」
 それに気づいたレイチェルが問うのにどうにか頷いた時、
「あっれぇ? まだ寝てない人がいたんだぁ……いけないなぁ、せっかくステ
キな眠りをプレゼントしてあげたのにぃ」
 妙に楽しげな声が、広場に響いた。
「……え?」
「っ!? その声はっ……」
 突然の声にレイチェルが惚けた声を上げ、スラッシュが何故か表情を険しく
しつつこんな事を呟く。そしてファリアは広場の中央に何か、強大な力が集ま
るのを感じ、それが放つ重圧に身体を大きく震わせた。
(え……なに? もの凄い力……重くて……気持ち悪い)
 震えを押さえ込むように自分で自分の肩をぎゅっと掴みつつ、ファリアは広
場の中央にある仮設舞台の方を見た。いつの間に現れたのか、舞台の上に一人
の少年が立っている。怪しい光を放って辺りを照らす霧の中に、緑の上に極彩
色の紋様を散りばめた特徴的な装いが浮かび上がっていた。
「……西方大陸の人?」
 この辺りでは余り見られない色彩と、羽根飾りを多用した装飾品は海を隔て
た西の大陸の人々の独特の装いだったはず──などと思いつつ、ファリアは小
さな声で呟いていた。何でもいいから考えていないと、少年の放つ力に飲み込
まれてしまいそうだった。
「あれえ?」
 一方の少年は三人の顔を順に見回し、スラッシュの姿に怪訝そうな声を上げ
て首を傾げた。
「レイフェン・ロウ? なんで、生きて? いや、生きてないか」
 奇妙な呟きをもらしつつ、少年はファリアに目を向ける。その瞬間、重圧が
更に高まるような心地がして、ファリアは思わず後ずさっていた。そんなファ
リアの様子に、少年は楽しげな笑みを浮かべる。
「さっきの不死怪物大行進と、街にかかってる呪いはお前の仕業か、シュキ!」
 一歩前に進み出たスラッシュが投げた問いに、シュキと呼ばれた少年はそう
だよー、と楽しげに答えた。
「ここ、古戦場だから材料には事欠かないし。土地のマナ含有量も多いから、
少し力を使うだけで……」
 楽しげな声のまま、シュキはこう言って足元に置いていたらしい杖を蹴り上
げ、左手で受け止める。少年の手に納まると、杖の先端につけられた小動物の
物とおぼしき頭蓋骨の眼孔に光が灯った。光は瞬きするように二、三度明滅し、
それと呼応するように周囲の霧が明滅した。
「え……な、なに、なにっ!?」
「死霊魔導……不死怪物の、生成術!?」
 突然の現象にレイチェルが上ずった声を上げ、その明滅の意味する所に気づ
いたファリアが震える声で呟く。直後に、地面からわき出るように骸骨戦士の
一団が姿を現した。
「こんなカンタンに、スケルトンが作れちゃうんだよ〜♪ 楽しくてさ」
 楽しくて仕方がない、と言わんばかりのシュキの言葉にスラッシュと、そし
てレイチェルが表情を険しくした。
「このガキ……調子に乗りやがってっ……」
「酷い……骸が大地に還るのを、勝手に妨げるなんてっ!」
 それぞれのもらす怒気を孕んだ呟きに、シュキはんー? と言いつつ首を傾
げる。
「なぁんで、怒られるかなぁ? 大地に還るのを拒んでるのは、彼ら自身なん
だよぉ? ぼくは、その手助けをしてあげてるだけなのに〜?」
 拗ねたような口調で言いつつ、シュキはつい、と杖を振る。それを合図とす
るように、骸骨戦士の一団が動き出した。
「それのどこが、手助けなのよっ!」
 足元の小石を蹴り上げ、それを素早く用意した投石紐に絡めて放ちつつレイ
チェルが叫ぶ。加速のつけられた小石は礫となって骸骨戦士を直撃し、その体
勢を大きく崩した。そこにすさかずスラッシュが斬り込み、強引に頭部を弾き
飛ばす。
「レイチェルちゃん、こいつ相手にそーゆー問答は、時間のムダ! どうせ、
人の話なんて聞きやしねーんだから、こいつはっ!」
 レイチェルの問いにシュキが答えるよりも早く、スラッシュがこう言い切る
事で問答を打ち切った。言葉を封じられた形のシュキはむぅ、と不満げに頬を
膨らませる。
「人の話聞かないって、そんなのお互い様じゃないかー」
「てめえと……てめえらと、一緒にすんなっ!」
 シュキの文句を冷たく切り捨てつつ、スラッシュは両手の小太刀を舞わせて
骸骨戦士を切り払う。が、斬撃主体のスラッシュの武器は、切り裂く肉体を持
たない不死怪物相手には今ひとつ効果が上がらない。特に骸骨戦士相手となる
と、刃が滑って相手を捉え難いという問題もあった。
「ちっ……どーするか」
 珍しく、苛立ちがスラッシュの表情をかすめる。いつも余裕を絶やさない彼
らしからぬその表情が、状況の深刻さを物語っていた。
(魔法を、使えば……)
 その表情にファリアはふとこんな事を考えていた。
 攻撃系の魔法を使えば、骸骨戦士なら軽く吹き飛ばせる。聖なる祈りを唱え
る神官や司祭のいない現状では、それが最も有効な手段なのだ。
 だが、ルシウスの民は魔法──古代語魔法とその使い手を忌み嫌う。過去の
隷属支配の記憶がそうさせるのだと、一般には言われていた。
 古代語魔法の使い手はそれだけを理由に歓迎はされず、何かの弾みで魔法を
使っただけで重罰、場合によっては住民に私刑にされる事もあるという。
 どこまで本当かはわからないが、いずれにしろカティスではそういった認識
が一般的であり、ファリアもそう聞かされて育ってきた。正直、ランディが行
くと言ったのでなければ、ルシウスを訪れようなどとは思いもしなかった。
 そんな場所で魔法を使うという事。それに対する怖れはあるが、しかし。
(でも……でも、このままじゃ……!)
 このまま消耗戦になれば、回復能力の欠如という観点からもこちらが不利に
なる。治癒魔法が使える二人、ランディとウォルスがこの場にいないのだから。
そして何より、シュキがかけた死の眠りの術を解かなければ、街の住人全てが
死に至ってしまう。それと知りつつ、何もしないのも嫌だった。
「……って、ファリアちゃん! 頼むから、早まんないでくれよっ!?」
 思い悩むファリアの様子に気づいたのか、スラッシュが上ずった声を上げた。
「でも! でも、このままじゃ……」
「いや、そりゃそーだけど!」
 ここでスラッシュは一度言葉を切り、目の前に迫った骸骨戦士を斬りと蹴り
で吹き飛ばした。
「ルシウスで魔法を使うっつーのは、キミが考えてる以上の大事なんよっ!?」
「そうかも知れないけど……でもっ!」
「あ〜、ぼく、見てみたいなぁ、キミの魔法」
 叫ぶように言葉を交わす二人の間に、シュキが場違いなのんびりさで割り込
んでくる。
「てめえは黙ってろ、事の元凶!!」
 苛立ちのこもった声で怒鳴りつつ、スラッシュは迫る骸骨戦士の顎に向けて
垂直ジャンプからの蹴りを放つ。斬りつけるより、体術で応戦した方がいい、
と判断したようだ。蹴り上げた足を戻しながらの踵落としが決まった所にレイ
チェルが放った礫が炸裂し、だいぶ緩んでいたらしいその頭部を弾き飛ばした。
「事の元凶って、ヒドイなぁ。そういう事言うと……」
 一方、怒鳴られたシュキは拗ねたような声を上げつつ杖を軽く振った。会わ
せるように、骸骨戦士たちがその動きを止める。
「な、なに?」
 唐突な出来事にレイチェルが不安げな声を上げる。ファリアは骸骨戦士の周
囲に異様な力が集中するのを感じ、その感触に大きく身を震わせた。
「シュキ、てめ、一体何をっ……」
「何って、こういうコト♪」
 スラッシュの問いを軽い口調で遮りつつ、シュキは杖の先を骸骨戦士へと向
ける。杖の先の頭蓋骨の眼窩に再び光が灯り、骸骨戦士の周囲の霧が明滅した。
それと呼応するかのごとく、骸骨戦士たちの虚ろな眼窩の奥に明滅する光と同
じ色の光が灯る。次の瞬間、骸骨戦士たちはバラバラになって崩れ落ちた。
「え? え?」
「崩れた……?」
「……っ! みんな、下がって!」
 突然の事にレイチェルが困惑しきった声を上げ、スラッシュが眉を寄せる。
そして、ファリアは只ならぬ魔力の集中を感じて叫ぶような声を上げていた。
切迫したその声にスラッシュは素早く骨の山との間に距離を取り、レイチェル
は蒼白なファリアの様子に微かに眉を寄せた。
「ファリアちゃん、だいじょぶ?」
 心配そうな問いに、ファリアは一つ頷いた。勿論、大丈夫な訳はない。圧し
掛かるような力の渦に、何もできないという精神的な圧迫感と、そして何より。
(……ランディが、いてくれれば……)
 ランディが一緒にいないという事、そこに感じる不安が重く感じられる。そ
れだけと言えばそれだけだが、しかし、その『それだけ』がファリアに与える
重圧は大きかった。
 気がつけば、一緒にいるのが当たり前になっていたからか、それとも支えて
もらう事に慣れてしまったからなのか。
 大して距離を隔てている訳でもないのに、不安で仕方がない自分がいる。
 今はそんな場合ではない、と思えば思うほど、不安は心に張る根を深くして
いくようだった。
(って、もう! しっかりしなさいよ!)
 不安の影に埋もれてしまいそうな、勝気なはずの自分を奮い立たせて叱咤し
た時、
 カタカタ……カタン、カラン……
 乾いた音が沈黙を破った。崩れていた骨の山が、カタカタと音を立てつつ揺
れ動いている。骨の山はしばしカタカタと揺れ続け、そして、唐突に弾けた。
積み上がっていた骨の一つ一つが勢い良く宙に舞い上がったのだ。飛び上がっ
た骨は螺旋状にくるくると旋回しつつ一つにまとまり、やがて奇怪な姿を作り
出す。
「な、何あれ〜?」
 空中で築き上げられた形の奇怪さに驚いたのか、レイチェルが上ずった声を
上げた。
「……ワケのわからんものを……」
 続けてスラッシュが低く吐き捨てる。ダークグレイの瞳には、明らかな苛立
ちが浮かんでいた。
 バラバラになった骨が新たに形作った物──それは、奇怪な四足の物体だっ
た。様々な骨が不可解に絡み合った半円形の物体から、脚部を構成する骨を強
引に繋げた四本の足が突き出している。側面には同じように作られた腕が伸び、
頂点部には胸から上の部分の骨がにょきり、という感じで突き出していた。
 人骨で作られた奇怪な物体は、ガシャン、という音を立てつつ広場に降りる
とガシャガシャとやかましく音を立てて走り出した。そのルート上にいた三人
は慌ててそこから飛び退き、突撃を回避する。
「ちょっと、コレ一体何なのよ〜!」
「ん? まあ、もうフツーの骸骨じゃないね〜。言わば、ボーンゴレーム……
かなぁ?」
 誰に言うでなくレイチェルが上げた疑問の声に、シュキが楽しげに答えた。
ゴーレムというのは土や石などで作った、主に人型の物に魔力を吹き込んで作
り出す魔法人形の総称のような物であり、確かにその中には骨を材料にして作
られたものも存在している。しているが、しかし。
「ってな、死霊魔導で好き勝手に作ったモンだろーが、これ! 基礎定義に問
題あんぞ!」
 着地したスラッシュが苛立たしげに突っ込む通り、定義的にはだいぶズレて
いると言えるだろう。勿論、ここは定義云々を語っている場合ではないのだが。
「別にいいじゃない、定義なんて? さて、どうするのかな〜?」
 その突っ込みを飄々と受け流しつつ、シュキはまたファリアを見る。緑の瞳
には、にこにことした表情とは裏腹の冷たい光が浮かんでいた。その冷たさに
ファリアは大きく身体を震わせる。
「イイコト、教えてあげるよ」
 震えるファリアの様子にくすくすと笑いつつ、シュキは突然こんな事を言っ
た。
「い、いい事?」
「ファリアちゃん、相手にすんなっ!」
「レイフェン、ウルサい」
 戸惑うファリアに向けてスラッシュが怒鳴り、シュキが冷たく言いつつそち
らを一瞥する。その視線を追うように、ボーンゴーレムがスラッシュに向けて
突進した。
「なにっ!?」
 突然の急速反転に、スラッシュの反応は遅れた。ゴーレムの、奇怪な胴を支
える脚の一本から放たれた蹴りがスラッシュを捉える。
「っ!!」
「スラッシュくんっ!」
 ファリアが息を飲み、レイチェルが大声を上げる。蹴りをまともに食らった
形のスラッシュは大きく後ろに吹き飛び、広場の隅に積まれた木箱に叩きつけ
られた。
「ホント、ウルサいんだから……じゃあ、話の続き」
 事も無げな口調でこう言うと、シュキは改めてファリアを見た。
「は、話って……一体、なんなのよ!?」
 振り返ったファリアは、シュキを睨むように見つつこう問いかける。瞬間、
いつもの勝気さを取り戻した瞳に、シュキは楽しげにくくっと笑った。
「このゴーレムの弱点、とか?」
 悪戯っ子のような笑顔で、シュキはこんな突拍子もない事を言ってきた。思
わぬ言葉にファリアはえ? と目を見張る。
「こいつね、打撃耐性はやたらと高いんだけど、魔法にはからっきし弱いんだ
よねぇ……さて、どうする?」
「どうするって……」
「って、そんなコトこっちに教えて、どうするのよぉ!?」
 思わぬ言葉に戸惑うファリアに代わり、レイチェルがシュキに問いかけた。
この問いに、シュキはさらりと別にぃ? と答える。
「どうもしないよ、ぼくはただ、見てみたいだけだから」
「見てみたいって、何を!?」
 更に問いを重ねるレイチェルに、シュキはうるさそうな目を向けた。
「ウルサいなぁ……ぼく、キミには全然全くこれっぽっちも興味なんて、ない
んだけど。だから、黙っててくれない?」
 苛立ちを帯びた言葉の直後に、レイチェルは背後に気配を感じた。え? と
言いつつ振り返るよりも僅かに早く、その身体が吹き飛ぶ。いつの間にか背後
に忍び寄っていたボーンゴレームの腕に薙ぎ払われたのだ。
「レイチェルちゃんっ!」
 ファリアが絶叫する。悲鳴を上げる間もなく飛ばされたレイチェルは、よう
やく動き出そうとしていたスラッシュを直撃する形で止まった。スラッシュが
クッション代わりになったおかげでダメージは少ないようだが、スラッシュ自
身には、相当に手痛いダメージを与えたようだった。
「さぁて、これで静かになった、と」
 再び楽しげに笑いつつ、シュキが言った。ファリアはきっ、と睨むような目
をそちらへと向ける。
「で、キミはどうするのかな、カワイイ魔道師さん? さっきも言ったとおり、
こいつには打撃攻撃は一切効かない。つまり、レイ……あの男がどんなに頑張
っても、斬り倒す事はできない……」
 ここでシュキは言葉を切り、わかる? と言わんばかりに首を傾げて見せた。
ファリアは答えずに唇を噛み締める。
 シュキの言わんとする所はわかる。自分に魔法を使えと、そう言っているの
だ。理由はわからないが、シュキが自分の魔法を見たがっているという事だけ
は、はっきりとわかる。そしてそれが、状況を動かす唯一の手段であるという
事も。
「……」
 唇を噛み締めつつ、ポーチに手を伸ばす。ポーチの中にはウォルスによって
カードに封印された杖──カティスを発つ時に師である大魔導師アーヴェルド
から渡された魔導王の杖が入っている。カードに封印された状態でも、魔導媒
体として使う事はできる、とウォルスは言っていた。
 きゅうっ
 ポーチを開けてカードを取り出すと、マントのフードの中に入っているリル
ティが不安げな声を上げた。ちょこちょこと肩に登って来た妖精ネズミは、声
と同様に不安げな眼を主へ向ける。
「……リル……平気。大丈夫だから」
 自分自身の不安を体現しているかのようなリルティにこう言って微笑みかけ
ると、ファリアは再びシュキを見る。シュキの立つ舞台の前にはいつの間にか
ボーンゴーレムが回り込んでいた。
「いつでもどうぞ、とでも言うつもり?」
 だとしたら頭くる、と呟きつつ、ファリアは静かに力の集中を始めた。淡い
バラ色の光が手にしたカードを中心にしてふわりと灯る。その光にシュキは眩
しそうな様子で目を細めた。
「さすが、あのオバサンを手こずらせただけのコト、あるなぁ……」
 楽しそうに、本当に楽しそうに呟きつつ、シュキはつい、と杖を振る。杖の
先の頭蓋骨の眼窩の奥に鈍い緑の光が灯り、その光は霧に紛れてゆっくりと街
の中へ流れていく。
 そしてその光は、ファリアにとって思いも寄らない事態を引き起こそうとし
ていた。
「……ん……」
「……お?」
 死の眠りの呪いによって眠り込んでいた人々が、次々と目を覚まし始めたの
だ。目覚めた住人たちは頭の芯に残る鈍い痛みと気だるさ、そして室内に入り
込んでいる霧を訝って外に出る。
「お、おい……」
「何だ、あの光?」
 通りに出た人々は街の中心から差し込む不自然な光に気づき、その正体を確
かめるべくそちらへ向けて歩き出した。
「ん? ……ヤベっ!」
 一方の広場では、ようやく意識をはっきりとさせたスラッシュが近づくざわ
めきに気づき、上ずった声を上げていた。
「ヤベっ……って、どしたの?」
 こちらもようやく衝撃から	立ち直ったらしいレイチェルが問う。スラッシ
ュはとにかく立ち上がろうと試み、直後に鈍い痛みを感じて動きを止めた。ボ
ーンゴレームに蹴られ、叩きつけられた時に骨をやられたらしい。
「ちっ……」
「スラッシュくん、大丈夫?」
 短い呻きと流れる脂汗に気づいたのか、レイチェルが不安げに問う。
「なに、生きてるってこた、どーにかなるってコトさ。それよりレイチェルち
ゃん、ファリアちゃんの所へ」
 大雑把な答えとそれに続いた言葉に、レイチェルはえ? と言いつつ瞬いた。
「いいから、早く! ファリアちゃん、一人にしとくとヤバいんだ!」
「わ、わかった!」
 いつになく真剣なスラッシュの様子に只ならぬものを感じたのか、レイチェ
ルは弾かれたように立ち上がってファリアの傍らに向かう。その頃には既に、
ファリアは力の集中を終えていた。
「聖なる力を帯びし雷光……破邪の鉄槌となりて我が敵を撃て……」
 低い詠唱が響き、ファリアは手にしたカードを天に掲げる。
「……ライトニング・ジャッジ!」
 声に応じて天から白く輝く雷光が降り注ぎ、ボーンゴーレムを打ち据えた。
骨によって構築された奇怪な身体が大きく震え、バアンっ!という音と共に破
裂する。
「いやあ、凄いすごい、お見事お見事♪」
 瞬間、場に生じた静寂をシュキのお気楽な声と拍手が破った。一体何が楽し
いのか、その顔は満面の笑みを浮かべている。
「魔力光の色、力の波動、どれを取ってももの凄くキレイで♪ みーんな、見
惚れてたみたいだねぇ?」
 くすくすと笑いながら言う、その言葉にファリアはえ? と困惑した声を上
げ、直後に周囲から向けられている視線に気がついた。
「え……ど、どうして?」
「うそ、いつの間にぃっ!?」
 ファリアが呆然と呟き、レイチェルが上ずった声を上げる。
 いつの間にか、本当にいつの間にか、二人は集まっていた街の住人に取り囲
まれつつあった。それぞれが手にした灯りに照らされる顔はどれも険しく、そ
こには畏怖と、そして、激しい憎悪が浮かんでいた。
「さぁて、なんでだろー? いずれにしろ、あんまり気に入ってはもらえなか
ったみたいだねー?」
 困惑する二人に、シュキが楽しげにこんな事を言う。
「あ、あんた一体っ……」
 一体、何を考えてるの、というファリアの問いは、
「魔道師!」
 絶叫によって遮られた。
「魔道師だ!」
「災いの担い手!」
「秩序の破壊者!」
 最初の絶叫を皮切りに、集まった住人たちが口々に叫び始めた。突然の事に
ファリアもレイチェルも呆気に取られてしまう。その内、住人たちがじりじり
と迫って来たため、二人はシュキのいる舞台の方へと追い詰められる形になっ
た。
「な、何なのよ、一体……」
「怖いんだよ、彼らはね」
 呆然と呟くファリアの耳元でシュキが囁いた。
「……え?」
「愚かだよねぇ、人間って。理解できない、したくないモノはみんなで消せば
コワくないって本気で思ってて、あまつさえそれで正しいと思ってるんだから」
 戸惑いながら振り返ると、シュキは先ほどまでとは一転、冷淡な口調でこう
呟いた。異様な熱を帯びつつある住人たちを見つめる目には、はっきりそれと
わかる蔑みが浮かんでいる。
「ホント、呆れてモノも言えないよね。こんな連中、存在価値ないとは思わな
い?」
 冷たい言葉にファリアは息を飲み、レイチェルが目を丸くする。
「な、何言ってるのよ、あんた……そんな事……」
「……殺せ!」
 呆然としつつも、シュキの言葉を否定しようとファリアが言いかけた言葉を
遮るように、住人の誰かがこんな声を上げた。
「……え……」
「ちょ、ちよっとおっ!?」
 物騒な言葉にぎょっとしつつ振り返った二人は、群集の放つ熱気に息を飲ん
だ。
「殺せ!」
「魔道師はルシウスに災いを呼ぶ!」
「生かしておくな!」
 一人が上げた叫びは瞬く間に全体に広がり、やがてそれは殺せ、という大合
唱となって圧し掛かってきた。
「え……どうして?」
 迫る大合唱に、ファリアは呆然と呟く。
 呪文を唱えたのは確かだ。そして、それがルシウスの法に触れているのも、
わかってはいる。
 だが、それは街に害をなすためではなく、むしろ街に危機を呼び込んでいた
者を退けるためのものだったのだ。
 にもかかわらず、街の人々は自分を害なす者と見なしている。
 災いを呼ぶ者として、排除しようとしている。
 ただ、魔道師である、というだけで。
 それだけの理由で……殺そうとしている。
(あたし……あたし、は……)
 わからない。どうすればいいのかわからない。
 このままでは殺されるとわかっていても、身体が動かなかった。
(ランディ……助けてっ……)
 混乱に混乱を重ねた意識がそこにたどり着いた時。
「……いい加減にしなさいよ、あんたたちっ!!」
 広場を埋め尽くす声を凌駕する叫びが、響き渡った。

 そしてその叫びは、ようやく広場の近くまで到達していたランディとウォル
スの元にも届いていた。
「ウォルス、今のって……」
「レイチェルだな」
 ランディの問いにウォルスはきっぱりとこう答え、それからため息をついた。
「先ほどの落雷と合わせれば、大体の状況は読める。しかし……」
 ここでウォルスはため息をつき、目の前の群集を見やった。
 広場に向かいつつ、しかし、そこに納まりきらない人の群れ。それが二人の
進行を妨げているのだ。
「急いでるのにっ……」
 遅々として進まない人の流れが苛立ちを募らせる。そんなランディの様子に
ウォルスは何事か思案するような素振りを見せ、それから唐突にその腕を引い
て横道へと入った。
「ウォ、ウォルス?」
「屋根伝いに行った方が、まだ早そうだ」
 突然の事に戸惑っていると、ウォルスは素っ気無くこう言った。それから、
路地に積み上げられた木箱を足場にさっさと家の屋根へと登って行く。確かに
このまま道を進んでいくよりは早いと言えるので、ランディもそれに続いた。
屋根そのものは傾斜が大きくとても進めそうにないため、二人は屋根の頂点部
分に僅かにある平坦な部分を選んで走り出した。

「さっきから黙って聞いてれば、一体何なのよ!? 魔道師魔道師、災い災いっ
て、あんたたちそれしか言えないのっ!?」
 周囲を取り巻く群衆に向けてレイチェルが鋭く問う。ダークブルーの瞳に浮
かぶ憤りは、彼女が本気で怒っている事を伺わせた。
「黙れ!」
「魔道師はルシウスに災いを呼ぶ!」
「生かしてはおけん!!」
「災いなんて言葉、容易く口にするんじゃないわよっ!!」
 再びどよめき始めた群集を、レイチェルは再びぴしゃりと黙らせた。この小
柄な少女のどこからこんな大声が出るのか、その言葉は広場に、街に広がって
いく。
「災いって言うのはね、その言葉と、それを口にする者の心の弱さから生じる
のっ!! つまり、あんたたち自身がそれを呼び込んでんのよっ! それを、た
またまそこにいて、たまたま魔道師だったってだけで、人に押し付けるって、
どーゆーコト!? 山岳の民ハイランダーの誇りってのは、そうやって弱い者イ
ジメしないと保てないような、薄っぺらいモノなワケっ!?」
「なんだと……」
「黙って聞いていればっ……」
 鋭い言葉はさすがに癪に障ったらしく、群衆が殺気立つ。しかし、それです
らレイチェルを怯ませるには至らないようだった。
「だったら何よ!? あたしのコト、袋叩きにして、黙らせるつもり!? で、な
かったコトにして逃げるの!? やりたきゃやりなさいよ、自分たちが最低民族
だって、立証したいならね!!」
 威勢のいいタンカに、群集が僅かに引いた。どうやらこの舌戦、圧倒的にレ
イチェルに分があるらしい。
「……意識してやってんだとしたら、末おっそろしいわな……」
 完全傍観状態のスラッシュがぽつりと呟く。
「大丈夫だ、単に勢いでやっているに過ぎん」
 その呟きに、誰かが淡々と突っ込みを入れる。声の方に視線を向けたスラッ
シュは、いつの間にか隣にやって来ていたウォルスに向けてよっ、と言いつつ
片手を上げる。
「ランディは?」
「今、降りてくる」
 短い言葉と前後して、スラッシュは背後に振動を感じた。スラッシュが寄り
かかる木箱を足場にして、ランディが降りてきたのだ。
「よ、ようやくご到着かぁ……」
「うん……それより、ファリアは!?」
 降りてくるなりの問いかけに苦笑しつつ、スラッシュは舞台の方を指し示す。
ファリアはレイチェルの陰になる位置で呆然と立ち尽くしていた。今にも倒れ
そうなその様子に、ランディは慌てたように走り出す。
「……若いねぇ」
 群集を掻き分けて強引に進むその姿に、スラッシュがぽつりと呟いた。
「幾つだ、貴様は」
 そこにウォルスが容赦なく突っ込みを入れる。
「二十六……って、それより……」
「オレたちが来るのと前後して、消えたヤツがいるな。何者だ?」
 その突っ込みに返しつつスラッシュは何事か言いかけるが、それを先んじる
ようにウォルスが問いかけてきた。どうやらシュキは既に姿を消していたらし
い。それと悟ると、スラッシュは大きくため息をついた。
「……何考えてんのかわからん、イヤなガキが一匹いた」
「傷の手当てがいらんというなら構わんが、そうでないならちゃんと説明しろ」
「……い、いじめっ子がいるっ……」
 曖昧な説明への冷たい切り返しに、スラッシュは大きく肩を落として見せた。
 そんな漫才の一方で。
「どいて……通してくださいっ!」
 レイチェルのタンカに反論できず、ただざわめく群集を強引に押し退け、ラ
ンディはようやく舞台の前へと抜けようとしていた。
「……ファリア!」
 最前列の人々を押し退けながら名を呼ぶと、立ち尽くしていたファリアが大
きく震えるのが見て取れた。俯いていたファリアが顔を上げるのとほぼ同時に、
ランディは群集を抜け出してその前に飛び出す。
「ファリア、だいじょ……わっ!?」
 大丈夫、と問うよりも、ファリアが腕の中に飛び込んでくる方が早かった。
柔らかい感触にランディはほんの一瞬動転するものの、ぎゅっとしがみついて
くるファリアの身体の震えが冷静さを取り戻してくれる。
「……ファリア……」
「ランディっ……あたし、あたし……」
「……大丈夫。もう、大丈夫だから」
 他にも言うべき言葉はあるのかも知れない。しかし、これ以外の言葉はどう
しても思いつかず、ランディはこう繰り返しつつ、ファリアをぎゅっと抱き締
めるしかできなかった。
 ランディが来た事で緊張の糸が切れたのか、いつの間にか泣き出していたフ
ァリアの声が夜の静寂を震わせていた。

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