第二章目次へ


「まったく……あの場で大人しく治癒を受けていればいいものを」
 血でべっとりと貼りついた包帯を小さなナイフで切って取り払いつつ、ウォ
ルスは盛大なため息をついた。鋭い竜の爪によって与えられた傷は深い。正直、
息があるだけでも奇跡に近いように思えた。
(よほど、生きる事に執着があるようだな……)
 こんな事を考えつつ治癒魔法を唱えてゆっくりと傷を塞いで行くが、ウォル
スはすぐにそれを断念した。傷があまりにも深く、更に出血が酷過ぎるため、
通常の治癒では癒しきれそうにないのだ。
「……手間を取らせる」
 文句を言いつつ、ウォルスはカードを取り出してその角に指先を滑らせる。
滲んだ血でルーンカードを複写すると、ウォルスはそのカードをアレフの肩の
傷にかざした。
「……あるべき形を損ないし器よ、己が様、己が在り方を思い出し、そこに還
らん……」
 呟きに応じてカードが光を放ち、それがアレフの傷をふわりと包み込んだ。
光はちらちらと瞬きつつ、傷ついた部分を再生させて行く。それを確かめたウ
ォルスは何気なく小屋の中を見回し、隅の壁に立てかけられた細長い包みに気
がついた。形状からして、昨夜アレフが使っていた槍だろう。
「……セイラン」
 ウォルスはしばしそれを見つめ、唐突に異界の龍に呼びかけた。
「どう思う?」
『……強い力を感じますが、何か……』
「違和感があるか」
『はい』
「……やはりな」
 短い会話を経て何やら自己完結すると、ウォルスは槍からアレフに視線を戻
した。符術による治癒は大分進み、深く抉れた部分も大体は塞がっている。ア
レフの生への執着が符術の効果を高めているようだ。
「……う……さ……」
 不意に、アレフがうめくような声をもらした。どうやら、うなされているら
しい。特に気にも止めなかったウォルスだったが、次にアレフがもらした言葉
には思わず表情を強張らせていた。
「とう、さん……いっちゃ……だめ、だ……」
 苦しげな響きを帯びた声と表情。それだけで、アレフの父への思いは察する
事ができる。彼が父を慕っていた――慕う事ができた事もわかった。そして、
恐らくは置き去りにされた今もなお、慕っているのだろう。
「……何故……そこまで、できる?」
 答えなどないのはわかっている。しかし、その疑問を口にせずにはいられな
かった。しばしの静寂を経て、ウォルスは小さくため息をつく。
「……何に、思い煩う。終わった事だ」
 自分自身に言い聞かせるように低く呟くものの、蒼氷色の瞳の陰りはその言
葉とは裏腹の思いがある事を物語っているかのようだった。

「……」
 何をどう言えばいいのか、一瞬わからなくなった。
「竜騎士……彼の、お父上が?」
 知らず、声が上擦った。とはいえ、それも無理はない。会う事を望んでやっ
て来たもののその存在は忌避されており、ルシウスを訪れた当初の目的を果た
せるかどうかすら危ぶまれていた。その者の名を、よもやこんなタイミングで
聞く事になるとは思ってもみなかったのだから。
「ああ、そうさ……って、どうしたんだい? やけに驚いてるようだけど?」
 そんなランディにララは訝るような声を上げ、ランディは少し慌てて何でも
ありませんっ! と言って首と手を振る。
「そ、それで……その、アインさんという方は? 今どうしているんですか?」
 落ち着こう、と念じつつ問いかけると、ララの表情が変わった。怪訝そうな
表情から一転、どことなく沈んだ面持ちへと変化する。その様子に、ランディ
は眉を寄せた。
「あの……何か、話し難い事……でしょうか?」
 恐る恐る問いかけると、ララはいいや、と言って大きく息を吐く。
「話し難いってよりは、訳がわかんないって感じかね……」
「訳が、わからない?」
「行方知れずなのさ。もう、十年になるかねぇ……祭りの少し前に、また不死
怪物がわーっと出る騒ぎがあってね。その騒ぎの後、アインは一人で山に行っ
たのさ。そして、それっきり帰って来なかった……」
 こう言うと、ララは青空に向けてそびえ立つルシウス連峰を見やった。ラン
ディも同じように雪を被った山を見る。
「それから五年たって、みんなアインが死んだと思うようになった時にね、昨
夜の竜が現れたのさ。あの時もやっぱり大祭で、たくさんの人がいた……でも、
あの時はあんたたちみたいに腕の立つのはいなくてね……」
「……被害が、大きかったんですか?」
 ランディの問いにララはそうさ、と頷いた。
「あの時は、かなり酷かったね。好き放題にやられたもんさ……あたしが面倒
見てる子たちは、ほとんどその時に家族を亡くしちまったんだよ。メイリアも、
その時に、ね……」
 言葉の最後に、ララは小さくため息をつく。
「それが、竜が忌まれる理由……でも、ワイバーンと竜騎士の飛竜は、全く別
のものなんじゃ……?」
「そんなもんは先代様のこじ付けさ。アインが竜を連れてきたから、竜が寄っ
てきた、ってね。でも、酷い有様だったからね……みんな、何かのせいにしな
いとやりきれなかったんだよ。そんなもんだから全部アインのせいにされちま
って、そのしわ寄せが全部アレフの所に回ってね。
 母親を亡くして辛かった所に、訳もわからず八つ当たりされて……あの子は、
すっかり人嫌いになっちまったんだ」
 こう言うとララは再び小屋の方を振り返り、それからよいしょ、と立ち上が
った。
「さて、ぼちぼちお昼の準備に戻らないといけないね。悪いけど、アレフの事、
見ててくれるかい? すぐに戻ってくるからさ」
 先ほどとは一転、明るい口調で問いかけて来るララに、ランディははい、と
頷いた。ララは安心した表情でありがとね、と微笑むと、急ぎ足で街の方へと
戻って行く。
「……」
 一人になると、ランディは空を見上げつつ、今聞いた話を反芻した。
 ララの話で竜騎士が忌避される理由と、ワイバーンに対する『五年前と同じ』
という呟きの意味はわかった。アレフがワイバーンに対して激しい敵意を向け
ていた理由も、こんな事情があったなら、と理解できる。
 しかし、腑に落ちない部分はまだある。ワイバーンの事だ。
「ワイバーンって……自分のテリトリーを出てまで、人を襲ったりしたかな?」
 確かにワイバーンというのは気性が荒く、竜属の中では凶暴な方だ。縄張り
意識が強いこの種は、自らのテリトリーに侵入してきた者には容赦ない攻撃を
する事で知られている。だが、わざわざそこを出てまで人を襲う、という話は
あまり聞かなかった。
「……もしかしてあのワイバーン……何かに、操られてる?」
 そう考えると自然なのだが、しかし、それは新たな疑問をわき上がらせる。
即ち、誰が何のために、という疑問だ。
「今、ルシウス国内が混乱して……利益を得る所なんて、あるのかな?」
 眉を寄せて考え込んでいると、小屋のドアが開いた。そちらを振り返ったラ
ンディは、難しい面持ちのウォルスに戸惑う。
「……ウォルス?」
 そっと声をかけるとウォルスはゆっくりとこちらを見、どうした? と問い
かけてくる。その表情は既にいつもと変わらない。
「あ、と……大丈夫、だった?」
 例によって素早い切り替えに半ば呆れ、半ば感心しつつ、一番気にかかって
いた事を問いとして投げかける。ウォルスはランディの呆れや感心は気に留め
た様子もなく、ああ、と言って一つ息を吐いた。
「傷は塞がった。よほど生きる事に執念があるようだからな、持ち直すだろう」
「そうか……良かった」
 大雑把な説明にひとまず安堵の息をもらすと、ウォルスは唐突にそれで? 
と問いかけてきた。
「それで……って?」
「情報は、集ったのか?」
 問いの意味を掴みあぐねてきょとん、と瞬くと、ウォルスは短くそれを補足
する。ランディはうん、と頷いて問いを肯定した。
「大体はね。でも、やっぱりわからない部分の方が多いかな」
 こう前置きをしてから、ララから聞いた事を話して聞かせる。ウォルスは黙
って聞いていたが、一通り話が終わると微かに眉を寄せた。
「不死怪物の大発生に、ワイバーンの襲撃、か。呆れるほどあからさまに人為
的だな」
「やっぱり、そう思う?」
「どちらも、自然には起こり得ない現象だ。しかし、そうなると問題は……」
「誰が、何のために、だよね」
「ま、何にしろ大した目的ではなかろうがな」
 一言で切り捨てる、その物言いにランディは苦笑する。とはいえ、どんな目
的があるにせよ襲撃背後にある者に賛同する事はできそうにないが。
「ところで、スラッシュのヤツは?」
 突然、ウォルスが話題を変えてこう問いかけてきた。唐突な問いに戸惑いつ
つ、ランディはここに来る直前に別れた事を告げる。ウォルスはまた微かに眉
を寄せ、上流の方を見た。
「……どうしたの?」
「あいつ、例によって何か知っているようだな……」
 きょとん、としつつ問うと、ウォルスは低くこう呟いた。
「何か……って?」
「何かまではわからん。しかし、核心に近い所にいるのは、間違いない」
 低い声と鋭い瞳、表情の厳しさにランディはふと不安を感じる。ウォルスが
スラッシュを信用していないのでは、と、そんな気がしたのだ。思わず眉をひ
そめると、ウォルスは苦笑しつつ、心配するな、と言ってぽん、と肩を叩いて
きた。
「含みが多いのは気に入らんが、信用できん、というほどでもない」
「……それって……信用しきってもいない、って言わない?」
「そうとも言うな」
 ふと疑問を感じて突っ込むと、ウォルスはさらりとこう返す。それはそれで
なんだかなぁ、と思いつつ、ランディはかりかりと頬を掻いた。

 しばらくして戻って来たララにアレフの容態を伝えると、ランディとウォル
スはひとまず街へと戻った。
 街を包む沈んだ空気からは、はっきりそれとわかる不安が伝わってくる。旅
人たちの中には早々に発つ者も多く、ウェルアスはにわかに閑散とし始めた。
「残ってるのは、騒動好きばっかだな」
 いつの間にか戻っていたスラッシュが言う通り、今、街に残っている旅人は
大半が冒険者だった。恐らく、ワイバーン討伐が稼ぎ口となるのを狙っている
のだろう。しかし、肝心の大公府からは今の所、それに関する報せは一切出さ
れていなかった。
「どう対処すべきか、決めかねている……という感じだな」
 大公府の沈黙に、ウォルスがこんな分析を出す。
「でも、あれってどう考えても危ないものだし……ほっとく訳には、行かない
んじゃない?」
 その分析にファリアが一般論からの疑問を投げかけた。
「それとわかってても、動けないってコトじゃないのかね?」
「でも、どして?」
 ファリアの疑問に対してスラッシュが大雑把な推論を述べ、レイチェルが素
朴過ぎる疑問を発する。
「それがわからんから、悩んでいるんだろうが」
 問いはウォルスに素っ気なく切り捨てられ、レイチェルはむー、と頬を膨ら
ませた。ウォルスは例によってそれを取り合わず、ランディに向けてで? と
問う。
「お前の考えはどうなんだ、ランディ?」
 静かな問いと共に、全員がランディに注目した。
「うん……もしかするとアレオン公は『討伐して終わり』にしたくないんじゃ
ないかな……」
 注目されたランディは、ずっと考えていた事を口にする。
「どういう事?」
 その意を掴みあぐねたのか、ファリアが不思議そうに首を傾げた。
「あのワイバーン、行方不明の竜騎士と強引に結びつけられてる。ただ討伐す
るだけじゃ、誤解されたままで終わるから……それが、辛いんじゃないかな? 
それに……不死怪物の大発生とも、無関係とは思えないしね」
「あの竜が、不死怪物を操ってるとか?」
「ワイバーンにそんな知性があるか」
 ランディの推論にレイチェルがややピントのずれた呟きをもらし、ウォルス
に冷たく切り捨てられた。レイチェルはまた、むう、とむくれて見せる。
「確かに、ワイバーンって魔法的な力はないもんね……死霊魔導なんか、使え
る訳ないわよね」
 眉を寄せつつファリアが呟く。死者を不死怪物とする禁断の術――死霊魔導
と呼ばれるそれは、魔法の中でもかなり高度な技術なのだ。古代竜、あるいは
エンシェント・ドラゴンと呼ばれる高い知性を備えた種であればまだしも、野
生動物レベルの本能で生きるワイバーンにそれが使えるとは思い難い。
「ま、一番あり得るのは、ワイバーンも不死怪物も、同じ黒幕に使われてるっ
て……ん?」
 軽い口調で話をまとめようとしたスラッシュの言葉は、途中で途切れた。そ
れとほぼ同時に、ランディは胸元に焼けつくような痛みを感じる。『時空の剣』
の警告だ。
 きゅっ!
 みゅう!!
 呼応するようにリルティとティアが怯えたような声を上げ、それぞれの主で
あるファリアとウォルスもまた、何事か感じたようだった。
「……どしたの?」
 唯一、状況に異変を感じていないらしいレイチェルが、とぼけた問いを発す
る。その疑問を静かにしろ、の一言で切り捨てつつ、ウォルスが窓辺に寄った。
ランディはちりちりとした感触を伝えてくるペンダントをぎゅっと握り締めつ
つ、自分も窓辺へ向かう。窓の向こうに見える街は、白く霞んでいた。
「……霧?」
 いつの間にか、本当にいつの間にか、街は霧に包まれていた。その乳白色の
帳は、妙な不安を感じさせる。
「……自然のものではないようだな」
 空間を閉ざす白を睨むように見つつ、ウォルスが低く呟いた。
「自然のものじゃ、ない?」
「……精霊の、正しい力は感じない。どう思う?」
 ランディの問いに短く答えると、ウォルスはファリアを振り返った。自然、
一同の視線はファリアに集る。当のファリアは自分で自分の肩を抱くようにぎ
ゅっと掴み、俯いていた。微かに震えてもいるらしい。
「ファリア?」
 その震えに眉を寄せつつ名を呼ぶと、ファリアは大丈夫、と短く答えた。
「いきなり、凄い力が流れ込んできて、びっくりしただけだから、平気」
「と、言う事は、やはり」
 確かめるようなウォルスの言葉に、ファリアはうん、と頷いた。
「その霧、凄い力が込められてる……探知しなくても、それってわかるくらい」
「具体的には……死霊魔導に関わるもの、か?」
 静かなウォルスの問いが、室内の緊張を高めた。それに、ファリアは額に滲
んだ汗を拭ってから、うん、と頷く。
「……多分、間違いないと思う……力の流れ方が、普通の魔法と違うもん」
「それって、つまり……」
「……どっかで、死霊の行進が始まってるってコト、だろうねぇ」
 恐る恐るという感じでレイチェルが投げかけた問いに、スラッシュが口調だ
けは軽く答えた。レイチェルは露骨に嫌そうにえー、と声を上げ、不安げな視
線を窓に向ける。ランディは『時空の剣』を握り締めつつ窓の下の通りを見や
り、
「……なっ……」
 絶句した。
 昨日までは賑やかだった通り。祭りが中断され、閑散としていたはずのそこ
をぼんやりとした人影が埋め尽している。人間――では、ない。いや、かつて
はそうであったのだろうが、今は違う。それらは皆、ぼんやりと透き通るか、
あるいは白骨化しているかのどちらかだった。不死怪物化しているのだ。
「……まさか、こんな間近で起きてるたぁねぇ……」
 同じように窓の外を見やりつつ、スラッシュが妙に冷静に呟く。
「って、そんな冷静に……」
「慌てた所で、どうにもならんぞ。しかもどうやら、オレたちに用事があるよ
うだしな……恐らくは、お前に」
 これまた冷静なウォルスの言葉に、ランディはずっと握っていた『時空の剣』
に目を落とした。
「……これ、かな?」
 他に理由は考えられないものの、一応問いかけてみる。
「だろうな」
「他に思い当たるん?」
 そしてその問いは、ウォルスとスラッシュによってあっさりと肯定されてし
まった。
「ランディ、どうするの?」
 ファリアが不安げに問いかけてくる。ランディはちら、と通りの不死怪物に
目をやり、その数が先ほどよりも減っている事に気がついた。一部がどこか、
違う所へ移動しているのだ。
「……他にも、お目当てがあるようだな」
 同じ事に気づいたらしく、ウォルスが低く呟く。
「見た感じ、街外れに向かってるようだねぇ、ありゃ」
 更にスラッシュがこんな事を言った。街外れにある物と言えば、アレフの水
車小屋以外にない。そしてアレフはまだ動けず、ララがついているだけのはず
だ。それと気付いたランディは、とっさに愛剣を掴んでいた。
「ランディ!?」
「とにかく、外に出る。ぼくが狙いなら、ぼくが移動する事で誘導できるから
ね。ここで、騒ぎを起こせないから」
 ファリアが上擦った声を上げるのに冷静にこう返すと、ランディは窓を開け
てそこから飛び出した。
「大雑把だが、真理だな……多少の無謀は否めんが」
 その行動に冷静な分析を出しつつ、ウォルスがそれに続く。
「それはどー見ても、お互い様だと思うけどね、オレは……どうします、お嬢
様方?」
 呆れたように呟いてから、スラッシュはファリアとレイチェルを振り返った。
「どうするって、行くわよ! ランディ、ほっとけないもん!」
「あ、あたしも! お兄ちゃん、行っちゃったし!」
 それに二人はそれぞれがこう答え、その返事にスラッシュは苦笑する。
「予定調和なチームワークですねえ……んでは、みんなで行きますか」
 どことなく呆れたように言う、その口調こそ軽いものの、ダークグレイの瞳
に宿る光は真剣そのものだった。

← BACK 第二章目次へ NEXT →