第二章目次へ


 暗闇の中でずっと眠っていたそれが目覚めたのは、それとほぼ同じ頃だった。
それは軽く身体を震わせると、シュウシュウと息を吐きつつ頭上を見やる。頭
上には丸く切り取られた満点の星空が広がっていた。
 ぐうう……
 低い唸り声が闇の中にもれる。それはぶるっと身体を震わせると、その背の
翼を大きく開き、丸い星空へと飛び込んで行く。切り付けるような大気の感触
が心地よい。それはその感触に酔いしれつつ、地上の、特に明るい場所に向け
て夜空を滑って行った。

 ……みゅっ!?
 その気配に最初に気づいたのは、ウォルスのマントのフードの中のティアだ
った。人見知りの激しい使い魔はマントのフードの中で身体を丸めて曲に聞き
入っていたのだが、不意に感じた異質な気配に、甲高い声を上げてウォルスの
注意を喚起する。
「……どうした、ティア……」
(ウォルス! 上から何か、来ます!)
 人の多い所で声を上げたティアに戸惑いつつ、肩ごしに振り返るウォルスの
意識にセイランの鋭い警告が響いた。
「なに!?」
 セイランの警告にウォルスは夜空を振り仰ぐ。直後に、ファリアもポケット
の中に隠れさせていたリルティから、同様の警告を受け取っていた。
「……ランディ、上から何か来るって……」
「え……何かって?」
 ファリアはとっさにそれをランディに伝えるが、突然過ぎてランディはぴん
と来ない。
「そう、リルが言ってるの……大きな何かが、上から……」
「……来るぞ、ランディ!」
 ファリアの説明を引き取るようにウォルスが鋭い声を上げた。ランディはと
っさに頭上を振り仰ぎ、視界いっぱいに広がる黒い影にはっと息を飲んだ。
「あれは……」
 ……ヴンっ!
 呆然と呟く声をかき消すように激しい突風が広場を吹き抜ける。ランディは
反射的に口を閉じ、腕で目を覆った。
 シャアアアアアっ!
 突然現れた影が咆哮する。鋭い声と突然の突風に、集まった人々はパニック
状態に陥った。
「な、なに、何なのぉ!?」
 舞台の上のレイチェルが、今にも泣きそうな声で叫ぶのが聞こえた。が、助
けに行こうにも広場に集まった人々がパニックを起こして右往左往しているた
め、すぐには近づけそうにない。
「わああっ、みんな、落ち着いて下さいっ!」
「って、そりゃムリだろおい」
 思わず口走った言葉にスラッシュが冷静な突っ込みを入れる。それに、あの
ねぇ、と言いつつそちらを振り返ったランディは、目の前に差し出された剣に
きょとん、と瞬いた。
「あれ……これ、ぼくの剣……?」
 思わず間の抜けた呟きをもらしてしまう。一体いつの間に持ってきたのか、
宿に置いて来たはずの愛剣を、スラッシュがこちらに差し出しているのだ。
「話はあと、あと! 今は、あいつを撃退せにゃあならんでしょ?」
 正論である。とはいえ、最初の突風で篝火の大半が消されてしまい、敵の姿
がはっきりしないのは痛かった。ただでさえ相手には飛行能力があると言うの
に、これではこちらが一方的に不利だ。
「……ランディ……あたし、ライトの魔法、かけようか?」
 どうしたものかと悩んでいると、ファリアが小声でこんな問いを投げかけて
きた。この言葉に、ランディは首を横に振る。いくら非常事態とはいえ、古代
語魔法が疎まれているルシウスで魔法を使うのは後々厄介になるからだ。
「でも、このままじゃ……」
「そう悲観するな、明かりなら、他の方法でも都合できる」
 更に言い募ろうとするファリアを、ウォルスが低く遮った。その手には既に
真紅のルーンの描かれたカードが数枚用意されている。ウォルスは無言でその
一枚を夜空へと投げあげた。カードは夜気を裂いて空へと上り、閃光を放って
砕け散った。光はそのまま光球となってその場に止まる。
「な、何だ!?」
「誰か、魔法を使ったのか!?」
 突然の光球に人々がざわめくが、それらを圧倒するように突然の襲撃者がシ
ャアアアっ! と鋭い声を上げた。夜空に浮かび上がった光球がその異様な姿
を煌々と照らしだしている。
 暗緑色の鱗に覆われた体躯に皮膜によって構築された翼。頭部には鋭い角を
備え、鋭い牙の並んだ口元からはシュウシュウという音と共に蒸気のような物
が立ちのぼっている。その姿は紛れもない、竜族のそれだ。
「あれは……ワイバーン?」
「ランディ、来るぞ!」
 記憶を辿り、竜の名を思い出しているランディに、ウォルスが警告を発する。
直後に竜──ワイバーンが鋭い爪を備えた足を繰り出してきた。ランディは横
っ飛びにそれを避ける。避けた先には地元の人々が集まり、彼らは皆、呆然と
夜空の竜を見つめていた。
「……竜……」
「竜だ……」
「五年前と同じ……」
「あ、あの、危ないですよ! 早く逃げて下さい!」
 呆然と囁き合う、その言葉には疑問を感じるが、今はそれを追求している場
合ではない。ランディはそこにいる人々にこう声をかけると、ぐるりと広場を
見回した。広場に集まっていた祭りの見物客の大半は逃げ出し、残っているの
は地元の人々と、後はランディたちと同じ冒険者だけだ。とはいえ、同業者た
ちも大半は空にいる相手を攻めあぐねているらしい。
「こういう時、街の中で攻撃魔法が使えないのって、困るんだよねぇ……」
 思わずこんな事を呟いてしまう。街の中では攻撃魔法は御法度、というのは、
カティスを除く万国共通の常識なのだ。まあ一応、カティスでも建前上はそう
なっているのだが。
「……んのやろぉ───────っ!」
 不意に、鋭い叫び声が夜空に響いた。はっと空を見上げたランディは、槍ら
しき物を手にした人影が建物の上からワイバーンの背へと飛びつくのを目にす
る。
「な、何だっ!?」
「ランディ、今だ! 行くぞ!」
 困惑しているとウォルスがこう怒鳴り、スラッシュと共に走り出した。その
声に我に返ったランディも舞台へと走る。
 ギャアア……シャッ!
 一方の空では、突然背中に違和感を感じたワイバーンが激しい声を上げてい
た。その背に取りついた人物は、相手の身体を足でしっかりと挟む事で身体を
固定し、手にした槍を首筋に突きたてる。
 シャアアアアアっ!
 暗緑色の血がしぶき、激しい咆哮がそれに重なった。巨大な翼がばさばさと
羽ばたき、突風が巻き起こる。その風が呼び起こす衝撃波の中、ランディは舞
台へと駆け寄った。
「レイチェルちゃん、大丈夫!?」
 舞台に飛び上がって問いかけるのとほぼ同時に、先程の人物が振り落とされ
て舞台の上に落ちてきた。落ちてきたのはダークブラウンの髪と瞳の少年──
アレフである。
「! 大丈夫!?」
「構うな!」
 とっさに駆け寄ったランディに、アレフは鋭くこう言って立ち上がった。そ
の瞳はワイバーンを鋭く睨み、他の存在は何一つ目に入ってはいないようだ。
「……!?」
(こ……この感じ!?)
 その瞳を見た瞬間、ランディは胸元にちりっと焼けつくような感触を感じて
いた。以前にも感じたその感触は、『時空の剣』が何らかの警告を与える時の
ものだ。
(……『時空の剣』が……反応してる? でも、一体何に!?)
 そんな事を考えていられたのは、ほんの一瞬の事だった。舞台の上にいる五
人に向け、竜が攻撃を仕掛けてきたのだ。
 ヴンっ!
 鋭く大気を引き裂き、鋭い刺を備えた暗緑色の物体──ワイバーンの尻尾が
襲いかかってくる。ランディ、ウォルス、スラッシュらはとっさに後ろに飛び
のいてその攻撃を避け、アレフも横っ飛びにその一撃をかわす。レイチェルは
座り込んだままだったものの、尻尾はそのすくめた首の真上を通りすぎた。
「このままじゃ埒が開かないなぁ……どうするか……」
 鎧を身に着けていない状態で、今の一撃を食らえばどうなるかは想像に難く
ない。とはいえ、このままでは手の出しようがないのも事実だった。こう言う
時、弓の使い手がいないというのは非常に厳しい。こればかりは、言ってもど
うにもならないのだが。
「……ランディくん……」
 どうしたものか、と思案を巡らせていると、レイチェルが小声で呼びかけて
きた。
「どうしたの、レイチェルちゃん?」
「あのね……あれ……竜……だよね?」
 怪訝に思って振り返ると、レイチェルは震える事でこんな問いを投げかけて
きた。
「え? えっとまあ……竜属……では、あるね、うん。純粋な竜とはちょっと
違うけど。でも、それがどうかした?」
 突然の事に戸惑いつつ、ランディは問いに答える。この返事に、レイチェル
は一度上空のワイバーンを見上げ、それから、一つ深呼吸をして竪琴を構えた。
「……レイチェルちゃん?」
 一体何を、と問おうとするのを遮ってワイバーンが鋭い爪を備えた後ろ脚を
繰り出してきた。ランディは横っ飛びに飛んでそれをかわし、その隙を突いて
竜の後方に回り込んだウォルスが紅いルーンを描いたカードを投げた。カード
は緑の閃光と共に砕け散り、疾風の嵐を巻き起こす。
 ギャアアアアっ!
 衝撃にワイバーンは激しく咆哮し、憎々しげな目をウォルスに向ける。爛々
と輝く鈍い黄色の眼を、ウォルスは余裕の態で受け止めた。
「やぁれやれ、っとに、挑発の天才だねあいつは……よっと!」
 その姿に感心しているような、でも呆れているようにも取れる口調で呟きつ
つ、スラッシュは何処からともなく取り出した投げナイフをワイバーンの翼へ
と投げつける。鋭い刃が皮膜を切り裂き、そのバランスを崩した。
「……はっ!」
 その隙を逃さず、ランディは低い気合と共に跳躍して切りつけるが、剣が鱗
を捉える直前にワイバーンが態勢を整えた。刃は後一歩、と言う所で標的を逃
してしまう。
「っとにい……だから、対空戦は嫌なんだよね」
 一種場違いとも言える愚痴をこぼしつつ、ランディは着地して次の攻撃に備
えようとするが、それよりも一瞬早くワイバーンが攻撃を仕掛けて来た。
「わっ!?」
 とっさの事に避けきれず、ランディは剣で爪を弾いてその攻撃をやり過ごそ
うとするが、竜の強靱な脚力を受け流しきれずにバランスを崩した。
「まずっ……」
「ランディ!」
 ファリアが悲鳴染みた声を上げるのが、やけにはっきりと聞こえる。ワイバ
ーンはこの期を逃すまいと、再び鋭い爪を繰り出してきた。
(やられるっ!)
 そんな思いが脳裏を掠めるのとほぼ同時に、静かな竪琴の旋律が流れ始めた。
直後に、ワイバーンの動きがぴたり、と止まる。
「……な、何だ?」
 突然の事に困惑しつつ、ともあれランディは距離を取って態勢を立て直した。
ワイバーンは苦しげに低く唸るばかりで、何ら反応を示さない。戸惑いながら
周囲を見回したランディは、竪琴を奏でるレイチェルの姿に気がついた。どう
やら、この旋律が敵の動きを押さえ込んでいるらしい──と認識した直後に、
それまで沈黙していたアレフが動いた。
「……はっ!」
 低い気合と共に跳躍したアレフは、今は完全に無防備となっているワイバー
ンの喉元目掛けて槍を突き出した。鋭い穂先が鱗を食い破り、再び暗緑色の血
がしぶく。
 グギャオオウウっ!
 この一撃は相当な痛手となったらしく、ワイバーンは苦しげな咆哮と共に激
しく羽ばたいた。羽ばたきは衝撃波を巻き起こしてアレフを吹き飛ばす。
「……きゃっ……」
 同時にその衝撃波はレイチェルの集中を乱し、演奏する手が止まった。ワイ
バーンはこの時とばかりにレイチェルに向けて爪を繰り出す。
「……いけない!」
「レイチェルちゃん!」
「やっべ!」
「ちっ! セイラン!」
 ランディ、ファリア、スラッシュ、ウォルスがそれぞれ声を上げる。ウォル
スの命を受けたセイランが異空間を渡って救助に向かうが、それよりもほんの
少し早く、動いた者がいた。
「……アレフっ!」
 はらはらしながら成り行きを見守っていたララが悲鳴染みた声を上げる。跳
ね飛ばされ、レイチェルのすぐ側に落ちたアレフがとっさに動き、座り込むレ
イチェルを庇って転がったのだ。繰り出された爪は本来の標的を捉え損ね、ア
レフの肩を軽く掠める。軽く掠めたと言っても鋭い竜の爪である、どうなるか
は想像に難くない。
「……くっ……」
 呻くような声と共に真紅の血が滴り落ち、舞台を染める。すぐ側にこぼれた
その色彩に、レイチェルが息を飲んだ。
「だ、だいじょぶ!?」
「うるせえ……それより、とっとと、動け!」
 上擦った声で問うレイチェルに素っ気なくこう言うと、アレフは身体を起こ
して上空のワイバーンを睨み付ける。とはいえ、今の一撃で右肩を負傷してい
るアレフに攻撃手段は皆無だ。向こうもそれとわかっているらしく、余裕の態
で次の攻撃を繰り出そうとするが、
「セイラン!」
(御意!)
 鉤爪が振り下ろされるよりもウォルスが指示を出す方が早かった。淡い紫の
燐光が飛び散り、それと同じ色彩の龍が姿を見せる。現れたセイランは紫色の
光の盾を生み出し、それでワイバーンの爪を弾いた。
 グルルっ!?
 必殺を狙った一撃を弾かれたワイバーンが困惑した声を上げる。セイランは
高速で飛び回り、相手の注意を引きつけた。
「ほらよっ!」
 セイランに気を取られるワイバーンに向け、スラッシュが投げナイフを連続
で投げつける。一見すると大雑把な攻撃だが、薄い刃は鱗の継ぎ目を的確に捉
え、竜の身体に食い込んでゆく。
「……すっごいなぁ……」
 正確な狙いに、そんな場合ではないと知りつつもランディは呆けた声を上げ
てしまう。ともあれ、ランディは呼吸を整え、精神を集中させた。心を澄ませ、
闘気を高めてゆく。その高まりを示すように、下段に構えた剣に淡い紫の光が
灯った。
「……あ……あれは……」
 肩の傷を押さえつつアレフが低く呟く。つい先ほどまでワイバーンを憎々し
げに睨みつけていた瞳は、今は戸惑いと好奇心とを半々に込めて真っ直ぐラン
ディに向けられていた。
「……はああああああ……せえいっ!」
 剣が紫の光に包み込まれると、ランディはゆっくりと息を吐き、直後に発し
た鋭い気合と共に剣を上段まで振り上げた。ヴンッという音と共に大気が引き
裂かれ、剣に灯っていた光が三日月形の刃となってワイバーンに襲いかかる。
 ……シャっ!
 鋭い音が駆け抜け、それを追って暗緑色の飛沫が舞い上がる。さすがにこの
一撃は痛手となったらしく、ワイバーンは苦しげな咆哮を上げた。
 ヒュッ!
 その咆哮を遮るように鋭い音が響き、それを追って複数の矢が竜の身体に突
き刺さる。
「な……なに?」
 突然の事にレイチェルが戸惑っていると、
「……ちぇっ……おせぇんだよ……」
 アレフが低くこんな呟きをもらした。ランディは周囲を見回し、弓兵隊を引
き連れたアレオン公の姿に気づく。
「よ〜やく、お役人のお出ましか」
「……いくら祭り中とはいえ……随分と対応が遅いな」
 それとほぼ同時に大公の姿に気づいたスラッシュとウォルスが、それぞれこ
んな呟きをもらした。
「撃て!」
 その間にも大公は弓兵隊を指揮して竜を攻撃させていた。ここまでに相当な
深手を負っていたワイバーンは形勢不利と悟ったらしく、憎々しげな咆哮と共
に翼を羽ばたかせて上空へと舞い上がる。
「このっ、逃げるんじゃねえっ! ……くっ」
 夜空の彼方へと消えて行く竜に向けてアレフが怒鳴り、直後に傷を押さえて
うずくまった。ランディはとっさにそちらに駆け寄る。
「大丈夫!? 動かないで、今手当てを……」
「構うな……つってんだろ!」
 ランディの言葉にアレフは傷を押さえつつ低くこう返した。
「あのねぇ……」
「ちょっとお! そんな事言ってる場合じゃないでしょお! 血がいっぱい出
てるのに! 早く手当てしないと大変だよ!」
 思わず呆れた声を上げるランディを遮り、レイチェルが大声を上げた。アレ
フは無言で立ち上がろうとするが、傷の痛みがそれを妨げてしまう。
「ほら、ダメだよ無理は……少しの間でいいから、動かないで!」
 言いつつ、ランディは癒しの力を集中しようとするが、
「るっせえ! オレに……オレに、構うなっつってんだろ!」
 アレフが大声でこう怒鳴った瞬間、胸に激しい衝撃を感じて思わず座り込ん
でいた。
「ラ、ランディくん!?」
 突然の事にレイチェルがぎょっとして声を上げる。ランディは服の上からペ
ンダントを握りしめつつ、大丈夫、と応じるが、その間にアレフは傷を押さえ
て立ち上がり、その場から立ち去ってしまう。
「あ、ちょっと、ねえ!」
 それに気づいたレイチェルが慌てて呼び止めるが、アレフは立ち止まらない。
その姿が路地に消えるのと入れ代わりに、ファリアが舞台に駆け上がってきた。
「ランディ! どうしたの、大丈夫!?」
 やって来るなりファリアはランディに駆け寄ってこう問いかける。それに、
ランディはなんでもないよ、と応じて額に滲んだ汗を拭った。アレフが立ち去
るのと同時に『時空の剣』の警告も静まり、ランディはどうにか落ち着きを取
り戻す。
(なん……だったんだ、今の反応……前の時だって、あんなに、強い反応はな
かったのに……一体、彼の何に反応したんだ?)
 アレフの立ち去った方を見つめつつこんな事を考えていると、
「……大丈夫かね、ランディ君?」
 静かな声がこう呼びかけてきた。はっと振り返ったランディは間近に立つア
レオン公の姿に居住まいを正す。
「あ、はい。なんとも、ありません」
「そうか……なんにせよ、君たちのお陰で無事に飛竜を撃退できた。街を代表
して、礼を言わせてもらう」
 静かな言葉に、ランディはいえ、と答えつつちらりと周囲を見回した。ある
程度予想はしていたものの、ウォルスとスラッシュの姿は既にどこにもない。
(……うう……厄介事を押しつけられた……)
 こんな事を考えつつ眉を寄せていると、アレオン公がどうかしたかね? と
声をかけてきた。ランディはとっさに表情を引き締め、いえ、と応じる。
「そうか……ところで、今の一件についての詳しい話を聞きたい。すまないが、
同行していただけるかな?」
 物言いこそ穏やかだが、アレオン公の言葉には有無を言わせぬものがあった。
とはいえ、大公という立場からすれば当然の事だろう。故に、ランディはわか
りました、と言って一つ頷く。
「……すまないな。戦いの後で疲れている所だというのに」
「いえ、当然の事ですので」
 苦笑めいた面持ちの言葉に静かにこう答えると、ランディは不安げなファリ
アと所在無さげなレイチェルを振り返った。
「二人は先に戻って。ぼくは、事情を説明してくるから」
「ランディ……ほんとに大丈夫?」
 心配そうに問うファリアにランディは笑いながらうん、と頷く。
「心配しなくとも、長く引きとめはしない。さて、では行くとしようか」
 そんなファリアに穏やかに言うと、アレオン公は表情を引き締める。ランデ
ィも表情を引き締め、はい、と頷いた。

← BACK 第二章目次へ NEXT →