第二章目次へ


   ACT−2:空からの襲撃者

 明けて、翌日。
「ふうっ……いい天気だなぁ……」
 早朝の大通りを一人で歩きつつ、ランディは呑気にこう呟いていた。朝靄の
ゆっくりと流れる通りは、昨夜の喧騒とはまた違った騒がしさに包まれている。
通り沿いの商店は昨夜の片付けや勢いで壊れた飾りの修理、そして今日の準備
に終われて忙しげな声が飛び交っている。ランディはその邪魔にならないよう
に気づかいつつ、特に理由もないまま、ゆっくりと中央広場へ向かっていた。
 中央広場では、即席の舞台の準備が行われていた。どうやら、今日はここで
大がかりな催物があるらしい。一体、どんな事をやるのかな……などと思いつ
つ広場を見回したランディは、昨日騒ぎのあった店の前で店主のララが身形の
よい男性と話しているのに気がついた。
「あれ、あの人は……」
 何処かで見たようなその姿に眉を寄せていると、
「あら、あんたは昨日の……ちょっと、こっちに来てくれないかい?」
 ララがランディに気づいて声をかけてきた。それに、はい、と答えてそちら
に歩み寄ったランディは、
「……っ!?」
(な……ま、まさか!?)
 ララと話していた男性が誰かに気づいてこんな事を考えていた。
「ご領主様、この人がさっき話したお嬢さんのお仲間さんですよ」
 そんなランディの心理も知らず、ララは男性にこんな説明をしている。男性
──アレオン公領を収める大公・アルバート・ヴェルナス・ザン・アレオンは、
静かな瞳にやや意外そうな光を浮かべてランディを見つめていた。彼がここに
いるのが信じられない──そんな感じの表情だ。
(……最後にお会いしたの、あの事件の半年位前……だったっけ……どう考え
ても、覚えてるよなあ……)
 その光を、ランディはこんな事を考えつつ受け止める。いくら何でも、大公
本人に会う事はあるまい──と思っていただけに、この遭遇は予想外だった。
「あら……どうなさったんです、ご領主様?」
 二人の間の沈黙を訝ったララの問いに、大公はいや、と応じて視線を逸らし
た。
「若いのに、良い目をした剣士殿だな……と思ってね。私は、このアレオン公
領を治めるアルバート・ヴェルナスだ。以後、見知り置いていだきたい」
 ララの問いに微笑いながら答えた後、大公は穏やかな口調で自己紹介をする。
その気遣いに感謝しつつ、ランディは背筋を延ばして一礼してから、今の自分
の名を告げた。
「旅の自由騎士で、ランディ・アスティルと申します、大公閣下」
「ランディ君か……昨夜、私の息子が騒ぎを起こして、お仲間に迷惑をかけた
らしいね。申し訳ない事をした」
 言いつつ、大公は軽く頭を下げる。
「いえ、お気遣いなく。どうか、お顔をお上げください!」
「そうですよ……ご領主様の責任じゃないんですから」
 突然の事にぎょっとしつつランディが言うと、ララも早口にこう言いたした。
二人の言葉に大公はゆっくりと顔を上げる。
「いや、あの子の事に関しては、私にも責任がある……さて、それでは私はこ
れで。ララ殿、本当に済まない事をしたな」
 顔を上げた大公はため息まじりにこう呟き、またララに頭を下げた。そんな
大公に、ララは困ったように眉を寄せる。
「ですから、お気遣いなく! あんな事で、そんなに謝られたら、あたしがみ
んなに怒られちまいますよ!」
 冗談めかした言葉に大公は苦笑めいた笑みを浮かべ、ランディを軽く見やっ
てからゆっくりと歩き去る。ランディは一礼して、その背を見送った。
(アレオン公……何だか、元気ないな。最後にお会いした時は、もっと覇気の
ある方だったと思ったけど……)
 ルシェードの王宮で最後に会った時の姿を思い出しつつこんな事を考えてい
ると、
「ええと……ランディさん、だったかね? 随分と落ち着いてるねぇ、あんた」
 ララが冗談めかした口調で呼びかけてきた。
「え!? えっと……何が、ですか?」
 突然の事にランディはとぼけた声でこんな問いを投げかける。
「だってさ……仮にも、『スター・ロード』のお一人にいきなりお声をかけら
れたんだってのに、あんなに落ち着いて……普通、もう少し動転するもんじゃ
ないのかい?」
「え? ええ、まあ……き、きっと、大公閣下のお人柄ですよ! 全然、他者
を萎縮させないとこがお有りみたいだしっ!」
 以前に何度か会った事がある、とはさすがに言えず、ランディは苦し紛れに
こんな言葉を返していた。
「まあ、そうだねぇ……今のご領主様は、先代様と違って全然高圧的な所がな
いからねぇ。息子が誰かに迷惑をかければ、ああやって、祭り準備の視察がて
らでも謝りに来て下さる……有り難いお方だよ」
「息子? 息子ってあの、昨夜の……」
「ああ……レイチェルちゃんって言ったっけね、詩人の娘にやり込められてた
ぼんぼんさ。フランツって言うんだけど、これがとんでもないワガママの癇癪
持ちでねぇ……」
「はあ……確かに」
 それは昨夜の、一連のやり取りを見ればわかる。自己抑制が効かない割に気
が弱い、典型的な神経質の行動と見えたからだ。
「ま、あの坊ちゃんはあの坊ちゃんで、可哀相なとこもあるからねぇ……もっ
とも、そのせいでアレフは迷惑してるんだけど」
「アレフ? 昨夜の人ですか?」
 ため息まじりの言葉に何気ない疑問を感じて問いかけると、ララははっとし
たように口に手を当てた。どうやら、言うべきではない事を口走ってしまった
らしい。決まり悪げなララの様子に、ランディはそれ以上の追求を避ける事に
した。
「あ、それはそうと、あの舞台は何のための舞台なんですか? 随分と大がか
りな物みたいですけど?」
 ややわざとらしいな、と自分でも思いつつ、ランディは明るい口調でララに
問いかける。この問いに、ララはほっとした面持ちで舞台の方を見た。
「あ、ああ……あれはね、恒例の歌祭りのための舞台なんだよ」
「……歌祭り?」
「ああ。祭りにやって来た吟遊詩人とか、地元の歌自慢がね、自分の特技を披
露するためのもんさ。日が落ちたら始まるから、昨日の可愛い娘と一緒に見に
おいでよ」
「って、あ、あの〜」
 からかうような言葉にランディはつい情けない声を上げてしまう。その様子
に楽しげな笑みを浮かべつつ、ララは更に話を続けた。
「何も照れなくてもいいだろう? まあ、飛び入りも自由だから、レイチェル
ちゃんにも声をかけてみちゃどうだい? あの子もいい声してたからねぇ」
「え、ええ、そうですね……それじゃ、ぼくはこれで」
「ああ、彼女によろしくね?」
「……あのですね……」
 楽しげな言葉に思わず困ったような顔になると、ララは威勢よく笑いながら
店の中へと戻って行った。ランディはったく、と言いつつ宿へと戻る。
 宿に戻るとちょうど、ファリアとレイチェルが下の酒場で朝食を取っている
所だった。ウォルスの姿は見えないが、恐らくは先に済ませてさっさと部屋に
引っ込んでいるのだろう。ランディは自分も食事を頼むと、二人の居るテーブ
ルに向かってやあ、と声をかけた。
「あ、おはよランディ。どこ行ってたの?」
「ん、ちょっとね、散歩……あれ、どうしたの、レイチェルちゃん? 機嫌悪
そうだね」
 ファリアの問いに答えつつ、何気なく見やったレイチェルの顔は見事なふく
れっ面だった。きょとん、としながらファリアを見ると、ファリアは処置なし、
という感じで肩をすくめる。どうやら例によってウォルスに素っ気なくあしら
われ、むくれているらしい。
(メゲないコだなぁ……とはいえ……)
 ここまで一生懸命に慕うレイチェルの心意気は買うのだが、成就の見込みが
皆無であるのは誰の目にも明らかである。何と言っても、ウォルス自身に応え
るつもりがないのだから。
(あの頃のぼくみたいに、玉砕で当然って意識がないもんなぁ、このコには)
 そんな事を考えていると、頼んだ朝食が運ばれてきた。代金を払って食事に
かかりつつ、ランディはふと歌祭りの話を思い出す。
「あ、そうそう、レイチェルちゃん。さっき散歩してる時に聞いたんだけどね。
今日、歌祭りがあるらしいよ」
「……歌祭り?」
 むくれた顔でパンを千切っていたレイチェルだったが、さすがにこの言葉に
は興味を引かれたらしく、不思議そうな面持ちでこう問い返してきた。
「うん。昨夜のお店のご主人さんに聞いたんだけど、今日、日が落ちてから、
歌の技を披露し合うお祭りがあるんだって。飛び入りでも参加できるから、君
も出てみたらって、そう言ってたよ」
「ふうん、じゃあ、いろんな吟遊詩人さんが集まるの?」
 ランディの話に、早速ファリアも興味を引かれたらしかった。昨夜の彼女の
話からすれば、無理もないだろうが。
「そうらしいよ。特に予定もないし、行ってみようかと思ってるんだけど、二
人はどう?」
「あたし、行く! レイチェルちゃんは?」
「う〜ん……行ってみたいけど……」
 ここで、レイチェルは小さなため息をついた。
「……どしたの?」
「うん……お兄ちゃんは、絶対行かないだろうし……」
 つまらなそうな呟きにランディとファリアは困ったような顔を見合わせるが、
「んなもん、引きずってきゃすむ事じゃん?」
 直後の事も無げな一言にかくっとコケた。振り返ればそこには、面白そうな
顔のスラッシュの姿がある。
「って、あのねぇ……」
「あれ? 何か違ったか?」
 呆れたような言葉にスラッシュはさらりとこう答えつつ、ランディの隣の椅
子を引っ張って腰を下ろした。
「ま、引きずってくってのは冗談にしといても、何か理由くっつけて、連れて
くってのも一つの手だろ? ようは、発想の問題だって」
「そうかなぁ……」
 軽い言葉にランディは疑わしげに呟きつつ食事を続ける。
「ま、その辺はオレに任しときなって♪」
 そんなランディに、スラッシュはにやっと笑って自信たっぷりにこう言いき
った。この言葉にランディとファリアは疑わしげな視線をスラッシュに向ける
が、レイチェルだけは僅かに期待を込めた瞳をそちらに向けていた。

「……お〜い、アレフ〜!」
 例によって屋根に上り、ぼんやりと空を見ていたアレフは、呼びかける声に
億劫そうに地上に目を向けた。
「ん……ああ、クランか……どうしたんだ?」
 屋根の下を覗き込んだアレフは、見慣れた少年──ララの店で働いているク
ランの姿に気づいてこう問いかけた。基本的に人付き合いを持とうとしないア
レフだが、ララと彼女が面倒を見ている孤児たちにだけは、例外的に心を開い
ているのだ。
「おかみさんがさ、仕事、頼みたいんだって」
「仕事……? 待ってろ、今行くから」
 突然の事を訝りつつ、ともあれ、アレフは屋根から飛び下りる。
「でも、この間結構な数、ひいたばっかりだろ? 何でいきなり……」
「んー、それはわかんねえけどさぁ。とにかく、粉二袋、夕方までにひいて届
けてくれってさ」
 アレフの問いに、クランはお気楽な口調で言いつつ、引いて来た荷車の上を
指す。この言葉に、アレフはララの真意に気づいてため息をついた。
「……ったく、お節介だな……」
「え? 何が?」
 嘆息するアレフにクランがきょとん、として問うが、アレフは何でも、と言
って少年の髪をくしゃっと掻き撫ぜた。
「ほら、確かに引き受けたから、お前は店に戻れよ……仕事、忙しいんだろ?」
「ウン、そんじゃね!」
 元気に言いつつ、クランは街へとかけ戻って行く。その背を見送りつつ、ア
レフはふう、とため息をついた。
「っとに……何としても、オレを祭りに引っ張りだしたいんだな、ララおばさ
んは……」
 やれやれ、と呟きつつ、アレフは荷車から粉袋を下ろし、頼まれた仕事に取
りかかった。

 そして──夕刻。
「うっわぁ〜、すっごい人だねぇ!」
 レイチェルが目を見開いて言う通り、中央広場は見物客で昨夜以上に賑わっ
ていた。
「一体、この街の何処にこれだけの人がいるんだろ……」
 歩くだけで一苦労の人込みに、ランディはこんな事を呟いていた。
「ま、今日来た、ってのもいるだろうしな。とにかく、迷子にはなるなよー」
 その呟きにスラッシュが笑いながらこんな事を言う。その隣には相変わらず
無関心な面持ちのウォルスの姿がある。一体、何をどうやったのかは定かでは
ないが、朝の宣言通り、スラッシュはウォルスを祭り見物に引っ張りだして来
たのだ。
 五人は人込みを苦労してかき分けつつ、ひとまずララの店の方へと移動した。
店の前には木のベンチが用意され、ゆっくりと座れる場所が作られている。昨
日壊されていた屋台も修復されており、ララが忙しそうに菓子や飲み物を売っ
ていた。
「おや! やっぱり来たんだね、あんたたち!」
 やって来たランディたちに気づくと、ララはにっこりと相好を崩した。それ
に、ランディは軽く会釈して答える。直後に、広場に設えられたステージから
静かな竪琴の音色が響き始めた。歌祭りが始まったのだろう。
「……この曲は……レクシスの森妖精たちの曲だね」
 聞こえてきたのは幼い頃、祖母に習った森妖精たちの小夜曲だった。懐かし
い旋律に、ランディはふとこんな事を呟く。
「えー、何でわかるのランディくん?」
 その呟きを聞きつけたレイチェルが、こちらも小声で問いかけてきた。
「小さい頃は、宮廷楽士になるつもりだったからね、色々勉強したんだよ」
 その問いに、ランディはひょい、と肩をすくめてこう答える。レイチェルが
軽く背伸びをして人垣の向こうの舞台を見ると、果たして、そこで演奏してい
るのは森妖精の吟遊詩人だった。それを確認したレイチェルは、ランディに称
賛の眼差しを向ける。
 やがて、静かな旋律はゆっくりと静まり、詩人は一礼してステージを下りる。
その背に向けて、広場中から盛大な拍手が贈られた。
「今度はファーフの詩人か。何をやるんだ?」
 二番手を見ながらスラッシュが呟く。続けて舞台に上がったのは、遠目には
子供とも見える小柄な亜人種、小人族とも呼ばれるファーフ族の詩人だった。
詩人はひょい、と一礼すると、横笛を取り出して異様にテンポの早い、軽快な
リズムの曲を奏で始める。
「お、ラオレムの曲かぁ……懐かしいねぇ」
 覚えのない旋律に首を傾げるランディの横で、スラッシュが懐かしげに呟い
た。
「……スラッシュって、東方の……ラオレム帝国の生まれなの?」
 ふと感じた疑問をそのまま問いかけると、スラッシュはひょい、と肩をすく
めた。どうやら答えるつもりはないらしい。半ば予想通りの反応に、ランディ
はやれやれ、と呟いて舞台の方を見る。
 それから特に滞る事もなく、歌祭りは軽快に進んだ。世界各地の名曲や、地
元で歌い継がれている歌など、とにかく様々な曲が、様々な形で披露されてゆ
く。時には調子外れの物もあったが、それもご愛嬌、祭りの盛り上がりを更に
高めるのに一役買っていた。
「さぁさ、これで終わりかい!? 歌いたい奴弾きたい奴、なんでもいいよ、や
りたい奴は上がってきな!」
 やがて、予め参加を決めていた歌い手たちは出尽くしたらしく、舞台の上に
若い男がひょい、と飛び乗ってこんな事を言った。広場に集まった人々がざわ
ざわとざわめく。
「……レイチェルちゃん、行ってきたら?」
 行こうか行くまいか迷っているらしいレイチェルに気づいたランディは、笑
いながらこう声をかける。レイチェルはう〜んと言いつつ、舞台の方を見た。
どうやら、幾つかの見事な演奏を聴いた後のため、気後れしているらしい。
「行っておいでよ。昨日のあんたの歌、すっごく良かったよぉ」
 それを察したララもこんな事を言い、レイチェルは抱えた竪琴と、舞台とを
見比べる。
「別にいいじゃん、上手い下手は関係ないって! こんだけの人数の前で弾く
なんて、滅多にできねぇんだから、やってきなって!」
 スラッシュが軽い口調でこう言うと、ようやくレイチェルもうん、と頷いた。
愛用の竪琴を袋から出し、その袋をファリアに預けて舞台の方へと向かう。
「はいっ! あたし、やってもいいですか?」
 舞台に駆け寄り、手を挙げながらこう言うと、周囲から待ってましたとばか
りに歓声が上がった。青年と入れ代わりに舞台に上がったレイチェルは、目に
入る人数に一瞬気後れするものの、持ち前の負けん気でそれを押さえ込み、一
つ深呼吸をしてから、一番得意な曲を奏で始めた。
「……おかみさん、アレフ兄が来たよ……」
 それと前後して、店の奥から出てきた子供がララにこう告げる。ララは一つ
頷いて、店の奥へと入って行った。

← BACK 第二章目次へ NEXT →