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「ねね、お兄ちゃん、一緒にお祭り、見に行こうよぉ!」
 部屋に入るなり、レイチェルはわくわくした口調でこんな事を言うが、
「……勝手に行け。オレは、興味ない」
 例によってウォルスの返事は素っ気ない。そしてその返事にレイチェルはむ
ーう、と頬を膨らませる。見るからに子供っぽい仕種なのだが、不思議と、こ
の少女にはそんな表情が良く似合った。
「もぉ、お兄ちゃんは何でいっつもそうなのよぉ!」
「……オレはお前のお守りじゃない。行きたかったら一人で行くか、ランディ
たちに引率してもらえ」
「やだあ、お兄ちゃんと一緒がいい!」
「……子供かお前は」
「……って、ど〜せ大人扱いなんてしてねーだろーに」
「当たり前だ」
 素っ気ない言葉にスラッシュが絶妙のタイミングで突っ込みを入れ、ウォル
スは淡々とそれにオチを付ける。素っ気ない上に相変わらず自分を認めてくれ
ないウォルスの物言いに、レイチェルはまた、頬を膨らませた。
「もお〜〜〜! いいもん、なら、一人で行くから!」
「って、おいおい、レイチェルちゃん?」
 突然の言葉にスラッシュが本気かと問う間もあらばこそ、レイチェルは愛用
の竪琴を抱えて部屋から飛び出して行った。成り行きを見守っていたランディ
は、ぽかん、とした面持ちでウォルスの方を見る。
「……いいの?」
「ほっとけ」
「でも、大丈夫なの? あの子、すっごい無防備じゃない」
「心配するな、あんな子供を襲う酔狂者はそうはいないだろうし……仮に何か
あっても、平原の女は護身術に長けている。自力で何とかするはずだ」
 困惑したランディの問いにも心配するファリアにも、ウォルスは素っ気ない
口調でこう答えるだけだった。二人は思わず、困惑した顔を見合わせる。
「……それならそれでいいんじゃねぇの? それよりせっかく来たんだ、お前
らも二人で祭り見物に行ってきなって」
 そんな二人にスラッシュが微笑いながらこんな事を言う。
「え……でも……」
「いいからいいから、二人でゆっくりして来なさいな。ほれ、行った行った♪」
 妙に楽しそうに言いつつ、スラッシュはランディとファリアを部屋から出し
てしまい、追い出された形の二人はやや困惑気味の顔を見合わせた。
「……どうしようか、ファリア?」
「うん……お祭り行く?」
「そうだね……せっかく来たんだし、一緒に行こうか? どこかで、レイチェ
ルちゃんにも会えるかも知れないし」
「うん……そうね。それじゃ、行こっ」
 にこっと微笑って言うなり、ファリアはランディの手を引っ張って走り出す。
やはりと言うか、ファリアも祭り見物は楽しみにしていたようだ。そして、二
人は盛り上がって行く通りへと飛び出して行く。
「……お〜お、微笑ましいねぇ♪」
 その姿を二階の部屋から見送りつつ、スラッシュは気楽な口調でこんな事を
呟いていた。
「つくづく、人をからかう事に生命をかけてるな、お前は」
 そんなスラッシュを皮肉りつつ、ウォルスはルーンカードを取り出してシャ
ッフルを始める。スラッシュは表情を引き締めてそちらを見やった。
「……やっぱり、気になってんの? さっきの事は」
「少なからずな」
「……だろーな……さて、じゃ、邪魔しちゃわりいし、オレも行くわ」
「……宮仕え業務の前に、猫の首に鈴を付けておけよ」
 部屋を出ようとする背に向けてウォルスは淡々とこんな言葉を投げかけ、こ
の一言にスラッシュは肩ごしに呆れたような視線を投げ返した。
「……何でかんで、心配してんじゃんか……っとお!」
 視線と同様に呆れ果てた口調の呟きを遮るように、白いカードが飛ぶ。寸で
の所でそれを避けたスラッシュは素早い動きで部屋から逃げていた。
「……っとに……逐一マジに受けんだから、おっかねえヤツ……」
 正真正銘の冷や汗を拭いつつ、スラッシュは上擦った声でこんな呟きをもら
していた。

「……まずい……」
 街が華やかな喧騒に包まれている頃、町外れの水車小屋ではアレフが戦慄を
込めてこんな事を呟いていた。
「まさか、このタイミングで、食料が尽きるなんて……最悪だ」
 嘆息しつつ、アレフはしばし空っぽの戸棚と見つめ合っていた。しかし、そ
うしていた所で、食料が湧いて出る事はない。アレフはまた深いため息をつく
と、壁にかけたマントを羽織ってフードを深く引き被った。
「取りあえず……ララおばさんの店に裏から声をかければ、パンと干し魚は譲
ってもらえるからな……」
 自分自身を納得させるように低く呟くと、アレフは小屋を出て扉に鍵をかけ
る。街を目指す足取りは、それが必要な事とわかっていても……やはり、重た
いようだった。

「うっわぁ……賑やかねぇ。こんな賑やかなお祭り、何だか久しぶりっ」
 祭りの喧騒の中を歩きつつ、ファリアがうきうきとした口調で言う。
「前にもこんなに賑やかなお祭り、見た事あるの? ぼくは、初めてだけど」
 対するランディは、感心したようにこんな事を問いかけていた。この問いに、
ファリアは心底不思議そうにきょとん、と瞬く。
「え……初めて? でも、あたしが言ってるお祭りって、ルシェードの豊穣祭
の事なんだけど」
「あ、そうなんだ……いや、ぼくの場合、こういう祭りの中心部分は、いつも
遠くから見てるだけだったからね」
「あ……そうなんだ。そうだよね、ランディは……あ、見てみて! フェアリ
ーの吟遊詩人っ! かっわいい〜!」
 寂しげな言葉にやや決まり悪そうに言った直後に、ファリアは可愛らしい仕
種で小さなハープを奏でるフェアリー──小妖精と呼ばれる妖精族の歌い手に
気づいてはしゃいだ声を上げていた。
(すっかり、元気になったみたいだな……良かった)
 そんなファリアの様子に、ランディはふとこんな事を考えていた。
 さすがにと言うか、カティスでの一件は精神的に堪えていたようで、ファリ
アは旅立ってからもぼんやりしている事が多かったのだ。それが、祭りの華や
かさに触れる事で一時癒されたらしく、屈託のない笑顔にランディは安堵を覚
える。
「いいなぁ、吟遊詩人……ちっちゃい頃は、凄く憧れてたんだよね……」
 歌い終わったフェアリーの詩人を見つめつつ、不意にファリアがこんな事を
呟いた。
「あ……そうなんだ」
「うん……そういえば、ランディってすっごく竪琴、上手だよね?」
「お祖母様に教わって、ちょっとかじった程度だよ。レイチェルちゃんみたい
な本職には、遠く及ばないさ」
 ひょい、と肩をすくめてこう言うと、ランディは街の中央部へ向けて歩き始
める。ファリアもフェアリーの詩人に銀貨を投げてからそれに続いた。
「それにしても……レイチェルちゃん、何処行っちゃったのかしらね」
 並んで歩きつつ、ファリアがふと思い出したようにこんな事を呟いた。
「そうだね……でも、心配なような、そうでもないような?」
「そうね……ウォルスも言ってたけど、あの子って、危なっかしいけど、強い
からね」
「そうだね……」
 妙な事を妙に納得しつつ、二人が中央広場に足を踏み入れた時、
「だぁからっ! どう考えたって、悪いのはそっちじゃないの!」
 ここ一月ですっかり馴染んだ声が耳に届いた。二人は思わず顔を見合わせて
から声の方へと急ぐ。声がした辺りには人だかりが出来ており、二人はそれを
強引にかき分けつつ前に出て、まずは状況を確かめた。
 騒ぎの中心になっているのは、中央広場に面した食料店の前だった。祭り用
にと特別に設えたらしい、飾りたてられた屋台が壊れて引っ繰り返っており、
パンや菓子が散らばっている。その前に腰を両手に当てたレイチェルが仁王立
ちになって、身なりの良い少年を睨み付けていた。少年はレイチェルの勢いに
タジタジとなっているらしく、取り巻きらしい少年の後ろに隠れるようにして
いた。
「だ、だから、どうして、ボクが悪いんだ!?」
「あんたが悪いっ! ってゆうか、取り巻きの躾けが悪すぎるわよっ! 祭り
の屋台が邪魔だ、なんて言って引っ繰り返すなんて、普通じゃないわよっ!」
 ヒステリックな問いに、レイチェルはきっぱりとこう答えていた。ダークブ
ルーの瞳には、強い意思の光が宿っている。
「な……何がどうなってるのよ、これ……」
「わからないけど……仲裁した方がいいかな」
 状況が把握できない二人がこんな事を呟いていると、
「あの娘、あんたらの知り合いかい? 悪い事は言わん、今はでない方がいい
よ」
 すぐ側にいた中年の男がこんな事を囁いてきた。突然の事に、ランディはえ?
と言いつつそちらを見る。
「あの、それって、どう言う事なんですか?」
「あれは、若様の発作なのさ……ほっときゃ静まるから、出てって騒ぎを大き
くしない方がいいって……」
「……発作?」
 思いも寄らない言葉に、ランディはきょと
ん、と瞬いて少年の方を見た。確かに、見るからに神経質そうな少年には、発
作という言葉は良く似合うような気がする。
「う、うるさいうるさいウルサイっ! 余所者が、ボクのする事に口を出すな
あっ!」
「余所者だから何だってのよ! バカを叱るのに、余所もなにもないわよっ!」
「バ、バカ!? このボクを、バカ呼ばわりしたなぁっ!」
 その間にもレイチェルと少年の問答は続き、レイチェルの一言に少年は顔を
真っ赤にして絶叫した。
「バカはバカでしょっ! 悪い事を悪いと認められないなんて、サイテーっ!」
 それに対し、レイチェルはきっぱりこう宣言してしまい──その一言が、完
全に少年を怒らせたのは誰の目にも明らかだった。
「こ、このぉ……おい、みんな! あいつを黙らせるんだあっ!」
 真っ赤になってわなわなと震えつつ、少年はヒステリックに取り巻きに命じ
た。取り巻きたちは顔を見合せ、それから、仕方ない、という感じで前に出る。
「ランディ!」
「うん!」
 こうなってはさすがに放ってはおけない。ランディとファリアは頷きあって
飛び出そうとするが、
「……いい加減にしろ、このバカ! くだらねぇ八つ当たりで、祭りをぶち壊
すなよ!」
 それを遮るように誰かが少年を怒鳴りつけた。その声が響いた途端、周囲は
しん……と静まり返る。突然の事に、ランディたちもレイチェルも気を削がれ
たように瞬き、そして、声の聞こえた方に目を向けた。
「……あれは……」
 騒ぎの舞台となっている店のすぐ横の路地の入り口に、マントにすっぽりと
くるまった人影が見える。フードを引き被っているので顔は見えないが、周囲
の人々はそれが誰かわかっているようだった。
「……アレフだ……」
「あ〜あ、出てこなきゃいいのに、あいつも」
「ま、こうなっちまうとあいつかご領主以外、若様を黙らせられんしなぁ……」
 周囲の人々が嘆息するのを聞きつつ、ともあれ、ランディは成り行きを見守
る事にする。
「ったく、相っ変わらずガキだなお前は……お前が気に入らないのはオレだろ?
なら、この店に難癖つけてウサ晴らししてないで、直接オレに文句を言いに来
いよ。いつでも、受けて立つっつってんだろ?」
 マントにくるまった人影──アレフは淡々とした口調で少年にこんな事を言
う。フードの下からでも、その瞳の厳しさは容易に察する事ができた。少年は
俯いて唇を噛みしめていたが、やがて、アレフを睨みつつヒステリックな声を
上げた。
「うるさい、うるさい、うるさいっ! お前なんか、お前なんか嫌いだあっ!」
「嫌いで結構、お前みたいなガキに好かれたくはないからな! ……とにかく、
つまんねえ事して、お前のじーさんの生命より大事な家名にキズつけるのは、
止めてやるんだな!」
 鋭い口調で、切り付けるように言い放つと、アレフは踵を返して路地の奥に
消える。少年は震えながら路地を睨み付けていたが、やがて、こちらも踵を返
して走り出した。毅然として立ち去ったアレフとは対照的に、少年の態度はそ
の場から逃げ出して行くようにしか見えなかった。少年を追ってその取り巻き
も走り去り、騒ぎの当事者はレイチェルだけを残すのみとなる。
「ふう……」
「何とか、静まったな……」
 そして、周囲に集まった人々は、それぞれが安堵のため息をもらしていた。
レイチェルは所在無く立ち尽くしていたが、ふと何か思い出したようにその場
に膝を突いた。
「まったく……食べる物にこんな事してぇ……大地の恵みの結晶を、何だと思
ってるんだろ、あいつ!」
 憤懣やる方ない、と言わんばかりに呟きつつ、レイチェルは散らばったパン
や菓子を拾い集めていた。ランディはファリアを促してそれを手伝う。やって
来た二人に、レイチェルはきょとん、とした目を向けた。
「あっれぇ? 二人とも、どーしてここにいるの?」
 それから、とぼけた口調でこんな問いを投げかけてくる。
「どーしてって……あんな騒ぎになってれば、普通気づくわよ」
 その問いにはファリアが呆れきった口調で答える。レイチェルはそっかなぁ、
と呟きつつ、引っ繰り返ったカゴを拾って拾い集めた品物を入れた。
「あらら……ごめんなさいねぇ、面倒に巻き込んで、こんな事までさせて……」
 倒れた屋台をどうしようか、とランディが考え始めた所に、穏やかな声がか
けられた。振り返れば、人の良さそうな婦人が、どことなく複雑な面持ちで三
人を見つめている。
「いえ、お気になさらずに。このお店の、ご主人ですか?」
 ランディの問いに、婦人──ララはええ、と一つ頷いた。
「済みませんねぇ、ほんとは、あたしが出なきゃならなかったのに、奥が立て
込んでたもんで……みんなも悪かったね、祭りに水を注しちまってさ」
 ランディたちに頭を下げたララは、集まっていた人々にもこう言って頭を下
げる。
「まぁ、仕方ねぇだろ……災難だったな」
「ま、仕方ないのはわかってやってるしね。しかしまあ、お嬢さん、あんたも
はっきり物を言うねぇ……」
 先ほどランディを引き止めた男の言葉にララはひょい、と肩をすくめ、それ
からレイチェルの方に向き直った。
「え? そっかなぁ……あたし、ただ、あいつらが食べる物にヒドいコトした
のが許せなかっただけだから……」
 レイチェルの返事に、ララは嬉しそうな笑みを浮かべた。食料店の店主だけ
に、食べ物を尊ぶレイチェルの言葉が嬉しいのだろう。
「そうかい、ありがとね……そんな風に思ってもらえれば、この菓子も浮かば
れるだろうよ……さて、みんな! 今の詫びって言うと何だけど、振る舞い酒
をするから飲んでっとくれ!」
 レイチェルの手からカゴを受け取りつつ、ララは集まった人々に声をかける。
この言葉に居並ぶ人々からわぁっと歓声が上がった。ララの号令で店の奥から
酒樽が出され振る舞い酒が始まると、取り敢えずギクシャクとした雰囲気は消
え、祭りの騒がしさが再び戻ってくる。ランディとファリアも甘めのリンゴ酒
をもらって、広場の中央にある泉を利用した池の縁に腰掛けた。
「……何か、気が抜けちゃったね」
「ほんと……ここって、随分複雑な所みたいねぇ……」
「……最初のあれで、それは覚悟してたよ」
 ため息まじりにランディが言うと、ファリアはそうね、と言ってくすっと微
笑う。
「ぼくにとっては、笑い事じゃないよ……このままじゃ、何しに来たのかわか
らないもの」
「いいじゃないの、いつも何か目的があるのって、何か疲れちゃうもの」
「……確かに」
 妙に含蓄のあるファリアの言葉に妙に納得していると、澄んだ竪琴の音色が
耳に届いた。どうやら、レイチェルが演奏を始めたらしい。ほどなく、澄んだ
歌声が周囲に響いた。
「……やっぱりいいなぁ、吟遊詩人」
「……ひょっとして……なりたかった?」
「うん……でも、今更だし……あたし、あんまり楽才ないから……それに」
「……それに?」
「それに……今までの道を歩いて来たから、今、あたし、こうやってここに居
られるんだもん……だから、いいの」
 途切れた言葉の先を何気なく促すと、ファリアはこう言ってにこっと微笑っ
た。可愛らしい表情に、ランディは思わずどきりとする。
「……やだな、どしたの、びっくりした顔して? あたしがこんな事言うの、
意外?」
「え……あ、いや、そういう訳じゃ……あ」
 面白そうに問われたランディは返事に窮してファリアから目をそらし、転じ
た視点の先にアクセサリー類を並べている出店があるのに気づいた。それを見
た瞬間、ランディはふとある事を思い出す。
「……どしたの?」
「んと……ちょっと待ってて」
「え?」
 突然の事に戸惑うファリアを置いて、ランディはその出店へと走る。出店に
は小粒の宝石が飾られたペンダントやブローチ、髪飾りが並べられていた。小
粒だが、デザイン的に洗練された物が多い所からして、冒険者たちが持ち込ん
でくる遺跡の財宝の一部を売りに出しているのだろう。
「ええと……あ、これ……かな。うん」
 しばし物色した所で、ランディは花を象った銀と真珠の髪飾りに目を止める。
色的に派手な宝石よりも、真珠の方がいいように思えたのだ。
「ね、どうしたの?」
 品物を見定めていると、やって来たファリアが訝しげに呼びかけてきた。
「あ、ちょうど良かった。これ……この髪飾り、どうかな?」
 言いつつ手の中の髪飾りを見せると、ファリアはえ? と言いつつ瞬いた。
「どう……って?」
「いや、だから……デザイン。いいと思う?」
「えっと……可愛くて、いいんじゃない? それに真珠って、落ち着いてるか
らあたし、好きよ」
 やや怪訝そうではあったが、ファリアは率直な感想を述べてくれた。
「そう? 良かった……ぼくの感覚も、悪くなかったって事だね。じゃ、これ、
お願いします」
 それが何となく嬉しくてついにこにこしつつ、ランディは二人のやり取りを
楽しそうに見つめている店主に声をかけた。
「はいよ、毎度どうも! いいねぇ、仲がよくて!」
 その楽しげな表情のまま店主が言うに至り、ファリアはようやくこの髪飾り
の意味に気づいたようだった。
「え……ランディ、もしかしてこれ……あたし……に?」
「でなかったら、君に聞かないよ。ほら、ケフィンの月の君の誕生日……ちょ
うど、前の騒ぎが始まったばっかりで色々あったから、何にもできなかったで
しょ? だから……二ヵ月近く遅れちゃったけど、誕生日のね、お祝い」
 事も無げな口調で言うと、ファリアは何故か呆然とした様子でランディを見
つめた。その表情に、ランディは逆に困惑してしまう。
「ど……どしたの? そんなに、驚くような事……だった?」
「え!? あ……違うの……そんなんじゃなくて……その……嬉しくて……」
 恐る恐る問うと、ファリアは俯き加減になって消え入りそうな声でこう答え
た。微かに頬が紅いのは、先ほどのリンゴ酒のせいだけではないだろう。
「ほらほら兄ちゃん、ぼやっとしてないで、彼女の髪につけてあげなって!」
「え……ぼ、ぼくが!? 今、ここで!?」
 そんな二人に、店主がからかうような言葉を投げかける。この言葉にランデ
ィはぎょっとして店主の方を振り返り、上擦った声を上げていた。こちらも顔
がやや紅い……素直である。
「あ、やだ、いいよ、別に……でも……凄く、嬉しい……ありがと、ランディ」
 俯き加減のままのファリアの言葉に、ランディはほっと安堵の息をもらす。
それから、改めて手にした髪飾りをファリアに差し出した。ファリアは受け取
った髪飾りを両手で持って、ぎゅっと胸に押し当てる。
 妙にほのぼのとした二人の様子に、周囲が一斉に囃し立てた。囃された二人
はますます気恥ずかしくなってしまい、ランディは空を見上げ、ファリアは俯
いたまま、それぞれその場に立ち尽くしてしまう。
「……あ〜あ、いいなあ、ファリアちゃん」
 そんな和気あいあいとした雰囲気の中、ただ一人歌い終えたレイチェルだけ
は、はっきりそれとわかる羨望を込めてこんな事を呟いていたのだが。

「……過去、覇王、正位置……鍵、歯車、逆位置……」
 そしてその頃、当のレイチェルの想い人は彼女の事など完全に意識の外に置
いて、占いに専念していた。その手元をティアと、置いてきぼりをくらったリ
ルティがじっと見つめている。
「現在……聖戦、逆位置。鍵……封印、正位置……未来は……天秤、正位置。
鍵が流星の正位置……か」
 開いたカードの種類と向きを確かめると、ウォルスは中央のカード──運命
の鍵をゆっくりと面に返した。
「……衰退の逆位置? 何の衰退が、回復するって言うんだ?」
 訝しげに呟きつつ、ウォルスは開かれたカードを見つめた。
「……いずれにしろ……均衡を保つには、希望が必要……か。随分と、空々し
い結果になったな……」
 呆れたように呟いて、ウォルスは窓越しに空を見る。反対側の椅子の背の上
に乗っていたティアとリルティもそれに習うようにして、空を見上げた。
 銀砂を振りまいた漆黒の天穹は、何も言わずにその視線を受け止め、ゆっく
りと広がるだけだった。

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