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   ACT−1:波乱だらけの建国祭

 空が、青い。
 毎日、誰もが当たり前に見上げている、見慣れた色彩──しかし、彼はその
色彩の持つ微妙な変化をいつも感じていた。季節や太陽の位置、風の含む湿り
気──そんな、本当にちょっとした要素で、空の色彩は変化する。
 ゆっくりと回る水車の音を聞きつつ、その変化を見、感じ取る時間が、彼に
とって最も楽しい時間だった。柔らかな風に吹かれつつ、時と共に変わってゆ
く空を見つめている時、彼は今の自分を巡る全ての煩わしい出来事を忘れる事
ができたのだ。
「……アレフ? アレフ、いないのかい?」
 不意に、耳に馴染んだ声が意識を現実に引き戻した。彼──アレフはいるよ、
と返事をして屋根から飛び降りる。降りた先では、馴染みの食料店の女主人・
ララがロバに引かせた荷車と共に彼を待っていた。荷車の荷台には、大きく膨
らんだ穀物袋が積まれている。
「ごめん、ちょっとぼーっとしてた……仕事だね?」
「ああ、いつもと同じに頼むよ」
 アレフの問いに、ララはにっこり微笑って頷いた。アレフは水車小屋の扉を
開け、荷車の穀物袋と粉袋を粉ひき場へと運び込む。
「いつも済まないねえ、こんなにたくさん持ち込んで……」
 臼の中に小麦を入れるアレフに、ララは本当に済まなそうにこんな言葉をか
けてきた。
「いいよ、気にしないで。オレの所で粉引いてくれるのは、ララおばさんくら
いなんだからね。文句なんかとても言えないよ」
 そんなララに、アレフは淡々とこう返す。実際、町外れのこの水車小屋に粉
ひきを依頼する者は、町の住人のほんの一部に過ぎない。水車動力による粉ひ
きで生計を立てているアレフにとって、大口の仕事を持ち込むララの存在はあ
りがたい限りなのだ。
「ほんとにねぇ……他の連中と来たら薄情なもんだよ。あんたの母さんにはあ
んなに世話になってたクセに、今じゃ、ボンクラ息子のご機嫌取りに夢中にな
って……」
「別に、オレは気にしてないよ。気にしたって、始まらないもの」
 ため息をつくララに、アレフは相変わらず淡々とこう答える。言っても仕方
ない事は言わない──それが、彼の信条なのだ。
「そりゃ、そうかも知れないけど……ところで、アレフ」
「ん……なに?」
「そろそろ祭りの時期だけど……あんた、今年も祭りには顔出さないのかい?」
 ララの問いに、アレフは大げさな仕種で肩をすくめた。
「オレの顔を見ると、ヒステリー起こすバカが多いからね……行かないよ、い
つも通り」
「いつも通りって、アレフ……今年は、五年に一度の大祭なんだし……」
 淡白な返事にララは心持ち眉をひそめるが、アレフは答えずに黙々と粉ひき
を続けた。頑とも言えるその様子に、ララはやれやれ、とため息をついた。
「一体何だってこんな事になっちまったのかねぇ……あんな事さえなきゃ……
おっと、ごめんよ、アレフ」
 何気なく呟いた直後に、アレフが身体を強張らせたのに気づいたララは、早
口に謝罪する。アレフはいいよ、と言いつつ首を横に振り、後は粉ひきに専念
した。そのまま、黙々と小麦を粉にひいて袋に詰め込む。一通り作業が済むと、
アレフは粉袋と空になった穀物袋を荷車に積み込んだ。
「ありがとうね、はい、お代」
 積み込みが終わるとララは予め用意しておいた小袋をアレフに手渡した。
「うん……いつもありがとう、おばさん」
 受け取った袋の重みに、アレフは素直に頭を下げる。
「なぁに言ってるの、お礼を言うのはこっちだよ。アレフの粉ひきは丁寧だか
らね、パンの味も上々、町一番さ! ……あ、そうそう、良かったらこれ、食
べとくれよ」
 そんなアレフに、ララはにこにこと笑いつつ、ロバの鞍袋から取り出した袋
をアレフに渡した。中にはまだ温かいパンが入っている。
「……ありがとう、いつも……」
「お互いさまさ! それじゃあね!」
「……うん、じゃ、気をつけて」
 元気な挨拶に答える瞬間、アレフの表情が微かに和らぐ。その変化に満足げ
な笑みを浮かべつつ、ララはゆっくりと帰途についた。アレフは見えなくなる
までその背を見送り、それから、小屋の中へと戻って行く。
「五年に一度の大祭……か」
 ララにもらった代金を確かめつつ、アレフはぽつん、と呟く。その瞳には何
か、やる瀬ないものが浮かんでいるようにも見えた。

 ルシウス公国。『スター・ロード』と呼ばれる五人の大公によって分割統治
される、山岳地帯の共和制国家である。
 魔導王国カティスでの一件の後、ランディは仲間たちと共にこのルシウスの
南東部に位置するアレオン公領の首都ウェルアスを訪れていた。
「うっわぁ〜〜! なんだろなんだろ、お祭りかなぁ!?」
 リボンやフラッグ、タペストリーで華やかに飾りたてられた町並みが目に入
るなり、レイチェルがはしゃいだ声を上げた。
「お〜、いい時期についたねぇ……確か、ぼちぼちルシウスじゃ建国祭の季節
だぜ。しかも今年は、五年に一度の大祭のはずだ」
 華やかな町並みを見やりつつスラッシュが説明してくれる。それにレイチェ
ルはわぁいっ、と嬉しげな声を上げて飛び跳ねるが、何故かファリアは複雑な
面持ちだった。
「……あれ、ファリアちゃん、どしたの?」
 その表情に気づいたレイチェルが不思議そうに問いかけると、ファリアはち
ょっとね、とため息をついた。ランディも一瞬戸惑うものの、すぐにその理由
に思い当たる。
「あ、そうかぁ……ルシウスの建国祭って確か、カティスからの独立戦争に勝
った記念の祭りで……ここの人って魔道師があんまり好きじゃないんだよね?」
 ランディの言葉にファリアはうん、と頷いて手にした銀の杖を見た。
「……それがあると、いかにも魔道師だ、と宣伝してるよーなもんだわな。こ
こじゃちと辛いか」
 その視線の意味に気づいたスラッシュが嘆息すると、ファリアはそうなのよ
ねぇ、とため息をついた。
「じゃあ、どうするの? 町に行かないの?」
 深刻な雰囲気の中、一人だけペースを崩さないレイチェルが問う。
「いや、そういう訳にはいかないよ、ちゃんと町で休みたいしね……ただ、あ
んまり向こうに嫌な顔はされたくないから、どうしようかって事なんだ」
 それにランディがこう答えると、レイチェルは何事か考えるような素振りを
見せ、
「じゃあ、ここらに隠しとけば?」
 何とも脳天気な意見を提示した。この一言に、スラッシュがかっくーん、と
音入りでコケて見せる。
「そーゆー問題でもないってさ、レイチェルちゃん」
「えー、なんでぇ?」
「あんねぇ……」
「ならお前、竪琴をここに隠して行け、と言われて、素直に頷けるか?」
 どっ……と疲れた、と言わんばかりのスラッシュに代わってウォルスが素っ
気なくこう言うと、レイチェルはさすがに眉を寄せた。
「そんなのやだよぉ、出来る訳ないじゃない」
「それと同じだ、バカ。魔道師にとって、杖は必要欠くべからざる存在、だぞ」
「む〜、バカはないじゃないのぉ!」
 淡々とした言葉にレイチェルは頬を膨らませるが、ウォルスは全く取り合わ
ずにルーンカードのケースを開けて数枚のカードを取り出した。突然の事に、
一同きょとん、としながらその手元を見る。
「……それで、どうするの?」
「ルーンカードは組み合わせと解釈で無限の符術を行う事ができる。この場合
は……これとこれでいいな」
 ランディの問いに答えつつ、ウォルスは取り出したカードの中から二枚を取
り分け、残りをケースに戻した。残したカードは例によって自らの血で魔力複
写する。
「……あのさ、前から気になってたんだけど」
 指先をカードの角で切り裂くウォルスに、ランディはふと思いついて問いか
ける。
「なんだ?」
「……痛くないの、それ……刃物で切るより痛そうに見えるんだけど……」
「……慣れた」
 ややとんちんかんな問いにウォルスは短く答え、ファリアに向き直った。
「杖を前に出してくれ」
「あ……うん」
 さすがに戸惑いつつ、それでもファリアは言われた通り杖を前に差し出した。
不安がないとは言えないが、ウォルスの符術の凄まじさは以前の事でわかって
いる。それにこれを何とかしないとこれから先、色々と面倒がある事を思えば、
逆らうべくも無かった。
「……強大なる力を秘めし魔導器よ、その激しき波動を静め、その身を無にし
て有たる存在へと変化せよ……消!」
 鋭い声と共に、ウォルスは二枚のカードを杖に叩きつけた。カードの一枚が
砕け散って光を放つ。光は銀の杖をくるりと包み込み、そして、杖諸共に消え
失せた。
「……え!?」
 ある程度は予想していたものの、突然消え失せた杖にファリアは上擦った声
を上げる。遠巻きにしていたランディたちも、呆然と杖があった辺りを見つめ
ていた。
「……消えちゃった……魔導王の杖……」
「別に、完全に消滅した訳じゃない……ほら」
 呆然と呟くファリアに、ウォルスは残ったカードを差し出した。カードには
紅一色で竪琴の図案が描き出されているのだが、その竪琴に重なるように、今
消えた杖の姿が浮かび上がっていた。
「あの杖は、無にして有たる存在として、このカードの中に封じ込めてある。
一応、魔導媒体としても使えるはずだ」
「そ、そうなの……でも、これ、元に戻るんでしょ?」
「ああ。封印の逆位置を複写して、封印を解除すれば元通りになる……無くす
なよ」
「あ、うん……ありがと」
 まだ戸惑いはあるものの、ファリアはこう言ってカードを受け取り、腰のポ
ーチに入れた。杖を持たなくなると、明るいローズピンクを基調とした服装も
あって、魔道師という印象が一気に薄れるファリアである。
「ねね、これで町に行けるんでしょ? ねーねー早く行こうよぉ〜!」
 話が一段落するなりレイチェルが大騒ぎをして注目を集めた。ダークブルー
の瞳は、祭りへの好奇心でキラキラと輝いている。子供っぽいその様子にラン
ディとファリアは顔を見合わせて苦笑し、ウォルスは呆れたように肩をすくめ
る。スラッシュはやれやれ、という感じで一つ息を吐いた。
「それじゃ、行こうか?」
 ランディの言葉に、五人は町へと歩きだす。町に近づくに連れ、祭り特有と
も言えるうきうきとした雰囲気が伝わり、その盛り上がりをはっきりと感じさ
せる。町に入ると、五人は人の間をどうにかすり抜け、目についた宿屋に飛び
込んだ。酒場も兼ねる店の一階は、外に負けじと混み合っている。
「す……凄い人だね」
「……ほんと……」
 予想以上の人出に、ランディとファリアは思わずこんな事を呟いていた。
「まあ、地元の連中だけじゃなくて、北のイルヴェスとかからも人が来てるだ
ろーしな。ほれ、あそこにいるのなんて、どーみても北のサーヴィア島のガリ
アンだぜ?」
 そんな二人にスラッシュが笑いながらこんな事を言い、宿の一角を見やった。
その視線の先には、筋骨隆々と言う言葉そのものの逞しい男たちが集まり、豪
快に飲み食いしながらわいわいと騒いでいる。
「……これで東方帝国や南方、西方大陸の連中がいたら、人種見本市だな」
「……東方と南方はともかく、西方の人はいないんじゃないかな?」
 ウォルスの呟きにランディは苦笑しつつこんな事を言って、宿屋のカウンタ
ーに向かう。
「あの、すみません……」
「はいはい、お泊まりですかっ? いやあ、運がいいですねえ、ウチはまだ部
屋に余裕があるんですよっ! で、何名様ですか?」
 声をかけるなり、壮年の人の良さそうな主が早口に問いかけてくる。さすが
にと言うか、どこも客の争奪戦が熾烈であるらしい。
「え、ええと……五人……なんですけど」
「はいはい、五名様ですね、大部屋一つでよろしいですかね?」
「ええと……構わないよね?」
 主人のペースに気押されつつ、ランディは仲間たちに確認を取る。
「……この大入りの中で宿が取れるんだから、文句は言えないってさ」
 それにはスラッシュがこう答え、ランディはうん、と頷いて主に構いません
よ、と告げる。主は得たり、とばかりににやりと笑い、奥に向かって部屋を用
意するように怒鳴った。
「それじゃあ、支度が済むまで待ってて下さいね……あ、これ、部屋の番号札
です。支度が済んだら、この番号お呼びしますから」
「はい、わかりました。あの、それで、ちょっとお尋ねしたい事があるんです
けど……」
「はい? 何です? 夕飯の事なら心配無用ですよ!」
「え、あ、いや、そうじゃなくて……」
「はい? ああ、お代の事ですね? それなら、ご出立の時にまとめて清算さ
せて戴きますんで……」
「あ、それはそれでいいんですけど……」
(よ……良く喋る人だなぁ……)
 引きつった笑みを浮かべて答えつつ、ランディは内心でこんな事を考えてい
た。対する主は怪訝な面持ちでランディを見ている。
「はあ……それじゃあ、何を……?」
「このアレオン公領に、サーレイアの竜騎士がいるって聞いてるんですけど、
ご存じありませんか?」
 ランディとしては、ごく何気ない問いかけ……だった。しかし、竜騎士とい
う言葉を口にした途端、周囲が急に静まり返ってしまったのだ。旅人たちは特
に変わりないが、地元の人々の表情がやや険しくなり、主の顔から人のいい笑
みが消えた。
「あ……あの……」
 突然の変化に戸惑った声を上げると、主はふう……と息を吐いてランディの
肩にぽんっと手を置いた。
「お客さん……何処でそんなホラ話を聞いたかは知らないけどね、ここにはそ
んなもんはいませんよ」
「え……?」
 低い言葉に困惑するランディに、主は厳しい面持ちのまま、更にこんな事を
言った。
「あんたは余所の人だから仕方ないが、とにかく、ここで竜の話はしないのが
決まりなんですよ……まあ、今日はめでたい祭りの日ですから、あたしもみん
なも聞かなかった事にしますがね。とにかく、この町にいる間は、滅多な事は
言いっこなしですよ?」
「え……えっと……」
「あ、じゃあまあそういう事で、この話はなかった事にしときますねえ♪ は
いはい、ども失礼〜♪」
 何をどう言えばいいのか困惑していると、スラッシュが軽い口調で場に割り
込み、ランディの首に腕をかけて隅の方へと引きずって行った。ウォルスが涼
しい顔でそれに続き、ファリアとレイチェルもきょとん、としながら三人につ
いて行く。
 彼らが隅のテーブルに落ち着くと主はふう……と重いため息をつき、他の住
民たちも重く息をついてから、また元のように騒ぎ出した。
「……な……何なんだ、一体?」
「なぁんか、事情があるんだろ? 詮索しないでやれってば」
 困惑しきった呟きをもらすランディに、スラッシュが相変わらずの軽い調子
でこんな事を言う。
「でも……事情って?」
「だぁーから、考えたらダメだって! 今は余計な事は言わない、考えない!
でないと、最悪宿から叩き出されるぜ?」
「う……」
 正直、それは御免被りたいので、ランディはそれ以上の疑問を口にする事は
しなかったが、しかし、短い言葉がもたらした突然の変化にはどうにも納得が
いかなかった。
(……どうなってるのかな、一体……?)
 そんな疑問を感じていると、ウォルスが腰のケースからカードを取り出し、
その一枚を抜き出しているのが目に入った。
「……ウォルス?」
 突然の事を訝って名を呼ぶと、ウォルスはひょい、と肩をすくめてカードを
しまう。ちなみに、この行動が今の状況の、最も端的な説明をカードに求める
単純な占いである事は最近教えられた。
「……ランディ……」
「うん」
「お前の目的……中々、果たし難いと思った方が良さそうだぞ」
「あ……やっぱり?」
 何となく予想済みの言葉に、ランディはただ、頬を掻きながら苦笑するのみ
だった。
「……えーと、二十五番の札をお持ちの、五人様ぁー! お部屋の支度ができ
ましたよぉ」
 直後にこんな声が店内に響き、ランディは先ほど渡された札の番号を確かめ、
仲間たちに行こう、と声をかけて立ち上がった。

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