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「……ランディっ!」
 あっと言う間だった。壁に跳ね飛ばされたランディを援護しようと思った矢
先にガレスは無数のマジックアローを放ち、それでランディを貫いていた。と
っさの防御態勢で急所は突かれていないようだが、ランディはそのまま、ぴく
りとも動かなくなる。鎧の隙間から紅い雫が滴り落ち、床の上に花弁を広げた
バラを描き出してゆく。
「ふん……なんとも、あっけないものだな。これが『時空の剣』の……最強の
力の持ち主とは……」
 嘲りを込めて吐き捨てるガレス目掛けて矢が走る。ガレスは素早く火炎球を
発生させてそれを焼き払い、チェスターの方に向き直った。チェスターは、は
っきりそれとわかる怒りをエメラルドの瞳に込めて魔導師を睨みつける。
「いい加減にしろ……貴様は……貴様は、自分を何だと……一体何様のつもり
だ! こんな……人を苦しめるような事ばかり……」
 叫ぶような問いに、ガレスはふっと笑った。
「私は、力ある者。故に、力を求める者……まあ、貴様ら凡庸にはわかるまい
よ……私は、先に進まねばならぬ者……そのためには、いかなる犠牲も止むを
得んのだよ!」
 鷹揚な口調で言いつつ、ガレスは不意打ちの火炎球をチェスター目掛けて放
つ。突然の事に対処が遅れたチェスターは、直撃こそ避けたものの、爆風のあ
おりを受けて吹っ飛ばされた。
「チェスター殿!」
 轟音に我に返ったニーナが慌ててそちらに駆け寄り、回復魔法を唱えて傷を
癒す。チェスターの傷が癒えると、ニーナは立ち上がってきっとガレスを睨み
付けた。
「……どうして……どうして、貴方は……もう止めて! こんな事はもう止め
て下さい、お父様っ! もう……もう、誰も傷つけないで!」
 振り絞るような叫びが、空間に静寂を呼び込んだ。チェスターはややぽかん、
と、ウォルスもさすがに困惑した様子でニーナとガレスを見つめる。そして、
ニーナはガレスを真っ向から見つめつつ、更に言葉を続けた。
「一体、こんな事をして何になると言うのですか? 生まれたばかりのカール
の生命を奪い、それで母様を苦しめて……挙げ句、姫様をあんなに苦しめてま
で、何をしようと言うんですか? こんな……たくさんの人を傷つけた上で、
何を得ようと言うのですか、貴方はっ!?」
「……魔導師としての充足感と言えば、納得するのかね?」
 振り絞るような問いかけに対し、ガレスは淡々とこう応じた。
「充足感……?」
「そう……伝説の大魔導師の理論を、この手で完成する……魔導師として、こ
れほどに有意義な事はない……そのためには、犠牲を厭うてはいられぬのだよ
……当然の事だ」
「そんな……そんなのって……」
「……それが例え、どんなに意義のある事だとしても、王家の姫を犠牲にしよ
うとしている貴様を、王国が許すと思うのかっ!」
 呆然とするニーナに代わりチェスターが鋭く問うが、
「許す……? 何故、私が許しなど請わねばならぬ? 私は力ある者、世の流
れは、力ある者に沿うのが習い……何を恐れる必要があると言うのだ?」
 それをガレスはこう受け流した。絶大な自信を示され、チェスターも言葉に
詰まってしまう。
「……なるほどな……ようやく、わかった」
 その場に舞い降りた静寂を、ウォルスの静かな声が取り払った。ウォルスは
数枚のカードを手に、ゆっくりと前に進み出てガレスと対峙する。
「わかっただと? 一体、何がわかったと言うのだね?」
「……母が、死を目前にして呟いた言葉がある。オレはずっと、その意味を理
解できずにいた……しかし、今、その意味がわかった」
 静かな言葉に、ガレスはやや、怪訝な面持ちになる。ウォルスは無言で指先
を傷つけ、重ね合わせた二枚のカードの間に紅い雫を垂らした。
「母は……最期まで、貴様を哀れんでいた。とても可哀想な人だから、決して
恨むなといつも言っていた……そして……」
 カードを持つ手がゆっくりと上に上がる。カードには、紅一色でルーンカー
ドの絵柄が描き写されていた。
「そして、最期に……貴様を救ってやりたかったと……だからこそ……母を、
そこまで苦しめたからこそ、オレは貴様を許す事ができない!」
 叫びざま、ウォルスは床を蹴って跳躍し、手にしたカードを投げつけた。ガ
レスに──では、ない。カードはガレスを通りすぎ、その背後でぐったりと丸
まっているランディ目がけて飛んだ。
「何だとっ!?」
 来るべき攻撃に備えていたガレスはやや慌てた様子で背後を振り返り、チェ
スターたちも困惑しつつカードの行方を追う。カードはランディの頭上でぴた
り、と止まり、
「聖母の祈り、傷つきし者を癒し、その魂を揺さぶれ……命!」
 ウォルスの叫びに応じて暖かい光を放った。淡いオレンジの光はふわりとラ
ンディを包み込む。

(ん……何だ、これ……)
 光に包まれた瞬間、痛みと衝撃に朦朧としていたランディの意識にも光が射
した。しかし、肉体的な視覚や聴覚はまだ回復には至ってはいないらしく、ラ
ンディの意識はぼんやりとしたまま、光の中を漂っていた。
(……あれ?)
 そうやって心地よい光に包まれていると、先ほどの泣き声が聞こえて来た。
それも、よりはっきりと。そして、その声は口々にある事を訴えていた。心の
闇を切り開き、そこに捕らわれた救われない魂を救ってくれと。そして、開き
かけた時空の傷口を塞いでくれ──と。
(救われない魂って……もしかして……)
 現状、そんなものを抱えていそうな者は一人しか思い至らない。即ち、ガレ
スだ。とはいえ、どうすればそんな事ができるのかは、時空の傷口云々という
願い共々、皆目検討もつかない。
(う〜ん、そんな事言われても、そんな力はぼくには……)
 ぼくにはないよ、と言いかけた時、胸元にちりっという痛みが走った。その
感触に、ランディはアメジストのペンダントの事を思い出す。即ち──時空の
剣の事を。それに伴い、この剣を託された時の事、刻神セィレーシュの言葉が
ふと思い出された。

『ランディール……人は、人であるが故の愚かしさから逃れる事ができぬ。そ
れは時に喜びを、時に悲しみを生む。人の所以が生み出す軋みを、理の神々は
正す事が叶わぬ。
 もし、人の所以が大きな軋みを生み出したなら、『時空の剣』でその軋みを
正してほしい……それが、我の唯一の願いなのだ……』

(人の所以……人が人であるが故の愚かしさ……それが導く、悲しみ……それ
が生み出す軋み……)
 魔導師としての渇望から時空の門を開こうとしているガレス──確かに、彼
は自らの心に従って行動している。その行動は多くの人々を傷つけており、そ
して、その目的が達成されたなら、更に多くの苦しみが生み出されるだろう。
(それが……軋み? 時空の傷口……?)
 それを正し、世界を正しい姿に止めるために、刻神はこの力を託すと言って
いた。正直、自分にそんな大層な事ができるとは思いがたいのだが……。
(でも……この力を使えば、みんなを助けられる……ファリアを守れる……か
な? それなら……)
 世界を救え、とまで言われてしまうと、自分は器じゃないと思ってしまうが、
今、身近にいる仲間を、そして、掛けがえのない存在と認識している少女を救
う事ができるというのなら……。
(それなら……やれる。うん、気絶なんか、してる場合じゃない!)
 そう思うのと同時に、自分を包んでいた光が一点に集約して行くのが感じら
れた。光はアメジストのペンダントを包み込み、そして、鮮やかな紫の閃光を
放った。

「……な、何だっ!」
 突然迸った紫の閃光に、ガレスが上擦った声を上げた。チェスターやニーナ
も戸惑う中、ウォルスだけは会心の笑みを浮かべている。
「……発動するか、『時空の剣』!」
 低くこう呟いていると、
(……ウォルスっ……)
 頭の中に苦しげなセイランの声が響いた。その声にウォルスははっと空中の
足場を見やり、苦しげな様子で虹色の光を阻むセイラン
の姿に息を飲んだ。
「セイランっ!?」
(そろそろ……限界です……ファリア殿の力が、強すぎ……私には、これ以上
は……)
「くっ……済まん、セイラン、もう少しだけ耐えてくれっ! もうすぐ、時空
の剣が発動する! それまでは……」
(……御意……)
 ウォルスの言葉にセイランは低くこう返すが、限界が目前に迫っている事は
誰の目にも明らかと言えた。

「……ん?」
 その頃、儀式の間の上で戦っていた二人も、紫の閃光とそれが放つ波動に気
づいてほぼ同時にそちらを見やっていた。
「あれは……」
 紫の光に包まれたランディの姿に、イレーヌが低く呟く。
「……刻神の波動……ついにやるか!」
 対するスラッシュは、どことなく楽しげな様子でランディを見つめていた。

 様々な思惑を込めた視線に見守られる中、ランディはゆっくりと立ち上がり、
閉じていた目を開いた。それから、発光を続けるアメジストのペンダントを引
き出す。すると、アメジストは自然と鎖から外れて宙に浮いた。ランディは感
覚の導くまま剣を拾い、それを両手で持って頭上高く差し上げる。アメジスト
はふわりと飛んで剣の柄にぶつかり、そのまま柄にかちりとはまる──直後に、
一際激しい紫の閃光が迸った。
(ウォルスっ……申し訳ありませんっ……限界、です……)
 光に目を細めるウォルスにセイランが呼びかけてきた。はっとそちらを振り
返ったウォルスは、力の波動に耐えきれず、姿を消すセイランの姿に息を飲む。
直後に、それまでセイランが弾いていた力の波動が一斉にディアーヌへと殺到
した。
「きゃあああああっ!」
「……ディアーヌっ!」
 絶叫するディアーヌの姿に、チェスターが振り絞るような声でその名を叫ぶ。
「くっ……くっそぉっ!」
 苛立たしげに吐き捨てると、チェスターは身体を屈めて跳躍した。途中で光
を放つ水晶玉を蹴り、勢いをつけてディアーヌの居る足場へと飛び上がる。
「チェスター殿っ!?」
 突然の事にニーナが目を見張る中、チェスターは波動に翻弄されるディアー
ヌをきつく抱きしめ、自分を盾に少しでも波動の干渉を避けさせようと試みる。
そうなると必然的にチェスターが激しい魔力の波に晒される事になるが、彼は
歯を食いしばり、その波動に耐えた。
「無茶をするヤツだとは思っていたが、ここまでとはっ……」
 その様子にウォルスが苛立たしげに吐き捨てた。それから、改めてランディ
の方を見やる。紫の閃光は既に静まり、ランディは透き通った紫の刀身を持つ、
細身の大剣を両手で携えていた。
「あれが……『時空の剣』……」
 ウォルスが低く呟く。ガレスもやや呆然と、紫水晶を鍛えたような剣を見つ
めていた。
「これが、刻の遺跡の……世界の、鍵?」
「どうも、そういう事らしいけど……でも、そんな事はぼくには関係ない」
 上擦った言葉に、ランディは静かな口調でこう言いきった。それから、ゆっ
くりと剣を構える。紫水晶の刀身が、光の粒子を零しつつ、上に上がった。
「正直言って、ぼくには、わからない事だらけだ……貴方のしようとしている
事の意味、チェスターの意地や、ウォルスの思い……スラッシュや、イレーヌ
さんの成そうとしている事……ぼくには、何にもわからない。
 でも……でも、ぼくはこれだけは言える。ぼくは、騎士として……自由騎士
っていう道を選んだ、ぼく自身の誇りにかけて……ファリアだけは、絶対に護
ろうって決めてるんだ。世界にたった一人しかいない、今のぼくにとって、一
番、大事な人だから……。
 だから……ぼくには、貴方が、こうまでしてこの儀式を強行する気持ちはわ
からない。でも、この儀式によって失われてしまう存在を、絶対に無くしたく
はない! だから……自分の都合で、その大事な存在を、奪おうとする貴方を
……どうしても、許す事はできない」
 静かな言葉と共に、ランディは一歩を踏み出す。静かな気迫に、ガレスはや
や気押されているようだった。
「だから……何がなんでも、貴方を止める! そして、ファリアを取り戻す!
ちゃんと、言わなきゃならない言葉が、たくさんあるんだからっ!」
 タンッ……
 宣言と共に床を蹴る音が、やけに大きく響いた。ガレスは舌打ちをして障壁
を展開するが、『時空の剣』は魔力の障壁すら切り裂き、ガレスを捉えた。
「何っ!?」
 障壁を切り裂かれたガレスはやや動揺を示すが、至近距離への接近を逆手に
取って魔力弾を叩きつけてきた。ランディはとっさに剣を垂直に構えて防御の
姿勢を取るが、勢いを消しきれずに後ろに押し戻された。ガレスはすさかず魔
力弾で追撃を試みるが、突然閃いた月光色の光がそれを打ち消してしまう。
「何っ!? 今のは……」
 突然の事にガレスは困惑しつつ周囲を見回し、聖印を両手で持って祈るニー
ナの姿に表情を強張らせた。
「……ニーナ……お前か! こ、この……」
「……もう、終わりにして下さい、お父様。これ以上、罪を重ねて……母様を
悲しませないで」
「な、何だと!?」
 静かな言葉に、ガレスははっきりそれとわかる憤りで顔を歪めるが、ニーナ
は静かなまま、それを受け止めた。その態度が更に激昂を呼び起こしたらしく、
ガレスはニーナ目掛けて火炎球を放った。
「……単純な奴だな、貴様はっ!」
 が、とっさに飛び出したウォルスがニーナを抱えてその場から飛びのいたた
め、その火炎球は標的を捕らえる事なく虚しく床に炸裂する。とはいえ、鎧を
身に着けたニーナを抱えての跳躍ではさすがに距離は稼げず、ウォルスはカー
ドによる障壁で爆風をやり過ごす事になったが。
「……ウォルス」
 次の行動を模索するウォルスに、ニーナがそっと呼びかける。そちらを見た
ウォルスは、潤んだアクアブルーの瞳に息を飲んだ。
「どうした……?」
「お願い……終わりにしてあげて……もう、これ以上……苦しまないようにし
てあげて」
「……お前……」
「……お願い……」
 掠れた言葉と共にニーナは目を閉じ、瞼に弾かれた涙が珠になって滑り落ち
た。ウォルスは一つため息をつき、わかった、と呟いて立ち上がる。
 その間も、ランディはガレスに攻撃を仕掛け続けていた。『時空の剣』は両
手持ちの大剣であるにも関わらず、その重さが負担になる事はない。故にラン
ディは鋭いラッシュで確実にガレスに打撃を与えて行く事ができた。だが、決
定打を与えるには到らない。迷いがあるからだ。人の生命を、断つ事への。
 ガレスを許せないという気持ちはある。止めなければならないという危機感
もある。だが、果たして、彼の生命を奪う事は正しいのか――未だに答えの見
つからない、生命を奪うという行為への疑問が、そんな迷いを抱かせる。
(……心の闇を切り開いて、魂を救う……)
 先ほどの声の懇願が、ふと脳裏を掠めた。深過ぎるほどの心の闇に自らを閉
ざしたガレス。下がる後ろを持たないかの如く突き進もうとする彼を止めるに
は、死をもたらす以外にはないのかも知れない。
 死が救いであるとは思えないし、思いたくもない。だが、今は、それを選び
取る事を忌避できない――選び取らねば、自分が大切なものを失うからだ。そ
れを選択する事は、やはりできない。
 ランディは一つ息を吐くと、空中の足場を見た。ファリアは未だ魔力の放出
を強制させられ、そしてその魔力はチェスターとディアーヌを苛み続けている。
大切なものが、その意志とは無関係に大事な友を苛んでいるこの状況は、到底
容認できるものではなかった。
「……なら……やらなきゃ、いけないんだ」
 低く呟き、決意を固める。今、自分がやるべき事は何か、ランディは言葉で
はなく感覚で悟っていた。故に、今はその感覚の赴くままに走る事を肯定する。
「……行くぞ、これが、最後だっ!」
 一つ、深呼吸をして。ランディは宣言と共に走り出した。ガレスは魔力を集
中して黒い魔力球を造り出す──ディスインテグレードの光弾だ。放たれたそ
れに対し、ランディは真っ向から切りかかって行く。
「はあああああっ!」
 裂帛の気合が迸り、紫水晶の刃が漆黒の光弾を断ち切る。ランディはそのま
ま身体を屈め、勢いをつけて跳躍した。
「なにっ!」
 突然の事にガレスが動揺を示し──直後に、紫の残光がその目前を駆け抜け
た。『時空の剣』は魔導師と共にその手の杖を捉え、先端の宝珠を打ち砕く。
「……ウォルスっ!」
 飛び上がったランディはよろめくガレスの肩を蹴って後方へと跳躍しつつ、
ウォルスに呼びかける。その意図をウォルスが悟るまで、さしたる時間はかか
らなかった。
 ……シャっ!
 小気味よい音と共に、銀色の刃が姿を見せる。一体何処から取り出したのか、
ウォルスの手には見事な細工を施した銀製の小剣が握られていた。
「……ガレスっ!」
 鋭い声で名を呼ぶと、ウォルスは一気にガレスとの距離を詰めた。そして、
声に振り返ったガレスの胸に、手にした剣を突き立てる。
「…………」
 その瞬間、ニーナが両手を組み合わせて静かに祈りの姿となる。
「……あ……く……く……くくっ……」
 そして、ガレスは血の泡を浮かべつつ、何故か笑っていた。
「……予言は……当たった……な。私の……血を継ぐ男が……私の……生命を、
断つ……か……くくっ……」
 自嘲的に呟くと、ガレスはウォルスを見た。静かなその瞳を、ウォルスもま
た静かに見つめ返す。
「……同じ……目をしているな……セレナと。迷いを持たぬ……良い、瞳……
だ」
「……一つだけ、答えろ。何故、母の側に止まらずに立ち去った。母は、お前
の事を……」
 低い問いかけに、ガレスは微笑ったらしかった。
「……だからこそ……だ」
「なに?」
「…………セレ……ナ…………」
 訝しげな問いにガレスは答えず、ただ、短く名前を呼んだだけだった。そし
て、ガレスはウォルスの肩を押して自らに食い込んだ剣を引き抜き、離れた所
に仰向けに倒れる。

 その頃、上の通路ではこんなやり取りが交わされていた。
「……ガレスは死んだか。んで、お前はどーするんだイレーヌ?」
「……帰るわ」
「はぁ?」
「あのねぇ……儀式の施術者が死んだのよ? つまり、これからエネルギーの
暴走が始まるわ。そんなものに巻き込まれて死ぬ必要が、どこにあるの?」
「……あ……ヤバいっ!」
 涼しい顔をして言うイレーヌの言葉に、スラッシュの顔が青くなる。そんな
スラッシュの様子に会心の笑みを浮かべつつ、イレーヌは空間転移で姿を消し
た。逃げられた事に舌打ちしつつ、スラッシュは下の儀式の間に向けてこう怒
鳴る。
「ランディ! ランディ、水晶玉を! 『時空の剣』で、水晶玉をぶっ壊せ!!」

「……え!?」
 突然降ってきたスラッシュの声に、ランディは文字通り仰天した。そして、
上に口を開ける通路から身を乗り出すスラッシュの姿に目を丸くする。
「……スラッシュ!? 何してんの、そんなとこで……?」
「んな事言ってる場合かっ! いいか、良く聞け! 普通にやっても、今のそ
の球はぶっ壊せねえ! だから、お前のお宝ちゃんの力を使え!」
 動転して、ついとんちんかんな事を聞いてしまうランディを一喝しつつ、ス
ラッシュは更にこう怒鳴ってきた。
「ど、どうやって!?」
「抱きしめるなりなんなりして、力をすぐ側に置け! それから、その力を時
空の剣に乗せてたたっ斬る! 急がねえと、チェスターたちがもたねえぞ!」
「あ……わ、わかった!」
 突然の事に対する困惑はあるものの、今はスラッシュに従うしかない。そう
判断したランディは、床を蹴って跳躍する。一度の跳躍ではとても到達しえな
い高さだが、今は『時空の剣』が能力を高めてくれているらしく、ランディは
容易にファリアの居る足場に飛び乗っていた。
「……ファリア、ファリア!」
 呼びかけて揺さぶっても返事はない。ランディは唇を噛みしめると左腕でフ
ァリアを抱き寄せ、『時空の剣』を片手で構えた。それでも、剣が手の負担に
なる事はない。
「……う……ん……」
 剣を構え、いざ水晶玉を、と思った矢先にファリアが声を上げて身動いだ。
はっとそちらを見たランディは、とろん、としながら瞬くファリアと目を合わ
せて息を飲む。
「……ファリアっ!!」
「……あ……ラン……ディ……? あたし、一体……」
「ええと、それは……」
「っだああああ! 時間がねえっ! 急げランディっ!!」
 事情の説明を遮りスラッシュが絶叫する。ランディは小さくため息をつくと、
ぽやん、としているファリアに静かに言った。
「ファリア、君の力を、ぼくに貸して」
「……あたしの……ちから?」
「うん、君の魔力をぼくの剣に。君の力……君が、必要だから」
「……え?」
 一種場違いとも言える一言に戸惑いつつ、ともあれファリアは言われるまま
に自分の力をランディの剣に向ける。紫水晶の剣がばら色の輝きを帯びると、
ランディはファリアにしっかり掴まるように告げ、ファリアは両腕をランディ
の首に投げかけてそれに応えた。
「いい? 行くよっ!」
 こう言うとランディはだっと駆け出し、足場から飛び下りた。そのまま、狙
いを定めて水晶玉に『時空の剣』を突き立てる。紫水晶の剣が虹の光彩を放つ
球体を捉え、ビシイっ!と言う音と共にその内部へ侵入した。衝撃が魔力の波
動をかき乱し、その反動が水晶玉に取りつく二人に牙をむく。ランディはファ
リアを支える左腕に、ファリアは両腕に力を込めて、波動の翻弄に耐えた。
 ピシっ……ピシシ……
 やがて、荒れ狂う魔力の咆哮の中にこんな音が響き始めた。それは徐々にパ
キパキと言う音を伴うようになり、そして、
 ……ガシャアアアアアンっ!
 出し抜けに甲高い崩壊音を招いた。その直前にランディは水晶玉から離れ、
スラッシュも通路から、チェスターたちの居る足場に飛び下りる。当のチェス
ターは波動の消滅を感じて、ゆっくりと顔を上げている所だった。
「……スラッシュ……殿? 戦いは……ガレスは?」
「今は、悠長に話してるヒマはねーの! ホレ、下りるぞ! 急いでここから
逃げねえとヤバいんだから!」
 掠れた声で問うチェスターに素っ気なくこう言うと、スラッシュは足場を飛
び下りてランディたちの方へ向かう。チェスターも、ディアーヌを抱き上げて
それに続いた。
「ランディ、まだ生きてるか!?」
「ああ……何とかね」
「なら、急いでここから離脱する。こらこら、お前らも早く来いっての!」
 ランディの返事に頷きつつ、スラッシュはウォルスとニーナに苛立たしげに
呼びかける。それにウォルスがああ、と頷いて、座り込むニーナの手を取った。
「……行くぞ、ニーナ」
 静かな言葉に、ニーナはゆっくりと目を開き、こくん、と頷いた。
「いいから急げっつーのぉ〜〜!」
 スラッシュの絶叫が響き、直後に頭上で爆発音が響いた。行き場を無くした
魔力が暴走を始めているらしい。その爆発音に急かされるように、ウォルスと
ニーナはランディたちの所に駆け寄る。全員が揃うと、スラッシュは腰に着け
た袋から何やら取り出した。
「全員、こいつに自分の力を込めろ!」
 言いつつ、差し出されたそれは白い鳥の羽だった。
「……こんな物で、一体どうしようって言うんだ?」
「でぇい、見た目だけで判断すなっ! こいつはなぁ、複数の人間の魔力を込
める事でその力が高まる、ありがたぁ〜い、空間転移のお守りなんだよ! ほ
れ、御託並べてねえで、急げ!」
 呆れた口調で問うウォルスに怒鳴り声で答えると、スラッシュは目を閉じる。
ランディたちも戸惑いつつ、今は他に術がない、と判断して自分の力をその羽
に向けた。ほどなく、白い羽は虹色の光を放ち始める。
「よっし……大魔導師の爺さんとこまで、一気に戻るぞ!」
 スラッシュが宣言すると、それに応じるように羽が強く輝き、七人を包み込
んだ。ひゅんっと言う音と共に虹色の光がその場から消え失せる。

 行き場を無くした力たちが爆発による自らの消滅という手段を選んだのは、
その直後の事だった。

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