第一章目次へ


 それと、多少時間は前後する。
「……ん?」
 無口な黒ずくめの人物──恐らくは魔導で生み出した擬似生命体──の届け
る簡素な食事を終え、ぼんやりとしていたランディは、急に壁の向こうが騒が
しくなった事に気づいて訝しげな声を上げた。
「……何か、妙だな……」
 低く呟いてベッドから起き上がり、廊下の方へと寄って耳を澄ませてみると、
複数の人間が慌ただしく行き交う足音が微かに耳に届いた。
「……何か、あったのかな……?」
 などと太平楽な事を呟いていると、
 ……ドゴオンっ!
 派手な破壊音がすぐ側で響いた。はっとそちらを振り返ったランディは、も
うもうと舞い上がる埃と床の上の瓦礫に目を丸くする。
「……げほっ、げほほっ! ……ったぁ〜、ちぃっとばかし、火薬の量を間違
えちまったかもなぁ……げほっ……」
 呆然としていると、舞い上がる埃の中から微かに覚えのある声が響いた。ラ
ンディは、取りあえず距離を取ってそちらに身構える。
「……あん? 何だよ、そんなに警戒すんなってのに……オレだよ、オレ! 
スラッシュだって!」
 身構えるランディに対し、埃の中から進み出た男はごく軽い口調で呼びかけ
てきた。身体にぴったりとあった黒の上下に身を包んだ、長身の男だ。ダーク
グレイの髪は埃に塗れてやや煤け、同じ色彩の瞳はどことなく楽しげな光を宿
してランディを見ていた。
「よ、顔合わせるのは初めてだな? 約束通り、手引きに来たぜ」
 軽い口調でこう言うと、男──スラッシュは右手に持っていた剣をランディ
に投げ渡してきた。捕らえられた時に取り上げられた、ランディの愛剣だ。
「……あ、ありがとう……良かった、これだけは無くしたくなかったんだ」
「そっかぁ? ま、いいけどな……さて、そんじゃ行くぞ」
 事も無げにこう言うと、スラッシュは腰に括り付けていたロープの束を外し、
先端についたフックを天井に空いた大穴の縁に引っかけた。
「え? あの、行くぞ……って?」
「んなもん、脱出するに決まってんだろ? 何か知らんが、急に警戒体制が変
わってな。脱出するなら、今がチャンスなんよ」
「今がチャンスって……あの、ファリアは!? ファリアを置いて行く訳にはい
かないよ!」
 叫ぶような言葉に、スラッシュは難しい面持ちで眉を寄せた。
「一緒に連れ出してえのは山々なんだが……はっきし言って、ムリだ」
 それから、実にあっさりとした口調でこんな事を言う。淡白な物言いにやや
拍子抜けしつつ、ランディは更に言葉を接ぐ。
「そんな! ファリアを置いてくなんて、そんなのできないよ!」
「できないよ、って言っても、ムリなもんはムリなんよ! あのコなあ、今、
いっちばん警戒が厳しいエリアに連れてかれてんだぜ!? それに……」
 ここで、スラッシュは言い難そうに言葉を切った。
「それに? それに一体、何だって!?」
「それに……ええい、とにかく、今はんな事ゆーとる場合じゃねーんだって! 
わかれ! 今を逃すと、脱出できるチャンスは皆無だ!」
 問われたスラッシュは何か言いかけるものの、結局その言葉は飲み込んで早
口にこうまくしたてる。しかし、それで納得できるランディではない。
「そう言われても、ダメだよ! ぼくは……ぼくは、決めてるんだから! フ
ァリアだけは、何があっても護るって! だから……」
「お前さんのその純情にゃ敬意を表するが、この状況じゃあ邪魔なんだよっ!」
「なっ……邪魔はないだろ!?」
「実際邪魔……って、だから、今はそんな事、論じてる場合じゃねえだろっ!」
 苛立った口調でスラッシュがこう怒鳴った時、ランディの背後から光が差し
込んだ。途端にスラッシュの表情がすっと引き締まり、それを訝って背後を振
り返ったランディは、逆光の中に立つ真紅のドレスの魔女の姿に息を飲んだ。
「……よお、久しぶりだな、イレーヌ」
 その場に舞い降りた沈黙のヴェールは、スラッシュの低い声が切り裂いた。
イレーヌは真紅の瞳に冷たい光を宿してスラッシュを睨み付けている。
「まったく……一体、どれだけあたしの邪魔をすれば気が済むっていうの、あ
んたは?」
 やや間を置いて、イレーヌが低くこんな問いを投げかけた。これに、スラッ
シュはひょい、と肩をすくめる。
「仕方ねえだろ、お互い、そういう立場に身を置いてんだから。お前のバカげ
た計画は、オレの上役の意に沿わねえんだからよ。と、なりゃあ徹底的に邪魔
するっきゃねえって訳だな」
 飄々として答えているが、スラッシュの瞳に宿る光は厳しい。それを睨むイ
レーヌの瞳もまた厳しく、二人の間の張り詰めた空気に、ランディはただ困惑
していた。
「……ほんっとに……嫌な男ね、あんたは」
「お前も、身体は最高なんだけどねえ……」
「ふん、大きなお世話よ!」
 苛立たしげにこう言うと、イレーヌはランディの方に目を向けた。状況から
取り残されつつあったランディは、その鋭い視線にはっと気を引き締める。
「で、坊やはこの男につくって言う訳?」
 低い問いかけに、ランディは静かに首を横に振った。
「ぼくは……ぼくは、誰にもつかない。ぼくの手にした力は、個人の欲望のた
めに用いていい力じゃないんだ……だから、ぼくは貴女にも、ハイルバーグ卿
にも、この力を貸すつもりはないし……勿論、渡すつもりもない!」
 きっぱりと言い切るランディにイレーヌは憎々しげな一瞥をくれ、それから、
唐突に余裕の笑みを浮かべて見せた。
「そう……それならそれでもいいわ。でもね……後悔するわよ?」
「……後悔?」
 突然の笑みに困惑して問うと、イレーヌはうふふ、と楽しげに笑った。
「あなたが手を貸してくれなければ、それだけ、あなたの大事なお嬢さんが苦
しむって事よ……それでもいいの?」
「……え?」
 思いも寄らない言葉にランディが困惑した声を上げた時、
 ……ドオンっ!
 そう遠くない場所から派手な爆発音が響いた。突然の事に驚いたのか、イレ
ーヌはそちらに気を取られる。一瞬生じたその隙を、スラッシュは見逃さなか
った。
「……はっ!」
 短い気合を発して、スラッシュは一気にイレーヌとの距離を詰めた。そのま
ま当て身を食らわせて魔女の態勢を崩し、ぽかんとしているランディを振り返
る。
「なに、ぼーっとしてんだ! 行くぞ!」
「え……行くって……」
「あのコ、助けに行くんだろ!」
「え……あ、ああ!」
 状況に対する困惑こそ抜けてはいないものの、スラッシュの言葉はランディ
を走らせるに十分な力を秘めていた。
「くっ……お待ち!」
 身体を起こしたイレーヌの叫びを背後に聞きつつ、二人は石造り廊下を走っ
て行く。
「ところで、スラッシュさん!」
「さんはいらねえ! 何だ!?」
「ファリアは、一体何処にいるの!?」
「……ここの、一番奥まった所にある、祭壇の間……気違い儀式の舞台だ!」
 叫ぶように答えつつ、スラッシュは両手を腰に回した。シャッという音が響
き、次の瞬間、その手には小振りな刃が握られている。緩やかな曲線を備えた
刀身からして、それが東方で造られた武器である事は察しが付いた。
「……一気に抜けるぞ!」
 こう宣言すると、スラッシュは前方に待ち構える黒いマントの一団へ向けて
跳躍した。銀光が鋭く舞い、鈍い黒を切り裂く。直後に道を塞いでいた黒マン
トがくるくると回りながら倒れ、閃光となって消え失せた。
「……速い……」
 瞬間芸と言う以外にないその攻撃に、ランディは思わずとぼけた声を上げて
いた。とはいえ、今はぼんやりしている場合ではない。ランディは鞘を背中に
背負って剣を抜いた。抜いた剣を両手で構え、一つ深呼吸してから自分も走り
出す。真っ直ぐな刀身が黒マントを捉え、勢いと共にそれを切り払った。
「へえ、中々」
「伊達に鍛えられてた訳じゃないから!」
 軽い言葉を交わしつつ、二人は立ちはだかる黒マントを切り払い、先を急い
だ。その間にも、魔法による物と思われる爆発音は断続的に響いていた。
「……何か……オレの他にも、随分と物騒な客が来てるらしいなぁ」
「……スラッシュだって、十分物騒だと思うけどな……」
「どーゆーイミだ、そりゃ?」
「言った通りの意味だよ……前!」
 ジト目の問いを軽く受け流した直後に、前方に立ちはだかる黒マントの集団
に気づいたランディは鋭い声を上げる。
「……ゴールは近い! 一気に突破するぞ!」
「わかった!」
 スラッシュの言葉にランディが頷いた時、
 ……ドオンっ!
 突然走った閃光が前方の黒マントを吹き飛ばした。予想外の出来事に二人は
足を止めてぽかん、とする。
「……あんたな、ここが地下空間だって事、わかってるのか!?」
 呆然としていると、聞き覚えのある声がこう怒鳴るのが耳に届いた。その声
にはっと我に返ったランディは、困惑を込めて声の主を呼ぶ。
「その声……ウォルス!?」
「……!? ランディか!」
「おや、お探しの人を見つけられましたか」
 ウォルスの声を追いかけるようにのんびりとした老人の声が聞こえた。何と
も場違いなそのペースに、ランディは元よりスラッシュも毒気を抜かれた面持
ちになる。
「……やれやれ……無事だったか」
 ぽかん、としていると、ウォルスが近づいてきて声をかけてきた。それで我
に返ったランディは、うん、と言って頷き、それから、ウォルスの傍らの老人
の方を見る。
「あの、あなたは……?」
「見ての通りの、魔導師のジジイですじゃ」
 戸惑いながらの問いは軽く受け流され、ランディは困惑しつつウォルスを見
た。それに、ウォルスはひょい、と肩をすくめる。
「ファリアの、師匠だそうだ」
「え……ファリアの!?」
「少なくとも本人と、あいつの使い魔はそうだと主張している」
「使い魔って……」
 きゅうきゅうきゅう!
 ランディの疑問を遮ぎるように甲高い声が響き、老人の肩に現れた白いネズ
ミがぴょん、とランディに飛びついてきた。ランディは手を伸ばしてその小さ
な身体を受け止める。
「……リルティ……ごめんね、ファリアの事、ちゃんと護れなくて……」
 手から腕を伝って肩に登ってきたリルティに低い声で謝ると、妖精ネズミは
気にしないで、と言わんばかりに鼻先を頬に擦りつけてきた。その小さな頭を
指先で軽く撫でると、ランディはリルティを胸ポケットの中に入れてやる。
「……それじゃ、あなたも、ファリアを救うためにここに来たんですね?」
 静かな問いに、老人はうむ、と頷いた。
「わかりました、なら、一緒に行きましょう」
「……あっさり言うねえ、お前もぉ」
 にこっと笑って言い切るランディに、成り行きを傍観していたスラッシュが
呆れたような口調でこんな事を言った。この一言で、全員がスラッシュに注目
する。
「……あんたは?」
「オレは、スラッシュ。お前さん……そうか、あのプラズム・ドラゴンのマス
ターか」
 低く問うウォルスにスラッシュはごく軽い口調でこう答え、この言葉にウォ
ルスの表情がやや引き締まった。
「なるほどな……あんたが、セイランの言っていた、別口の侵入者か」
 静かな言葉にスラッシュはま〜ぁな、とごく軽い口調で返し、それから、急
に表情を引き締めた。
「ま……何はともあれ、さっさと行こうぜ。ど〜も、気になるんだよなぁ、急
に動き出した事が」
「……急に……動き出した……って?」
「だから、儀式の準備さ。今までは、なんかが足りなくて二の足踏んでたはず
なんだが、急に準備が進んでんだよ。なんっかあったとしか思えねぇ」
 スラッシュの言葉に、ランディはふと不安を感じてウォルスを見た。
「……ウォルス、まさかとは思うけど……」
「……ああ、やられた。見事なまでにな……」
 低い呟きに、ランディは眉を寄せた。
「それじゃ……ディアーヌ様が?」
「ああ。チェスターは無事らしいが……すまん、オレの判断ミスだ……」
 低い呟きに、ランディはううん、と言って首を横に振った。
「ウォルスのせいじゃないよ……ぼくだって、同じ……だから……気にしてる
間に、急ごう?」
 にこっと微笑みながらこう言うと、ウォルスは苦笑めいた面持ちでそうだな、
と呟いた。この言葉にランディはうん、と頷いてスラッシュを振り返る。スラ
ッシュはにやっと笑って一つ頷き、先頭に立って走り出す。目の前に立ちはだ
かる黒マントたちは、的確な攻撃の前にあっさりと道を開けた。
「……しゅーうてんっ!」
 しばらく走った所でスラッシュがこう怒鳴り、直後に、四人は開けた空間に
駆け込んでいた。底の部分を切り落とした球体を思わせる、球形のホールであ
る。中央には巨大な柱のような物が築かれ、その上に水晶球らしき物が乗せら
れていた。そしてその水晶球を挟むようにして、空中に円形の足場らしき物が
二つ浮かんでいる。足場の上にはゆったりしたソファが設えられ、それぞれに
ぐったりとした少女の姿があった。
「……ファリア!」
「向こうにいるのは……王女か!?」
「ありゃりゃ〜……さいっあく」
 足場の上の少女たちがファリアとディアーヌであると気づいた時、ランディ、
ウォルス、スラッシュはそれぞれこんな声を上げていた。ランディはとっさに
足場の方に駆けだそうとするが、それを阻むように光の矢が床に突き刺さった。
「……それ以上、前に進んでもらっては困る」
 それを追うように低い男の声がホールに響き渡った。そしてその声に、それ
までのほほん、としていた老人の表情が初めて厳しさを帯びる。
「その声……ハイルバーグ卿だな! ファリアに、何をしたんだ!」
 アメジストの瞳に憤りを浮かべつつ、ランディ叫ぶ。それに応じるように前
方の空間が揺らぎ、漆黒のマントとローブをまとった魔導師が姿を見せた。
「……ガレス……」
 その姿に老人が低くこう呟き、それを耳にした瞬間、ウォルスが動いた。
 シュっ!
 鋭く大気を引き裂き、白いカードがガレスに襲いかかる。が、カードは魔導
師を捕らえる事なく、魔力の矢に打ち砕かれた。ガレスはランディに向けてい
た視線をウォルスの方にずらし、ウォルスはそれを鋭く睨み返した。
「ガレス・ハイルバーグ……ようやく、巡り会えたな……」
 低く呟きつつ、ウォルスはカードの角で指先を傷つけ、カードに紅いルーン
を描き出す。
「君は何者か? 見も知らぬ若造に、呼び捨てにされる言われはないのだがな」
「見も知らぬ……か。そうだろうな。オレとて、貴様とこうして会うのは初め
ての事だ」
 鷹揚な口調の問いかけに、ウォルスは低くこう答えた。珍しく、その声音に
は感情が――激しい怒りが現れている。
「……ウォルス?」
 知り合って以来、初めて目の当たりにするウォルスの様子に、ランディは困
惑しつつ声をかけた。ウォルスはそれに答えず、真っ向からガレスを睨みつつ、
怒りに震える声で言葉を綴る。
「貴様はオレを知らんだろうが、オレは、貴様の名を何度となく聞かされた。
幼い頃から、繰り返し、繰り返し……母の未来と希望の全てを、打ち砕いた男
の名としてな!」
「……何?」
 ウォルスの言葉に、ガレスの表情がやや強張った。魔導師は困惑した様子で
自分を睨む若者を見つめる。
「……何の事だ? 君は、一体……」
「オレは、ウォルス……ガレス・ハイルバーグ……貴様に弄ばれたが為に、全
ての希望を失った我が母の悲しみ……その生命を持って、贖ってもらう!」
 叫ぶような宣言と共にウォルスは床を蹴って跳躍し、ルーンを描いたカード
をガレスへと投げつけた。カードはガレスの肩を掠り、閃光を放って爆発する。
突然の言葉に動揺していたのかガレスの反応はやや鈍く、シールドの展開は遅
れ、爆発を完全に防ぎきる事は出来なかった。
「……まさか……まさか、そんな……そんな事があり得るのか……?」
 低く呟きつつ、ガレスは着地したウォルスをまじまじと見つめた。ウォルス
は蒼氷の瞳に冷たく厳しい光を宿して困惑した瞳を睨み返す。そしてその冷た
い蒼は、魔導師の脳裏に忘れていた面影を鮮烈に蘇らせていた。
「……そんな……あり得ぬ……身籠もっていたなど……私の子を……セレナが
……」
 ガレスがその名を口にした瞬間、ウォルスは手にした無地のカードを魔導師
へと投げつけていた。ガレスはとっさにその攻撃を避け、改めてウォルスを見
やる。
「……貴様に、その名を口にする資格はない! 貴様の存在が、母に与えた悲
しみ……オレは……貴様を絶対に許さん!」
 きっぱりと言い切るウォルスをガレスはしばし呆然と見つめていたが、やが
て視線を落とし、低く笑い始めた。
「……何が可笑しい!」
「くくっ……全く……世の中とは、ままならぬものよの……」
 鋭く問うウォルスに、ガレスは笑いながらこんな言葉を投げかけた。それか
ら、ゆっくりと顔を上げてウォルスを見る。その瞳には、はっきりそれとわか
る余裕と共に、冷たい殺気が浮かんでいた。
「しかし、ただそれだけの事で二十年近く、私を憎み続けていたとはな……ま
ったく、平原の民とは純朴な者ばかりだ」
「何をっ!」
「君のその執念には、謹んで敬意を表しよう。しかし……私はそのような下ら
ぬ私怨の為に、倒れる訳には行かぬのだよ!」
 叫ぶような言葉と共に、ガレスは魔力球を作り出してウォルスへと放った。
ウォルスは素早くその場を飛び退いて攻撃を避ける。ランディたちがそちらに
注意を引かれた、その一瞬の隙に、ガレスは古代語を詠唱していた。真紅の魔
力光が魔導師を取り巻き、次の瞬間、それは火炎球となって放たれる。
「……やっべえ!」
 それに気づいたスラッシュが叫ぶが、明らかに遅い。それでも直撃を避ける
べく、ランディたちが動こうとした時、
「……動くでない!」
 それまで後ろで成り行きを見守っていた老人が鋭く叫んで前に飛び出した。
「……って……」
「じいさん!?」
「おいおいおいっ!」
 突然の事に三人はそれぞれ動転した声を上げるが、老人はそれらを凌駕する
大声で一声、叫んだ。
「……カウンターフィールド!」
 淡い緑の閃光が走り、閃光は巨大な壁となって老人の前にそびえ立った。直
後に火炎球が壁に衝突し、
「……え?」
 パアンっ!という音と共に弾き返した。火炎球は自らを生み出したガレスへ
と跳ね返されるが、魔導師は杖の一振りでそれを消滅させ、憎々しげな様子で
老人を睨み付けた。
「……久しぶり、と言うべきなのですかな、やはり? 出来るならば、二度と
お目にかかりたくはありませんでしたが……」
「まあ、そうじゃろうな。わしとて今更、不肖の弟子の顔など見たくはなかっ
たわい」
 低く投げかけられた言葉に、老人は憮然とした面持ちでこう返した。
「それで? 貴方は、あくまで私の邪魔をなさる……と?」
「……破門にした弟子が何をしようと、知った事ではない。しかし、わしの最
後の愛弟子をそれに巻き込むのは感心せんのでな」
 この言葉にガレスはまた低く笑い、それから、ランディの方を見やった。
「……どうやら、色好い返事はしてくれぬようだね、ランディ君?」
 口調は穏やかだが、はっきりそれとわかる怒気を帯びた問いかけにランディ
は一つ頷く。
「……当然です。ぼくは、自由騎士……ファリアを……護るべき者を傷つけた
相手に与するのは、騎士としての行いに反しますから」
「……惜しい。実に惜しいな」
 ランディの返事に、ガレスは大げさなため息をつきながら首を振った。それ
から、ゆっくりとランディたちを見回す。
「それほどの力を持ちつつ、一時の感情に身を任せてしまうとは……実に惜し
い。しかし、無理強いをする訳には行かぬ……」
 低い声で呟くように言いつつ、ガレスは両手に力を集中し始めた。黒光りす
る魔力光が、ゆっくりと球形を形作って行く。
「……とはいえ、意に沿わぬ以上、そのまま放置する訳にも行かぬのでな……
ここで、消えて頂くとしよう!」
 言葉と共に魔力球が放たれ、ランディは横っ飛びにそれを避けた。魔力球は
そのまま床に着弾し、床を丸く削り取って消滅する。
「……な、なんだあ!?」
「ディスインテグレードの術じゃ! 今のを食らうと、消滅してしまうぞ!」
 困惑するランディに老人が説明をつけている所に、魔力球の第二弾が放たれ
た。四人は反射的に散開してその一撃を避ける。ガレスは間断なく魔力球を放
ち、自然、ランディたちは防戦ならぬ回避戦を余儀なくされる。
「ちっ! こんじゃ、ラチがあかねーぞ!」
 スラッシュが苛立たしげに叫ぶが、この状況は如何ともしがたい。
「……くっ……逃げるしかないのか!?」
 カードを投げる事もできぬまま、ウォルスが吐き捨てた。
「……それでもせめて、ファリアとディアーヌ様を助けなきゃ……ぼくたちだ
けで逃げられないよ……」
 呟くように言いつつ、ランディは遙か頭上の足場を見上げた。ここからでは
はっきりしないが、ファリアは妙にぐったりとして、その生命力の波動も随分
弱々しく思える。
「……ファリア……」
「……ランディ、動け!」
 名を呼んで唇を噛みしめた、その一瞬に隙が生じていた。ウォルスの叫びで
はっと我に返った時にはやや遅く、黒い魔力球は至近距離まで迫っていた。
「……しまっ……」
「ランディ!」
「……いかん!」
 様々な声が交差し、魔導師は会心の笑みを浮かべる。しかし、一瞬の後にそ
の余裕は困惑に取って代わっていた。
「……こ、これは……」
 黒い魔力球がランディに達する直前、その胸から紫の閃光が迸ったのだ。光
は魔力球を包み込み、それを打ち消してしまう。魔力球を打ち消した光はふっ
と消え去り、ランディは思わずその場に座り込む。
「……今のは……『時空の剣』?」
「ランディ!」
 呆然と呟いていると、ウォルスたちが駆け寄ってきた。老人はランディとガ
レスとを見比べ、次に空中の少女たちを見やってから、手にした杖に魔力を集
中し始めた。
「おい、じいさん?」
「……今のままでは埒が開かん。この場は、引くのじゃ!」
 怪訝な顔で問うスラッシュに、老人は有無を言わせぬ口調でこう言い切る。
「この場は引くって……」
「しかし、それでは!」
「ええい、ごちゃごちゃ言うでない! 行くぞ! テレポート!」
 ランディとウォルスの反論を最後まで聞かずに、老人は術を発動させ、淡い
ブルーの光がふわりと四人を包み込んだ。
「……ファリア!」
 空間転移の直前に、ランディは精一杯の声でファリアの名を呼んでいた。し
かし、足場の上の少女はぴくりとも動かず──ランディがもう一度叫ぼうとす
るのを遮るように、光のドームはその場から消え失せていた。

← BACK 第一章目次へ NEXT →