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   ACT−6:事態、急転

 異変を感じ取ったのは、離宮へ戻るべく歩き出して間もなくの事だった。周
囲の木々が不安にざわめいているような、そんな感触にウォルスは微かに眉を
寄せる。
(……なんだ、この感触は……?)
 嫌な予感がふと過る。バラバラに行動した事で、ランディとファリアは捕わ
れた。向こうは、こちらを分断する目的で最初の襲撃をしかけてきたと思って
まず間違いはないだろう。だとしたら、こうしてウォルスが単独行動を取る事
まで見越していたとしたら。
「……裏目に出た……のか?」
 ふと感じた不安が言葉となって口をつく。突然の事にニーナがえ? と言い
つつ視線を向けるが、ウォルスはそれに気づかない。蒼氷の瞳は微かな苛立ち
を帯びて前を見据えていた。
「……どうか、したんですか?」
 その様子にただならぬ物を感じたのか、ニーナは眉を寄せつつこう問いかけ
る。その声に思案を破られたウォルスははっと我に返り、ため息まじりにいや、
と応じた。
「……大した事では……どうやら、あるようだ」
「……え?」
 独り言のような呟きに、ニーナは困惑した声を上げつつ首を傾げた。ウォル
スは何も言わずに足を早め、ニーナは戸惑いながらもそれに続く。足早に森を
抜け、離宮へと戻った二人は、
「……っ!!」
「え……そんなっ……」
 目に入ったものに息を飲んだ。つい一時間も前までは何事もなくそこにあっ
た邸が、半壊しているのだ。
「うそ……どうして……」
 かすれた呟きと共にニーナがその場に座り込む。目の前に広がる光景が信じ
られない――あえて問わずとも、その思いは理解できた。そんなニーナを一瞥
すると、ウォルスは半壊した邸に近づく。それと同時に、肩に乗っていたティ
アがぴょん、と飛び降りて座り込むニーナの側に寄った。
 ……みゅう……
 不安げな声を上げて自分を見上げるティアを、ニーナは無言で胸にかき抱く。
身体の震えがどうしても止まらず、何かにすがりつきたくなったのだ。
「どうして……どうして、こんな……」
 震える呟きに答える者は、当然の如く、ない。
「……ん?」
 一方、邸に近づいたウォルスはぐるりと周囲を見回し、瓦礫の上に異質な色
彩を見つけて眉を寄せた。
「……羽?」
 訝しげに呟きつつ、そっと摘み上げたそれは確かに鳥の羽だった。大きさと
蒼光りする漆黒という色合いから、それが最初に襲ってきた凶鳥フレスベルグ
の物である事は説明されずとも理解できる。
「……ちっ!」
 苛立たしげな舌打ちと共にウォルスは羽を投げ捨て、もう一度周囲を見回し
た。状況からして、王女が連れ去られたのはまず間違いない。そうなると気に
なるのはチェスターの事だ。
(ヤツが大人しく王女を差出す事はあり得ん……そうなると……)
 チェスターが無事である可能性は限りなく低い。容易に導き出せるその結論
に、ウォルスは唇を噛み締めた。
「……あの、失礼ですが……何をなさっておいでですか?」
 そうやって立ち尽くしていると、妙に場にそぐわない、穏やかな声が呼びか
けてきた。ウォルスはばっとその場から飛びずさって距離を開け、カードを片
手に声の方へと身構える。
 いつの間に現れたのだろうか。瓦礫の山の上に、青い服の青年が立って、静
かにこちらを見つめていた。表情は穏やかだが、漆黒の瞳に宿る光は厳しい。
「……何者だ、貴様は?」
 いつでも行動を起こせるように身構えつつ、ウォルスは逆に問いを投げかけ
た。青年は僅かに目を細め、それから、静かに息を吐いた。
「……私が、それをお聞きしているのですよ? 貴方は何者です? ここで、
何をしておいでなのですか?」
 口調は静かだが、瞳は鋭い。だが、こちらに対する害意は感じられなかった。
どうやら、事を構えるべき相手ではない――辛うじて残っていた冷静さが導い
た判断に、ウォルスは一つ息を吐いてカードを持った手を下ろした。
「オレは……縁あって、この邸に世話になっていた者だ……一体……何が、あ
った? 邸の主は?」
 最低限の警戒を残しつつこう答えると、青年はそうですか、と息を吐いた。
「何が、と言われましても、見ての通り、としか申し上げられません……邸の
主は……」
「……連れ去られたか」
 濁した言葉の先をウォルスは淡々と引き取り、青年ははい、と頷いた。
「そうか……それで……主の護衛は……チェスターは、無事なのか?」
「はい……深手を負っておられましたので、我が主の命で、安全な所にお連れ
しました」
「……主?」
 青年の言葉にウォルスは訝るように眉を寄せ、青年ははい、と頷いた。
「……そうか……わかった。それじゃ、あそこで座り込んでいるのも、一緒に
保護してやってくれ」
 肩越しにニーナを振り返りつつこう言うと、青年はわずかに首を傾げた。
「……あの方は……ええ、それは構いませんが……貴方は、どうなさるのです
か?」
「オレは……レムニアに行く」
 短い言葉に、今度は青年が眉を寄せた。
「王都に……ですか? しかし……」
「……元々、オレは自分の目的を果たしにここに来た。だから……それに従う
まで。あいつの事を、頼む」
 何事か言いかける青年を遮る刹那、蒼氷の瞳にはなんとも言い難い、暗い色
彩の炎が燃えているようにも見えた。その色彩に青年は微かに怯むような素振
りを見せるものの、すぐに平静さを取り戻してわかりました、と頷いた。
 ……みゅうう……
 ニーナに抱かれていたティアが不安げな声を上げる。
「……お前は、そいつと一緒にいてやれ……心配するな、大丈夫だ」
 ……みゅう……
 静かな言葉にティアは不安げなままでこく、と頷く。そのやり取りに気付い
たニーナが顔を上げるが、ウォルスはそちらと視線を合わせるのを避け、青年
に向き直った。
「それじゃ、頼む……っと……」
「ラフィアン、と申します……どうぞ、お気をつけて」
 青年――ラフィアンの言葉にああ、と頷くと、ウォルスは紫の光の門を素早
く生み出す。
「……あっ……」
 ニーナが何事か言いかけるのを最後まで聞かずに、ウォルスは光の門の中に
飛び込んで姿を消した。それと共に光の門もふっと消え失せてしまう。
「…………」
 ……みゅうう……
 ウォルスが消えた辺りを不安げに見つめるニーナに、ティアが呼びかける。
ニーナは無言で小さな妖精を撫でてやった。
「……参りましょう。あの方は、大丈夫ですよ……」
 そんなニーナにラフィアンが静かに呼びかける。それに、はい、と頷いて顔
を上げたニーナは、やや訝るように眉を寄せつつ、あなたは? と問いかけた。
「……ラフィアン、と申します。先の宮廷魔導師長アーヴェルド・グラシオス
様にお仕えする者です」
 静かな名乗りにニーナは一瞬目を見張り、それから、ほっとしたような笑み
と共にそうですか、と呟いた。
「はい。では、参りましょう。城の方々も、そろそろ異変に気付いてこちらに
来るはず……失礼ですが、荷物の類は全て回収させていただきました。客人の
事など、知られるとまずい部分もあると思われましたので」
「……お心遣い、感謝いたします……」
「その言葉は、我が主にお願いいたします」
 ニーナの言葉に悪戯っぽい笑みを浮かべてこう言うと、ラフィアンは左手に
ふわりと青い光を灯す。その光が二人と一匹を包み込み、一瞬後には彼ら諸共
に消え失せた。

 レムニアの都には、相変わらず濃厚なマナが漂っている。
 空間転移の門で王都を訪れたウォルスは、その感触に妙に重苦しいものを感
じて、一つため息をついた。魔法の使い手にとっては心地よいマナの感触が、
今は妙に鬱陶しく思えてしまう。多少、気が滅入っているためだろうか。
「さて、ここまで来たはいいが……」
 気持ちを切り替えるように低く呟きつつ、ウォルスは周囲を見回した。
「どうやって、あいつらを探すか、だな……」
 古代語魔法の使い手であればロケーション──探査の呪文を用いて探す事も
できるだろうが、その系列は彼にとっては専門外である。もっとも、この都は
ロケーションによるトラブルが多発しているため、呪文自体の発動に強い制限
をかける結界が張られているのだが。
 ウォルスはやれやれ、とため息をつくと、道の端に寄って目を閉じた。
(セイラン)
(控えております)
 声には出さず、意識のみで呼びかけると、すぐさま頭の中に声が響く。
(調査の方は?)
(概ね、順調ですが……)
 ここで、セイランは何故か言葉を濁した。
(どうか、したのか?)
(……ファリア殿の、心の波動が途絶えてしまい、追跡ができぬのです)
(……なに?)
 予想外の事態に、ウォルスの表情がやや険しさを帯びた。
(……命の波動は?)
(微かに感じます……生きてはおられるかと)
(……ランディの方は?)
(ランディ殿の波動は、はっきりと感じております。ご健在のようです)
(……そうか……)
 ここで、ウォルスは目を開けて小さくため息をついた。
(仕方ないな……お前は引き続き、ランディの居場所を追っていてくれ。場所
は……奴の屋敷だろ?)
(はい)
(なら、日が暮れた頃にそっちに向かう。何か異変があったら伝えてくれ)
(御意)
 短い言葉を残して意識の会話は途絶えた。ウォルスは腕組みをして背後の壁
に寄りかかり、睨むように空を見上げる。濃密なマナの漂う都の空は、微かに
紫がかって見えた。
(……確かに、あいつの潜在魔力はとてつもない。それは認める……しかし、
一体何をやらせるつもりなんだ?)
 あれこれと思いを巡らせつつ、ともあれ、ここにいつまでも立ち止まってい
る訳にも行かないので、ウォルスはゆっくりと歩き始めた。大通りを宛もなく、
取りあえず中央広場の方へと向かう。広場の中央では魔力によって築かれた噴
水が涼しげな音を振りまいていた。そして、その周囲には人だかりが出来てい
る。
「……何だ?」
 何気なく目を止めたそれに興味を引かれたウォルスはそちらに向かい、
「……なっ……」
 絶句した。
 噴水の周囲を囲む石造りの池の縁に、小柄な少女が腰掛けていた。華奢な両
手に竪琴を構えている所からして、吟遊詩人に間違いないだろう。少女はしば
らく弦の調整をしていたが、やがて、竪琴を掻き鳴らして歌い始めた。

 穏やかな月明かり
 無限の広がり照らすよ
 深き緑の海は眠りに沈み
 風が静かに歌い続ける

 我等は彷徨えし者
 無限を越えて
 風と共に歌い
 大地の腕にまどろむ

 月と星が歌う時
 大地は穏やかに眠り
 新たな陽の目覚めに
 力強き息吹を起こす

 我等は彷徨いし者
 無限を数え
 水の恵みに潤い
 炎の力に安らぐ

 我等は彷徨い人
 我等は何処へ行く
 我等は彷徨い人
 我等は何を求める

 無限を越え無限を数え
 我等は刻み続けよう
 この大いなる大地の営み
 全てを包む天の輝き

 世界のあるがままと共に……

 どことなく幼さを残した高めの声が静かな曲を歌いあげると、刹那、周囲は
静寂に包まれた。しかしその静寂も少女が竪琴を片手に立ち上がり、深々と頭
を下げた瞬間に打ち破られる。居合わせた者たちは皆、少女の演奏に拍手を送
り、その足元に置かれた籠に銀貨を投げ込む者も少なくなかった。
「あはっ……ありがとうございまぁーす!」
 投げ込まれた銀貨に少女は本当に嬉しそうな声を上げて籠を拾い、また深々
と頭を下げた。そして再び顔を上げた時、
「……あれ?」
 少女の口からはとぼけた呟きがもれていた。その視線の先には……呆れたよ
うな顔で立ち尽くすウォルスの姿がある。
「……え……まさか……お兄ちゃん!?」
 呼びかけられた瞬間、ウォルスはがっくり、という感じで額に手を当てて肩
を落とした。
(なんで、こいつがこんな所に……!)
「お兄ちゃん! ウォルスお兄ちゃんでしょ!? あっはぁ、こんなとこで会え
るなんてっ!」
 見るからにがっくりとしているウォルスとは対照的に、少女は心底嬉しそう
な口調でこうまくし立てる。
「……レイチェル! 何故、お前がここにいるんだ!?」
 それに対し、ウォルスはきっと顔を上げ、厳しく問いを投げかけていた。
「なんでって……そんなのお兄ちゃんを探しに来てたに決まってるじゃない! 
お兄ちゃんってば、いっきなりいなくなっちゃうんだもん! それっきり、連
絡もないしぃ」
「そんな事は、オレの勝手だろうが! ったく、この忙しい時に……」
 苛立たしげに吐き捨てると、レイチェルは大きなダークブルーの瞳をきょと
ん、と瞬かせた。
「忙しいって……?」
「お前には関係ない! 余計な事を気にしてないで、さっさと平原に帰れ!」
 素っ気なく言い放つと、ウォルスは踵を返して足早にその場から立ち去った。
「って、ねえ、ちょっと! お兄ちゃんってばぁ!」
 取り残されたレイチェルはとっさにその後を追いかけ、それから、置き去り
の荷物の事を思い出して慌ててそちらにかけ戻った。竪琴を専用の袋にしまい、
今稼いだ銀貨を財布に入れて籠を荷物袋に押し込み、肩にかける。身支度が済
むと、レイチェルは周囲でぽかん、としている人々に一礼して、ウォルスが立
ち去った方へと走り出した。
「あ、あれぇ? もう、お兄ちゃんってば、どこいっちゃったんだろ……?」
 しかし、行き交う人々の中にその姿は見えず、レイチェルは首を傾げつつ走
って行く。
「……行ったか……」
 その姿を路地の陰から見送ると、ウォルスはやれやれとため息をつき、
(……セイラン!)
 苛立ちを交えて意識の交信を始めた。
(……どうなさいました?)
(……お前……レイチェルがここにいる事、知っていて教えなかったな!?)
 苛立ちを帯びた問いに答えはなく、ただ、笑うような波長が意識に届いた。
(久しぶりに従妹殿に会ったのですから、そんなに怒らなくても良いでしょう
に?)
 それから、余裕たっぷりにこんな問いを投げかけてくる。
(遊ぶな! 非常事態に!)
(非常事態だからこそ、余裕を持っていただこうと思いましてね……それに可
愛いものではありませんか……貴方のように性格の宜しい方を、ああも一途に
慕っているのですから)
(お前、なぁ……)
(……我等は、盟約者に人の心を失ってほしくはないのですよ)
 苛立ちを込めた言葉を遮り、セイランはこんな言葉を寄越してきた。この一
言はウォルスが用意していた反論を、全て押さえ込んでしまう。
(まったく……お前たちプラズム・ドラゴンってのは、お節介焼きの集団だな)
 代わりにこんな、皮肉っぽい言葉を投げかけると、セイランは涼しげに、そ
れはどうも、と返して来た。
(まあ、いいがな……それで、状況は?)
(目立った変化はまだありませんが……気にかかる事が)
(気にかかる事?)
(はい……館の中を、何者かが探っているようなのです。どうなさいますか?)
 問いかけにウォルスは微かに眉をひそめ、それから、構うな、と答えた。
(無理に手を出す必要はない。無駄に敵を増やす必要はないんだからな)
(御意。それでは)
 短い言葉と共にセイランの声は途絶えた。そして、ウォルスはふう、とため
息をつく。
「……まったく……やれやれ、だな」
 低くこう呟くと、ウォルスはまた、ため息をついた。それから、ふと思いつ
いて裏通りへと足を向ける。先日訪れた老婆――シャドハの所に行こうと思っ
たのだ。話していて楽しい相手ではないが、あそこなら身を隠しておくには都
合がいい。それに、これから騒動が起きる可能性を思えば、カードの補充をし
ておくに越した事はないはずだ。
「このままで済ませはしない……なんとしてでも……」
 決意を込めた呟きをもらすと、ウォルスは足早に裏通りの薄暗闇へと溶け込
んで行った。

 やがて、都を蒼い夜の帳が包み込む。大通りは昼間の賑わいが嘘のように静
まり返り、ただ、濃密なマナが霧さながらに立ち込めるのみとなる。この時間
になると、住人の大半は自分の研究に勤しむため、人通りは皆無だ。
 その人気のない通りを、ウォルスは音もなく移動していた。中央広場で一度
足を止めて方角を確認し、小高い丘の上に築かれた王城の方へと向かう。王城
前広場まで来るとウォルスは東の道へと進み、厳めしい門構えの屋敷の前で足
を止めた。
「……ここか」
 低く呟いて見上げた屋敷には、何故か、全く明かりが灯されてはいなかった。
人の気配も感じられない。ウォルスはしばし、睨むように屋敷を見つめていた
が、小さなため息と共にそこを離れた。そのまま、屋敷の裏口に通じる路地へ
と足を向ける。当然、そこにも人影はないが、そこに立ち込める雰囲気には一
種異様な物があった。
「……さて……セイラン、いるか?」
 ぐるりと周囲を見回し、人影がない事を確認すると、ウォルスは低い声でこ
う呼びかけた。それに答えるように立ち込める霧が揺らぎ、淡い紫の光が弾け
る。光は収縮し、そして、不思議な姿を形作った。
『お呼びですか、ウォルス?』
 静かな口調で問いかけるそれは、龍だった。淡い紫の鱗を持つ、一メートル
ほどの長さの龍──東方のラオレム帝国ならばいざ知らず、魔導王国のたたず
まいの中ではその姿は、美しくも異質に見える。
「……中の状況は?」
『何やら急に、慌ただしくなっております。それに合わせて、ファリア殿の気
が捉えられなくなりました』
 静かな言葉に、ウォルスは眉をひそめた。
「どういう事だ?」
『……強い結界の中に移された模様です』
「そうか……それで、ランディの方は?」
『ランディ殿の方に、動きはございません。どうなさいますか?』
「……直接乗り込んで、連れ出すのが適当だろうな。奴の手元に『時空の剣』
を置いておくのは不用心に過ぎる」
 静かな問いに、ウォルスは不敵な笑みを浮かべてこう言い切った。この返事
は予想済みだったらしく、セイランは短く御意、と応じて身体を光らせ始める。
力を集中しているのだろう。
「……もし、そこのお若い方。この屋敷の中に行かれるのですかな?」
 何の前触れもなく、穏やかな声が呼びかけて来たのはその時だった。ウォル
スはカードケースから白いカードを一枚抜き取り、声の方に身構える。
「……何者だ!?」
「見ての通り、魔導師のジジイですがの」
 低い声で問うと、声の主は悠然とこんな言葉を返して来た。ぼんやりと発光
する霧の中に、深い藍色のマントとローブを纏った老人の姿が浮かび上がる。
「……その魔導師のジイさんが、オレに何の用だ?」
「ですからのぉ、お前様は、この屋敷の中に行かれるのでしょう? わしも、
一緒に連れて行っては下さいませんかな?」
 鋭い問いかけに、老人は飄々としてこう応じる。ウォルスは探るような視線
を投げかけつつ、更に問いを接いだ。
「オレが、非合法に入り込もうとしてるのを知った上で、そう言うのか?」
「それは勿論。何せ、この館と来たら、正面玄関は飾り物もいいところですか
らのお」
「ふん……けだし名言だな」
 吐き捨てるような言葉に、老人はほっほっほ、と太平楽な笑い声を上げた。
「しかし……何故、そうまでしてここに入りたがるんだ?」
 低い問いに、老人は笑うのを止めて一つため息をついた。
「……わしの可愛い弟子が、危機に晒されている……と、こやつが知らせてく
れましてな。いても立ってもいられなくなりましての」
「……弟子?」
 きゅうきゅう!
 訝しげに呟いた直後に老人の肩から甲高い鳴き声が聞こえ、白い塊がひょこ
っと姿を見せてまたきゅうきゅうと鳴いた。首にピンクのリボンを結んだ白い
ネズミ──リルティだ。
「お前は確か、ファリアの使い魔……!?」
 呆気に取られるウォルスに、リルティは何事か訴えかけるようにきゅうきゅ
うと鳴いた。ウォルスはリルティと、老人の顔とを見比べて一つため息をつく。
「……わかった、取りあえずはあんたを信用しよう」
「ほっほっほ、物わかりの宜しいお人じゃな」
「……行くぞ、セイラン」
 太平楽に笑う老人には答えず、ウォルスはカードをしまってセイランの方に
向き直った。セイランは御意、と応じて再び力を集中する。淡い紫の光が弾け、
直後にその場から人の姿が消え失せた。

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