第一章目次へ


「……チェスター……本当に、大丈夫なの?」
 ウォルスたちが森の中で戦いの痕跡を発見した頃、離宮ではディアーヌが不
安げな瞳でチェスターを見つめていた。
「大丈夫ですよ……本当です」
 そんなディアーヌに、チェスターはこう言って穏やかに微笑みかける。
「……ほんとに?」
「ええ。だから、そんな心配そうになさらないで下さい」
 この一言でディアーヌは一応は納得したらしいが、瞳の不安は消えていなか
った。その様子にチェスターはやや眉をひそめる。
「……姫?」
「ねえ、チェスター……ランディたちは、大丈夫よね……?」
 不安げな問いにチェスターは一瞬言葉に詰まるが、すぐに穏やかな表情に戻
って大丈夫ですよ、と答えた。しかし、ディアーヌを捕らえる不安は消えず、
王女は悲しげに目を伏せた。
「……姫?」
「……どうして、こんな事になってしまうのかしらね……」
 その陰りにチェスターは訝しげな声を上げ、ディアーヌは小声でこう答えた。
この呟きに込められた思い──自分の為に他者が傷つく事への憂いに、チェス
ターは唇を噛みしめた。彼やニーナが王女を守ろうとして傷つけば、それはそ
のままディアーヌの心の重荷になるのだ。
 それはわかってはいるが、しかし、手段を選ばぬ物騒な襲撃者に彼女を渡す
事はできない。近衛騎士としての責任とプライド、そして何より彼自身の心が、
それを良しとしなかった。
「……姫……」
「ねえ……それ、いつから?」
 そっと声をかけると、ディアーヌはやや拗ねた口調でこう問いかけてきた。
突然の問いにチェスターはえ? と言って瞬く。
「いつから……と言うのは?」
「だから……いつからなの? 私の事……姫とか、殿下とか呼ぶようになった
のは?」
 戸惑いながら問い返すチェスターに、ディアーヌは質問を繰り返した。淡い
紫の瞳の真摯さに、チェスターは思わず目をそらしてしまう。
「……答えて……くれないのね」
 寂しげな呟きに、チェスターは答える術を持たない。いや、もしかしたら持
っているのかも知れないが、答える事には、ためらいがついて回る。そらされ
た瞳からそれと察したのか、ディアーヌは悲しげな表情で目を伏せた。沈黙が
重たくのしかかってくる。
(いつから……いつから、なんだろう……)
 その沈黙の中、チェスターはふとこんな事を考えていた。幼い頃は確かに、
何の抵抗もなくその名を口にしていたのに。今は何故か、声に出すのがひどく
ためらわれて仕方がない。こうして二人だけで空間を共有する事にも、いつか
らか抵抗を感じていた。
『チェスター殿、どうか、ディアーヌの心を支えてあげて下さい……それは、
貴方にしかできない事なのです』
 この離宮に移る直前に、ディアーヌの祖母に当たる月神大神殿の司祭長に言
われた言葉がふと蘇った。結局、何も返す事のできなかった言葉――それが、
沈黙を更に重いものにする。
 魔導王国の王女でありながら、古代語魔法の才ではなく、神官としての資質
に恵まれ、その事で常に異端視されてきたディアーヌにとって、幼い頃から身
近にいて彼女を護り続けてきたチェスターはかけがえのない存在でなのだ。そ
してチェスターにとっても、半妖精と言う特異な出自を持つ自分を認め、必要
としてくれるディアーヌはかけがえのない、何よりも大切な存在と言えた。
 しかし──それでも。
 自分が半妖精である事実と、そして、父が王族としての特権と義務の全てを
放棄している事が、チェスターに一線を越える事をためらわせていた。自分は
あくまで臣下の身でしかない──そんな思いは常に付きまとい、二の足を踏ま
せている。そんな自分を女々しいと思う事はしきりだが、しかし、その弱さと
決別する事は容易ではない。
「……チェスター……?」
 迷いに囚われるチェスターをディアーヌがか細い声で呼んだ。ディアーヌは
黙り込んでしまったチェスターを案ずるような瞳で、じっと彼を見つめている。
チェスターは一つ息をつくと、そちらに向き直って安心させるように微笑みか
けるが、
 クキェエエエエエエエっ!!
 直後に奇声が響き渡り、窓の外に黒い影が広がった。
「……えっ……」
「まさか……まだ、いたのか!?」
 クキェッケェェェェェっ!!
 動揺する二人を嘲るように窓の外の影――フレスベルグが声を上げる。蒼味
を帯びた翼が大きく羽ばたき、巻き起こした衝撃が窓を粉々に吹き飛ばした。
チェスターはとっさにディアーヌを抱きかかえ、ドアの方へと飛びずさる。下
ろしたディアーヌを背後に庇いつつ窓の方に向き直ると、いつの間に現れたの
か吹き飛んだ窓の所に黒いマントを羽織った男が立ち、こちらを見つめていた。
「……何者だ!?」
「魔獣使いカシュナー・リグルゥ……『門』となるべき王女の身柄、貰い受け
に来た」
 銀とエメラルドのアミュレットを手にしつつ投げかけた低い問いに、男は嘲
りを込めた笑みを浮かべつつ、こう言い切った。

 ファリアは夢を見ていた。幼い頃の──両親と最後に別れた時の夢だ。
『それじゃ、行ってくるからな、ファリア』
『いい子で待っててね。この御用が終わったら、母様はもう何処にも行かない
からね……』
 こう言って両親は幼いファリアを母の姉弟子に預け、発見された古代の研究
所の調査へと向かった。別れ際の言葉の通り、母はこの調査を最後に冒険者と
しては引退し、子育てに専念するつもりだった。
 しかし──現実は、最も厳しい形でファリアに伸しかかってきた。両親の帰
りを待ちわびるファリアにもたらされたのは、二人が探索で命を落としたとい
う報せだったのだ。
『そんなの……そんなのうそ! 帰ってくるもん……父様も母様も、ちゃんと
帰ってくるもん!』
 両親の訃報に対し、ファリアはこう叫んで泣きじゃくった。突然の喪失を受
け入れる事など、到底できなかったのだ。
 その後、ファリアは両親に魔法を教えた大魔導師に引き取られた。ファリア
の潜在魔力を正しく目覚めさせたいと願った母が、何かあった時は、と事前に
頼んでおいたのだ。多少抵抗はあったものの、ファリアは亡き母の遺志に従い、
魔道師としての修行を始めた。
(父様……母様……どうして帰ってきてくれなかったの……?)
 夢現の狭間を漂う意識が、ふとこんな疑問を浮かべた。それは一人になって
から、孤独を感じる度に幾度と無く繰り返した答える者のない問いかけだった。
(……でも、独りぼっちになったから……だから、ランディに出会えた……)
 しかしこの半年の間は、問いかけの直後に必ず浮かぶこの思いが、寂しさを
紛らわせていた。ランディの存在が、両親を亡くした辛さを鎮めてくれたのだ。
(……ランディ……)
 自分がランディに惹かれている事に気づくまで、さして時間はかからなかっ
たと思う。日々の鍛練と冒険の中、日一日と逞しさを増してゆくその姿と、時
間を共有するほどに感じられる優しさは、心に芽生えた微かな想いに確たる存
在感を与えていた。
 しかし、それと同時に、不安もまた大きくなっていた。ランディへの気持ち
が強くなればなるほど、ランディにとって自分が何なのか、どういう存在なの
か、という不安が心の中で高まっていたのだ。
(ランディ……ランディは、あたしの事、大事な存在って……大切だって言っ
てくれるケド、でも……)
 それが、どういう感情に基づいた『大切』なのかわからない事実が、ファリ
アの心をいつも不安にさせていた。そしてそれが、あの旅立ちの際に自分から
一緒に行く、と言えなかった理由の一つだった。突き放されるのが、何でもな
い存在だと言われるのが、怖かったから……。
(……ランディ……)
 ぼんやりとした薄暗闇に閉ざされた夢幻と覚醒の狭間で、ファリアはランデ
ィを呼んだ。しかし返事はなく、それが不安と孤独をかき立てる。
(ランディ、どこ……どこにいるの? 答えて……一人にしないで……お願い)
 祈るような呼びかけに答える声はなく、代わりに、何か異様な力が意識に触
れた。それは徐々に広がり、ファリアの意識を包み込んで行く。
(え……なに? これ……)
 困惑している間にも、突然の力は意識を覆い尽くそうと広がって行った。何
とか逆らおうとするが、圧倒的なその勢いの前にそれも叶わない。
(……いや……やめて、放して……ランディ……ランディ、助けて!)
 助けを求める声は意識の虚空に虚しく響き──そして、ファリアは闇に飲ま
れた。

 その時、そこは紅い光で満たされていた。光の中心にいるのは、真剣な表情
で両手を複雑に組み合わせたイレーヌだ。額に汗を滲ませ、唇には妖艶な笑み
はなく、真紅の瞳は目の前のベッドに横たわる少女──ファリアを睨むように
見つめていた。
 ファリアの身体はイレーヌと同様に紅い光に包まれていたが、しばらくする
とその光はファリアの中に吸い込まれるように消え失せ、それに合わせて閉ざ
されていた瞼がゆっくりと開いた。しかし、大きな栗色の瞳に力はなく、虚ろ
に天井を見つめている。それを確かめるとイレーヌはふう、と息をついて両手
を解き、額の汗を拭った。
「……どうやら、上手くかかってくれたようね……まったく、手こずらせてく
れて」
 苛立たしげに呟きつつ、ファリアの目の前でぱたぱたと手を振る。しかし、
ファリアは何の反応も示さなかった。その結果にイレーヌは満足げな笑みを浮
かべ、空間転移でその場から姿を消す。一瞬の後にはその姿は、本と巻物にそ
の大半を埋めつくされた部屋──ガレスの書斎に現れていた。
「イレーヌか……守備は?」
 やって来たイレーヌに、ガレスは鷹揚な口調で問いかける。
「多少、手間取らされましたが……マインドシールは完了しましたわ」
 この報告にガレスはそうか、と満足げな笑みをもらした。
「これで『呼び鈴』は我が手中……『鍵』も手元にある。残るは肝心の『門』
だが……」
「それについては、今日中にはこちらにお届けいたしますと、カシュナーが申
しておりました」
 物言いたげに振り返るガレスに、イレーヌは艶然と微笑みながらこう応じる。
この返事にガレスはふん、と鼻を鳴らして巨大な水晶球を見やった。
「……時にイレーヌ、最近、邸の中をネズミが走り回っているようだが……」
「ネズミ? ああ……ご心配には及びませんわ、あの程度の者、気にかける価
値もございません」
「ならば良いが……ここまで来て、足元を掬われる訳には行かぬ。注意は怠る
な」
 探るような問いかけをイレーヌはさらり、と受け流し、ガレスはひとまず納
得したような様子で再び水晶球を見た。
「それでは、私はこれで……」
 一礼して、イレーヌはその場から姿を消した。その気配が完全に消え失せる
と、ガレスは先ほどまで魔女がいた辺りに目を向ける。
「……ふん、女狐が……こそこそと動き回りおって……」
 憎々しげに吐き捨ててはいるが、しかし、その瞳には不思議な余裕が見て取
れた。

「さてと……」
 一方、ガレスの書斎を出たイレーヌは、ため息と共に長い髪をかきあげた。
それから、苛立たしげな視線をぐるりと周囲に投げかける。周囲の石の壁は当
然のごとく沈黙し、何も語らない。
「こそこそと動き回ってくれて……嫌な男ね、あいつは」
 低くこう呟くと、イレーヌは足早に廊下を歩いて行く。ハイヒールの踵が石
床を打ち据える、カッカッカッ……と言う音が無機質に反響した。
「さてと……」
 薄暗い廊下をしばらく歩いた所でイレーヌは足を止め、壁の一画に手を触れ
た。それに応じて壁が四角く口を開け、イレーヌはゆっくりと中に入る。入っ
た先はベッドとテーブルに椅子、水瓶しかない殺風景な部屋──ランディの捕
らわれている牢屋だった。
 中に入ったイレーヌは、ベッドの上に寝転がるランディの姿に妖しい笑みを
浮かべてそちらに歩み寄り──突然、ベッドの上に乗ってしまった。甘い香り
が周囲に立ち込め、うたた寝をしていたランディの眠りを覚ます。
「う……ん……ん? え!?」
 むせるような甘い香りに目を覚ましたランディは、全く予想もしなかった状
況に目を丸くした。まあ、うたた寝から目を覚ましたら、明らかに年上の美女
に上に乗られていた……と言うのは、ランディの性格からすると相当に刺激が
強いのだが。
「え? え、え、え!? あ、あの、あの、ちょっと!?」
 思いも寄らない事態に動転して上擦った声を上げると、イレーヌは楽しげに
くすくすと笑う。明らかに、ランディの反応を楽しんでいる様子だ。勿論と言
うか、ランディにそんな様子に気づく余裕はない。
「あ、あの、あの、ええと、なに……何のご用なんですかああっ!?」
 今にも泣きだしかねない様子で問いかけると、イレーヌはさも楽しそうに声
を上げて笑った。
「ええ……ちょっと、あなたに話があってね……ふふっ、なぁに? あたしが、
コワイの?」
「……コ、コワイ、コワクナイの問題じゃなくて、ええと、ええと、なんで、
上に乗っかってるんですかああっ!?」
 楽しげな問いにランディは露骨に焦りながら答え、どうにかずっと気にかけ
ていた問いを投げかける。そんなランディにイレーヌはくすり、と笑みをもら
した。
(うああ……ヘビに睨まれたカエルってこんななのかなぁ……?)
 身動きの取れない状況にこんな訳のわからない事を考えていると、イレーヌ
が顔を近づけてきた。合わせるように身体の距離が縮まり、豊満な乳房の重み
と柔らかさが胸に伸しかかる。
「ねぇ、坊や……あたしと組まない?」
 柔らかさに思わず硬直するランディの耳に、イレーヌはこんな言葉を囁きか
けた。思いも寄らない言葉にランディは戸惑い、その戸惑いが冷静さを僅かな
がら取り戻してくれる。
「……どういう、事、ですか?」
「言った通りのイ、ミ……ねぇ、どう?」
 甘い声ではぐらかすように言いつつ、イレーヌは身体を擦り寄せてくる。布
数枚しか隔てていない接触はその柔らかさを否応無しに感じさせ、ともすれば
意識をどこかに持ち去りかねない。それでも、ここで飲み込まれてはいけない、
という危機感が辛うじて正気を繋ぎとめていた。
「はぁ……でも、おかしいじゃないですか。あなたは、ハイルバーグ卿の配下
なんでしょう? だったら……」
 心持ち視線をずらして問いかけると、イレーヌはさも可笑しそうな笑みをも
らした。それから、怪訝な面持ちのランディに艶然と微笑みかける。
「確かに、今はあいつの配下に収まってるけど、別に絶対の忠誠を誓ってるつ
もりはないわ……単に、あいつの気違い沙汰の計画が、あたしにとって都合が
いいから、手を貸してるだけよ。
 それで……どう? あなたの力、あたしに預けてみない? 決して損はさせ
ないわよ?」
「損はさせないって……一体、どういう風にですか?」
「そおねえ……色々とあるんだけど……差し当たっては……」
 問いかけに、イレーヌはやや芝居がかった仕種で首を傾げる。
「……差し当たっては?」
「……創造主の地位を確約できるわね。あなたの持つ力なら、それくらいはカ
ンタンだもの。それから、今すぐにあげられるものもあるわね……」
 さらりと言われた言葉の突拍子もなさにランディは一瞬言葉を無くし、それ
から、勿体ぶった物言いにふと危機感を感じて更に問いを接いだ。
「……今すぐ……って?」
「……最高の快楽を、味合わせてあげるわ。どう?」
 妖艶な笑みと共に投げかけられた問いに、ランディは言葉を無くす。
(い……いきなりそんな事言われても、困るよぉっ!)
 勿論と言うか、返答自体は決まっている。しかし、イレーヌの言葉には引っ
かかるものがあった。
「あなたは……あなたも、世界を造りなおすつもりなんですか?」
 その疑問をそのままぶつけると、イレーヌはさあね、と言って笑って見せた。
「それは、協力してくれるんじゃなきゃ教えられないわ……どうするの?」
 楽しげに問い返すと、イレーヌはランディの頬に手を触れた。ランディは一
度目を閉じて息を吐き、それから、手を伸ばして頬に触れるイレーヌの手を掴
んでゆっくりそれを引き離してから目を開ける。
「生憎、三つ以上、年上の女性は、あんまり好みじゃないんで……お断りしま
す」
「あら。言ってくれるわね」
 静かな言葉にイレーヌはやや気色ばんだようだった。それでも、すぐに余裕
を取り戻してまあいいわ、と呟く。
「でもね、あんまり時間はないわよ……自分の進退は、早めに決める事ね?」
 相変わらず楽しげな口調でこう言うと、イレーヌはランディから離れた。そ
のまま優雅な足取りで部屋の出入口へと向かい、壁の向こうに姿を消す。その
気配が完全に遠ざかるとランディは身体を起こしては────っ……と深くた
め息をついた。
「あ〜〜〜……びっくりした」
 それから、がっくりと肩を落としつつ嘆息する。
「……いやぁ〜、大したもんだねお前さん。あのイレーヌに誘われて、転ばね
えとは……恐れ入ったぜ」
 直後にこんな声が頭上から降ってきて、予想外の事にランディは文字通り仰
天した。
「な……だ、誰だ!?」
「あー、あー、でかい声出すな、でかい声を……オレがここにいるのがバレる
だろーが」
 上擦った声で誰何するランディを、突然の声は軽い口調でこういなす。声か
らするとまだ若い男のようだ。
「一体……あなたは……? どこにいるんですか?」
「オレはスラッシュ。で、お前さんの頭の上……有体に言って、天井ウラの、
通風用の通路の中にいる」
 低い声で問うと、男は軽い口調で懇切丁寧な説明をしてくれる。ある意味場
違いな反応にランディは毒気を抜かれていた。
「一体、何をしてるんです? ぼくに、何か用なんですか?」
「用もないのにわざわざ話しかけるほど、オレは暇じゃねーよ」
「……十分暇人に思えるけど……」
「そう言うない」
 つい呆れたような口調で言うと、スラッシュと名乗った男はさすがに怒った
らしく、声音がやや怒気を帯びた。
「それで、何の用なんです?」
「……お前さん、一体どっちにつくんだ? ガレスか、イレーヌか? それと
も……」
「……何処にもつく気はありません。でも、どうしてそんな事を聞くんです?」
 問いを最後まで言わせる事なく、ランディはこう言いきった。この言葉にス
ラッシュはへえ、と感心したような声を上げる。
「……お前さんの持ってるその力には、みぃ〜んな興味があるんだよ……勿論、
このオレも例外じゃない。まあ、オレの興味は、お前さん本人に偏ってるけど
な♪」
 それから妙に楽しそうな口調でランディの疑問に答えるが、その答えは新た
な疑問を導いた。ランディは首を傾げつつ、それを問いとして投げかける。
「……それはどういう……あなたは、一体何者なんですか?」
 困惑したこの問いかけに返事が来るまで、少し間が開いた。
「……あの〜」
「……お前さん、ガレスにもイレーヌにもつかないんだな? なら、ここから
出た方がいいぜ」
 沈黙を訝って声をかけると、スラッシュは静かにこう返してきた。
「そりゃ、出たいのは山々ですけど……」
 そうも行かない、という思いを込めて嘆息すると、スラッシュはそうだろう
な、と呟いた。
「取りあえず、その気があるなら、明日の夜まで待ちな。ま、それまでにお前
さんの持ち物は取り戻しといてやるよ」
「え? それは助かりますけど、でも、ぼく一人で逃げる訳にはいかないんで
す。ファリアも一緒じゃなきゃ……」
「ファリア? ああ、あのコか……そいつは難しいぜ。まあ、善処はしてやる
よ。じゃな」
「あ、ちょっと!」
 立ち去ろうとするスラッシュを、ランディは慌てて呼び止めた。
「……何だよ?」
「これだけは、教えてください。あなたは、ぼくの味方なんですか? それと
も……」
「イレーヌの味方にならねぇんなら、オレの敵にはならねえよ」
 敵なんですか、という問いを遮り、スラッシュはこう言いきった。それきり
声が途絶えたところからして、どうやら立ち去ったらしい。ランディはしばし
石の天井を見つめていたが、一つため息をついて、またベッドに寝転んだ。
「何だかなあ……『時空の剣』を受け取ってから、妙な知り合いばっかり増え
てくなぁ」
 それ自体に問題はないと思うが、その知り合いが持ち込む事件は一筋縄では
行ってくれそうになく、それだけが頭痛のタネと言えた。ランディはもう一度
ため息をついて目を閉じ──イレーヌの残していった香水の残り香に顔をしか
めた。
「……こういう極端な香りって、好きじゃないんだよねぇ……あ〜あ……」
 立ち込める匂いに辟易しつつ、ランディはファリアを思った。ファリアの周
りにはいつも、爽やかなミントの香りが漂っていたのがふと思い出されたのだ。
「……ファリア……無事でいて……」
 祈るように呟くランディは、ファリアの心が魔導によって封じられた事を知
らない。今はただ、その無事を祈るしか術はないのだ。
「……はあ……」
 妙に重苦しいため息をつくと、ランディは毛布を引き被って目を閉じた。

← BACK 第一章目次へ NEXT →