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   ACT−5:魔導の国に潜む闇

 全てが混濁していた。意識も、何もかもがぼんやりとした混沌に沈み込み、
自分という存在の認識すら出来なくなっている。

 …………ディ…………

 混濁した意識に微かに触れる存在があった。今にも消え入りそうな……か細
い声だ。

 ……ラ……ン……ディ……

(……だれ……?)
 微かな声が混濁に変化を与え、こんな言葉が浮かび上がる。それに伴い、混
濁した意識が澄み始めた。

 ……ランディ……ランディ、どこ……?

 意識が澄んで行くのに伴い、響く声も徐々にはっきりとして行った。そして
その声は意識を確たるものにして行く……。

 ……ランディ……

(……この声……ファリア……?)
 明確さを増した意識は、今にも泣きそうに震えながら呼びかける声がファリ
アのそれであると気づき、その直後に身体の感覚が一気に覚醒した。
(…………っ!)
 鋭い痛みが身体を貫く。それに伴うようにぼんやりと暗かった周囲が明るく
なり、

 ……ランディ……どこ……?

 震えるこの言葉を最後にファリアの声は途絶えてしまった。
(……ファリア……)
 呼びかける声に、返事はなかった。

 目を開けて、最初に目に入ったのはくすんだ灰色だった。それが石造りの天
井と認識した直後に、激しい痛みが駆け抜ける。
「……っくう……」
 反射的に身体を起こし、特に激しく痛む左肩を抑えてうずくまる。ひとまず
痛みが鎮まったところでランディは周囲を見回した。
「……ここは……?」
 何とも殺風景な部屋だった。四方の壁に床と天井は剥き出しの冷たい石壁で、
ランディが寝ているベッドの他にはテーブルと椅子が一組と、水瓶が一つしか
ない。
「……牢屋……って言うのかな、ここって? でも、なんでこんな所に……?」
 痛みで乱れた呼吸を整えつつ、ランディは記憶を逆上った。
 ディアーヌの離宮を襲撃した賊をファリアと共に追いかけ、森の中で妖艶な
美女と対峙した事は、直前のファリアの混乱と共にはっきりと覚えている。そ
してその美女――イレーヌが従えていた魔獣ケルベロスと戦い、どうにか首一
本を取ったもののファリアが人質に取られ、身動きが取れなくなった所をケル
ベロスに攻撃されて深手を負い、そのまま意識を失って――。
「……で、捕まった、と。それにしても、なんでぼくが……?」
 ランディが誰かに捕らわれる理由として考えられるのは一つ、『時空の剣』
しかない。しかし、アメジストのペンダントは未だに彼の首にかかっていた。
(まあ、これが遺跡に眠ってた剣だなんて、普通誰も思わないか……)
 こう考えてひとまず納得した直後に、室内に光が差し込んだ。表情を引き締
めてそちらを振り返ると壁の一画が白く切り取られ、そこに人影らしき物が二
つ浮かんでいる。逆光になっているため良くわからないが、どうやら一人は魔
導師らしい。
「……お目覚めかね、ランディール君」
 部屋に入ってくるなり、その魔導師は鷹揚な口調でこんな問いを投げかけて
きた。聞き覚えのある声にランディははっと息を飲む。
「……まさか……」
 呟くのと同時に室内がさあっと明るくなり、入ってきた人物を照らしだした。
一人は壮年の魔導師で、その後ろに真紅のドレスの美女――イレーヌが控えて
いる。そしてその魔導師の顔には、はっきりとした見覚えがあった。
「あなたは……ガレス・ハイルバーグ卿……」
 低く名を呼ぶと、魔導師──ガレス・ハイルバーグは満足げな笑みを浮かべ
た。
「ほほう、覚えていてくれたのかね?」
「一応は……それにしても驚きましたね。カティスの王女殿下を狙った賊に捕
らわれて、カティス王国宮廷魔導師長であるあなたにお会いするなんて……」
 背後に控えるイレーヌを睨みつつこんな言葉を投げかけると、ガレスはにや
りと笑って見せた。
「それで? カティスの重鎮であるあなたが、一介の失墜騎士に何の御用でし
ょうか?」
「部下の非礼は詫びよう。しかし、君が最初からこちらの申し出を受けてくれ
さえすれば、ここまでする必然は無かったのだがな」
 切り付けるような口調で問いかけると、ガレスはこう切り返して来る。さす
がに、この程度では怯んではくれないようだ。
「では、あの時の一団は……」
「私の配下だが……どうやら、度の過ぎる振る舞いをしたようだな。私はあく
まで、君の自発の協力を取り付けるよう命じたのだがな」
「……あの態度が協力の要請ですかぁ……」
 『時空の剣』を要求してきた男の態度を思い出しつつ吐き捨てると、ガレス
は渋い顔で背後の魔女を振り返った。魔女は艶然たる笑みで苦々しい一瞥を受
けとめる。
「……まあ、その話はこれまでとしよう。さて、ランディール君」
「ランディールの名は過去の物ですので、そう呼ばれても返事はできません」
 憮然とした面持ちで突き放すとガレスの表情が厳しさを帯びた。さすがにと
言うか、この物言いは気に障ったらしい。それでもガレスはすぐに表情を改め、
穏やかな口調で話しかけてきた。
「……では、ランディ君。改めて、君に協力を要請したいのだが……」
「……協力?」
「『時空の剣』の力を、私に貸しては貰えぬだろうか?」
 怪訝な面持ちで問うと、ガレスはストレートにこう言い切った。ランディは
表情を厳しくして真っ向からガレスを見つめる。群青の瞳は冷徹とも思える光
を宿して、紫水晶の瞳を受けとめた。
「……ハイルバーグ卿」
「何かね?」
「あなたは……何をしようとしているのですか? 強大な力を、何のために用
いようと言うのですか?」
「何のために……か」
 静かな問いに、ガレスは口元を笑みの形に歪めた。
「そうだな……言うなれば、世界の再生のため……と言う所か」
「……世界の再生?」
 戸惑いを込めて問い返すと、ガレスは鷹揚に頷いた。
「有体に言って、今のこの世界は病んでいる……あまりにも混沌として、全く
統制というものが取れてはいない。
 それは何故か? 世界に住まう者が、統制を求めぬからだ。統制される事を
求めず、混迷と混沌に塗れて満足している……堕落も、甚だしいと言えよう。
 このままでは遠からず、この世界は崩壊するのは目に見えている。だからそ
の前に、世界全体を整理しなければならぬ。それによって要と不要を振り分け、
膿んだ部分を切り捨てる必要があるのだ」
「……そんな事、できる訳……」
「……それが、できるのだよ。異世界の力を取り込めばな」
「……異世界!?」
 予想外かつ突拍子もない一言に、ランディは素っ頓狂な声を上げていた。そ
の驚きの表情にガレスは満足げな面持ちで頷いた。
「そんな事……出来る訳ないでしょう?」
「くくく……出来ぬ事を、どうやってやろうと言うのだね? 出来るからこそ
……可能だからこそ、私は実行すると言っているのだよ!」
「……え?」
「そのためには、必要な物が多々ある。君の手にした『時空の剣』もその一つ
……君が協力してくれれば、私は必ずこの大事業をやり遂げて見せよう! ど
うだ、協力してくれるか?」
 熱っぽい問いかけに、ランディは即答する事が出来なかった。あまりにも荒
唐無稽な話に、言葉も出てこないのだ。
(……な、なに考えてるんだ、この人は。自分が世界を再生するなんて、そん
なの正気の沙汰じゃないよ……)
「どうだね、君もこの、素晴らしい試みに、名を連ねようとは思わんのかね!?」
「それは……ぼくは、箱庭生まれの凡庸ですから、いきなりそんな事を言われ
ても……」
 畳みかけるような問いに、ランディはとっさに即答を避けていた。それから
ずっと気にかかっていた事を問いかけ、話題を変える。
「それはそうと、ファリアはどうしたんです? 無事なんでしょうね?」
「ファリア……おお、勿論だとも。あの娘は古い知り合いの忘れ形見、危害を
加えるつもりなどありはしない」
 ランディの問いにガレスは拍子抜けしたようだったが、すぐに余裕の面持ち
に返ってこう答えた。
「古い知り合いの忘れ形見……ファリアが?」
 それは意外な言葉だった。ファリアの両親が共に古代語魔法の使い手だった
事は聞いてはいたが、よもやカティス王国の重鎮と旧知とは思いも寄らなかっ
たのだ。
「さて、それでどうだね? 私に協力して貰えるのかね? どちらを選ぶも君
の自由だが……私としては、賢明な判断を期待したいのだがね?」
 言いつつ、ガレスは意味ありげに笑って見せた。その笑みの言わんとする所
は、尋ねるまでもないだろう。
(断れば、今度こそ生命はない……って事か。とはいえ……)
 素直に受け入れるにはあまりにも荒唐無稽な計画である。それに、ガレスの
高慢な考え方には賛同しかねる部分が多々あった。故に受け入れる訳には行か
ないのだが、この状況では不用意な事は言えないだろう。
「……少し、時間をいただけますか? 先ほども言いましたが、何分ぼくは箱
庭生まれの凡庸ですので、考えをまとめなければ到底答えられませんから」
 しばしの逡巡を経て、ランディは当たり障りのない返事をする。ガレスはや
や不満そうだったが、それでも状況的な余裕からか、良かろう、と頷いた。
「……良い返事を、期待しているよ。では」
 こう言うとガレスは踵を返して部屋を出た。イレーヌは艶然とした微笑みを
ランディに向けてからその後に続く。壁が口を閉じるのと同時に室内は最初と
同じ薄暗闇に閉ざされた。そして、ランディはふう、とため息をつく。
「……まさかねぇ……とんでもない黒幕だよ、これ……」
 『時空の剣』を手にしてからの一連の騒動の、予想だにしない黒幕に、ラン
ディは深くため息をついた。直後に傷が痛みだしたため、ランディは呪文を唱
えてその傷を癒す。
「それにしても……」
 痛みが落ち着いた所で、ふとした疑問がわき上がる。ウォルスの事だ。ウォ
ルスは、この騒ぎの黒幕と浅からぬ因縁がある……と、言っていた。しかし、
彼とガレスの間には、なんら接点らしきものが見受けられないのだ。
「……いずれにしろ、これからどうすればいいのかな……」
 出来るならファリアを見つけ出して、共にここから脱出したいが、正直、彼
一人の力ではそれは覚束ない。剣を取り上げられている点から見ても、身動き
は取れそうになかった。
(取りあえず、ファリアは無事みたいだし……もう少し、様子を見るしかない
のかな……)
 多少不安は付きまとうが、今はそれが最善と思われた。ランディはもう一つ
ため息をつくと、ベッドに寝転んで目を閉じた。

 森の中は重い静寂に包まれていた。その静寂の中を、黒い人影がゆっくりと
進んで行く――ウォルスだ。ウォルスは微かに残る血痕と下生えを踏み分けた
跡をたどりつつ、森の奥へと向かっていた。時折膝を突いては足跡を確かめて
いるが、その動きは妙にぎこちなかった。
「……まったく……」
 何度目かの足跡の確認の後、ウォルスは一つため息をついた。それからゆっ
くりと左肩を動かすが、やはりその動きにはぎこちなさが残る。
「……あの程度の傷で、ここまでするか、普通……」
 ぶつぶつと文句を言いつつ、左肩を掴む。そこはフレスベルグとの戦いの後、
チェスターを狙ったマジックアローを受け止めて負傷した所だった。回復魔法
による処置が早かったため傷らしき傷は残ってはいない。表面に軽い火傷があ
る程度なのだが。
『軽かろうとなんだろうと、怪我は怪我です!』
 こう主張するニーナの手により、肩から胸にいたるまでを包帯できっちり縛
られていた。動きがぎこちないのはこのためだ。
「……大体、何故、オレの怪我であそこまでムキになる必要があるんだ……」
 ゆっくりと立ち上がりつつ、こんな事を呟く。先日の夜の一件以来、妙にピ
ンとがズレたと言うか何と言うか、ニーナのウォルスに対する態度は随分と変
わっていた。それ自体は別に構いはしないが、どうも調子が狂って仕方がない。
あれだけ強かった警戒が急に緩んだのだから、戸惑うな、と言われても困るの
だが。
 ……みゅ?
 ため息をついているとマントのフードがもそもそと動き、白い物が肩の上に
上がってきた。ティアだ。ティアは怪訝な面持ちでため息をつくウォルスの顔
を覗き込む。
「……大体、お前からしてどうしたって言うんだ? 人見知り、女嫌いのくせ
に、簡単に気を許して……?」
 ……みゅう?
 疲れたような問いかけに、ティアはきょとんとしつつ首を傾げた。青い大き
な瞳は、どうしてそんな事聞くの、と言わんばかりの光を宿している。無邪気
な仕種と表情にウォルスは苦笑めいた面持ちで嘆息し、それから、やや鋭い瞳
を今まで通ってきた道へと向けた。真似するようにそちらを見たティアがみゅ
う、と声を上げて尻尾を振る。警戒心の全くないその様子にウォルスは眉を寄
せ、やって来た者の姿に大きくため息をついた。
「……何をしているんだ、まったく……」
 ティアが全く警戒していないという時点である程度予想はついていた。しか
し、当たったら当たったで正直対処には困る。それらの思いは彼にとって最も
表しやすい『呆れ』という形で言葉に込められ、その『呆れ』にやって来た者
――ニーナはやや眉を寄せた。
「何を? それは、こちらの言う事です! いきなり姿を消して……何をして
いたんですか?」
 それから、厳しい口調でこう問いかけてくる。この問いにウォルスは一つた
め息をついた。
「……ヤツらがあまりにも戻らんから、様子を見に来ていた……問題か?」
「いう……それ自体は」
 答えながら逆に問いを返すと、ニーナは短くこう答えて目を伏せる。妙に重
い沈黙が舞い降り、やがて、ニーナがそれで、という呟きでそれを取り払った。
「お二人は……ランディさんたちは、見つかったんですか?」
 低い問いにウォルスはまだだ、と答え、前に続く足跡を見た。
「一応、この先までは行ってみるつもりだが……正直、芳しい結果は得られそ
うに、ない……」
「そうですか……では、私もご一緒します」
「……なに?」
 ニーナの言葉にウォルスは眉を寄せつつそちらを振り返る。戸惑いを帯びた
蒼氷を受けとめる碧は、どことなく憂いに陰っていた。
「……いいのか、王女の護衛は?」
「今は……私は、いない方がいいんです。私がいると、チェスター殿はそれを
口実に逃げてしまいます。今の姫様には、私よりもチェスター殿の支えが必要
ですから」
 短く問うとニーナはため息まじりにこう返してきた。この答えにウォルスは
なるほど、とため息をつく。
「そのための口実が、オレと言う訳か」
「それは……否定しません。でも……心配なのも事実です。ランディさんたち
も……あなたも」
 今にも消え入りそうな言葉の最後の部分にウォルスはやや眉を寄せ、それか
ら呟くように勝手にしろ、と告げて再び下生えの調査に戻った。ニーナは一歩
離れてその様子を見つめる。明らかに人の踏み分けた跡をたどり、進んで行く
と、開けた空間に出る。
「……これは……!」
「……え!?」
 そこに広がる光景に、ウォルスとニーナは息を飲んだ。
 激しい熱波に煽られたかのごとく、不自然に萎れた木々の枝。そこだけどし
ゃぶりの雨でも降ったようにぬかるんだ地面。そして何より目を引くのは地面
にこぼれた鈍い紅色――血痕だ。
「そんな……一体、なにが……」
 ニーナが呆然と呟く。一方のウォルスは冷静さを失う事なく広場を見回し、
不自然にひしゃげた茂みの中に異質な色を見つけてそちらに歩み寄った。折れ
た枝に、淡いばら色の紐のような物が絡まっているのだ。
「……これは……あいつのか?」
 呟きながらそっと掬い上げてみる。良くは覚えていないが、ファリアがお下
げ髪の先に結んでいたリボンがこんな色だったはず――などと考えていると、
突然どさ、という音が耳に届いた。振り返ると、ニーナがその場に座り込み、
呆然と広場の様子を見つめている。ウォルスは取りあえずリボンをポケットに
押し込み、そちらに歩み寄った。
「……どうした?」
「……どうして、なの?」
 そっと呼びかけると、ニーナはかすれた声を上げた。
「……何がだ?」
「……姫様は……ディアーヌ様は、ただ、静かに暮らしたいだけなのよ? い
つだってそう、ずっとそれだけを願っていた……なのに……どうして、こんな
事ばかり起きるの?」
 突然の呟きを訝って問うと、ニーナは途切れがちにこう呟いた。恐らくは、
ずっと抱えていたのであろうその問いに答える術を持たないウォルスは、何も
言わずに地面に残った血痕に向き合った。
 ……みゅう……
 肩の上のティアが不安げな声を上げる。ウォルスはちら、と肩の上の使い魔
を見、それから小さくため息をついて一つ頷いた。ティアはみゅっ、と短く鳴
くとウォルスの肩から飛び降り、俯くニーナの肩にぴょん、と飛び上がった。
ニーナは微かに表情を和らげ、小さな頭を撫でてやる。その様子を横目に見つ
つ、ウォルスは改めて地面を見つめた。
 草の上に残る血痕は、明らかに二種類ある。一つは萎れた草の上で変色しつ
つある紅い物。何の変哲もない、と言うとやや語弊がありそうだが、とにかく
人間の血――恐らくはランディの物だ。
 そしてもう一方――正直、問題はこちらなのだが、こぼれた辺り一面の草を
急速に枯れさせている黒々とした血痕にウォルスは眉を寄せた。
(これは……魔獣の類の物か……?)
 熱波に煽られたとおぼしき周囲の木々とぬかるんだ地面、そして二種類の血
痕から察するに、それなりの相手との戦いがあったのは想像に難くない。そし
てその戦いに、ランディたちが敗北したのは明らかだ。
(そして、連れ去られた、と……しかし、ランディはわかるが、何故あいつま
で?)
 彼が知る限り、『敵』が必要としているのは、ランディと『時空の剣』のは
ずだ。正直、ディアーヌが狙われている理由も未だに掴めてはいない。明確な
理由付けのできるランディを除いた、二人の少女に共通して言える事は――。
(……潜在魔力、か?)
 たどりついた結論に、ウォルスは微かに眉を寄せる。最初に会った時から感
じていたのだが、ファリアもディアーヌも未覚醒の非常に高い魔力を秘めてい
る。用い方によってはかなり大掛かりな事も平然とやってのけるだけのキャパ
シティがあるのだが、二人揃ってそれには気づいていないらしい。
(……『時空の剣』と、強大過ぎる魔力……)
 取り合わせとして、これほど恐ろしいものはないだろう。勿論、それぞれの
持ち主が自らの意思を持ってそれを制御できるのであれば、何ら問題はないの
だが。
「……セイラン……」
 ごくごく小さな声で、ウォルスは低くこう呟いた。一瞬、淡い紫の光がその
傍らに弾けるが、ニーナは気づいていないらしい。
『お呼びですか、ウォルス?』
 ウォルスの頭の中に静かな声が響く。落ち着いた雰囲気の、男性の声だ。そ
れに、ウォルスは意識の上でああ、と応じる。
(あいつらの気の波動、たどれるか?)
『……お言い付けとあらば』
(なら、頼む。恐らく……場所は、レムニアだ)
『……御意』
 短い言葉と共に再び紫の光が弾け、それきり声も途絶えた。ウォルスは一つ
ため息をついて立ち上がり、ニーナの方を見る。視線に気づいて顔を上げたニ
ーナの瞳は大分落ち着いているように見えた。
「……どうやら、これ以上の捜索は無意味らしい……戻るぞ」
 この言葉にニーナはそうですね、と呟いて立ち上がる。その肩からティアが
ぴょん、と飛び降り、またぴょん、と跳ねてウォルスの肩に飛び乗った。ウォ
ルスは改めて広場の様子を見回すと、腰のケースから数枚のカードを取り出す。
「……どうするのですか?」
「このままにしておけば、気脈の乱れが生じてここから森が死ぬ。癒しておい
た方がいい」
 怪訝な問いに素っ気なく答えると、ウォルスはカードの角に指を滑らせ、滲
んだ血で白いカードに紋様を描きつけた。更に以前、『時空の剣』の波動を封
じた時のようにルーンカードを血で複写する。
「……巡り続ける生命の力、均衡の歯車の導きに従いて、その波動を解き放て
……再生!」
 静かな言葉と共に投げ上げられたカードはふわりと宙に舞い、淡い金色の光
を放って砕け散った。光は粒子となって広場に降り注ぎ、生々しく残る戦いの
痕を癒していく。
「……これでいいな……戻るぞ」
 広場が元の静けさを取り戻すとウォルスはこう言ってニーナを振り返った。
「……良く、ありません!」
 それにニーナは厳しい表情で言いつつウォルスの右手を引く。その指の先に
は未だに傷口が開き、紅い色を滲ませている。
「あのな、このくらいは……」
「私、さっき、何て言いました?」
 このくらいは何でもない、という言葉を最後まで言わせず、ニーナはきっぱ
りとこう言い切った。
「……勝手にしてくれ」
 睨むような碧い瞳に、ウォルスは逆らう事を放棄してこう吐き捨てた。ニー
ナは癒しの祈りを唱えて指先の傷を塞ぎ、それから、行きましょう、と言って
微笑む。
 みゅうん♪
 この言葉にウォルスはやれやれ、とため息をつき、代わりにその肩のティア
が尻尾を振りつつ一声鳴いた。

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